2010年3月1日月曜日

諸田玲子『かってまま』(2)

 土曜日に降り続いた雨が日曜日の午後に上がり、今日は薄雲が広がった空からときおり陽が差したりしている。今朝はベートーベンのいくつかの交響曲を聞きながらシーツを洗濯したり掃除をしたりしていた。ベートーベンは明るく希望に満ちたところもたくさんあるが、やはり、迫ってくる音が重い気がしてならない。どうしても無理に重い問いかけが迫られているようで、張り詰めた緊張感が必要な気がする。バックグラウンドとして流すには少し重い。

 土曜日の夜に諸田玲子『かってまま』の続きを読んだ。第二話からは、第一話で美貌の旗本の娘「奈美江」と修行僧との実らぬ不義の愛で生まれた子ども「さい」が成長して行くにしたがって、その子どもと関わった人々の姿として話が展開されていく。こういう展開の仕方には作者の技量を感じる。

 第二話「だりむくれ」は、第一話で「さい」の養父母となった夫婦のうち、養母が病で死んだ後、養父と共に実母を探して旅絵師として各地を巡り歩いている時に知り合った南品川宿の飯盛り女「かや」の話である。当時の旅籠の飯盛り女は遊女でもあったので、「かや」は遊女である。一人娘をなくし、どうしようもない亭主に売られて、場末の飯盛旅籠で遊女として、飲んだくれて過ごしている。

 この「かや」の心情が、「夏が過ぎ、自分で自分を見限った頃から、すうーと気が楽になった。考えることをやめてしまえば怖いものはない。這い上がろうとあがきさえしなければ、日々はたらりたらりと流れていく」(51ページ)と描かれている。「だりむくれ」という言葉の正確な意味は分からないが、おそらくそうした「自棄のやんぱち」になって、ひねくれて「たらりたらり」と過ごしている人間のことを言うのだろう。「たらりたらりと日々が流れる」という表現がうまい。

 人は、生きる目的や希望など簡単には見出せない。むしろ、そんなものは思いこみの幻影かもしれない。それでも人は生きていく。そして、日々がたらりたらりと流れていく。

 この「だりむくれ」の「かや」が、少し成長し、母譲りの美貌と不思議な雰囲気をもつ「さい」と養父に出会い、束の間の家族の温かみを感じ、「さい」が拐かされて売られてしまうのを命がけで守っていこうとするのである。そして、「かや」は「だりむくれにだって、いつかまた、いいことがあるかもしれない」(85ページ)と思うのである。

 第三話「しわんぼう」は、「さい」の祖父に当たる旗本家からの質草として「さい」を預かることになった小石川の質屋の女将「すみ」の話である。これまで育ててきた養父に死なれて、祖父の旗本家の前に佇んでいた「さい」は、祖父もなくなっており、旗本家を継いでいた腹違いの叔父は彼女を厄介者として質草の代わりに質屋に入れたのである。

 「しわんぼう」とはケチという意味で、質屋の女将「すみ」は、自分の父親がどんな思いで銭を稼いでいたかをよく知っていたので「しわんぼう」で有名であり、亭主も手代も当てにはできずに、ひとりで質屋を切り盛りしている女である。

 そこにうらぶれた浪人が猫を質草にもってくる。そして、「すみ」の養女となっていた「さい」がその猫が気に入り、「さい」と浪人はまるで親子のように仲が良くなる。浪人には何かわけがありそうである。

 浪人は、江戸にいたころに泥酔した旗本家の息子から喧嘩を仕掛けられ、一緒にいた従弟か殺され自分も傷を負ったが、相手の旗本家の息子は、家の郞党に罪をかぶせてしまい、自分も江戸払いとなってしまい、仇を討つために浪々の身となって江戸に出て来ていたのである。

 ある時、「さい」の行方が分からなくなり、探しに出た「すみ」は、「さい」がその浪人のところにいることを探し当てる。「さい」を連れて帰ろうとするが、「さい」はこれから浪人と一緒にいると言う。そして、その夜、「すみ」はその浪人の長屋に泊ってしまう。次の朝、「さい」も浪人もいなくなり、やがて、浪人が見事に仇を打って武士らしく腹を切って自裁したと聞く。

 浪人が仇を討った無体に喧嘩を仕掛けた旗本家の息子とは、実は「さい」を質草に入れた実母の腹違いの弟であり、罪をかぶせられた郞党の娘が養母であったのだから、浪人は「さい」の養母の仇を討ったことになる。まことに「因果はめぐる糸車」式に「さい」の運命が回っていく。「すみ」は、また「しわんぼう」としての日常を送っていく。

 第四話「とうへんぼく」は、成長した「さい」が弟子となっている「おせき」という女掏摸の話で、「おせき」は「利平」という岡っ引きの鼻を明かすために掏摸を働いている。「おせき」と「利平」は幼馴染で、お互い惚れあっているが、利平が奉行所に命じられてごろつきの一団を捕えた中に「おせき」のひとり息子がいて、その息子は佐渡送りになっていた。「おせき」はお上へのやり場のない怒りをぶつけるために女掏摸となった。

 ところが、佐渡で大掛かりな島抜け(脱獄)があったという。佐渡に送られていた息子からはときおり文も来ていた。「おせき」は、自分の息子が無事に逃げ延びているのではないかと期待する。しかし、実際は、息子はもうすでに佐渡の金山で死んでおり、彼の文というのは、「おせき」のためを思って岡っ引きの利平が書いていたものであった。「さい」と利平は「おせき」のために息子が生きていることを装ってくれていたのである。そして、「さい」は「おせき」が掏摸でためた金を利平に渡して、罪をゆるすことを願い、行くへをくらましてしまう。

 「さい」がいなくなった後で「おせき」の息子が死んでいたことを伝えたのは、佐渡の島抜けをした「さい」の実父の修行僧であった。すべてを知った「おせき」は、利平の心根を温めて、心を入れ替え、利平と共に正月の福茶を一緒に飲む。「さい」の行くへはわからない。

 表題作ともなっている第五話「かってまま」は、働き者で妻思いの大工と暮らしている「おらく」の話で、「おらく」は油屋の娘として育ち、家事が苦手で、朝寝はするし亭主に肩をもませたりする「かってまま」の女房である。「かってまま」とは「かって気まま」ということだろう。

 この「おらく」の隣に美貌の女が越してきた。「さい」である。「さい」は何かにつけて「おらく」の家に出入りするようになる。「さい」は不思議な雰囲気を身につけている女になっている。そして、亭主と「さい」の間がおかしいと思いはじめる。また、長屋に出入りしていた豆腐屋が殺されたりする事件が起きる。「おらく」も悋気を起こしたりする。

 しかし、実は、「さい」は残虐非道な強盗の鬼門喜兵衛の仲間となっており、「さい」の家はその強盗団の隠れ家で、豆腐屋を殺したのもその強盗団であり、寺の普請をしていた大工の亭主に近づいてその寺の宝物を狙っていたことがわかる。だが、「さい」は「おらく」と亭主を助けるためにわざと「おらく」に悋気を起こさせ、亭主もまた「おらく」を守るために「おらく」につらく当たっていたことを「おらく」は知るのである。そして、「おらく」は、相変わらず「かってまま」ではあるが、少しは亭主をいたわる女房になっていく。

 「さい」の人生は変転して行く。「さい」は強盗団の元締め「喜兵衛」の女になっている。彼女が「喜兵衛」の女になったのにはわけがある。

 第六話「みょうちき」は、その喜兵衛が手引きに使っていた女の子どもであり、喜兵衛の娘の「みょう」の話で、強盗団の元締めの娘として傍若無人に振る舞っていた「みょう」がやせ衰えた旅の修行僧を助けるところから物語が展開していく。その修行僧は、実は「さい」の実父である。そして、かつて「さい」の実母と駆落ちした際に頼っていった実の兄が喜兵衛であり、喜兵衛は「さい」の実母を自分のものにするために弟である修行僧を罠にはめて佐渡送りとし、「さい」の実母を自分の女としたことを知り、その弟である極悪非道な喜兵衛を成敗するために来ていたのである。「みょう」は喜兵衛と「さい」の実母の娘であり、「さい」の実母は囲われたままで寂しく死んでいた。「みょう」は「さい」の妹なのである。

 そこへ喜兵衛と「さい」がやってきて、「さい」は「みょう」がかくまっていた実父である修行僧と会う。そして、実父の思いを察して、「みょう」を連れて逃げる。「さい」は、長い間放浪しながら、実父母を探し、その仇を討ちたいと思っていたのである。だから、実父が喜兵衛を殺しに出かけたことを知りながら「みょう」を連れて逃げるのである。実父は喜兵衛に殺されてしまう。

 そして、第七話「けれん」は、これまでの話の大円団で、吉原の引き手茶屋の女将で、「お六」と名を変えている「さい」が、実父が殺し損ねた喜兵衛を母の形見の簪で殺して、吉原で遊女となっていた「みょう」と共に逃げ延びていくという話で、これまでの「さい」の人生の変転が、実は、江戸時代後期に歌舞伎・狂言作者として活躍した四代目鶴屋南北(1755-1829年)の『お染久松 色読販(おそめひさまつ うきなのよみうり)』に登場する「土手のお六」という女だてらに悪事を働く「お六」の生涯であったことが明かされる。鶴屋南北は『東海道四谷怪談』でも著名である。

 この作品では「お六(さい)」は、まだ作者として売れずにくさっていた鶴屋南北を励まし、南部が思いを寄せいていた女として、しかも、見事に仇を討った女性として描かれる。「お六(さい)」は、自らの運命を背負いながらも、どこまでも南北を励ましていく女性である。

 そして、この大円団まで読んで、はじめて、「なるほど」とうならせる作品に仕上がっている。「さい」の不幸な生涯が、実は、自分の父と母を探し、非業の運命にもてあそばれた父母の仇をひたすら求めていく生涯であり、悪意もけれんみも、また自己保身の欲求もなく、運命に翻弄されながらも思いを貫き、関わった人々を励まし、何かの温かみを残して生きてきた生涯である。

 そして、こうした人間の生涯をこうした形で描き出すには、作者の筋の通った思いが貫徹されなければ出来ない作品でもある。「う~ん」と思わずうなってしまうような作品となっている。

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