2010年3月29日月曜日

白石一郎『出世長屋 十時半睡事件帖』

 三月も末というのに、本当に寒い。昨日からまた冬に逆戻りしたような天気が続いている。こういう天気が続くと、なんとなく体調も狂って「意欲」というものがなくなるから、人間というものがいかに身の回りの環境に左右させられて生きているのかがよくわかる。前の道路を行き交う人が傘をさし始めているので雨が降り出したのだろう。雨粒はまだ見えないが。

 白石一郎『出世長屋 十時半睡事件帖』(1993年 講談社 1996年 講談社文庫)を大変面白く読んだ。これはこのシリーズの五作目で、福岡藩(黒田藩)の「十時半睡」が、隠居後さらに請われて江戸藩邸の総目付(今でいえば警察・検察長官)として赤坂溜池近くの福岡藩(黒田藩)中屋敷に居を構えていく前後を、物語った作品である。

 前に、このシリーズの『おんな舟』というのを読んだときにも記したが、主人公の「十時半睡(ととき はんすい)」は、本名「一右衛門」といい、「半分眠って暮らす」という洒落からみずから「半睡」と号して、福岡藩黒田家の八十石御馬廻組の家に生まれ、知恵と人情に富み、藩内の奉行職を歴任したのち、六十二歳で引退した老武士である。

 彼は、本人が望めば千石以上の家録(収入)を得ることができたはずだが、六百石以上の加増は頑として否み続け、しかも引退する際は、役職手当を返上して二百石として、それを息子に譲った。引退して一年後には愛妻をなくし、その時に、藩の目付制度(警察制度)の改革の必要性から再び総目付として再出仕を命じられた。しかし、表沙汰にはならなかったが、息子の不祥事(恋愛事件)で自ら突如として職を辞し、再び隠居としての生活を始めることになったのである。

 彼はそのことについては何も語らず、囲碁将棋、魚釣りや山歩きなどの生活を楽しもうとするが、どうにも手持無沙汰の日々を送ることになる。本作では、無聊を囲っている十時半睡が、なまった体を建てなおそうと昔通った剣道場へ足を運ぶところから始まっている。

 この主人公の十時半睡が、上流階級の武士たちが通った道場ではなく下流の武士たちが通った道場に通い、しかも、彼の得意技が実践的な脛払いという業であるのも、主人公の人柄をよく表わしている。

 そうしているうちに福岡藩の江戸藩邸で様々な不祥事や事件が頻発したことから、江戸藩邸の目付制度を変えることとなり、再び、半睡に白羽の矢が立って、彼は江戸藩邸総目付として江戸へ向かうことになるのである。その際、彼が通う道場の師範代をしている好青年の兄が江戸藩邸で事件に巻き込まれて自死・改易となったことから、その青年を自分で引き取り、彼だけを連れていくことにしたのである。

 江戸藩邸でも、勤番侍に雇われて妹を救うために盗みをした娘を救うために、その娘を下働きとして雇ったりする。江戸藩邸での目付制度改革でも、何らかの際に秀でているわけではないが、「意欲」をもつ青年たちを採用していくのである。そして、制度が整うと、あとはすべてを任せていくという姿勢を取る。

 こういうところに、どこまでも人間を温かく包んで生かそうとする主人公の姿勢がよく現れている。この姿勢は、第六話「目には青葉」で佐賀藩との争いごとになりそうな武士の面目をかけた事件での決着のつけ方にもよく現れている。互いの意地が張りあって大事件になろうとすることを「生かす」という視点で切り抜けていくのである。

 彼は六十五歳であり、もちろん、老いということも感じている。それにまつわる旧友の事件も起こる。十時半睡は、できることとできないことを明瞭にし、できることの中で物事を冷徹に見て判断を下すが、その眼が温かい。秀才であるが、それだけに迷う青年も出てくる。彼は己の才を頼む傲岸な青年には手を貸さない。そういうところが、人生を知ってよく老いた主人公の姿として描かれる。

 主人公は老いてますます好奇心旺盛で、それが彼を生かしている。自らを律することを知り、質実剛健で、しかも柔らかい柔軟性をもつ。こういう主人公の設定には、本当に喝采を送りたい。

 時代小説の中でも、福岡藩(黒田藩)の老目付という異色の設定で、しかも「人を生かす」という豊かなテーマを、決して重々しくではなく、生きた人間の姿として描かれているのがとてもいい。言うまでもないことであるが、時代考証はしっかりして、当時(多分寛政~享和年間-1789-1803年頃と思われるが)の生活もよく反映されている。

 今日はあまりに寒くて掃除をする気もなく、いくつかの書類を片づけたり、今度の日曜日がイースターなので、ギリシャ語聖書をひも解いたりした。何とはなしに日がくれそうな気配がある。

2010年3月27日土曜日

白石一郎『江戸の海』(2)

 三日間降り続いた冷たい雨が上がった。気温はまだ低いのだが、朝のうち、陽光がきらきらと屋根瓦に反射し、周囲の空気をほんの少し温めてくれているような気配に包まれていた。

 白石一郎『江戸の海』の残りの七話を読んで、よくまとまった優れた短編であると改めておもう。第四話「海の御神輿」は、江戸の御船手組同心に養子に来た質実剛健な青年が、まるで御神輿のように飾り立てられた将軍家の船と、それを拝むようにしている幕府の御船手組たちの姿に無意味さを感じていくというもので、実際に将軍家の船が動かされた時に、そのバランスの悪さから何の役にも立たないものであることがわかっていくのである。

 ここには飾り立てられた権威や世人が祀り上げているものが、実は空虚なものであり何の意味もないものであることが「将軍家の御船」に象徴されて、素朴な田舎者であるだけにそれが見えていくのである。人が欲しがっている権威というものは、いつも「裸の王様」である。

 第五話「勤番ざむらい」は、参勤交代で江戸へ出てきた西国の小藩の実直な勤番侍が、町見物の途中で掏り事件と遭遇し、そこで知り合った日本橋の大店の呉服屋とその娘に饗応され、それにのめり込むうちに藩邸の門限破りをすることとなり、罰を受けて国元に帰っていくという話で、夢のような時を過ごしても、夢からさめれば厳しい現実が待っているわけで、「勤番侍」と呼ばれた田舎者の「浦島太郎物語」でもある。しかし、ここには一人で寂しく暮らさなければならない人間の悲哀もあって、それが見事に描き出されている。

 第六話「夕凪義」は、瀬戸内海の伯方島で、ある程度成功して暮らしていた二人の男が、ひとりは勝ち気でやり手の女房、もうひとりは口やかましい母親と女房の板挟みで、どうにも鬱陶しくなって、夕凪が立つのを眺めているうちに島を脱げ出すことを思い立ち、二人してすべてを捨てて島を脱け出すという話で、出で行かれた女や家族たちはそれぞれにしっかりと生き、出ていった方もそれなりに生活をしていることが分かるというものであるが、何とはなしに自分が生きていることの意味や実感がつかめないものと、そんなことはお構いなしにしっかりと生活をしていく者とが描かれて、なるほど「人生の夕凪ぎ」の時に起こる人の心情と姿だと思わせるものである。

 第七話「悪党たちの海」は、長崎で抜け荷害買いなどをして私腹を肥やし好き放題のことをしている悪党たちと知り合った小心者の小悪党が、その悪党たちの生活にあこがれながらも、真正直に生きている若者を騙して殺し、その妻を自分のものにしようとしたが、ついに発覚して捕えられ処刑される話で、大本の悪党たちは何くわぬ顔でそのまま悪を重ねていくのである。小悪はすぐに滅びるが、本当の悪はなかなかしぶとい。本当の悪はうまく立ち回っていく。それは現代でも同じだろう。

 第八話「人呼びの丘」は豊臣(羽柴)秀吉側についた美作の三沢家とこれを攻める毛利家の戦いに題材をとったもので、生きのびるためには策略をめぐらさなければならない小大名の家老が命をかけて策をめぐらし、それを知っていた嫡方にいる義理の弟も、それを承知で、自らの命を賭してあえて騙されていくという話である。ここには、腹に肝を据えて平然と生きていく武士の姿が描かれて、それが余韻として強く残る。この作品には毛利家の武将小早川隆景がなかなかの人物として描かれ、次の第九話「海の一夜陣」でも、同じように描かれているので、作者は小早川隆景に対して好印象をもっているのだろうと思われる。小早川隆景は、後にさんざん苦労を重ねるが、人間としては優しさをもった武将であったに違いない。

 第九話「海の一夜陣」は、広島の厳島(宮島)を舞台に毛利元就と陶晴賢(すえはるかた)の間で行われた厳島合戦として知られる毛利元就の知略を用いた奇襲戦を題材に、陶晴賢側にいたひとりの青年武士(毛利元就に父親を殺されたという設定)の目を通しての合戦の姿を描いたものである。この時代の武将がいかに権謀術策を用いて相手をだましていたは、よく周知されていることであり、その中でひたすら父の仇を討つことをまっすぐ目指していた青年は、やがて小早川隆景によって「狂人」として命を救われるが、ただひとり、厳島から陸に向かって泳ぎだすところで、話が終わる。その終わり方も短編として余韻をもったものとなっている。

 第十話「トトカカ舟」は、福岡の志摩半島の東岸にある小さな漁村で、海女として一家を建てなおしていく女が鮑のたくさんいる好漁場を見つけ、そこでついに海に潜ったまま行くへ不明になるという民話伝承的な話である。「トトカカ」とは「父母」のことで、夫婦で海女漁をすることを意味している。ひとり残された夫が、女房の稼いだ金で建てた広い家でぽつねんと寂しく座っている姿が悲哀を誘う。

 これらの短編の中には、いくつかの現代が抱えている問題がさりげなく掘り下げられて描かれている。そうした視点が、これらの短編をいっそう豊かな味のあるものに仕上げていることを感じることができる。問題を直接的に思想として取り上げるのではなく、人間の物語として描き出すところに文学(小説)の優れたところがあるが、これらの短編にはそうした文学としての優れたところがよく現れている。作者が好む海洋物というのは、わたし自身、あまりなじみがあるわけではなく、どちらかといえば、市井の中で、大した冒険や事件もない日々を悲しみやあきらめを抱えながら、しかし、自分の心情に正直に生きている人間を描いたものの方が好きだが、彼の作品には、時代小説がもつ良さがいかんなく発揮されているように思われるのである。

2010年3月25日木曜日

白石一郎『江戸の海』(1)

 昨日から冷たい雨が降り続いている。春分が過ぎたとはいえ、今日あたりは季節が逆戻りしているような気さえする。桜の便りも聞こえてくるが、街路樹の下に植えられているパンジーが小さく震えている。

 白石一郎『江戸の海』(1992年 文藝春秋社 1995年 文春文庫)を読んでいるが、このところ集中して読むことができずに、読書量がかなり減退しているので、まだ初めの三話「江戸の海」、「島火事」、「十人義士」しか読んでいない。これは全部で十話からなる短編集で、これらは武骨で優しいと思われる作者の視点がいかんなく発揮された優れた短編集だと思う。

 短編として本当によくまとまっており、第一話「江戸の海」は、子どもを事故で失った罪悪感と寂寞感を埋めるために釣りに明け暮れる指物大工と、日々の生活に窮しながらお役をもらうために尻を叩かれている貧乏御家人と、自分の生んだ子どもを次々と本妻に取り上げられた妾とが、江戸湾の釣りで知り合い、嵐にあって漂流したりして、やがて釣り仲間となった妾が貧乏御家人の上司の妾であることから、その働きでお役をもらうが、もう自分の竿には江戸湾の魚はかからないのではないかと思う話である。

 ここには、それぞれの自分の人生を背負いながらも、釣りというひとつの人間の自由さを象徴する行為によって、その自由をじんわりと描き出しているものがある。

 第二話「島火事」は、瀬戸内海の小島で島火事に遭遇した船に娘が逃れて来て、船頭がその娘をどうするかの判断を迫られていく話で、娘は他の船乗りに騙されて気が触れていたことがわかっていくというものである。運命という船に翻弄されながら生きなければならない人間の悲哀と、船頭の真正直な姿が見事に描き出されている。

 第三話「十人義士」は、元禄14年(1702年)に実際に起こった長崎町年寄筆頭の高木家と肥前佐賀鍋島藩の重臣深堀家との争いを題材に、「武士の一分」を果たした深堀家の姿を中間の姿を通して描いたもので、争いがほんの些細なことから、そしてそれをめぐる狂気とも言うべき人間の高揚感から拡大していく様をよく描き出したものである。

 第二次世界大戦で、人間の狂気が吹き荒れてどうにもならなくなった過程を、わたしたちはよく知っている。集団の心理というのは、真に恐ろしいもので、集団の中では、初めに個人が意図したこととは異なった行動原理が働く。この作品は、そうした集団の行動原理を見事についた作品である。

 わたし自身は、作者の白石一郎という人がどんな人なのか知るところが少ないが、文学手法も表現も、大変優れていて、前に読んだ『十時半睡事件帖』もよかったが、この短編集も本当に良い作品だと思う。彼は、司馬遼太郎や藤沢周平とも異なった独自の視点があり、いわゆる歴史上の偉業を遂げた人物などには関心がなく、ひたすら歴史に埋もれ陽が当たらない人間や、何の評価も得られずに無念のうちに死を迎えながらも自分の本分を果たしていった人間を描き出している。

 こういう作者の姿勢は、実際それを貫くことが難しいのだが、どの作品にも一貫しているように思えて、いまのわたしが「かくあるべし」と思っていることと重なり、琴線に触れてくる。続きは今夜にでも読もう。

2010年3月23日火曜日

佐藤雅美『影帳 半次捕物控』

 春めいたかと思うと気温が下がって、「花冷え」がことのほか厳しく感じられたりする。このところなにやかやと気ぜわしい日々が続いて、昨日は会議のために早朝から出かけなければならなかったりして、生活時間も乱れ、のどが痛んで微熱も感じるので風邪をひきかけているかもしれない。

 先日から佐藤雅美『影帳 半次捕物控』(1992年 講談社 1995年 講談社文庫)を読んでいた。これはこのシリーズの一作目で、既にこのシリーズのいくつかの作品を読んでいたが、さすがに一作目は主人公半次の岡っ引きとしての生活形態や彼が関係している人物たちとの背景、活動する深川周辺の地理が詳細に描かれ、また説明されている。物語で語られる地理だけでも、当時を知る地図が出来上がるだろう。作者が丹念に地図を見ながら主人公たちの人物を動かしていることが分かる。もちろん、それは、この作者が重要に思っている作品のリアリティーを表わすためである。作品の中で金銭がらみの話が多いのも、そうしたリアリティーを生活感覚として表わすもので、こうしたところに作者の現実感覚と人間観がよく表わされている。

 もっとも、これはシリーズの第一作目であるから、その説明がいささか多くて、地理を巡るだけでも若干の煩わしさがあるのは免れ得ないように思われる。

 しかし、物語の展開は、主人公半次のどこまでも事実を追求しようとする気質と相まって、いくつかの山場が繋がって、次第に真相が明らかになる展開となっており、その間に、たとえば主人公が関係をもっている「引合茶屋(岡っ引きが互いの交渉をするために用いる茶屋)」の女主人の浮気を知って、その魔性性を垣間見て、惚れてはいても断念していく話や、彼の手下や奉行所の同心たちとの関係などが絡んで「情」を大事にしている主人公の姿などが絡んで、内容豊かなものとなっている。

 物語は、ふとしたことで引合(軽犯罪の罪を見逃すことで、犯罪にかかる費用を軽減するための手数料を得ていくこと)を抜かないちょっとした盗みの事件に関わった半次が、その裏にある何かを感じて調べ始め、また自分と兄弟のようにして育てられた男の行く末を案じて調べを頼んだかつての手下が殺された事件を調べていくうちに、その二つが絡み合って、米相場に絡んで尾張家で行われていた大掛かりな帳合米取引(米の先物相場)とその私的運用(影帳)にまつわる事件であることを明らかにしていくというものである。

 何かと付け届けをしてくれて得意先でもあり、主人公の半次があんな風に年をとりたいとも思っていた米問屋の主人が、実は、帳合米取引の大元締めであり、事件の核心を握った人物であることがわかり、人間が表の顔と裏の顔をもち、特に「欲」に絡んでそのことが起こることを、この物語は明瞭に示す。気一本の半次は、なかなかそこに行きつかないが、そこにも気一本で生きる人間と大欲をもって巧みに表裏を使い分ける人間の姿が描き出されて、筋の骨子となっている。

 結局、主人公は、自分を頼りにする手下や自分の身を案じる同心、奉行者内部の事柄などから、かつての手下の殺人事件を事故として処理することに従うが、企みをもっていた米問屋とは縁を切り、その米問屋の主人も遅かれ早かれ自滅していくだろうという同心の言葉を受け入れていく。

 歴史の審判というものは目には見えないが、「悪を悪に委ね」ても、歴史の審判はあるだろう。善悪についての人間の価値判断というものは、結局、さかしらなもので、肝心なことは、自分がそこで納得して生活できるかどうかなのだろう。

 ところで、これを掲載しているブログに広告が載っていたので、あまり気の進まない広告で、どういう広告だろうかと思って見ていたら、どうも自分のブログを自分でクリックするのはよくないらしく、ブログの運営サイトからメールを受けとり、この機会にブログの機能をよく認識して、やはりこういうことは自分の性にあわないようなので、これからは一切他の人の手になるものは掲載しないように気をつけようと反省したりした。

 それはともかく、土曜日(20日)、引退して京都に在住しておられた石井正己先生が召天されたという訃報を受け取った。わたし自身は不遜な学究徒であったが、神学の研究でずい分お世話になった。先生が弟子を作る人間関係をお持ちにならなかったが残念だが、研究資料をずい分紹介もしてくださったので、突然の訃報に驚いてもいる。昨日の会議が遅く、前夜式にも間に合わなかったので、影ながら天来の慰めを祈っている。土曜日から日曜日にかけて弟夫婦が訪ねて来てくれた。

 ようやく、日常が戻ってきた感がある。ふだんものんびりしているが、さらにのんびりと日々を過ごすこと、これが心がけの第一だろう。仕事は山積みし、木曜日までは寒いらしいが、やがて春ののどかさを感じるだろう。

2010年3月18日木曜日

諸田玲子『紅の袖』

 少し寒い日が続いているとはいえ、春の温かさに向かって日々が過ぎていくのがわかる。この辺りの梅の花はもう盛りを過ぎて散り始めているし、季節を先取りして売られている花屋の花は、色鮮やかな春の色を誇っている。

 このところ何かと忙しくて、これも月曜日以来書くことができなかった。今日も夕方には仙台まで出かけなければならない。今年は少しのんびりできるかと思っていたが、年度末というのはいつも大体そうだろう。

 月曜日に続いてまたまた男女の微妙なあやを描いた諸田玲子『紅の袖』(2004年 新潮社)を読んだ。これは幕末期に右往左往した小藩(川越藩)の騒動の中で、ひとつ屋根の下に住むことになった男女四人の錯綜した思いを、そのうちの一人である女性の視点から描いたもので、藩命によって砲台(お台場)作成の監督をしなければならなくなった夫、そしてその夫のために川越から出てきた妻、甥で、幼馴染でもあり、穏健な夫とは対照的に時代の流れを敏感に感じ取って様々な画策を企てる夫の友人、何らかの思惑をもって近づいてきて女中となった女、その四人が時代と状況に翻弄されながら、それぞれ複雑な関係をもっていく。

 諸田玲子は、そうした状況下での女性の心理描写を描くのが巧みだから、全体的にすんなり読める作品になっているし、読む人にとっては一息で読めるのかもしれないが、こうした恋愛心理の展開にいささかうんざりしている人にとっては、最後の結末に至るまでがあまりに「うじうじ」とし過ぎていて、いまひとつ興が乗らないかもしれないと思った。

 わたしの場合も後者で、読むのになんとなく重く感じられてしまった。もちろん、1853年のペリーの来航から日米親和条約、幕末に至るまでの時代が激変しているのだから、物語の展開もそうした状況の変化に伴っていくし、川越藩という小藩も大きく揺れ動き、主人公の夫もその友人も、そして思惑をもっている女中も、その時代と状況に翻弄されていくわけで、物語が面白くないわけはないのだが、作者のもう一つの面である人間に対するユーモアがほとんどなくて、不安定な主人公の心情が直接伝わってしまい、その気持ちが「わからない」という場面が、正直なところ多々ある。

 この作品は女性の心理をよく描き出すという点で、「女流作家」であることがよく示された作品であり、文章も構成も優れており、こういう読後感は、いうまでもなくこちら(読者)の心理的状況が反映されているのだが、それでもどうも「重い」という感じがしてならない。もちろん、結末は軽い。状況に瀕した小藩の藩主を変えることを画策した黒幕もわかり、事態は好転する。悩んだ主人公は、一回りも二回りも大きくなって、人生の腰を据えるようになっていく。しかし、それでも主人公の姿がわたしの理解可能な領域を越えたところにあるのは事実である。

 今夜は仙台泊まりで、明日はまた午後から予定が詰まっている。「はあ~」という感じではある。天気図を見ると、仙台の春はまだ遅いようだし、今夕は決算や予算といった無粋な数字と直面することになっている。何とも気の重いことではある。

2010年3月15日月曜日

北原亞以子『妻恋坂』

 ようやく春めいてきたが、薄曇りの空が広がっている。ずい分と変な時間に寝たり起きたりしたので、身体も脳も春眠の状態のままのような気がする。今夕、依頼されていた森有正(1911-1976年)の思想について小さな集まりで話をすることになっている。

 森有正の哲学的随想は、1970年前後の「戦後の日本社会が身震いした時代」に良心的に物事を考えようとする人々によく読まれたが、顧みれば、彼はデカルトとパスカルの研究者であり、デカルトが哲学的に確立した「近代的自我」の「われ思う(cogito)」と「われ在り(ergo sum)」の間を、綿密にパスカルの数理的論理性をもって考察していったとも言えるような気がする。

 借り物ではなく、「自分の足で歩み、自分の体で経験し、自分の頭で考える」ということを大事にした人で、ちょうど自己のアイデンティティーを模索し続けていた日本の知識層の人たちに、彼の思想は大きな示唆を与えるものとなったのである。

 個人的には、東京大学の教員として戦後の海外留学の第一陣としてパリに留学したが、帰国せずにパリに留まり、パリ大学日本語学校で日本語や日本文化を講じることで糊塗し、離婚と再婚といった生活の変化もあり、あまり裕福な生活ではなかったようだ。とは言え、明治維新後の日本の最初の文部大臣を務めた森有礼の孫であり、いわゆる「没落貴族」とは言え日本社会の上層階級に属していたわけで、一般の感覚でいう「貧しさ」とは異なっていただろう。晩年は、国際基督教大学の客員教授として毎年帰国し、日本で永住するつもりであったが、ついにパリで没している。

 彼は決して体系的な哲学を提示したわけでも、またそのような哲学を考察したわけでもないし、彼の著述のスタイルも随想風だが、それをわが身に引き当てて改めて考えと、日本の社会では体系的な哲学が必要とされないし、また生み出されないのではないかと思ったりする。むしろ、随想風な思索の展開がよいのだろう。日本の精神風土というものはそうではないかと思えるのである。だから、日本では狭義の意味での哲学者は、せいぜい大学の教員として糊塗していく以外に生活の術がない。

 わたしは「人間学」というテーゼの中で自分の思索を体系化させようと試みたが、どうもこれは怠惰なわたしの人生の中で完遂されそうにもないような気がしているし、また、現代日本社会の中でそれが受け入れられるとも思っていない。

 それはともかく、土曜日の夜から北原亞以子『妻恋坂』(2003年 文藝春秋社)を読んでいる。これは、時代小説の中で、八編八組の男女の愛や恋の姿を描き出した短編小説集で、短編としてはそれぞれ優れたものであるし、様々な男と女の関係の姿を、その内面にまで掘り下げたものを作者特有の情景のようにして描いたものである。

 ここには、ふとしたことで知りあって関係をもった男が妻子持ちであることが分かり、結局はその妻子との関係を大事にしていることを知った女が、男が来ることを待ちつつも次第に諦めていく話(「妻恋坂」)や、不義の相手と駆け落ちしたが、夫が追ってきて、その夫に女敵討ちとして殺されることを選択していく話や、どうにもならない男と女の恋心や、娼婦として生きている女どうしの関係などが描かれていく。

 ただ、どうにも男と女の色恋や、その心情の微妙なひだとかあやといったものを探っていくのには、今のわたしは覚め過ぎていて、単に「もっと自分の思いに素直になったらよかろう」と思うだけで、「人を好きになったり、愛したりすること」は、人間の最も豊かな思いなのだから、その豊かさを生き抜いたらいいだろうに、と思うだけである。それぞれの抱えている事情や周囲の状況、社会の状況などがそこには色濃ゆく影を落とすが、そんなもので自分の思いを断ち切るなら、その思いはあまり本物ではないと思ったりもする。男女の関係で一番大切なことは、いったい自分がどうしたいのか、だけだろう。この齢になって、そう思っているのである。

 今にも雨が降り出しそうな気配がある。なんだかぼんやりした頭と体で、そろそろ出かける用意もしなければならない。電車で座れればいいなぁ、とつまらないことを思ったりする。

2010年3月12日金曜日

宮部みゆき『日暮らし』(3)

 昨日春の日差しが戻り、今日、明るい日差しの中で温かさが少し戻ってきたが、まだ風は冷たい。人間は世界に包まれて生きているので、環境の変化に対応するようにできているが、齢を重ねるとその機能がうまく働かないのか、このところの気温の変化で少し風邪をひいたようだ。今朝からどうもすっきりしない。昨夜、大根と里芋の煮つけを作って食べたが、いつもなら「おお!」と思っていただくのに、昨夜は身体が重く感じられた。

 しかし、そのすっきりしない中で、宮部みゆき『日暮らし』を、とてもすっきりした気持ちで読み終えた。この作品に限ってかもしれないが、作者がこの作品を自ら楽しみながら書いていることが伝わってきて、作者は、てらいも気負いもなく、正直で真直ぐの人のように感じられた。

 たとえば、物語の展開とはあまり関係がないが、下巻198ページで、
 「秋が来て日暮れが早まることを、秋の日はつるべ落としという。しかし、陽が詰まるのは、何も日暮れが早くなるせいだけではない。夜明けも遅くなる。だのに、そっちを言い表わす言葉はない。何でかな、というようなつまらないことを話しながら、ぶらぶらと歩き始めた。小平次は提灯をもっている」と、早朝の暗い中を井筒平四郎と彼の小者の小平次が江戸から川崎に向けて旅立つ情景が描かれている。

 この主従が「何でかな、というようなつまらないことを話しながら」歩いている姿には、主従の信頼関係や井筒平四郎のざっくばらんな性格が見事に表わされているし、作者自身が日常でこういう会話を楽しんでいるのではないだろうかと思わせるし、こういうことがすんなり書ける作者のねじ曲がっていない心根をうかがうことができるような気がするのである。

 第四話「なけなし三昧」は、井筒平四郎が懇意にしている幸兵衛長屋の煮売り屋の「お徳」の近所でお菜屋を始めた「おみね」という女の話から始まる。「おみね」は採算を度外視して高級食材を使った菜(おかず)を安く売り出し「お徳」の商売は上がったりになっている。「おみね」は艶のあるいい女で、「おみね」が採算を度外視して安く売り出すのは、近所の評判をとるためだという。

 しかし、「弓之助」がその真相を見抜いて、「おみね」は誰かに気づいてもらいたくてあんな商売をしているのではないかと言う。事実、「おみね」は両国橋のたもとで仕出し屋をしていて、亭主と子ども二人がいたが、言い寄って来た男と不義の中になり、亭主や子どもを捨てて家を出、男が来るのを待っていることが次第に明らかになる。

 ところがその男が女を食い物にする悪で、容姿がいいのを餌にして、あちらこちらの女や娘を騙しては金を巻き上げている男で、餌食にされた娘が縊死する事件や油問屋の若女将を殺した事件を起こしていたことが判明し、「人を好きになるとはどういうことか」という問題で相談に来ていた弓之助の従姉を本人の申し出で囮にして捕まえることとなる。

 この中でも、縁談の話が持ち上がって「人を好きになるとはどういうことか」ということを悩んでいる弓之助の従姉と、その従妹を連れてきた弓之助、平四郎との会話が次のように記されている。

 「おまえはどう思う?」
 弓之助は及び腰になった。「何をでございますか?」
 「人を好きになるとはどういうことか」
 美形の顔が、ちょっと歪んだ。「さあ、わかりません」
 「わからないなら考えろ」
 ・・・・・・・・・・・・・・
 「好きになると、ずっと一緒にいたくなるでしょう」
 「うん、それから?」
 「その人と楽しく暮らしたくなります」
 「それから?」
 「その人の笑う顔が見たくなりますし、困っていたら、助けてあげたくなります」
 平四郎はおとよ(従姉)に目を向けた。「どうだ、得心がいったかい?」(上 223-224ページ)

 そして、平四郎は、「それでは人が嫌いになるとはどういうことか」というおとよの問いに、人を嫌いになることはその反対のことだよ、と語る。

 十三歳の子どもたち相手にした会話とはいえ、こういくくだりが無理なく展開されて、この作品の絶妙な魅力となっていくところがいい。

 表題作にもなっている第五話「日暮らし」は、いよいよ本書の中心をなす展開で、上下巻にまたがった長いクライマックスで、第三話で語られる「お六」が住む込みで働くことになり、見事に「お六」をストーカーの手から救い出した佐吉の実の母の「葵」が殺され、実の母を訪ねていってそこに居合わせた佐吉が殺人犯として捕えられるところから始まる。「葵」は、俵物問屋として手広く商売をしている主人と関係ができ、俵物問屋の主人の妻の悋気によって殺されかけたが、俵物問屋の主が隠して囲っていた。佐吉はそのことを知り、母親に会いに行った時に、その母親が殺されていたのである。

 ここで、井筒平四郎は、佐吉を信じ、真相を探り始める。そして、弓之助の頭脳明晰な名推理が働き、その殺人事件が佐吉によってではなく、ほかの人間によってなされたことを突きとめていくのである。俵物問屋の内情のどろどろとした人間関係やその中で翻弄されていく人間、推理を重ねて明快な結末を導く弓之助の姿、それを信じている叔父の井筒平四郎の姿など、実に丁寧に話が展開されている。そして、誰一人悪者にしない弓之助やそれを助ける「おでこ」、そして、初めから信頼をもって事に当たる井筒平四郎の懐の深さ、それが実に聡明に面白く展開されていく。その展開は読者をひきつけてやまない。

 そして、第六話「鬼は外、福は内」は、それらの結末で、弓之助の従姉が嫁いでいく婚礼の式に繋がっていく。ぎっくり腰を起こして釣り台(戸板のようなもの)に乗せられて、佐吉のところに事情を話しに行った井筒平四郎は、釣り台に乗って青空を見ながら思う。
 「みんな、毎日をこんなふうに暮らせたらいいのになぁ。
 でも、そうはいかねえんだよなぁ。
 一日、一日、積み上げるように。
 でめえで進んでいかないと。おまんまをいただいてさ。
 みんなそうやって日暮らしだ。
 積み上げてゆくだけなんだから、それはとても易しいことのはずなのに、時々、間違いが起こるのは何故だろう。
 自分で積んだものを、自分で崩したくなるのは何故だろう。
 崩したものを、元通りにしたくて悪あがきするのは何故だろう。」(下 367-368ページ)

 『日暮らし』という書名は、ここから採られたものだろう。いずれにしても、この作品は傑作の部類に入るだろう。謎解きをするのが主人公ではなく、少年の「弓之助」であるのが、そして、井筒平四郎の清濁併せ飲んで平然と、しかも周囲を信頼している懐の深さが見事に軽妙な語り口で描かれるのが、作品を豊かにしている。まことに興味のつきない面白さに出会った作品である。

2010年3月10日水曜日

宮部みゆき『日暮らし』(2)

 昨夜降り積もっていた雪も今は解けて薄日が差して、昨日ほどの冷え込みはないが、寒いのは寒い。朝からなんとなく気ぜわしく、しようと思っていたことをすっかり忘れてしまった。まあ、こんな日もあるだろう。忘れて迷惑をかける人があれば、御容赦願おう。

 宮部みゆき『日暮らし』を読み続けている。昨日はあまり多くを読むことができず、上巻五話中第一話「おまんま」、第二話「嫌いの虫」、第三話「子盗り鬼」を読んだだけだったが、それぞれ情のある結末の良い作品だった。

 第一話「おまんま」は、岡っ引きの政五郎に引き取られている「おでこ」と呼ばれる少年の三太郎が気鬱になり、食事もとらずに倒れてしまった。政五郎も妻も心配するが、気鬱の原因が思い当たらない。一方、白扇に似顔絵を描いて売りだしていた絵師が殺されてしまう。臨時周り同心の井筒平四郎とは関わりのない事件だったが、平四郎が養子にしようと思っている美貌で利発な少年「弓之助」のヒントから、昔同じような事件がなかったかを調べるために、平四郎は「おでこ」の記憶力を頼りにする。そして、その「おでこ」の記憶によって、事件が解決される。「おでこ」は出入りの植木職人から「額に汗して働くこともなく居候して穀潰し」と言われたことを気にして、「ここでおまんまをいただいていて、本当にいいのだろうか。それに見合う働きを、自分はしていると言えるのだろうか」と悩み、「そんな自信は、おでこにはなかった。だから、顔を伏せて謝りながら、飯を食うことができなくなってしまったのだ」(40ページ)。

 しかし、平四郎が事件の解決のために「おでこ」の力を使ったことで、「おでこ」は自分の役割を見出していく。平四郎は「おでこ」に言う。「安心しな。おまえは充分、政五郎の手下として働いているよ。今度のことで、よくわかったろ?」(上40ページ)

 こういうやりとりで、結末が語られる。人は、それがどんなものであれ、自分の役割というものが見出せる所で、はじめて「意欲」というものが出てくる。その役割は人それぞれで違う。こういう、ある意味で単純な人間の心理や心情というものは、それが単純であるだけに、なお重要なものである。それが「おでこ」という少年の姿を通してさりげなく描かれるところに、この作品の妙味がある。

 第二話「嫌いの虫」は、互いに惚れあって結婚したのに、どこかわだかまりが生じて危機を迎えた「お恵」と「佐吉」という夫婦の話で、佐吉は俵物問屋の主の外腹の子で、同じ外腹の子で「お恵」の家に引き取られて妹のようにして育てられている「おみつ」に会いに来た時に知り合い、それぞれの事情で佐吉は植木職人に弟子入りし、お恵は武家の女中奉公に出るが、佐吉が飼っていた烏を伝書烏として使っての文のやり取りをし、お互いに惚れあって結婚した。しかし、佐吉が何故かふさぎこみ、お恵もそんな佐吉が分からなくなってふさぎこみ、夫婦の間が冷えていく。

 彼らが住む長屋には、子どもが熱を出してもふいといなくなってしまうような女房と気の小さな男の夫婦もいる。そして派手な夫婦喧嘩もする。お恵はついに我慢できなくなって、暴れ、家を出てしまう。そういう中で、お恵と佐吉の中を取り持っていた烏が死んで、佐吉の烏の死を悼んで「弓之助」が訪ねてくる。

 弓之助はまだ少年であり、佐吉とお恵夫婦の事情など知らないはずだが、烏の死について、「人は欲深いものだと、叔父上はよく言います。わたしくしが、生き物と別れるのは嫌だ、だから飼わないというのも欲だと」、「一度自分が親しく思ったものが、どんな理由であれ離れていく。それが我慢できないというのも、立派な欲だと。それでも、その欲がなければ人は立ちゆかない。そういう欲はあっていいのだ。だから、別れるのが嫌だから生き物と親しまないというのは、賢いことではない」、「そして、いつか別れるのではないかと、別れる前から恐れ怯えて暮らすのも、愚かなことだと教わりました。それは別れが怖いのではなく、自分の手にしたものを手放したくないという欲に、ただただ振り回されているだけのことなのだから」と言う。(上105-106ページ)

 お恵は自分の気持ちが言い当てられたような気がして、佐吉と正面から向き合い、佐吉もまた、自分が抱えていた問題が、実は、自分の生みの親のことで、彼の母親は自分を捨てて男を作って逃げたと聞かされていたが、実際は死んでいたことを聞いて、その真相について悩んでいたことを打ち明ける。お恵と佐吉のわだかまりがそれによって解け、同じ長屋で大喧嘩をした夫婦も、実は、それぞれが相手を思いやって、それぞれの仕方で夫婦として暮らしていることをしていくのである。

 人間の関係には、特に男と女の関係には、お互いの了解事項というものが必要とされる。その了解事項が確かにあると信じられるところでは、その関係がどんな様相を見せたとしても、崩れ去ることはない。ただ、その互いの了解事項というものは、いつも確認される必要がある。男と女の関係は、その危うさの微妙なバランスを、そうして取っていくものだろう。二組の夫婦を描いたこの作品は、それを見事に描き出している。そして、「叔父上は鼻毛ばかり抜いている御仁です」(上107ページ)とも言う少年の「弓之助」の頭脳明晰な姿が、物語を展開する上で生き生きと描かれるのがいい。

 そして第三話「子盗り鬼」は、その佐吉の死んだと思っている母が、ストーカーのような手前勝手な男につきまとわれて、亭主まで殺された「お六」という女性を、「子盗り鬼」という大芝居を打って助ける話である。この話には、井筒平四郎も弓之助も登場しないが、「お六」の貧しくけなげに生きる姿がよく描かれており、また、男の身勝手さもよく描かれている。

 ここまで書いて、少し急な仕事も入ったので、今日はそれに当たることにする。朝、気ぜわしくなりそうだと思った通りの日のようだ。

2010年3月9日火曜日

宮部みゆき『日暮らし』(1)

 どうにも寒いと思ったら、横殴りの雪が降り始めた。ずっと、「森有正」の思想を考えていて、メモを取ったりまとめたりすることに没頭していて、ふと窓外を見ると、重い天気の空の下から黄昏の時の中を雪が落ちているので驚いた。

 森有正の、綿密で、丁寧な論理的な思考と表現の世界の中にいたわけで、たとえば、『雑木林の中の反省』という文の中の一節、「言葉は各人にとってかけがえのない経験を表現するのに、言葉によって経験を左右できると考える」という論理の展開の仕方に、「自分の頭と身体や手足で考える」という在り方の重要性を改めて示される気がしたのであり、ひとつひとつの事柄を自分の地平で自分のものとして紡ぎだしていくということであったり、「わからないこと」を「わからないこと」として大事にしていくことであったり、とにかく、知的に誠実であるということはそういうことだろうと思ったりしていたわけで、森有正は、1970年代前後によく読まれていたが、軽薄な情報で人が動いてしまう現代の風潮の中で再考されてもいい思想家かもしれないと思ったりもする。

 それはともかく、昨夜から宮部みゆき『日暮らし(上・下)』(2005年 講談社)を読み始めた。この作者の作品は初めて読むが、作者の宮部みゆきは、1960年生まれで、SFや推理小説をはじめとして多分野才能を発揮し、特にテレビゲームの世界では、本人もこれに熱中して、もし何の制約もなければ、一年365日のうち360日はテレビゲームをして廃人同様になるだろうと豪語するような人らしく、作品そのものよりも本人がとてつもなく面白い人らしい。文学者としても数々の文学賞を獲得して、多才ぶりを発揮している。

 個人的には、どこかこういう人は時代の幸運に恵まれた人のような気がして、日本の高度成長とバブルの申し子のように思っていたし、超能力や幻想の世界で遊ぶ人のように思えていたので、手にとって作品そのものを読むということはなかったのだが、たまたま「日暮らし」という書名がいいと思って読み始めた次第である。

 そして、まだ最初の方しか読んでいないが、まず、作品の創作の仕方が素晴らしいと思った。人間を登場させて物語を展開していく際、たとえば、そこに登場する人物を徐々に紹介したり、物語の展開を時系列に並べたりする手法と、ある歴史や場面を垂直に切り取って、あたかも以前から当然のようにして動いて人物を、その継続であるかのように当たり前の展開していく手法の二つがあるが、後者の場合には、登場人物の設定と物語の展開がかなり綿密に事前にきちんと設定されておく必要があり、後者の手法で無理なくそれを展開するには作者の力量が問われる。

 『日暮らし』は、後者の手法で物語が展開され、しかも人物の設定が極めて明確にきちんと行われている。

 まず、主人公と思われる「井筒平四郎」は奉行所の臨時周りの同心であり、あまり格式ばらずに、同心としての仕事もかなりいいかげんにするさばけた人物で、細君と二人暮らしで、子どもがないために親戚の藍玉問屋の利発な五男「弓之助」を養子にしたいと思っている。

 「弓之助」は、美貌で利発な少年で、扇子に似顔絵を描いたものが流行ったことについての事件で、「きっとこういう流行りのものは、何十年か前にも同じような傾向があったに違いありませんよ、叔父上。人の心をつかむものというのは、そうたくさんあるわけではないでしょう。・・・・人のやることに新しい事柄はないものです。それが世のならいです」(上29ページ)と言ったりする。

 井筒平四郎には知己の岡っ引きで蕎麦屋をしている政五郎がいて、平四郎から手下としての手札をもらっているわけではないが探索の手助けをし、その政五郎は「おでこ」と呼ばれる三太郎という少年を引き取って育てている。

 「おでこ」と呼ばれる三太郎の父は人を殺して牢屋で死に、「鈍くて他の兄弟の足を引っ張る」と母親からも見捨てられたが、政五郎に引き取られ、記憶力が抜群で、岡っ引きをしていた政五郎の父親などから聞いた過去の事件などもすべて記憶しているという才能をもっている。政五郎とその妻は、自分の子どものように「おでこ」を可愛がっている。

 特に「弓之助」や「おでこ」といった特徴ある少年をはじめとする、こういう登場人物の設定がしっかりしていて物語が展開されていくのだから、時代小説のとしての作品が面白くなるというのは最初の数ページを読んだだけでも予測できる。

 文体は軽妙さが装われている。くだけた言葉がたくさん使われ、それが嫌味なく使われるところに作者の意図も感じられて、「読み本」としての小説の位置づけをしようとしているところが読後感の清涼さを感じさせる。

 いつの間にか降り続いた雪がやんで夕闇が迫っている。少し事務的な仕事も片づけなければならないのでこのくらいにして、また明日につなげよう。

2010年3月8日月曜日

佐藤雅美『当たるも八卦の墨色占い 縮尻鏡三郎』

 昨日から冬の寒さが戻って来てしまって、昨夜は雪になるかもしれないという予報の中で氷雨が降っていた。今朝は、晴れたり曇ったりの天気で、寒さも厳しい。しかし、ときおり差す陽の光に微かな春の気配がする。

 昨夜、夕食の時、ビールを片手にしたまま、まるで赤ん坊のようにそのままの姿勢で眠りに陥り、気づいた時にはコップのビールはこぼれてしまい、箸はあちらこちらに飛んで、食卓が悲惨な状態だった。こういうことが時々起きるようになった。あまりに度々だと、前後不覚の人生ではあるが、困ったことになるなあ、と思ったりもする。

 突然眠りに陥る人物を主人公にした佐藤雅美『物書同心 居眠り紋蔵』シリーズの主人公よろしく、会議中でも突然眠ってしまうことがあり、人と話をしている最中でも、ふっと眠りに陥ることがある。人生は半眼で生きればちょうどいいわけだが、思考が飛ぶのはなんともやりきれない。

 佐藤雅美と言えば、土曜の夜から読み続けていた佐藤雅美『当たるも八卦の墨色占い 縮尻鏡三郎』(2008年 文藝春秋社)を、覚醒の後で読み終えた。

 これは、以前に読んだ『首を斬られにきたの御番所 縮尻鏡三郎』(2004年 文藝春秋社)などのシリーズの一冊で、シリーズとしては五作目の作品であり、「縮尻」というのは、人生が尻すぼみになっている人間のことで、主人公の「拝郷鏡三郎」は、懸命に努力して学問と武芸に励んで勘定所(今で言うなら財務省)の役人になったが、ある事件をきっかけにお役御免(失職)となり、家督を娘夫婦に譲って、町方の大番屋(仮牢)の責任者として過ごしている人物である。

 この作品では家督を譲った娘夫婦の間に何事かが起こって、娘は家を出て手習い所の女師匠となっているから、その間の出来事については、三作目か四作目で触れられているのだろう。

 このシリーズの作品の良いところは、大番屋に持ちこまれる事件や主人公の友人で飲み友だちでもある北町奉行所同心や剣術道場を開いている友人が、「ももんじ屋(猪や鹿、鳥などの肉を食べさせる所)」で鍋をつつき一杯やりながら話をする事件が、それぞれの事件が彼らの活躍によって解決されるというわけでもなく、偶然や未決のまままで、それぞれの結末を迎えていくという顛末が描かれるところであり、その結末は決してハッピーエンドではなく、作者は、江戸時代の判例に詳しいので、事件の顛末が時代と状況に即して述べられていくところである。作者はリアリティーを大事にし、それを作品の中で貫いている。

 第一話「元表坊主加納栗園の大誤算」は、当時ようやくわずかに使われ始めた機械時計をめぐる詐欺事件の相談に訪れた時計師の話を探っていくうちに、時計を盗んだ男が捕まり、盗まれた時計が出て来て、その時計の盗難によって詐欺を働こうとした元表坊主たちの目論見が見事にはずれて大損をすることになったというものであり、第二話「当たるも八卦の墨色占い」は、墨字の色での占いのとおりに「色深い」女が、持っている「髪結い床の株(権利)」を餌にして次々と男を変えていき、ついには男から騙されて多額の借金を抱えるようになったという話である。人は、色と金に振り回される、とつくづく思う。

 第三話「不義密通のふしだらな女」は、人々から不義密通のふしだらな女と言われていた女性が、実は、自分の子どものことを思ってその噂を甘受して生きるというもので、第四話「吉剣栗田口康光がとりもつ縁」は、主人公の鏡三郎の持っている剣が凶剣で、吉剣に変えた方がよいと言われ、四十両もの大金をはたいて購入した剣が、実は盗品であり、その売り主も盗品とは知らずに売ったことで、鏡三郎は大損しそうになるし、売り主も裁かれることになる話である。友人の同心が調べてみると、売り主は下総の大金持ちの道楽息子だという。道楽息子は気のいい男で、困った人がいれば何も言わずに盗品でも何でも買って助けていたという。そして、結局、道楽息子の生家の番頭の手配で、道楽息子も引き取られ、鏡三郎も吉剣を手に入れるというものである。この道楽息子が手習い所の師匠をしている鏡三郎の娘に惚れて、交際を申し出るという以後の顛末へ続いていく。

 第五話「おさまらない知穂の怒り」は、昔友人と「引責の欠落(店の金を使いこんで逃げる)」をした道具屋の主人の所に、その昔の友人がやって来て強請り、あげくは、道具屋の主人の女房が内藤新宿の岡場所での友人のなじみ客でもあったことから、友人に手ごめにされたりしてしまうことが起こる。ところが、その昔の友人が殺され、道具屋の主人が疑われる。正月に鏡三郎の家にみんなが集まって飲んでいる所に鏡三郎の娘が、第四話で出てきた金持ちの道楽息子をしばらくつきあいますと言って連れて来て、その道楽息子が、またもや道具屋が昔の友人に手渡した小物を買ったと言い、そこから道具屋の事件の真犯人がわかっていくというものである。鏡三郎の娘はつきあうことにした道楽息子がまたもや「困っています」の一言だけで小物を買い取ったことに怒るという「おまけ」つきの話であるが、人は過去の罪を暴かれることに弱い。その弱さに悪がまた入り込み、地獄のような悪循環へと落ち込むことを思う。罪を罪としていくことは難しい。

 第六話「御家人田岡元次郎殺しの真相」は、御家人株を餌にして、それを買った男を養子にして殺し、そのもっていた金銭を奪い取る話である。第七話「寺田将監御呼出吟味の顛末」は、元中間奉公していた男がその仕えていた旗本の妾とねんごろになり、怒った旗本との間で争ったはずみで旗本を殺してしまった。そしてさらに、事が公になると大事になるので、その旗本の本家筋を強請るが、強請りが度重なって、旗本の本家「寺田将監」が彼を殺す。ことは内々で済まされようとするが、今度はそれを知った旗本の妾が寺田将監を強請りに来て、頭にきた寺田将監が往来にまで追いかけてその妾を殺すという事件で、寺田家は改易されるという話である。

 この第七話で、鏡三郎の娘がしている手習い塾の土地家屋が売りに出されるのでどうしたものかと案じていたら、彼女に惚れている道楽息子がそっと裏から手をまわしてそれを買い取り、娘に手習い塾を続けさせるように手配したという挿話が書かれていて、それが第八話に繋がる。

 第八話「命取りになった二本の張形」は、火事で焼け出されて、間違って持って来られた大金と張形の入った柳行李(収納箱)の持ち主として現れた浪人が、実は、盗人を働いた友人を殺して金を自分のものにしていたことが分かる事件である。そして、この八話で、鏡三郎の娘が結婚してもいいといった金持ちの道楽息子が、人助けで面倒を見ていた娘から逆恨みされて殺されるという事件も描かれる。鏡三郎の娘は、せっかく決めた相手をまた失うことになる。親の身として、鏡三郎は娘の行く末を案じる。

 この作品に収められている八話の事件や出来事は、おそらく、江戸時代に日常的に起こっていた事件として扱われ描かれている。この作品には、事件を起こした人々の心情や思いなどが追及されるわけではなく、事件の顛末が客観的に述べられていくだけで、事件そのものも特別なものではなく日常の事件の顛末であるが、「縮尻」である鏡三郎の何とも言えない人柄や心配事など、なかなか面白いし、事件にきちんと世相が反映されているので、「こういうことはあり得る」ともわせるし、現代でも起こっていることである。たんたんと、そしてさっぱりと描かれるところがいい。

2010年3月6日土曜日

宇江佐真理『聞き屋与平 江戸夜咄草』(2)

 雨になった。「春雨じゃ、濡れて参ろう」というには少し冷たすぎる雨で、来週はまた冷え込むらしい。ただ、雨の中で春の草花が小さく揺れるのはいとおしい。

 宇江佐真理『聞き屋与平』の中で、「聞き屋」をする与平のもとを訪れた客として最初に描かれるのは「およし」という近くの一膳めし屋で女中をしている娘である。彼女の父は博打で借金をして行方不明で、母親は同じ店で酌婦をしている。彼女は五人妹弟の長女であり、子どもたちの面倒を見ながら働いている。彼女の母親は、どうしようもない母親で、娘の「およし」を吉原に売り飛ばそうとする。

 彼女は与平のもとを訪れ、弟や妹の面倒を見なければならないことや父親が残した借金の取り立てが厳しいことなどの日々の苦労を話して帰る。

 そこに岡っ引きをしている「鯰の長兵衛」と呼ばれる男が来る。彼は与平の過去に何かやましいことがあるのではないかと疑って探っている。「およし」の母親から頼まれて娘を吉原に売り飛ばす仲介もしている。彼は与平に嫌味を言って帰る。近所の按摩の「徳市」も通りがかりに与平に言葉をかける。与平は徳市に温かい言葉をかけていく。こういうふうにして、与平の「聞き屋」としての日々が過ぎていく。

 元武家の妻で、出入りの呉服屋の手代と駆け落ちし、その手代から岡場所に売られ、夜鷹にまで身を落とした女も来る。女は与平に言う。
 「わっちのしたことは、こんな年まで女郎をしなくちゃならないほど罪なことだったんだろうか。時々、考えちまうんだよ」
 与平は応える。
 「そうですな。一度の過ちにしては、姐さんの苦労は大き過ぎたと思いますね」(文庫版 37ページ)

 そうしているうちに、ちょうど生薬問屋の出店を任せている三男の店で女中が必要になり、与平は陰からそっと背を差し伸べて、吉原に売られることになっている「およし」を女中として雇う算段をして、仲介をしていた鯰の長兵衛と渡りあう。「およし」は、心根のいい優しい娘で、自分を助けてくれたのが与平であることを知って、心底、店に仕え、与平を大事にしていく。やがて、与平の三男が「およし」に惚れて夫婦になるが、質のよくない母親のことで一悶着起こったりするが、与平の眼差しは温かい。与平の妻も、元は女中であったから、「およし」を温かく包む。

 養子にやっている与平の次男も、子どもができないことから夫婦別れさせられて家を出さえられたりする。しかし、次男の妻は、心底次男に惚れているので、自分の家を捨てて次男のもとに駆け込む。与平は、この夫婦も包み込む。

 与平自身も、昔自分が犯した罪を背負っている。鯰の長兵衛は、しつこくそれをつけ狙う。だが、その長兵衛も、やがて老いて死んでしまう。与平も弱っていく。そして、最後に与平の客となったのは彼の妻であった。誰も知らないと思っていた自分の過ちを妻は知っていた。妻はそれを知っていて、なお、与平を支えるために彼の妻となったのである。

 やがて、与平自身も死を迎える。そして、今度は彼の妻が、暗い路地裏に小さな行灯を出して、与平の後を受けて「聞き屋」を始めるのである。

 たくさんの挿話が、この作品の中に出てくるが、どれもが丁寧に描かれ、そして、登場するすべての人たちが、鯰の長兵衛や質の悪い「およし」の母親も含めて、だれもかれもが温かい。それ以外ではありえなかった人間として受け入れ、恩を恩で、情を情で、しかも、自分のしっかりした意志をもって帰していく。意志が愛に向かう時の強さと温かさがる。そして、自らも重荷を追って生きてきた与平の「聞き屋」としての晩年が、それに包まれていくのである。

 人は、だれでも重荷を追ってよたよたと、あるいはトボトボと人生を歩んでいる。これしか生きることが出ない人生をそれぞれに歩んでいるのかもしれない。わかりきったことかもしれない。しかし、その人をそのままで受け入れることは難しい。つまらない善悪の判断をしてしまうこともあるし、この世の価値で計ることもある。だが、宇江佐真理の作品は、そんなものを吹き飛ばす。彼女の作品は、まことに文学作品として名作で、ふと、ドストエフスキーを思い起こしたりする。生きることの深い慰めと励ましが満ち溢れている。

2010年3月5日金曜日

宇江佐真理『聞き屋与平 江戸夜咄草』(1)

 三寒四温の日々になっているが、今朝はどうしたことか上空を飛ぶヘリの音や車の騒音が激しく、少し晴れ間が見えて温かくなっている空気が破られている。水曜日に葬儀があって、その疲れがなかなか取れないでいるので神経が過敏になっているのかもしれない。水曜日の葬儀は、八十八年の生涯を、長くつらい闘病生活があったとはいえ、全うされた方の葬儀だったので、人は必ず死ぬという厳粛な事実を厳粛に受けとめさせられるものだった。

 昨日、宇江佐真理『聞き屋与平 江戸夜咄草』(2006年 集英社 2009年 集英社文庫)を読んで、久しぶりにじんわりと心温まる時を過ごすことができた。この書物は、文庫化された時にすぐ二子玉川で食事をした帰りに求めていたもので、数日前の新聞紙上で彼女の父さんがお母さんのために洗濯機とテレビを一大決心して買ったというインタビュー記事が載っていたのをきっかけにして再読することにしたのである。宇江佐真理の作品は、本当に傑出している。

 これは、薬種問屋の主人「与平」が、苦労して店を大きくした後、息子たちにそれを譲って隠居し、自宅の裏通りで、「お話し、聞きます」の小さな看板をかかげて、ただひたすらに人の話を聞く「聞き屋」を始め、彼に話を聞いてもらいたいと訪れる人々や彼自身の顛末が描かれている作品である。

 暗い通りの中でぽつんと小さく灯っている「聞き屋与平」の行灯の明かりの中で、人々は、そっと抱えている重荷をおろしていく。「聞き料はお客の気持ち次第のお志」だけ。アドヴァイスもしなければ、何らかの策をしめすのでもない。だが、ぽつりぽつりと人々は与平のもとを訪れてくる。与平は、病を押しても「聞き屋」を続けていく。そこには、与平自身の重荷を負った姿がある。

 与平は、人を理解する、人助けをするというような傲慢な思いを抱かない。彼は「人には理解不可能な壁がある」、「その人の人生はその人自身が歩んでいくもの」ということをよく知っている。彼は、どんな重荷を抱えるものであっても、ありのままのその人を認め、尊重していくのである。

 こういう与平の姿は、語らなければならないことの多いわたしにとっての大きな鉄槌のようにも思われる。意志表示や自己主張が謳歌される時代の中ではなおさらである。1960年代頃の岸上大作という人の「意志表示 せまる声なき声を背に、ただ手の中のマッチするのみ」という歌をときおり思い起こすが、「自分のマッチをする」だけではなく、その明かりで人々をほんのりと照らす、それが「聞き屋」であるのかもしれない。

 宇江佐真理は、『あやめ横町の人々』(2002年 講談社)でもそうだったが、人知れない重荷を抱いて生きなければならない人々を、実に温かく包むように、いとおしむようにして描いている。人の過ちや間違いを責めることも問い質すこともない。正義を振りかざすこともない。人の思いのどうしようもなさを、あるがままに受け入れていく作品を描いていく。こういう豊かな心根をもつ作家はほかに類を見ないのではないかとさえ思う。

 文章も美しい。描かれる情景に人の思いが溶け込んでいるような文章で、リズム感もあり、声に出して読んでみると、なおさらその情景が浮かび上がって来るような文章である。

 たとえば、物語の書き出しの言葉はこうである。
 「両国広小路のたそがれは、どこかうら寂しい。」(文庫版 9ページ)

 この短い一文で、物語の舞台が両国広小路の近辺であり、両国広小路は、当時、江戸で一番賑わった所であるが、その黄昏時は、どこも店を閉めてひっそりとし、ちょうど祭りの後の寂しさのような寂寞感が漂う。その寂寞感の中で、人生のたそがれを迎えた与平が小さな机をもちだしてぽつんと行灯を燈し、聞き屋を始める。黄昏のうら寂しさを知る人間が、うら寂しく生きなければならない人間の話を聞く。この書き出しの短い一文は、そうした物語の展開と情景を見事に描いた一文である。

 また、第三話「雑踏」の書き出しはこうである。
 「陰暦八月はすでに秋である。
 路上で聞き屋をする与平にも、めっきり夜風が涼しく感じられる。その年の夏はことの外、暑かった。与平は年を取るごとに暑さ寒さが身体にこたえるようになった。暑い夏が終われば今度は冬だ。穏やかな秋も与平にとっては、つかの間の安らぎに過ぎなかった。」(文庫版 109ページ)

 路上でぽつんと聞き屋をする与平の心情が、季節の移ろいを表わす言葉に見事に織り込まれている。

 こういう文章は、ひとつひとつの物事を、丁寧にいつくしむように掌の中で温める姿勢によってしか生まれてこない。日本語の美文と言っても、決して過言ではないだろう。

 『聞き屋与平』の内容については、また今度書くことにする。今日はかなりの量の仕事を終えなければならない。仕事をしていて、わたしが違和感や異質性、居心地の悪さを感じる理由は比較的はっきりしている。それは、何事かをすることがいいことで、何事かをしなければならないと思っている人々の中で、「人間は何もしなくてもいい。日々の喜怒哀楽を慈しんで生きればいいと思うわたし」がいるからである。「成功」を考える人々の中で、「成功など何の意味もない」と思う「わたし」がいるからである。夏目漱石ではないが、「とかくこの世は住みにくい」のは、いつも事実ではある。そのジレンマの中で、今日もわたしは机に向かうだろう。

2010年3月3日水曜日

藤原緋沙子『紅梅 浄瑠璃長屋春秋記』

 薄曇りの空から少し光が差している。空気の冷たさは、まだ残っているが、気温は心もち上がっていくだろう。昨日、蕗のとうが顔を覗かせているのを見た。

 このところ仕事がたまって少し寝不足の日々が続いているが、昨夜、藤原緋沙子『紅梅 浄瑠璃長屋春秋記』(2008年 徳間書店 徳間文庫)を読んだ。これは前に読んだ『潮騒 浄瑠璃長屋春秋記』の続編にあたるもので、前作よりも描写が丁寧で、構成や物語の展開も独自性があって、はるかに優れたものになっている。

 このシリーズは、事情も告げずに失踪した妻を探すために、浪人となって江戸へ出てきた「青柳新八郎」の愛妻探索の過程をたどりながら、「よろず相談承り」で糊塗をしのぐことによる長屋での日々の暮らしとそこで関係した人々、持ちこまれた相談事の解決を描いたものだが、『紅梅 浄瑠璃長屋春秋記』は、主人公の青柳新八郎に親密に関係する人々ごとに、その顛末が丁寧にまとめられている。

 第一話「秋の雨」は、主人公青柳新八郎を尊敬し、親しくつきあっている奉行所見習い同心の手先になっている江戸っ子気質をもつ楽天的でひょうきんな「仙蔵」の秘められた深い愛を描き出したものである。

 仙蔵は、昔、美しい女性と一緒に暮らしたことがある。しかし、何をやっても長続きせず、稼ぎも悪く、女性は田舎の親に仕送りもしなければならず、ついに生活が立ち行かなくて別れた。仙蔵は巾着切り(掏摸)としてその日暮らしをしていた。別れた女性は古着屋の主の囲い者になっていた。ところが、その古着屋がとんでもない悪だった。彼女は、今は青柳新八郎に言われて巾着切りを辞めて岡っ引きの見習いのようなことをしている仙蔵に助けを求めた。しかし、彼女は古着屋に監禁され、古着屋は助けたかったら掏摸を働けと言う。

 一方、青柳新八郎は古着屋で買い取り屋をしている女将の用心棒に雇われた。女将が何者かに狙われているという。女将を狙っていたのは、仙蔵が思いを寄せていた女性を監禁し、仙蔵に掏摸を働かせて店を潰そうとしていた古着屋だった。古着屋は上方で人を殺し、奪った金で古着屋をし、さらにのし上がろうと邪魔者を殺していた男だった。

 二つのつながりを知った青柳新八郎は、仙蔵と監禁されている女性を救うために監禁されている場所へと向かう。ほんの少し間にあわずに、女性は古着屋に殺されてしまうが仙蔵を助け出す。仙蔵は悲しみに打ち沈むが、彼の周りにいる青柳新八郎をはじめとする人々の温かい思いやりを知って立ち直っていく。

 第二話「いのこずち」は、主人公青柳新八郎が住む長屋に住んで、小料理屋の手伝いをしながら何かと彼を助け、互いの思いを秘めながら暮らしている「八重」という女性の話である。八重は武家の妻だったが、夫が殺され、江戸に出て来て、つてを頼って小料理屋で働く暮らしを立てながら夫の死の真相を知ろうとしていた女性だった。八重はけなげな女性である。

 そして、この第二話で、夫の死が、実は藩の上役による謀殺であったことがわかる。それを知らずに訪ねていった上役によって八重は捕えられ殺されそうになる。青柳新八郎は捕えられた八重を助け出し、八重に付き添って謀殺の証拠と共に藩に真相を伝える。

 第三話「紅梅」は、青柳新八郎の失踪した妻の行くへが少しわかって来る。彼の妻は、禁書令によって幕府に追われていた蘭学者が実の父であることを知り、その父の世話をするために家を出たことが判明する。青柳新八郎はその蘭学者の弟子で彼の妻に助けを依頼した男と会い、その事実を確認する。蘭学者は捕えられ獄死したが、その後の妻の行くへが分からない。青柳新八郎は、妻が一時かくまわれていた所を探し出し、そこへと向かう。そして、彼女をかくまった男が彼女に無体を働こうとしたことを知り、怒りに燃えるが、その男の娘のことを思って怒りを鎮めていく。彼の妻は男が無体を働いた時に、抵抗して男を殺したと思い、さらに夫への迷惑を考えて身を隠していく。その行くへはまだ不明である。

 ここまで書いて中断を余儀なくされたので、夕やみが迫る頃に再びこれを書き始めた。「たれそ彼」の侘しい時間が終わろうとしている。

 藤原緋沙子『浄瑠璃長屋春秋記』のシリーズは、その登場人物の設定やプロットなどに、これまでの優れた時代小説と似通った要素がたくさんあり、ある意味で「勧善懲悪」のところもあるが、そこに「情」も絡んで、これまでのいくつかの時代小説の優れた要素が盛り込まれたアンソロジー的なところがあるかもしれないと思ったりする。

 物語の展開で、これから主人公は探し求めている愛妻を見つけ出すことができるのだろうか、八重との恋心はどうなるのだろうか、といった次作への期待をもって終わるところなど、テレビドラマ的な要素があるが、第一話の仙蔵の思いや第二話の八重のけなげさ、第三話に出てくる主人公の妻へ暴行を働こうとした男の娘などの姿と心情がよく描き出されていて、『紅梅』はよい作品になっている。

 深夜一時まで営業されていた近くのスーパーマーケットが、急に営業時間を短縮することになったので、これから夕食の買い物がてら散策に出かけよう。外は、もう夕闇が迫っている。

2010年3月1日月曜日

諸田玲子『かってまま』(2)

 土曜日に降り続いた雨が日曜日の午後に上がり、今日は薄雲が広がった空からときおり陽が差したりしている。今朝はベートーベンのいくつかの交響曲を聞きながらシーツを洗濯したり掃除をしたりしていた。ベートーベンは明るく希望に満ちたところもたくさんあるが、やはり、迫ってくる音が重い気がしてならない。どうしても無理に重い問いかけが迫られているようで、張り詰めた緊張感が必要な気がする。バックグラウンドとして流すには少し重い。

 土曜日の夜に諸田玲子『かってまま』の続きを読んだ。第二話からは、第一話で美貌の旗本の娘「奈美江」と修行僧との実らぬ不義の愛で生まれた子ども「さい」が成長して行くにしたがって、その子どもと関わった人々の姿として話が展開されていく。こういう展開の仕方には作者の技量を感じる。

 第二話「だりむくれ」は、第一話で「さい」の養父母となった夫婦のうち、養母が病で死んだ後、養父と共に実母を探して旅絵師として各地を巡り歩いている時に知り合った南品川宿の飯盛り女「かや」の話である。当時の旅籠の飯盛り女は遊女でもあったので、「かや」は遊女である。一人娘をなくし、どうしようもない亭主に売られて、場末の飯盛旅籠で遊女として、飲んだくれて過ごしている。

 この「かや」の心情が、「夏が過ぎ、自分で自分を見限った頃から、すうーと気が楽になった。考えることをやめてしまえば怖いものはない。這い上がろうとあがきさえしなければ、日々はたらりたらりと流れていく」(51ページ)と描かれている。「だりむくれ」という言葉の正確な意味は分からないが、おそらくそうした「自棄のやんぱち」になって、ひねくれて「たらりたらり」と過ごしている人間のことを言うのだろう。「たらりたらりと日々が流れる」という表現がうまい。

 人は、生きる目的や希望など簡単には見出せない。むしろ、そんなものは思いこみの幻影かもしれない。それでも人は生きていく。そして、日々がたらりたらりと流れていく。

 この「だりむくれ」の「かや」が、少し成長し、母譲りの美貌と不思議な雰囲気をもつ「さい」と養父に出会い、束の間の家族の温かみを感じ、「さい」が拐かされて売られてしまうのを命がけで守っていこうとするのである。そして、「かや」は「だりむくれにだって、いつかまた、いいことがあるかもしれない」(85ページ)と思うのである。

 第三話「しわんぼう」は、「さい」の祖父に当たる旗本家からの質草として「さい」を預かることになった小石川の質屋の女将「すみ」の話である。これまで育ててきた養父に死なれて、祖父の旗本家の前に佇んでいた「さい」は、祖父もなくなっており、旗本家を継いでいた腹違いの叔父は彼女を厄介者として質草の代わりに質屋に入れたのである。

 「しわんぼう」とはケチという意味で、質屋の女将「すみ」は、自分の父親がどんな思いで銭を稼いでいたかをよく知っていたので「しわんぼう」で有名であり、亭主も手代も当てにはできずに、ひとりで質屋を切り盛りしている女である。

 そこにうらぶれた浪人が猫を質草にもってくる。そして、「すみ」の養女となっていた「さい」がその猫が気に入り、「さい」と浪人はまるで親子のように仲が良くなる。浪人には何かわけがありそうである。

 浪人は、江戸にいたころに泥酔した旗本家の息子から喧嘩を仕掛けられ、一緒にいた従弟か殺され自分も傷を負ったが、相手の旗本家の息子は、家の郞党に罪をかぶせてしまい、自分も江戸払いとなってしまい、仇を討つために浪々の身となって江戸に出て来ていたのである。

 ある時、「さい」の行方が分からなくなり、探しに出た「すみ」は、「さい」がその浪人のところにいることを探し当てる。「さい」を連れて帰ろうとするが、「さい」はこれから浪人と一緒にいると言う。そして、その夜、「すみ」はその浪人の長屋に泊ってしまう。次の朝、「さい」も浪人もいなくなり、やがて、浪人が見事に仇を打って武士らしく腹を切って自裁したと聞く。

 浪人が仇を討った無体に喧嘩を仕掛けた旗本家の息子とは、実は「さい」を質草に入れた実母の腹違いの弟であり、罪をかぶせられた郞党の娘が養母であったのだから、浪人は「さい」の養母の仇を討ったことになる。まことに「因果はめぐる糸車」式に「さい」の運命が回っていく。「すみ」は、また「しわんぼう」としての日常を送っていく。

 第四話「とうへんぼく」は、成長した「さい」が弟子となっている「おせき」という女掏摸の話で、「おせき」は「利平」という岡っ引きの鼻を明かすために掏摸を働いている。「おせき」と「利平」は幼馴染で、お互い惚れあっているが、利平が奉行所に命じられてごろつきの一団を捕えた中に「おせき」のひとり息子がいて、その息子は佐渡送りになっていた。「おせき」はお上へのやり場のない怒りをぶつけるために女掏摸となった。

 ところが、佐渡で大掛かりな島抜け(脱獄)があったという。佐渡に送られていた息子からはときおり文も来ていた。「おせき」は、自分の息子が無事に逃げ延びているのではないかと期待する。しかし、実際は、息子はもうすでに佐渡の金山で死んでおり、彼の文というのは、「おせき」のためを思って岡っ引きの利平が書いていたものであった。「さい」と利平は「おせき」のために息子が生きていることを装ってくれていたのである。そして、「さい」は「おせき」が掏摸でためた金を利平に渡して、罪をゆるすことを願い、行くへをくらましてしまう。

 「さい」がいなくなった後で「おせき」の息子が死んでいたことを伝えたのは、佐渡の島抜けをした「さい」の実父の修行僧であった。すべてを知った「おせき」は、利平の心根を温めて、心を入れ替え、利平と共に正月の福茶を一緒に飲む。「さい」の行くへはわからない。

 表題作ともなっている第五話「かってまま」は、働き者で妻思いの大工と暮らしている「おらく」の話で、「おらく」は油屋の娘として育ち、家事が苦手で、朝寝はするし亭主に肩をもませたりする「かってまま」の女房である。「かってまま」とは「かって気まま」ということだろう。

 この「おらく」の隣に美貌の女が越してきた。「さい」である。「さい」は何かにつけて「おらく」の家に出入りするようになる。「さい」は不思議な雰囲気を身につけている女になっている。そして、亭主と「さい」の間がおかしいと思いはじめる。また、長屋に出入りしていた豆腐屋が殺されたりする事件が起きる。「おらく」も悋気を起こしたりする。

 しかし、実は、「さい」は残虐非道な強盗の鬼門喜兵衛の仲間となっており、「さい」の家はその強盗団の隠れ家で、豆腐屋を殺したのもその強盗団であり、寺の普請をしていた大工の亭主に近づいてその寺の宝物を狙っていたことがわかる。だが、「さい」は「おらく」と亭主を助けるためにわざと「おらく」に悋気を起こさせ、亭主もまた「おらく」を守るために「おらく」につらく当たっていたことを「おらく」は知るのである。そして、「おらく」は、相変わらず「かってまま」ではあるが、少しは亭主をいたわる女房になっていく。

 「さい」の人生は変転して行く。「さい」は強盗団の元締め「喜兵衛」の女になっている。彼女が「喜兵衛」の女になったのにはわけがある。

 第六話「みょうちき」は、その喜兵衛が手引きに使っていた女の子どもであり、喜兵衛の娘の「みょう」の話で、強盗団の元締めの娘として傍若無人に振る舞っていた「みょう」がやせ衰えた旅の修行僧を助けるところから物語が展開していく。その修行僧は、実は「さい」の実父である。そして、かつて「さい」の実母と駆落ちした際に頼っていった実の兄が喜兵衛であり、喜兵衛は「さい」の実母を自分のものにするために弟である修行僧を罠にはめて佐渡送りとし、「さい」の実母を自分の女としたことを知り、その弟である極悪非道な喜兵衛を成敗するために来ていたのである。「みょう」は喜兵衛と「さい」の実母の娘であり、「さい」の実母は囲われたままで寂しく死んでいた。「みょう」は「さい」の妹なのである。

 そこへ喜兵衛と「さい」がやってきて、「さい」は「みょう」がかくまっていた実父である修行僧と会う。そして、実父の思いを察して、「みょう」を連れて逃げる。「さい」は、長い間放浪しながら、実父母を探し、その仇を討ちたいと思っていたのである。だから、実父が喜兵衛を殺しに出かけたことを知りながら「みょう」を連れて逃げるのである。実父は喜兵衛に殺されてしまう。

 そして、第七話「けれん」は、これまでの話の大円団で、吉原の引き手茶屋の女将で、「お六」と名を変えている「さい」が、実父が殺し損ねた喜兵衛を母の形見の簪で殺して、吉原で遊女となっていた「みょう」と共に逃げ延びていくという話で、これまでの「さい」の人生の変転が、実は、江戸時代後期に歌舞伎・狂言作者として活躍した四代目鶴屋南北(1755-1829年)の『お染久松 色読販(おそめひさまつ うきなのよみうり)』に登場する「土手のお六」という女だてらに悪事を働く「お六」の生涯であったことが明かされる。鶴屋南北は『東海道四谷怪談』でも著名である。

 この作品では「お六(さい)」は、まだ作者として売れずにくさっていた鶴屋南北を励まし、南部が思いを寄せいていた女として、しかも、見事に仇を討った女性として描かれる。「お六(さい)」は、自らの運命を背負いながらも、どこまでも南北を励ましていく女性である。

 そして、この大円団まで読んで、はじめて、「なるほど」とうならせる作品に仕上がっている。「さい」の不幸な生涯が、実は、自分の父と母を探し、非業の運命にもてあそばれた父母の仇をひたすら求めていく生涯であり、悪意もけれんみも、また自己保身の欲求もなく、運命に翻弄されながらも思いを貫き、関わった人々を励まし、何かの温かみを残して生きてきた生涯である。

 そして、こうした人間の生涯をこうした形で描き出すには、作者の筋の通った思いが貫徹されなければ出来ない作品でもある。「う~ん」と思わずうなってしまうような作品となっている。