2012年9月7日金曜日

火坂雅志『天地人』


 このところ暑さがぶり返しているが、それでも季節がゆっくりと巡っていくのを感じている。この秋の予定やいくつかの仕事の依頼などをぼんやり見ていて、気力の減退もあって、いささかうんざりしないわけではないが、これも性分と思って諦め、ぼちぼちやっていこう。

 そんな思いを持ちながら、信義というのを生涯貫いていった戦国時代の武将である直江兼続の生涯を描いた火坂雅志『天地人』(2006年 日本放送出版協会)を、感銘をもって読んだ。これは200310月から2006年4月までの約2年半に渡って各地の新聞に掲載された新聞小説をまとめたもので、NHK2009年に大河ドラマとして放映し、人気を博した作品の原作ともなったものである。

 NHKのドラマ自体は、取り上げた直江兼続という人間の魅力や演じた俳優の名演もあり人気を博したが、小松江里子という人が記した脚本には、時代考証の問題や非歴史的事実が平気で盛り込まれ、原作とは異なった人物設定などもあって若干の問題を感じながら観ていた。しかし、この世における「利」で動くことに対する直江兼続や当時の上杉家がとった「義(信義)」が明瞭に強調されて、その点では原作の意図がきちんと表明されていると思っていた。

 そこで、改めて原作を読んで見たのだが、新聞小説だけあって展開も丁寧で、直江兼続の人物像がよく浮かび上がる作品になっていた。

 直江兼続(15601619年)は、通説としては、樋口兼豊の長男として越後の上田庄、あるいは坂戸城下(現:新潟県南魚沼市)、あるいは南魚沼郡湯沢町で生まれたと言わる。父親の兼豊の身分は、坂戸城主長尾政景の家臣で、台所の薪炭の係りの役だったとも、あるいは上田長尾家の家老・執事だったとも言われており、母親についても諸説があるなど、実は、その誕生や実家についての歴史的確定がされているわけではないのである。本書では、兼続の父親の兼豊は算勘に優れた才能を持ち、薪炭吏から上田長尾家の家老にまで出世した人物とされている。しかし、父親が苦労人であったことは容易に想像がつく。

 兼続(幼名与六)は、幼い頃から聡明だったと言われ、上杉謙信の姉で長尾政景の妻であった仙桃院にその利発さを見出されて、政景の次男である顕景(あきかげ 後の上杉景勝)の小姓(遊び友だち)に推挙されている。特に、1564年に長尾政景が野尻湖で溺死したあと、上杉謙信は姉の仙桃院の子である顕景を養子とし春日山城に引き取ったときに、兼続も近習として春日山城に移ったと言われ、この時、顕景九歳、兼続四~五歳で、まさに異例中の異例と言っていいほどの子どもだったのである。

 上杉謙信は、顕景と共に春日山城にやってきた樋口与六(直江兼続)をことのほか可愛がり、自分の全てを教える愛弟子としたと言われ、兼続は名将謙信の薫陶を受けて育っていくのである。ただ、兼続の幼少年期についての歴史資料が確認されているわけではない。しかし、兼続が謙信の教えを生涯の杖としたことは事実である。

 生涯独身を貫いた上杉謙信には子がなく、顕景の他にもうひとり養子があり、上杉謙信が1570年に北条氏康と和睦した際に北条家から人質として出された北条氏康の七男である北条三郎(北条氏秀)を気に入って養子とし、上杉景虎の名を与えて、姉の仙桃院の長女と妻せるなどして自分の後継者候補の一人としていた。上杉景虎は美男で人を惹きつけるところがあったが、利にさといところもあり、無口で無骨なところがあった顕景とは対称的な人物でもあった。謙信が二人の養子を持ったことが、後に、上杉家の家督を巡って顕景と景虎は熾烈な争いをすることとなる。

 本書は、1573年に上杉謙信の長年の仇敵であった武田信玄が死去して後、1575年に長篠の戦いで武田軍が織田信長に敗れ、天下の情勢が大きく変わろうとしていた時代から始まる。与六は17歳となり、謙信の薫陶をますます受けつつも、新しい時代の到来を予感していくところが、かつて謙信と信玄が戦った川中島を見下ろす地に立ち、それを弟の与七(後に大国実頼と改名)と語り合うという展開で行われている。与七は兄の与六を「兄じゃ、兄じゃ」といって生涯尊敬し慕っていたと言われる。こういう書き出しの設定は、歴史の経過と物語の今後の展開を予測させる上で実に巧みである。

 やがて、越中を平定した上杉謙信は、前将軍足利義輝の弟で、織田信長のもとを去って亡命していた足利義昭の要請を受けるという形で上洛の軍を進める。上杉景勝もこれに従い、兼続も行を共にする。1577年、能登に侵攻した上杉軍は七尾城を包囲し、これを打ち破ることになるが、ここで直江兼続にとって手痛い事件が起こる。

 それは陣中で上杉景虎の兵たちが兼続の主君である長尾顕景を小馬鹿にする現場に行き合い、激怒して私闘をしたために、兵の私闘を、理非を問わず禁じた上杉謙信によって蟄居を命じられるという事態になったことである。謙信は愛弟子である兼続に厳しい処断をし、兼続を坂戸に帰す。兼続の生涯の中でそれは大きな挫折であるといえるかもしれない。

 しかし、人は挫折した時のあり方で、その後の人生が決まる。兼続は自ら深く反省し、座禅を組み、自らの精神を高めていく道を静かに選んでいくのである。それが兼続を大きく変えていく。彼は謙信が伝えた「義」から「自分にとっての義とは何か」を求めていくのである。そして、これがやがて「愛」の兜をかぶっていくという道につながっていく。直江兼続の「愛」は「仁愛」のことである。

 兼続がそうした自省の日々を過ごしている時に、突然、上杉謙信が倒れて死去してしまう。脳卒中だったと言われているが、1578年3月(現4月)のことである。謙信は前年に織田信長軍との手取川の戦いで勝利を収め、再び春日山城で遠征の準備をしている時だったと言われている。兼続は謙信が死去する前に蟄居を解かれてゆるされていた。

 しかし、この謙信の死で上杉家の状態は一変する。謙信が後継者を明白に定めなかったことから、養子であった景虎と景勝の間で、後継者をめぐる争いが勃発してしまうのである。この争いは「御館の乱」と呼ばれ、かつて上杉謙信が関東管領であった上杉憲政の居館として建てた「御館」に景虎が陣をしき、景勝が春日山城に陣をしいて戦ったことからこの名がつけられている。領内はこれによって二分してしまうのである。互いに死闘が繰り広げられることになる。

 景虎は実家である北条家と手を結んで景勝を攻めたが、直江兼続の進言もあっていち早く春日山城を収め、また、甲斐の武田家と同盟を結ぶことによって北条家からの援軍を抑えてこの戦いに勝利していくのである。景勝はこの時に武田家との同盟を結ぶしるしとして武田勝頼の妹の「菊姫」を正室として迎えている。しかし、一年以上続いたこの内乱で、上杉景勝は厳しい状況に置かれ、また世情もめまぐるしく変化していった。彼が同盟を結んだ武田家は、織田・徳川・北条同盟軍によって1582年に滅亡し、越後上杉家は北陸の柴田勝家、米沢の伊達輝宗、会津の蘆名盛隆、信濃の森長可、上野の滝川一益といった具合に全方向を敵に囲まれることになり、崩壊一歩手前まで追い詰められるのである。

 この時、上杉景勝は最も信頼できる兼続を若くして家老に抜擢し、兼続はその才能を発揮して困難によく耐えていく。しかし、兼続の実家である樋口家の家格が低かったことから、彼に更に重きをもたせるために上杉家中で名門であった直江家の直江信綱の妻であった「お船」と妻せられて、兼続は樋口与六兼続から直江兼続となるのである。「お船」の夫の直江信綱は、「御館の乱」で景勝側につき、景勝に重用されていたが、重臣の遺領をめぐるトラブルで春日山城内において殺されてしまっていたのである。「お船」は、直江家の姫で前夫の信綱は婿養子であり、直江家は「お船」によって存続していたのである。越後一の美女だったと言われている。本書では兼続と「お船」は幼い頃から知り合いで、それぞれの慕情を抱いていたと展開する。

 この後、状況は急激に変化し、時代はめまぐるしく変わっていく。何よりも周囲を敵に囲まれて存亡の危機に陥った越後上杉家に天が味方したとしか思えないような出来事が起こる。それは、明智光秀による本能寺の変である。甲斐の武田家を破り、破竹の勢いで天下布武を行ってきた織田家は、何よりも信長という中心に回っており、その信長を失って、上杉家を取り囲んでいた織田軍は撤退を余儀なくされたのである。そして、天下は秀吉のもとに統一されていく。その経過も詳細に追われているが、秀吉が直江兼続を見初めて自分の家臣にしたいと強く願ったが、兼続と上杉景勝の主従関係が強い信頼で結ばれていたことを知らされただけであったことはよく知られている。

 秀吉は、東北の要として上杉家を越後から会津に移封するが、その時、直江兼続に特別に30万石の所領を与えて厚遇したのである。しかし、直江兼続はこれを上杉景勝に返上し、6万石を受けただけである。直江兼続の名は天下に広まっていくし、また、文人としてもその深い知識と教養が京都で発揮されていくことになる。本書はここで直江兼続と千利休の娘「お涼」との出会いを描くが、やがて利休が秀吉によって自刀に追い込まれる過程も描き出している。また、石田三成との関係と相違点も明瞭に描き出していく。こうした展開と手法は実に見事であり、歴史理解もすっきりしている。

 直江兼続の生涯は、織田、豊臣、徳川と激動した戦国後期の時代と直接に関係があるから、それを述べると戦国史の全部を語ることになるので、詳細は割愛するが、やがて秀吉の朝鮮侵攻と死、徳川家康の天下覇権に向けた策略と石田三成、そして上杉家を守る直江兼続との関係、有名な「直江状(家康に堂々と渡り合った書簡)」などを経て、関ヶ原の戦いと大坂の陣、そして上杉家の減封と兼続の苦心などが、丁寧に展開されていくのである。

 本書は、真田幸村の異母姉「初音」を登場させたり、千利休の娘「お涼」を登場させたりして、人間直江兼続の姿を描くと同時に、利が支配する世の中で義を通していく姿をいかんなく描き出していくし、人間の信頼の強さともろさも描き出す。

 図書館の返却日が迫り、長くなったので、随分と省略してしまったが、直江兼続は、その智も勇も兼ね備え、多くの人々を魅了し、おそらく戦国の世の超一流の人間であったと思っている。彼を描いた作品も多いが、本書は一読に値するものだと思う。

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