2010年3月15日月曜日

北原亞以子『妻恋坂』

 ようやく春めいてきたが、薄曇りの空が広がっている。ずい分と変な時間に寝たり起きたりしたので、身体も脳も春眠の状態のままのような気がする。今夕、依頼されていた森有正(1911-1976年)の思想について小さな集まりで話をすることになっている。

 森有正の哲学的随想は、1970年前後の「戦後の日本社会が身震いした時代」に良心的に物事を考えようとする人々によく読まれたが、顧みれば、彼はデカルトとパスカルの研究者であり、デカルトが哲学的に確立した「近代的自我」の「われ思う(cogito)」と「われ在り(ergo sum)」の間を、綿密にパスカルの数理的論理性をもって考察していったとも言えるような気がする。

 借り物ではなく、「自分の足で歩み、自分の体で経験し、自分の頭で考える」ということを大事にした人で、ちょうど自己のアイデンティティーを模索し続けていた日本の知識層の人たちに、彼の思想は大きな示唆を与えるものとなったのである。

 個人的には、東京大学の教員として戦後の海外留学の第一陣としてパリに留学したが、帰国せずにパリに留まり、パリ大学日本語学校で日本語や日本文化を講じることで糊塗し、離婚と再婚といった生活の変化もあり、あまり裕福な生活ではなかったようだ。とは言え、明治維新後の日本の最初の文部大臣を務めた森有礼の孫であり、いわゆる「没落貴族」とは言え日本社会の上層階級に属していたわけで、一般の感覚でいう「貧しさ」とは異なっていただろう。晩年は、国際基督教大学の客員教授として毎年帰国し、日本で永住するつもりであったが、ついにパリで没している。

 彼は決して体系的な哲学を提示したわけでも、またそのような哲学を考察したわけでもないし、彼の著述のスタイルも随想風だが、それをわが身に引き当てて改めて考えと、日本の社会では体系的な哲学が必要とされないし、また生み出されないのではないかと思ったりする。むしろ、随想風な思索の展開がよいのだろう。日本の精神風土というものはそうではないかと思えるのである。だから、日本では狭義の意味での哲学者は、せいぜい大学の教員として糊塗していく以外に生活の術がない。

 わたしは「人間学」というテーゼの中で自分の思索を体系化させようと試みたが、どうもこれは怠惰なわたしの人生の中で完遂されそうにもないような気がしているし、また、現代日本社会の中でそれが受け入れられるとも思っていない。

 それはともかく、土曜日の夜から北原亞以子『妻恋坂』(2003年 文藝春秋社)を読んでいる。これは、時代小説の中で、八編八組の男女の愛や恋の姿を描き出した短編小説集で、短編としてはそれぞれ優れたものであるし、様々な男と女の関係の姿を、その内面にまで掘り下げたものを作者特有の情景のようにして描いたものである。

 ここには、ふとしたことで知りあって関係をもった男が妻子持ちであることが分かり、結局はその妻子との関係を大事にしていることを知った女が、男が来ることを待ちつつも次第に諦めていく話(「妻恋坂」)や、不義の相手と駆け落ちしたが、夫が追ってきて、その夫に女敵討ちとして殺されることを選択していく話や、どうにもならない男と女の恋心や、娼婦として生きている女どうしの関係などが描かれていく。

 ただ、どうにも男と女の色恋や、その心情の微妙なひだとかあやといったものを探っていくのには、今のわたしは覚め過ぎていて、単に「もっと自分の思いに素直になったらよかろう」と思うだけで、「人を好きになったり、愛したりすること」は、人間の最も豊かな思いなのだから、その豊かさを生き抜いたらいいだろうに、と思うだけである。それぞれの抱えている事情や周囲の状況、社会の状況などがそこには色濃ゆく影を落とすが、そんなもので自分の思いを断ち切るなら、その思いはあまり本物ではないと思ったりもする。男女の関係で一番大切なことは、いったい自分がどうしたいのか、だけだろう。この齢になって、そう思っているのである。

 今にも雨が降り出しそうな気配がある。なんだかぼんやりした頭と体で、そろそろ出かける用意もしなければならない。電車で座れればいいなぁ、とつまらないことを思ったりする。

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