2011年4月13日水曜日

米村圭伍『おんみつ蜜姫』


 よく晴れ、ようやく温かさを感じる日々になってきた。室内よりも戸外の方がはるかに温かい。福島の原子力発電所の被災に伴う事故は、まだ収拾の目途が立たないし、昨日は、暫定的ではあるが原子力事故の最悪状態を示すレベル7に指定された。レベル7であれば、近隣の住民は「一時避難」ではなく、「移住」が検討されるべきかも知れないが、日本政府はまだそこまでの判断をしていない。もっとも現状からして、判断保留が続くのかもしれないが。


 11-12日と、こちらでも大きな揺れを感じる余震が頻発した。月曜日は、ちょうど都内で組織の方策の歴史的検証の発題をしていた時で、一時中断せざるを得なかったし、12日は、朝からかなり頻発した。新聞やテレビなどのマスコミでは、何とか震災前の状態を取り戻して平常を装うとしているが、関東以北では「疲れ」をあちらこちらで感じる。前の状態に戻ることを志向するのではなく、経済活動も含めた生活スタイルや社会構造がとられるべきだろうが、重層的、複合的に絡まっている現在の社会システムでは、それがなかなか難しい気もする。


 そういうことを感じながら、全く無関係でお気楽な娯楽時代小説である米村圭伍『おんみつ蜜姫』(2004年 新潮社)を読んでいた。


 これは前に読んだ『おたから蜜姫』(2007年 新潮社)の前作に当たるものだが、和歌に精通し、学識もあり、頭脳も明晰だが、どこか一本ねじが抜けたような母親である「甲府御前」に育てられた豊後温水藩(作者の創作)のおてんばで冒険好きな姫である「蜜姫」の活躍を、歴史的事件を奇想天外に絡ませた中で描いたものである。


 蜜姫が飛び込んでしまった事件は、八代将軍徳川吉宗の時代に起こった「天一坊事件」で、これは、修験者(山伏)であった天一坊改行が吉宗の御落胤であると騙り、浪人を多数集めていた事件で、講談などでは南町奉行の大岡越前守忠相の名裁きによって解決した「大岡政談」で著名だが(実際には大岡忠相はこの事件には関係していない)、作者はこれと徳川吉宗と尾張徳川家の将軍位を巡る確執をからませ、「天一坊事件」が吉宗失脚を狙う尾張徳川家によって仕組まれたこととして物語を展開している。


 作中では、温水藩の藩主であり、「蜜姫」の父親である乙梨重利が天一坊改行を知り、これを一時匿ったが、天一坊を利用して吉宗の失脚を狙う尾張徳川家に天一坊を奪われ、その経過を隠蔽しようとする尾張徳川家から生命を狙われるのをおてんばの「蜜姫」が助け、そこから真相を突きとめようとする「蜜姫」の冒険の旅が始まるのである。


 そこに、豊後温水藩と四国風見藩(これも作者の創作)の疲弊した財政立て直しのための合併話で、風見藩主の後妻になることになった「蜜姫」の事情や、「蜜姫」の母である「甲府御前」の祖である武田勝頼が残した軍用金(秘宝)の話が加わり、「蜜姫」は、豊後から四国、尾張から諏訪、そして江戸までの旅をするということになっていく。


 この奇想天外な物語には、母親の愛猫「タマ」が実は忍び猫で、「蜜姫」の危急を助けていったり、吉宗が創設した公儀お庭番が登場したり、尾張徳川家の密命を受けた尾張柳生が登場したり、徳川吉宗や大岡忠相が戯画化されて登場したりして、物語をわざと滑稽なものに仕立てようとする作者の意図が顕著に見られるが、その実、「ひとりの凛とした女性」であろうとする「蜜姫」の物怖じしない姿が描き出されているのである。


 大筋の大部分が虚であるが、虚実をない交ぜにして、「娯楽読み物」を創作しようとする作者の意図は、他の作品でも顕著である。そして、それが顕著な『風流冷飯伝』(1999年 新潮社)から始まる『退屈姫伝』やこの「蜜姫」シリーズでは、時代の風刺がとことん為されて、それが現代文明批判のようなものにもなっている。


 ただ、作者が創作した温水藩や風見藩といった題材にこだわったところとか、こういう作風は、少々飽きが来るというのも正直な感想でもあり、作者の力量からすれば、他の視点や構成でも、あるいはテーマでも、充分書けるような気がするが、どうだろうか。


 昨日、ようやく急ぎの仕事が片づいたので、今週はいつものペースに戻って、少しのんびりできそうな気もする。それにしても、まあ、次から次へといろいろなことがあるものだ。

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