2011年4月27日水曜日

鳥羽亮『子連れ侍平十郎 おれも武士』

 晴れてはいるが、上空を風がごうごと唸りを上げて吹き抜けているのが分かる日になった。午後から明日にかけて天気がくずれるとの予報が出ているし、東北地方でも豪雨が予想されている。雨は地震で緩んだ地盤では災害ももたらすし、放射能の土壌への染み込みが案じられし、復興の作業にも困るだろうが、舞い上がった粉塵を鎮め、すべてを洗い流してくれる気もする。

 昨夜は爽風に身を委ねながら、鳥羽亮『子連れ侍平十郎 おれも武士』(2009年 双葉社)を一息に読んだ。これは、先に読んだ『江戸の風花(子連れ侍平十郎)』(2004年 双葉社)の続編で、やはり、読ませる力量があって面白いと同時に、家族を大切にする現代的な視点もあると感じたりした。

 東北のある藩の政権争いに巻き込まれて、六歳になる娘の「千紗」のために娘を連れて江戸に出奔し、江戸で自分たち親子の窮乏を救ってくれた町道場の争いにも巻き込まれ、殺された道場主のひとり娘「佳江」の願いもあって道場を引き継いだ長岡平十郎は、上意討ち(主君の命によって討ち果たすこと)が降った執拗な藩の追手と、町道場の争いで破った男の凄腕の弟の両方から命を狙われるという二重の危機に直面する。

 長岡平十郎の命を狙う二組は、それぞれに剣の遣い手であり、町道場の争いに敗れた男の弟は、平十郎の道場の門弟たちを次々に殺していくし、藩の追手は、互いに思いを寄せ合うようになった「佳江」と娘の「千紗」を人質にとって、平十郎を争いの場に引きづり出そうとする。その危機の中で、それぞれに緊迫した争いが展開され、平十郎は「平常心」を取り戻すための修練を重ねて、これと対峙する。剣客どうしの争いが展開されていくのである。

 長岡平十郎は、彼を慕う門弟や元の藩の武士たちの助けもあって、何とかこの危機を乗り越えていく。そして、やがて国元の藩でも、彼を上意討ちにしようとした家老の衰退や状況の変化によって、彼への上意討ちが取り消され復藩が可能になる。だが、長岡平十郎は、初めの思いを貫いて、藩に戻らずに娘の「千紗」と相愛になった「佳江」を守って生きる道を選んでいくのである。

 作品の中で、病で母を亡くした娘の「千紗」(この作品では七歳になっているが)と、先の婚家で娘を亡くして出戻りとなっていた「佳江」が、互いに母娘としてお互いの絆を、特に人質とされた不安の中で強めていく話や、長岡平十郎と「佳江」の互いの思慕が深まっていく姿が丁寧に描かれて、このもまた物語の展開に深く味を添えるものとなっている。

 子どものために武士の一分を捨て、「子連れ侍」と揶揄されても、自分が愛し、大切に思うもののために生きることこそ「武士」という思いが、この表題となっていて、少なくてもわたしのような人間にとっては、それが読ませる力となっている。ただただ愛する者のために生きる、それは絶大な力と豊かさを持つ。剣の争いの場面でも、「平常心」をもつことの重要性が強調されているところが、すこぶるよい。もっとも、こういう武士の姿は最近の時代小説ではおなじみのものになっている感はあるが。

この作品は、先の『江戸の風花』との二作で完結しているのだが、またシリーズとなって書かれるかもっしれない。父親を慕い、案じ、またしっかり自分を保とうとする「千紗」の成長を見てみたい気もする。

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