2011年4月15日金曜日

内田康夫『還らざる道』

 夜は雨という予報が出ているが、いまは晴れて温かい。新緑の季をおもわせるほどの陽気になっている。温かくなると個人的にも大いに助かるが、被災地の人たちも寒さに震えなくてすむので有り難い。


 昨夜は、時代小説ではないが、内田康夫『還らざる道』(2006年 祥伝社)を、変わらない柔らかな筆使いと展開のうまさ、探偵役の浅見光彦の優しいが凛とした姿勢をもつ姿としての描写、などに感心しながら読んでいた。


 作者が描き出す「浅見光彦探偵シリーズ」とでも言うべきものは、大体において一つのパターンのようなものがあり、若いがしっかりした美貌の女性の肉親なり知り合いなりが事件に遭い、その事件を浅見光彦が思いもよらない方角からの丹念な捜査と想像力を発揮して解決していくというのが骨子で、思いやりが深くて優しい浅見光彦が真相を探り当てるが、その事件に関連した多くの犠牲者を出さないために、表だった事件とはせずに、その事件の当事者が自らを裁いていくに任せていくという、これもまた決然とした結末を迎え、その結末によってすべてが再び柔らかさに包まれていくというものである。


 この作品も、そのパターンをとっており、事件そのものは、50年にも及ぶ木曽檜の横流しシステムを構築してきた営林署(農林水産省)と商社の癒着によって、その真相にたどり着いた人間が殺されてきたというもので、そのことを知っていながら沈黙してきた人間が、自らの贖罪を行おうとして殺害されたことから始まる。


 その贖罪を行おうとして殺された人物が、美貌の若い女性の祖父で、偶然に知り合うことになった浅見道彦が、警察が行きずり犯による強盗殺人事件として処理しようとしたのを、その背景に深いものがあることを感知して、事件の捜査に乗り出していくというものである。


 大筋の展開のパターンはあるのだが、それぞれに、歴史や地方特有の特色などが盛り込まれ、そこで生息する人間の息吹のようなものも丹念に描き出されるので、大体において、どの作品をとっても面白いし、ここでは、木曽の山の中と地方の復興問題、そして、懸命に自分の人生を開拓していきながらも、その人生がかつての犯罪に沈黙したことによってもたらされたものであるという贖罪を背負いながら、最後にその贖罪を果たそうとする人間の生き様などが描き出されている。


 こういう作品を読むと、人とは本当に弱いものだが、その弱さを柔らかく包んでいく必要があるのだということを感じたりする。人はみな罪人であり、弱く、欠け多き存在に過ぎない。そういう人間に対する根本的な視座は無類の価値がある。昨今のつまらない責任を問うような無責任な批判にはそういう視座が欠落している。人の弱さは、人の美しさや豊かさでもあるのだから、それからすれば、昨今のマスコミや政治家たちを中心にした風潮は醜く貧しい。


 いずれにしても、「正義」とか「正しさ」を振り回すことが嫌いなわたしにとって、浅見光彦シリーズのような作品は、どこかオアシスのような気がしないでもない。


 今日は午後から都内で会議がある。都内に出るのは本当に面倒になってきた。年々こうしたことが増えているので、早く何とかしたいと思いつつも、会議の準備をしていた。

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