2011年4月22日金曜日

佐江衆一『動かぬが勝』

「春霞」というほど天気は良くなく、肌寒い。かつて1923年に関東大震災が起こった時、時の首相を命じられた山本権兵衛は「帝都復興審議会」を直ちに創設し、震災の4週間後には「帝都復興院」が設立されて、総裁となった後藤新平(1857-1929年)はパリの区画整理をモデルにしたものではあったが、未来を見越した大規模な都市改造事業を含む復興計画を打ち出した。そこには土地の私有財産権を無視したことによる批判や莫大な予算の財源のための財界からの猛反対はあったが、これが未曾有の破壊的混乱の中にあった震災の4週間後に打ち出されたことは驚嘆に値する。いずれにしろ、復興を統一的に行う政府機関を直ちに設立したのである。

 マグニチュード9.3を記録した先のスマトラ沖の大震災においても、インドネシア政府は「復興省」を設立して統一的な復興に当たった。いまの日本政府は、まだ、その目途さえ立っていない。なぜ歴史に学んで復興と原子力発電所被害の問題に対して、少なくとも不安を払拭するためにこうした即座の対応を行わないのだろうかと疑問に思いながら、あちらこちらからばらばらに出されて齟齬を来し始めている復興策についての報道に接している。何でも一人でやりたがる「権力好き」が多いのかも知れない。

 閑話休題(それはともかく)、昨夜は佐江衆一『動かぬが勝』(2008年 新潮社)を読んだ。これは「動かぬが勝」、「峠の剣」、「最後の剣客」、「江戸四話」、「木更津余話」、「水の匂い」、「永代橋春景色」の七編からなる短編集だが、短編は長編よりも読むのに時間がかかる。物語の展開というよりもある場面や情景を切り取っていることが多いせいで、わたしのような「物語好き」にはどこか物足りなさを感じるためだろう。とはいえ、短編には短編特有の深みと余韻があり、この作品には特にその余韻が見事に表現されていた。

 最初の三編は、隠居した油問屋の老人が、老いて剣術を学び初め、剣術の試合に勝ちたいと焦るあまりにことごとく負けていたが、その負けを通して、焦らず、動かず、平静に間合いをとることを学び取っていく姿を描いた「動かぬが勝」と、息子を殺されたために仇を討とうと老いて動けなくなってしまった父親と孫息子を抱えながら苦労を重ねてきた老人と孫が、ついに仇と巡り会い、幼い孫の「無心さ」によって目的がようやく果たされた姿を描いた「峠の剣」、幕末を生き残った剣客が右手を失って侍を捨てて百姓をしていたが、県令(県知事)の横暴さの中で、自分の右手を切り落とした薩摩示現流の遣い手と同じ遣い手に出会い、剣客として勝負に挑み、「剣の間合い」を取ることに苦心してその勝負には勝つが、相手が引き連れてきていた鉄砲隊によって殺されてしまうという姿を描いた「最後の剣客」である。

 この三編は、いずれも「剣」というものを通して、「不動であること」、「待つこと」、「無心であること」、「平静に間合いをとること」を、そうありたいと願っている人間の姿を描いたものである。

 残りの四編は、いずれも「剣」ということとは無関係に、商家や料理屋などの下働きとして苦労させられているまだ幼い少年たちの年に二回しかない休日である「藪入り」の日の姿を通してその思いを描き出したり、木更津の船頭の恋や賭場の用心棒にまで落ちぶれた侍が捨てられた子どもと出会って、その子と暮らすうちに侍を捨てて家庭を持とうとする話であったりするもので、それぞれが味のある作品になっている。

 短編には情景描写も短編特有の切れ味が必要で、たとえば木更津の船頭の恋を描いた「木更津余話」の中で、心中に失敗して晒し者になっている男女を見た主人公の「茂七」が初めて惚れた女が、かつて心中で死に損なって遊女になっている女で、その女との最後の場面が次のような情景で描かれている。

 「月の光を全身に浴び、豊かな乱れ髪を海風になびかせ、月光がきらきらと煌めく海面を吸い込まれるように見つめている。十六夜の月の光は、昏い海の底深くまで射しこんで、この世の苦も悩みもない、男と女が身も心もひとつに解け合える水底の浄土へととどいているようである。
 女が茂七を見て微笑んだ。そして、手招いた。」(167-168ページ)

 こういう描写によって、幻想的な情景の中で主人公が惚れた女の手を取って自分が憐れだと思っていた心中へ誘われていくことを想像させるような幕切れとなっている。それは、男女のひとつの究極の愛の成就でもあり得る心中に至る独特の心象風景でもあるだろう。

 作者は1934年生まれだから、これを出された時は73歳か74歳で、老成された文章が光っている作品でもあるような気がした。

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