2010年3月10日水曜日

宮部みゆき『日暮らし』(2)

 昨夜降り積もっていた雪も今は解けて薄日が差して、昨日ほどの冷え込みはないが、寒いのは寒い。朝からなんとなく気ぜわしく、しようと思っていたことをすっかり忘れてしまった。まあ、こんな日もあるだろう。忘れて迷惑をかける人があれば、御容赦願おう。

 宮部みゆき『日暮らし』を読み続けている。昨日はあまり多くを読むことができず、上巻五話中第一話「おまんま」、第二話「嫌いの虫」、第三話「子盗り鬼」を読んだだけだったが、それぞれ情のある結末の良い作品だった。

 第一話「おまんま」は、岡っ引きの政五郎に引き取られている「おでこ」と呼ばれる少年の三太郎が気鬱になり、食事もとらずに倒れてしまった。政五郎も妻も心配するが、気鬱の原因が思い当たらない。一方、白扇に似顔絵を描いて売りだしていた絵師が殺されてしまう。臨時周り同心の井筒平四郎とは関わりのない事件だったが、平四郎が養子にしようと思っている美貌で利発な少年「弓之助」のヒントから、昔同じような事件がなかったかを調べるために、平四郎は「おでこ」の記憶力を頼りにする。そして、その「おでこ」の記憶によって、事件が解決される。「おでこ」は出入りの植木職人から「額に汗して働くこともなく居候して穀潰し」と言われたことを気にして、「ここでおまんまをいただいていて、本当にいいのだろうか。それに見合う働きを、自分はしていると言えるのだろうか」と悩み、「そんな自信は、おでこにはなかった。だから、顔を伏せて謝りながら、飯を食うことができなくなってしまったのだ」(40ページ)。

 しかし、平四郎が事件の解決のために「おでこ」の力を使ったことで、「おでこ」は自分の役割を見出していく。平四郎は「おでこ」に言う。「安心しな。おまえは充分、政五郎の手下として働いているよ。今度のことで、よくわかったろ?」(上40ページ)

 こういうやりとりで、結末が語られる。人は、それがどんなものであれ、自分の役割というものが見出せる所で、はじめて「意欲」というものが出てくる。その役割は人それぞれで違う。こういう、ある意味で単純な人間の心理や心情というものは、それが単純であるだけに、なお重要なものである。それが「おでこ」という少年の姿を通してさりげなく描かれるところに、この作品の妙味がある。

 第二話「嫌いの虫」は、互いに惚れあって結婚したのに、どこかわだかまりが生じて危機を迎えた「お恵」と「佐吉」という夫婦の話で、佐吉は俵物問屋の主の外腹の子で、同じ外腹の子で「お恵」の家に引き取られて妹のようにして育てられている「おみつ」に会いに来た時に知り合い、それぞれの事情で佐吉は植木職人に弟子入りし、お恵は武家の女中奉公に出るが、佐吉が飼っていた烏を伝書烏として使っての文のやり取りをし、お互いに惚れあって結婚した。しかし、佐吉が何故かふさぎこみ、お恵もそんな佐吉が分からなくなってふさぎこみ、夫婦の間が冷えていく。

 彼らが住む長屋には、子どもが熱を出してもふいといなくなってしまうような女房と気の小さな男の夫婦もいる。そして派手な夫婦喧嘩もする。お恵はついに我慢できなくなって、暴れ、家を出てしまう。そういう中で、お恵と佐吉の中を取り持っていた烏が死んで、佐吉の烏の死を悼んで「弓之助」が訪ねてくる。

 弓之助はまだ少年であり、佐吉とお恵夫婦の事情など知らないはずだが、烏の死について、「人は欲深いものだと、叔父上はよく言います。わたしくしが、生き物と別れるのは嫌だ、だから飼わないというのも欲だと」、「一度自分が親しく思ったものが、どんな理由であれ離れていく。それが我慢できないというのも、立派な欲だと。それでも、その欲がなければ人は立ちゆかない。そういう欲はあっていいのだ。だから、別れるのが嫌だから生き物と親しまないというのは、賢いことではない」、「そして、いつか別れるのではないかと、別れる前から恐れ怯えて暮らすのも、愚かなことだと教わりました。それは別れが怖いのではなく、自分の手にしたものを手放したくないという欲に、ただただ振り回されているだけのことなのだから」と言う。(上105-106ページ)

 お恵は自分の気持ちが言い当てられたような気がして、佐吉と正面から向き合い、佐吉もまた、自分が抱えていた問題が、実は、自分の生みの親のことで、彼の母親は自分を捨てて男を作って逃げたと聞かされていたが、実際は死んでいたことを聞いて、その真相について悩んでいたことを打ち明ける。お恵と佐吉のわだかまりがそれによって解け、同じ長屋で大喧嘩をした夫婦も、実は、それぞれが相手を思いやって、それぞれの仕方で夫婦として暮らしていることをしていくのである。

 人間の関係には、特に男と女の関係には、お互いの了解事項というものが必要とされる。その了解事項が確かにあると信じられるところでは、その関係がどんな様相を見せたとしても、崩れ去ることはない。ただ、その互いの了解事項というものは、いつも確認される必要がある。男と女の関係は、その危うさの微妙なバランスを、そうして取っていくものだろう。二組の夫婦を描いたこの作品は、それを見事に描き出している。そして、「叔父上は鼻毛ばかり抜いている御仁です」(上107ページ)とも言う少年の「弓之助」の頭脳明晰な姿が、物語を展開する上で生き生きと描かれるのがいい。

 そして第三話「子盗り鬼」は、その佐吉の死んだと思っている母が、ストーカーのような手前勝手な男につきまとわれて、亭主まで殺された「お六」という女性を、「子盗り鬼」という大芝居を打って助ける話である。この話には、井筒平四郎も弓之助も登場しないが、「お六」の貧しくけなげに生きる姿がよく描かれており、また、男の身勝手さもよく描かれている。

 ここまで書いて、少し急な仕事も入ったので、今日はそれに当たることにする。朝、気ぜわしくなりそうだと思った通りの日のようだ。

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