2010年3月9日火曜日

宮部みゆき『日暮らし』(1)

 どうにも寒いと思ったら、横殴りの雪が降り始めた。ずっと、「森有正」の思想を考えていて、メモを取ったりまとめたりすることに没頭していて、ふと窓外を見ると、重い天気の空の下から黄昏の時の中を雪が落ちているので驚いた。

 森有正の、綿密で、丁寧な論理的な思考と表現の世界の中にいたわけで、たとえば、『雑木林の中の反省』という文の中の一節、「言葉は各人にとってかけがえのない経験を表現するのに、言葉によって経験を左右できると考える」という論理の展開の仕方に、「自分の頭と身体や手足で考える」という在り方の重要性を改めて示される気がしたのであり、ひとつひとつの事柄を自分の地平で自分のものとして紡ぎだしていくということであったり、「わからないこと」を「わからないこと」として大事にしていくことであったり、とにかく、知的に誠実であるということはそういうことだろうと思ったりしていたわけで、森有正は、1970年代前後によく読まれていたが、軽薄な情報で人が動いてしまう現代の風潮の中で再考されてもいい思想家かもしれないと思ったりもする。

 それはともかく、昨夜から宮部みゆき『日暮らし(上・下)』(2005年 講談社)を読み始めた。この作者の作品は初めて読むが、作者の宮部みゆきは、1960年生まれで、SFや推理小説をはじめとして多分野才能を発揮し、特にテレビゲームの世界では、本人もこれに熱中して、もし何の制約もなければ、一年365日のうち360日はテレビゲームをして廃人同様になるだろうと豪語するような人らしく、作品そのものよりも本人がとてつもなく面白い人らしい。文学者としても数々の文学賞を獲得して、多才ぶりを発揮している。

 個人的には、どこかこういう人は時代の幸運に恵まれた人のような気がして、日本の高度成長とバブルの申し子のように思っていたし、超能力や幻想の世界で遊ぶ人のように思えていたので、手にとって作品そのものを読むということはなかったのだが、たまたま「日暮らし」という書名がいいと思って読み始めた次第である。

 そして、まだ最初の方しか読んでいないが、まず、作品の創作の仕方が素晴らしいと思った。人間を登場させて物語を展開していく際、たとえば、そこに登場する人物を徐々に紹介したり、物語の展開を時系列に並べたりする手法と、ある歴史や場面を垂直に切り取って、あたかも以前から当然のようにして動いて人物を、その継続であるかのように当たり前の展開していく手法の二つがあるが、後者の場合には、登場人物の設定と物語の展開がかなり綿密に事前にきちんと設定されておく必要があり、後者の手法で無理なくそれを展開するには作者の力量が問われる。

 『日暮らし』は、後者の手法で物語が展開され、しかも人物の設定が極めて明確にきちんと行われている。

 まず、主人公と思われる「井筒平四郎」は奉行所の臨時周りの同心であり、あまり格式ばらずに、同心としての仕事もかなりいいかげんにするさばけた人物で、細君と二人暮らしで、子どもがないために親戚の藍玉問屋の利発な五男「弓之助」を養子にしたいと思っている。

 「弓之助」は、美貌で利発な少年で、扇子に似顔絵を描いたものが流行ったことについての事件で、「きっとこういう流行りのものは、何十年か前にも同じような傾向があったに違いありませんよ、叔父上。人の心をつかむものというのは、そうたくさんあるわけではないでしょう。・・・・人のやることに新しい事柄はないものです。それが世のならいです」(上29ページ)と言ったりする。

 井筒平四郎には知己の岡っ引きで蕎麦屋をしている政五郎がいて、平四郎から手下としての手札をもらっているわけではないが探索の手助けをし、その政五郎は「おでこ」と呼ばれる三太郎という少年を引き取って育てている。

 「おでこ」と呼ばれる三太郎の父は人を殺して牢屋で死に、「鈍くて他の兄弟の足を引っ張る」と母親からも見捨てられたが、政五郎に引き取られ、記憶力が抜群で、岡っ引きをしていた政五郎の父親などから聞いた過去の事件などもすべて記憶しているという才能をもっている。政五郎とその妻は、自分の子どものように「おでこ」を可愛がっている。

 特に「弓之助」や「おでこ」といった特徴ある少年をはじめとする、こういう登場人物の設定がしっかりしていて物語が展開されていくのだから、時代小説のとしての作品が面白くなるというのは最初の数ページを読んだだけでも予測できる。

 文体は軽妙さが装われている。くだけた言葉がたくさん使われ、それが嫌味なく使われるところに作者の意図も感じられて、「読み本」としての小説の位置づけをしようとしているところが読後感の清涼さを感じさせる。

 いつの間にか降り続いた雪がやんで夕闇が迫っている。少し事務的な仕事も片づけなければならないのでこのくらいにして、また明日につなげよう。

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