2010年3月29日月曜日

白石一郎『出世長屋 十時半睡事件帖』

 三月も末というのに、本当に寒い。昨日からまた冬に逆戻りしたような天気が続いている。こういう天気が続くと、なんとなく体調も狂って「意欲」というものがなくなるから、人間というものがいかに身の回りの環境に左右させられて生きているのかがよくわかる。前の道路を行き交う人が傘をさし始めているので雨が降り出したのだろう。雨粒はまだ見えないが。

 白石一郎『出世長屋 十時半睡事件帖』(1993年 講談社 1996年 講談社文庫)を大変面白く読んだ。これはこのシリーズの五作目で、福岡藩(黒田藩)の「十時半睡」が、隠居後さらに請われて江戸藩邸の総目付(今でいえば警察・検察長官)として赤坂溜池近くの福岡藩(黒田藩)中屋敷に居を構えていく前後を、物語った作品である。

 前に、このシリーズの『おんな舟』というのを読んだときにも記したが、主人公の「十時半睡(ととき はんすい)」は、本名「一右衛門」といい、「半分眠って暮らす」という洒落からみずから「半睡」と号して、福岡藩黒田家の八十石御馬廻組の家に生まれ、知恵と人情に富み、藩内の奉行職を歴任したのち、六十二歳で引退した老武士である。

 彼は、本人が望めば千石以上の家録(収入)を得ることができたはずだが、六百石以上の加増は頑として否み続け、しかも引退する際は、役職手当を返上して二百石として、それを息子に譲った。引退して一年後には愛妻をなくし、その時に、藩の目付制度(警察制度)の改革の必要性から再び総目付として再出仕を命じられた。しかし、表沙汰にはならなかったが、息子の不祥事(恋愛事件)で自ら突如として職を辞し、再び隠居としての生活を始めることになったのである。

 彼はそのことについては何も語らず、囲碁将棋、魚釣りや山歩きなどの生活を楽しもうとするが、どうにも手持無沙汰の日々を送ることになる。本作では、無聊を囲っている十時半睡が、なまった体を建てなおそうと昔通った剣道場へ足を運ぶところから始まっている。

 この主人公の十時半睡が、上流階級の武士たちが通った道場ではなく下流の武士たちが通った道場に通い、しかも、彼の得意技が実践的な脛払いという業であるのも、主人公の人柄をよく表わしている。

 そうしているうちに福岡藩の江戸藩邸で様々な不祥事や事件が頻発したことから、江戸藩邸の目付制度を変えることとなり、再び、半睡に白羽の矢が立って、彼は江戸藩邸総目付として江戸へ向かうことになるのである。その際、彼が通う道場の師範代をしている好青年の兄が江戸藩邸で事件に巻き込まれて自死・改易となったことから、その青年を自分で引き取り、彼だけを連れていくことにしたのである。

 江戸藩邸でも、勤番侍に雇われて妹を救うために盗みをした娘を救うために、その娘を下働きとして雇ったりする。江戸藩邸での目付制度改革でも、何らかの際に秀でているわけではないが、「意欲」をもつ青年たちを採用していくのである。そして、制度が整うと、あとはすべてを任せていくという姿勢を取る。

 こういうところに、どこまでも人間を温かく包んで生かそうとする主人公の姿勢がよく現れている。この姿勢は、第六話「目には青葉」で佐賀藩との争いごとになりそうな武士の面目をかけた事件での決着のつけ方にもよく現れている。互いの意地が張りあって大事件になろうとすることを「生かす」という視点で切り抜けていくのである。

 彼は六十五歳であり、もちろん、老いということも感じている。それにまつわる旧友の事件も起こる。十時半睡は、できることとできないことを明瞭にし、できることの中で物事を冷徹に見て判断を下すが、その眼が温かい。秀才であるが、それだけに迷う青年も出てくる。彼は己の才を頼む傲岸な青年には手を貸さない。そういうところが、人生を知ってよく老いた主人公の姿として描かれる。

 主人公は老いてますます好奇心旺盛で、それが彼を生かしている。自らを律することを知り、質実剛健で、しかも柔らかい柔軟性をもつ。こういう主人公の設定には、本当に喝采を送りたい。

 時代小説の中でも、福岡藩(黒田藩)の老目付という異色の設定で、しかも「人を生かす」という豊かなテーマを、決して重々しくではなく、生きた人間の姿として描かれているのがとてもいい。言うまでもないことであるが、時代考証はしっかりして、当時(多分寛政~享和年間-1789-1803年頃と思われるが)の生活もよく反映されている。

 今日はあまりに寒くて掃除をする気もなく、いくつかの書類を片づけたり、今度の日曜日がイースターなので、ギリシャ語聖書をひも解いたりした。何とはなしに日がくれそうな気配がある。

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