激しく降り続いた雨が上がって晴れ間も見え始めた。洗濯をしながら、ふと、山本周五郎の短編『雨あがる』を思い起こしたりした。やるせなさに涙がこぼれる。
それはともかく、昨夜も前作に続いて上田秀人『闕所物奉行 裏帳合(三) 赤猫始末』(2010年 中公文庫)を面白く読んだ。
表題の「赤猫」というのは火事のことで、特に放火をさした言葉であることから、本書の全体が放火事件を取り扱ったものであることが推測できるようになっている。「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるほど、江戸は本当に多くの火事に見舞われ、人々は特に火事に対して神経質になっていたが、本書では、江戸町屋の火事ではなく、町火消しが出を出すことができなかった旗本屋敷の不審な出火が続いたことの裏にある政治的な陰謀に闕所物奉行の榊扇太郎が巻き込まれていく話となっている。
旗本屋敷が火元となって本所で火事が起こった。それに続いて八丁堀の旗本屋敷でも火が出た。失火であっても武家にとっては重罪で、お役御免になるか、最悪の場合は改易(取り潰し)された。だが、今回の失火元は、前将軍で、隠居してもなお大御所として権力を握っていた徳川家斉のお気に入りの旗本で、通常なら失火が握りつぶされるところが、改易となり、財産没収の闕所となった。
旗本屋敷の火事の調査は目付である鳥居耀蔵が行い、その手足として使われている榊扇太郎が調べてみると巧妙に仕組まれた放火の匂いがし、しかも、通常なら握りつぶされるはずの失火が改易となった裏に何かがあるとにらんだ鳥居耀蔵にその裏を探るように命じられる。
こういう政治がらみのことに可能なら関わりたくないと思っていた榊扇太郎であったが、大目付直々の命でその旗本の闕所に関わらねばならなくなり、しかも、闕所から得られた金は、普通の勘定方ではなく、大目付の処に直接収めるように命じられる。
旗本屋敷の火事はさらに相継ぎ、しかもそれらの旗本屋敷のすべてが大御所である徳川家斉の側近ばかりである。そこに不審を感じ、放火であることを明白にしようと調べを進めていく過程で、刺客集団に襲われていく。その刺客集団と死闘を繰り返しながら、放火の狙いを探っていくのである。
実は、それらの旗本屋敷の放火と改易に、「おっとせい将軍」と言われた家斉の子どもたちの養子縁組を有利にして、自分たちの地位の安泰を図ろうとする大目付を初めとする家斉側の金策があり、財を貯めていた旗本を改易し、その財産没収によって得た金で養子の持参金とするという策があったのである。そして、最終的な目的は、彼らと対立する老中水野忠邦の屋敷に放火し、これを改易に追い込もうとする陰謀が巡らされていたのである。
この放火に、品川一帯を牛耳じって江戸に進出しようし、放火を請け負っていた地回りと、榊扇太郎の闕所を行っていた浅草の顔役である天満屋幸吉との抗争もからみ、展開が多重となって物語に面白さが増し加えられている。単なる政権抗争だけでなく、地回り同士の縄張り争い、力を用いて人を利用するだけの人間の悪辣さが描き出されるのである。
そして、天満屋幸吉と共に、水野忠邦の屋敷が狙われていることを知った榊扇太郎が、その放火を未然に防いでいくのである。もちろん、水野忠邦も鳥居耀蔵も、そして天満屋幸吉も、人を利用する人間として描かれるのだが、そういう人間の中で、利用されていることを承知の上で、自分の身の廻りの者を守り、飄々と日々の暮らしを営んでいこうとする主人公の姿が光っていくのである。痛快といえばまさに痛快な姿ですらある。主人公がいい意味で現実主義的であるところが面白いし、政治に巻き込まれながらも非政治的であり、自分の営みを続けようとするところに、シリーズの作品としての醍醐味もある。いずれにしても、闕所物奉行という主人公の設定が卓越した設定となっている。
2011年5月30日月曜日
2011年5月27日金曜日
上田秀人『闕所物奉行 裏帳合(二) 蛮社始末』
重い雨模様の空が広がり、湿気を含んだ空気が流れていく。大型の台風2号が九州に接近しているとも聞く。梅雨入りが早まりそうだ。
昨夜も、前回に続いて、上田秀人『闕所物奉行 裏帳合(二) 蛮社始末』(2010年 中公文庫)を面白く読んだ。「妖怪」とまで言われた鳥居耀蔵の下で働かなければならない闕所物奉行である榊扇太郎の、清濁併せ呑んだような鷹揚な性格ながらも心根を持って生きて行く姿を描いたこのシリーズの二作目は、鳥居耀蔵が画策し行った出来事の中でも最悪の、時代を変えていくような出来事となった「蛮社の獄」(1839年)を取り扱ったものである。
「蛮社の獄」(1839年)は、蘭学者として活躍していた渡辺崋山や高野長英らを捕縛して、台頭してきていた蘭学への熱意を根こそぎ潰そうとした事件で、この小説では触れられていないが、1937年に「モリソン号事件(漂流していた漁民を助けて、これを日本に送り届けることで通商を開こうとしたアメリカ船を、幕府が異国船打払令で攻撃した)」が起こり、それへの警戒から西洋文化の学びである蘭学に対して江戸幕府は神経質になっていたのである。
その頃の社会は、1832-1837年にかけての天保の大飢饉が発生したり、1837年に大阪で大塩平八郎の乱が起こったり、欧米列国のアジア進出を受けたりして内憂外患の状態であり、揺らぎ始めた幕藩体制に対する危機意識も強く、特に、幕府が学問として唯一認めていた朱子学の牙城であった林家は蘭学に対して、それが国を危うくするものとして憎悪しており、「蛮社の獄」の弾圧の首謀者であった鳥居耀蔵は、その林家の出(三男)であり、いまの言葉で言えば「国粋主義的思想」の持ち主であった。
弾圧された蘭学者のリーダー的存在であった渡辺崋山が林家の弟子でありながらも蘭学に向かったことも鳥居耀蔵の憎悪をかったのかもしれない。同じ林家の学問を学んだ者として「崋山憎し」の思いが鳥居耀蔵にはあっただろう。1839年春に鳥居耀蔵は渡辺崋山の内偵を配下の者に命じ、その内偵の報告をもとに告発状を老中の水野忠邦に提出し、吟味のために全員が伝馬町の牢に入れられたのである(なお、幕臣であった江川英龍らは容疑から外された)。町奉行所の家宅捜索によって渡辺崋山の家から幕府を痛烈に批判した『慎機論』の原稿が見つかったことなどから、田原藩家老であった渡辺崋山は田原で蟄居、高野長英は永牢(終身刑)の判決が下され、この時代にキリストの伝記を翻訳していた小関三英は出頭が命じられた時に自宅で自決していた。
こうした一連の歴史的出来事を背景に、闕所となった高野長英の自宅の財産没収作業を命じられた闕所物奉行である榊扇太郎が、その屋敷から一つの書状を発見し、それが幕府転覆計画を記したものであったというのが、本書の物語の骨格となっている。もちろん、歴史的には高野長英が幕府転覆を企んだ事実はない。しかし、渡辺崋山の自宅から幕政を痛烈に批判した『慎機論』が見つかったことに合わせて、このような物語の設定がされているのである。
だが、その書状は蘭学を憎んでいた鳥居耀蔵が蘭学者たちを処罰するためにしくんだ陰謀であり、そのことを知った榊扇太郎が、鳥居耀蔵の下で働きながらも、知り合った吉原会所の惣名主や江戸の顔役たちの助けを得ながら、老中の水野忠邦をうまく利用して、大罪にさせないための工夫をしていくのである。水野忠邦もまた、幕臣を罪に定めたくなかったし、対象となっていた幕臣の江川英龍(本書では江川太郎左衛門)を推挙した手前、自分の保身を図らなければならないという事情があって、榊扇太郎に圧力をかけていくのである。
榊扇太郎は鳥居耀蔵と水野忠邦の二重の圧力の中で、自らの生きのびる道を探していく。鳥居耀蔵の配下にある自分が鳥居耀蔵の企みを明るみに出せば、鳥居耀蔵によってお役御免となり、そのことによって、元々岡場所の闕所物であり、お役御免になれば吉原に売られなければならない「朱鷺」も苦界に沈むことになるからである。榊扇太郎と「朱鷺」は、身体を重ねることで情を温める中となり、扇太郎は「朱鷺」を守るためにも、鳥居耀蔵の陰謀を砕きつつも、鳥居耀蔵の意を損なわないような道を選ばなければならなかったのである。
この展開の中で、水野忠邦によって推し進められた天保の改革の倹約令に触れたということで小間物を扱う大店が「贅沢のため」に重追放・闕所となり、その闕所を榊扇太郎が行い、そこからその小間物屋に江川英龍(太郎左衛門)が注文していた平賀源内の「エレキテル」の部品の細工物の注文が出てくるといったことで、蘭学の江川英龍と対立していた鳥居耀蔵の暗躍が始まるという構成がとられている。榊扇太郎は関東沿岸巡視で江川太郎左衛門を知っており、彼に類が及ばないように苦慮していくのである(実際は、江川英龍は高野長英とは面識もなかったが、江川英龍と鳥居耀蔵が関東沿岸巡視で反目しあっていたのは事実である)。
幕政内における権力闘争と自己の正論を振り回し上昇志向が強い上司、その下で働かなければならない下級役人が、現実に対応して清濁併せ呑むような鷹揚な人格とそれによって得た信頼だけを頼りに、難局を切り抜けて、自分が大切にしたいと思う者を守っていこうとする姿、そしてそれが少しも卑屈ではなく爽快である姿、そういう姿が主人公を通して描かれ、しかもそれが歴史の狭間として描き出され、その日常が生き生きとして描かれるので第二作目である本書も面白く読めた。こういう類の作品は、成功すれば本当に面白いし、また成功していると思っている。
昨夜も、前回に続いて、上田秀人『闕所物奉行 裏帳合(二) 蛮社始末』(2010年 中公文庫)を面白く読んだ。「妖怪」とまで言われた鳥居耀蔵の下で働かなければならない闕所物奉行である榊扇太郎の、清濁併せ呑んだような鷹揚な性格ながらも心根を持って生きて行く姿を描いたこのシリーズの二作目は、鳥居耀蔵が画策し行った出来事の中でも最悪の、時代を変えていくような出来事となった「蛮社の獄」(1839年)を取り扱ったものである。
「蛮社の獄」(1839年)は、蘭学者として活躍していた渡辺崋山や高野長英らを捕縛して、台頭してきていた蘭学への熱意を根こそぎ潰そうとした事件で、この小説では触れられていないが、1937年に「モリソン号事件(漂流していた漁民を助けて、これを日本に送り届けることで通商を開こうとしたアメリカ船を、幕府が異国船打払令で攻撃した)」が起こり、それへの警戒から西洋文化の学びである蘭学に対して江戸幕府は神経質になっていたのである。
その頃の社会は、1832-1837年にかけての天保の大飢饉が発生したり、1837年に大阪で大塩平八郎の乱が起こったり、欧米列国のアジア進出を受けたりして内憂外患の状態であり、揺らぎ始めた幕藩体制に対する危機意識も強く、特に、幕府が学問として唯一認めていた朱子学の牙城であった林家は蘭学に対して、それが国を危うくするものとして憎悪しており、「蛮社の獄」の弾圧の首謀者であった鳥居耀蔵は、その林家の出(三男)であり、いまの言葉で言えば「国粋主義的思想」の持ち主であった。
弾圧された蘭学者のリーダー的存在であった渡辺崋山が林家の弟子でありながらも蘭学に向かったことも鳥居耀蔵の憎悪をかったのかもしれない。同じ林家の学問を学んだ者として「崋山憎し」の思いが鳥居耀蔵にはあっただろう。1839年春に鳥居耀蔵は渡辺崋山の内偵を配下の者に命じ、その内偵の報告をもとに告発状を老中の水野忠邦に提出し、吟味のために全員が伝馬町の牢に入れられたのである(なお、幕臣であった江川英龍らは容疑から外された)。町奉行所の家宅捜索によって渡辺崋山の家から幕府を痛烈に批判した『慎機論』の原稿が見つかったことなどから、田原藩家老であった渡辺崋山は田原で蟄居、高野長英は永牢(終身刑)の判決が下され、この時代にキリストの伝記を翻訳していた小関三英は出頭が命じられた時に自宅で自決していた。
こうした一連の歴史的出来事を背景に、闕所となった高野長英の自宅の財産没収作業を命じられた闕所物奉行である榊扇太郎が、その屋敷から一つの書状を発見し、それが幕府転覆計画を記したものであったというのが、本書の物語の骨格となっている。もちろん、歴史的には高野長英が幕府転覆を企んだ事実はない。しかし、渡辺崋山の自宅から幕政を痛烈に批判した『慎機論』が見つかったことに合わせて、このような物語の設定がされているのである。
だが、その書状は蘭学を憎んでいた鳥居耀蔵が蘭学者たちを処罰するためにしくんだ陰謀であり、そのことを知った榊扇太郎が、鳥居耀蔵の下で働きながらも、知り合った吉原会所の惣名主や江戸の顔役たちの助けを得ながら、老中の水野忠邦をうまく利用して、大罪にさせないための工夫をしていくのである。水野忠邦もまた、幕臣を罪に定めたくなかったし、対象となっていた幕臣の江川英龍(本書では江川太郎左衛門)を推挙した手前、自分の保身を図らなければならないという事情があって、榊扇太郎に圧力をかけていくのである。
榊扇太郎は鳥居耀蔵と水野忠邦の二重の圧力の中で、自らの生きのびる道を探していく。鳥居耀蔵の配下にある自分が鳥居耀蔵の企みを明るみに出せば、鳥居耀蔵によってお役御免となり、そのことによって、元々岡場所の闕所物であり、お役御免になれば吉原に売られなければならない「朱鷺」も苦界に沈むことになるからである。榊扇太郎と「朱鷺」は、身体を重ねることで情を温める中となり、扇太郎は「朱鷺」を守るためにも、鳥居耀蔵の陰謀を砕きつつも、鳥居耀蔵の意を損なわないような道を選ばなければならなかったのである。
この展開の中で、水野忠邦によって推し進められた天保の改革の倹約令に触れたということで小間物を扱う大店が「贅沢のため」に重追放・闕所となり、その闕所を榊扇太郎が行い、そこからその小間物屋に江川英龍(太郎左衛門)が注文していた平賀源内の「エレキテル」の部品の細工物の注文が出てくるといったことで、蘭学の江川英龍と対立していた鳥居耀蔵の暗躍が始まるという構成がとられている。榊扇太郎は関東沿岸巡視で江川太郎左衛門を知っており、彼に類が及ばないように苦慮していくのである(実際は、江川英龍は高野長英とは面識もなかったが、江川英龍と鳥居耀蔵が関東沿岸巡視で反目しあっていたのは事実である)。
幕政内における権力闘争と自己の正論を振り回し上昇志向が強い上司、その下で働かなければならない下級役人が、現実に対応して清濁併せ呑むような鷹揚な人格とそれによって得た信頼だけを頼りに、難局を切り抜けて、自分が大切にしたいと思う者を守っていこうとする姿、そしてそれが少しも卑屈ではなく爽快である姿、そういう姿が主人公を通して描かれ、しかもそれが歴史の狭間として描き出され、その日常が生き生きとして描かれるので第二作目である本書も面白く読めた。こういう類の作品は、成功すれば本当に面白いし、また成功していると思っている。
2011年5月25日水曜日
上田秀人『闕所物奉行 裏帳合(一) 御免状始末』
昨日までぐずついていた天気が変わって、蒼空が広がっている。だが、この好天も今日だけで、明日からまた崩れるという。九州南部では梅雨入りの宣言がされた。このところ寝不足が続いて身体が重く感じられていたのだが、以前やっていた木刀の素振りを就寝前に再開することにしたので、今夜はよく眠れるような気がする。
昨夜は、以前に同級生のM氏からいただいていた上田秀人『闕所物奉行 裏帳合(一) 御免状始末』(2009年 中公文庫)に読みふけっていた。
作者は、文庫本のカバーによれば、1959年、大阪府出身の現役の歯科医で、歯科医院を開業しながら執筆され、1997年に『身代わり吉右衛門』で第20回小説クラブ新人賞佳作に入選され、2001年に作家デビューされたとある。この十数年の間に、既に『三田村元八郎』シリーズや『奥右筆秘帳』シリーズなどのいくつかのシリーズ物を出されて、かなり精力的に執筆されているようだ。歯科医院という多忙さの中で、夜に執筆されているようだが、しっかりした歴史考証に裏づけられた着想が素晴らしく、作品の出来はかなり上質で、作者の人柄がにじみ出るような作品になっている。
「闕所物奉行(けっしょものぶぎょう)」というのは、町奉行所から重罪の判決を受けた者の財産没収のための働きをする者で、死罪や追放刑には、その財産を没収する「闕所(けっしょ)」と呼ばれる刑罰がつけられ、刑罰の重さで没収される財産も決められていたが、その財産の管理や競売に携わり、売却代金を幕府の勘定方(計理)に納付することを担当したのが「闕所物奉行」であった。財産没収行政官のような仕事であった。
「奉行」という名称がつけられていても、身分は、大目付(旗本以上の士分の者を検察する)の支配下に置かれて、お目見え以下(将軍に謁見できない)の下級の御家人で、町奉行所同心と同じようなものだった。特別な役料はなかったようだが、総じて百俵五人扶持で、自宅を役所として使い、数名の手代(手代も御家人)を置かなければならなかったから貧乏御家人であることに変わりはなかった。ただ、「闕所」として没収した財産の一割程度が上納(手数料)として暗黙に認められていたから、それで何とか勤めが果たせるようなものだった。悪辣な人物であれば、町奉行所と結託して闕所を増やして私腹を肥やす者もあったらしい。
こういう役職の者を主人公にした作品に初めて出会った。「闕所」となって財産を没収されるような者の中には、ある程度の身分や財産を持つ者があったのだし、町人でも有力者などがあったのだから、そこには人生を狂わしてしまうような大きな背景が考えられるし、そこから人が転落していくことに携わるのだから、社会と人間の裏を描くには最適の役職かも知れないと改めて思い、主人公の設定からして作者の着想に脱帽した。
本書の主人公であり「闕所物奉行」である榊扇太郎は、八十俵(年収二十四両程度)の貧乏御家人で、両親はなくなり、姉も他家に嫁いだ気楽な一人暮らしをしており、目付であった鳥居耀蔵の下で働くお小人目付(目付の使い走り)であったが、鳥居耀蔵が自分の手足として使うために「闕所物奉行」に取り立てた人物である。
彼の上司が鳥居耀蔵であるというのも、なかなか卓越した設定で、いわば自分の狭隘な正義感や正論を盾にして、自己中心的で出世欲の強い上司の下で、いやいやその命に服さなければならない立場が設定されているわけで、その中を暢気で、鷹揚で、清濁併せ呑んだような思いやりもある主人公が、幕藩体制を揺るがすような事件とも関わりながら生き抜いていく姿が、巧みな筆致で描き出されていくのである。
このシリーズの一作目である本書は、音羽桜木町にあった岡場所(遊郭)で、田舎侍として馬鹿にされた水戸守山藩(現:福島県郡山市)の藩士の仕返しに守山藩が総出で出てきて、鉄砲を放ち、遊郭を引き壊した事件で、遊郭の主が追放、闕所となり、「闕所物奉行」として榊扇太郎が、「闕所」物の値をつけて競売にかける古着屋の天満屋幸吉と共に闕所始末に当たるところから始まる。
この天満屋幸吉というのが、また、なかなか面白い人物で、古着屋を営みながら、実は浅草一帯を縄張りとするやり手の顔役(縄張り内の裏を統括する者)で、その世界の実力者でもあるというのである。
幕政の裏を探り、出世を目論む鳥居耀蔵は、城下で鉄砲を放ちながらもお咎めなしとなった守山藩の裏を探るように榊扇太郎に命じ、榊扇太郎が闕所となった遊郭に行ってみると、そこで働いていた者たちが立て籠もり、遊女を人質にしていた。その時代に珍しく剣術ばかりしていた榊扇太郎は、立て籠もっていた者たちを片づけるが、その時人質となっていた遊女のひとりが傷を受けてしまう。
岡場所の遊女も闕所物のひとつであり、幕府から公認されていない岡場所の遊女たちは、捕縛されると吉原に売られ、そこで一生を過ごさなければならない。しかし、闕所物のすべてを引き受けた天満屋幸吉は、後日、その傷を受けた「朱鷺」という美貌の遊女を榊扇太郎のもとへ連れてきて、行き場所がないから引き取れと言ってくる。闕所物奉行である榊扇太郎を自家薬籠中のものにするためである。
榊扇太郎はそのことを承知の上で、行き場所のないということを聞いて、仕方なしに女中として引き取ることにする。「朱鷺」は、旗本の娘で、借金の形に遊女に売られた女性で、美貌であるが影が深く、ほとんど口をきかない女性であった。
ところが、闕所となった岡場所の遊郭の主が殺され、そこで働いていた者たちが殺され、吉原に売られた遊女たちのすべても殺されて、榊扇太郎に引き取られている「朱鷺」も命を狙われるということが起こる。吉原の遊女たちを殺し、「朱鷺」の命を狙ったのは、吉原の「忘八」たちだった。
「忘八」は、吉原の遊郭の下働きをする者たちだが、何らかの罪を犯したりして一種の治外法権だった吉原に逃げ込み、すべてを忘れて吉原を守るために働く者で、通常は、そこの遊女を守るはずなのに、それが遊女を殺したのである。そのことに不審を感じた榊扇太郎は、単身、吉原に乗り込み、その惣名主を務める西田屋甚右衛門と会い、榊扇太郎の物怖じしない正直さに感じ入った西田屋から吉原もまた上から脅されて、やむを得ずにそのような行為を行ったことを知るのである。
その裏には、将軍位を狙う水戸藩主の思惑と幕閣内での権力争いが渦巻いていたのであり、吉原の存亡がかかった家康の御免状をめぐった脅迫があったのであり、「朱鷺」や榊扇太郎自身の命も狙われ、それに縄張り争いをする顔役どうしの天満屋幸吉をめぐる争いもあったのである。
榊扇太郎は吉原と力を合わせて、それらの陰謀と立ち向かい、吉原を窮状から救い出し、水戸藩主の陰謀を打ち砕いて、「朱鷺」の命も守っていく。こうして「朱鷺」とひとつになり、吉原の信用も得て、下級役人であり、人を道具にしか利用しない鳥居耀蔵のもとではあるが、「闕所物奉行」としての活躍が始まっていくのである。
ここには老中であった水野忠邦や鳥居耀蔵などによる幕政での政治的思惑や私欲、吉原、したたかな土地の顔役などの実情なども味よく盛り込まれて、しかも深い影を背負った「朱鷺」が主人公との交わりを通して人間らしさを取り戻していく姿や、主人公の葛藤などが生活の姿として描かれていて、時代小説の醍醐味も充分盛り込まれている。
作者の力量は相当なもので、二作目も続けて読むことにした。
昨夜は、以前に同級生のM氏からいただいていた上田秀人『闕所物奉行 裏帳合(一) 御免状始末』(2009年 中公文庫)に読みふけっていた。
作者は、文庫本のカバーによれば、1959年、大阪府出身の現役の歯科医で、歯科医院を開業しながら執筆され、1997年に『身代わり吉右衛門』で第20回小説クラブ新人賞佳作に入選され、2001年に作家デビューされたとある。この十数年の間に、既に『三田村元八郎』シリーズや『奥右筆秘帳』シリーズなどのいくつかのシリーズ物を出されて、かなり精力的に執筆されているようだ。歯科医院という多忙さの中で、夜に執筆されているようだが、しっかりした歴史考証に裏づけられた着想が素晴らしく、作品の出来はかなり上質で、作者の人柄がにじみ出るような作品になっている。
「闕所物奉行(けっしょものぶぎょう)」というのは、町奉行所から重罪の判決を受けた者の財産没収のための働きをする者で、死罪や追放刑には、その財産を没収する「闕所(けっしょ)」と呼ばれる刑罰がつけられ、刑罰の重さで没収される財産も決められていたが、その財産の管理や競売に携わり、売却代金を幕府の勘定方(計理)に納付することを担当したのが「闕所物奉行」であった。財産没収行政官のような仕事であった。
「奉行」という名称がつけられていても、身分は、大目付(旗本以上の士分の者を検察する)の支配下に置かれて、お目見え以下(将軍に謁見できない)の下級の御家人で、町奉行所同心と同じようなものだった。特別な役料はなかったようだが、総じて百俵五人扶持で、自宅を役所として使い、数名の手代(手代も御家人)を置かなければならなかったから貧乏御家人であることに変わりはなかった。ただ、「闕所」として没収した財産の一割程度が上納(手数料)として暗黙に認められていたから、それで何とか勤めが果たせるようなものだった。悪辣な人物であれば、町奉行所と結託して闕所を増やして私腹を肥やす者もあったらしい。
こういう役職の者を主人公にした作品に初めて出会った。「闕所」となって財産を没収されるような者の中には、ある程度の身分や財産を持つ者があったのだし、町人でも有力者などがあったのだから、そこには人生を狂わしてしまうような大きな背景が考えられるし、そこから人が転落していくことに携わるのだから、社会と人間の裏を描くには最適の役職かも知れないと改めて思い、主人公の設定からして作者の着想に脱帽した。
本書の主人公であり「闕所物奉行」である榊扇太郎は、八十俵(年収二十四両程度)の貧乏御家人で、両親はなくなり、姉も他家に嫁いだ気楽な一人暮らしをしており、目付であった鳥居耀蔵の下で働くお小人目付(目付の使い走り)であったが、鳥居耀蔵が自分の手足として使うために「闕所物奉行」に取り立てた人物である。
彼の上司が鳥居耀蔵であるというのも、なかなか卓越した設定で、いわば自分の狭隘な正義感や正論を盾にして、自己中心的で出世欲の強い上司の下で、いやいやその命に服さなければならない立場が設定されているわけで、その中を暢気で、鷹揚で、清濁併せ呑んだような思いやりもある主人公が、幕藩体制を揺るがすような事件とも関わりながら生き抜いていく姿が、巧みな筆致で描き出されていくのである。
このシリーズの一作目である本書は、音羽桜木町にあった岡場所(遊郭)で、田舎侍として馬鹿にされた水戸守山藩(現:福島県郡山市)の藩士の仕返しに守山藩が総出で出てきて、鉄砲を放ち、遊郭を引き壊した事件で、遊郭の主が追放、闕所となり、「闕所物奉行」として榊扇太郎が、「闕所」物の値をつけて競売にかける古着屋の天満屋幸吉と共に闕所始末に当たるところから始まる。
この天満屋幸吉というのが、また、なかなか面白い人物で、古着屋を営みながら、実は浅草一帯を縄張りとするやり手の顔役(縄張り内の裏を統括する者)で、その世界の実力者でもあるというのである。
幕政の裏を探り、出世を目論む鳥居耀蔵は、城下で鉄砲を放ちながらもお咎めなしとなった守山藩の裏を探るように榊扇太郎に命じ、榊扇太郎が闕所となった遊郭に行ってみると、そこで働いていた者たちが立て籠もり、遊女を人質にしていた。その時代に珍しく剣術ばかりしていた榊扇太郎は、立て籠もっていた者たちを片づけるが、その時人質となっていた遊女のひとりが傷を受けてしまう。
岡場所の遊女も闕所物のひとつであり、幕府から公認されていない岡場所の遊女たちは、捕縛されると吉原に売られ、そこで一生を過ごさなければならない。しかし、闕所物のすべてを引き受けた天満屋幸吉は、後日、その傷を受けた「朱鷺」という美貌の遊女を榊扇太郎のもとへ連れてきて、行き場所がないから引き取れと言ってくる。闕所物奉行である榊扇太郎を自家薬籠中のものにするためである。
榊扇太郎はそのことを承知の上で、行き場所のないということを聞いて、仕方なしに女中として引き取ることにする。「朱鷺」は、旗本の娘で、借金の形に遊女に売られた女性で、美貌であるが影が深く、ほとんど口をきかない女性であった。
ところが、闕所となった岡場所の遊郭の主が殺され、そこで働いていた者たちが殺され、吉原に売られた遊女たちのすべても殺されて、榊扇太郎に引き取られている「朱鷺」も命を狙われるということが起こる。吉原の遊女たちを殺し、「朱鷺」の命を狙ったのは、吉原の「忘八」たちだった。
「忘八」は、吉原の遊郭の下働きをする者たちだが、何らかの罪を犯したりして一種の治外法権だった吉原に逃げ込み、すべてを忘れて吉原を守るために働く者で、通常は、そこの遊女を守るはずなのに、それが遊女を殺したのである。そのことに不審を感じた榊扇太郎は、単身、吉原に乗り込み、その惣名主を務める西田屋甚右衛門と会い、榊扇太郎の物怖じしない正直さに感じ入った西田屋から吉原もまた上から脅されて、やむを得ずにそのような行為を行ったことを知るのである。
その裏には、将軍位を狙う水戸藩主の思惑と幕閣内での権力争いが渦巻いていたのであり、吉原の存亡がかかった家康の御免状をめぐった脅迫があったのであり、「朱鷺」や榊扇太郎自身の命も狙われ、それに縄張り争いをする顔役どうしの天満屋幸吉をめぐる争いもあったのである。
榊扇太郎は吉原と力を合わせて、それらの陰謀と立ち向かい、吉原を窮状から救い出し、水戸藩主の陰謀を打ち砕いて、「朱鷺」の命も守っていく。こうして「朱鷺」とひとつになり、吉原の信用も得て、下級役人であり、人を道具にしか利用しない鳥居耀蔵のもとではあるが、「闕所物奉行」としての活躍が始まっていくのである。
ここには老中であった水野忠邦や鳥居耀蔵などによる幕政での政治的思惑や私欲、吉原、したたかな土地の顔役などの実情なども味よく盛り込まれて、しかも深い影を背負った「朱鷺」が主人公との交わりを通して人間らしさを取り戻していく姿や、主人公の葛藤などが生活の姿として描かれていて、時代小説の醍醐味も充分盛り込まれている。
作者の力量は相当なもので、二作目も続けて読むことにした。
2011年5月23日月曜日
山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集2 惑う』(2)
昨日の午後から雨が降り出し、気温が急激に下がって、一昨日の半分ほどの低温になった。今日も雨模様で若干の寒ささえ感じる。少し疲労が蓄積しているような感じがして、脳細胞もなかなかうまく働いてくれないのだが、起き出して溜まっている書類を片づけたりしていた。
さて、山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集2 惑う』(2005年 小学館)に収められている「おたふく」、「妹の縁談」、「湯治」についてだが、主人公の「おしず」が素晴らしく素敵な女性なので、ここで改めて記しておきたいと思ったのだが、作品が発表された順番が、主人公の「おしず」の歩みを遡る形で書かれているので、ここではこの三作を合わせた形で、まず「妹の縁談」と「湯治」について触れ、それから「おたふく」へと進んで行くことにする。
「おしず」は、指物職人をしていた凝り性の父と、その父に黙ってついていくような母との間に生まれた長女で、上に兄が二人と妹の「おたか」がいる。長兄は縫箔職人となり、既に所帯を持って家を出ている。だが、次兄の「栄二」は、版下彫りの弟子に入ったが、書物好きが災いしたのか、幕政を批判して改革を目論む浪人たちの仲間となり、禁制になっている山県大弐の『柳子新論』という書物をもっていたところを幕史に捕らえられ、三年間入牢させられ、五年間の江戸所払いとなっていた。
この次兄の「栄二」は、「この悪い世の中をひっくり返して、みんなが仕合わせになれるようにしようとしているんだ」と言って、母や妹たちから金をせびり、それでは足りないと怒り、着物などを質入れさせて、その大儀のために家族からむりやり金をせびっていく暮らしをしていた(「妹の縁談」、本書115ページ)。ときおり帰ってきては、「世の中のためだ、みんなのためだ」と言って、母親や妹たちを見下したようにして金をせびっては、またどこかへ行ってしまうという具合だった。
そんなことで、近所へも肩身が狭くなり、だんだん居辛くなって、「おしず」が二十一の年に、日本橋の長谷川町へ転居せざるを得なくなり、「おしず」が端唄や長唄を教え、「おたか」が仕立屋に勤めながら両親を養って、近所とは義理を欠かない程度に暮らしている。「おしず」も「おたか」も、近所での評判の器量よしだが、次兄の「栄二」のことや両親を養わなければないこともあって、婚期をはるかに逃した年齢になっているし、端唄や長唄を教えていることから、「おしず」には誰か金持ちの旦那がいるのではないかと噂されたりもしている。
しかし、そんな中で「おしず」は、天性の底抜けの素直さと明るさがあり、あっけんからんとしていて、姉妹二人の口から人の悪口や非難、恨みや嘆きなどが語られることは決してなく、「おしず」を知る者は、「みんながおしずさんのような人だったら、世の中はもっと住みよくなるわねえ」(118ページ)と言われたりする。
たとえば、端唄や長唄を教えながらも師匠の所に手直しに行った時など、手直しに行くたびに変な癖がついていて、師匠から注意されると「あらそうかしら」と言って、もう一度師匠にやってもらうと、子どものようにあけっ放しに感心しながら、「あらほんと、ふしぎねえ、どうしたんでしょう」と言ったりする。
そのあたりの師匠との会話で「おしず」らしさがよく表されているので、少し抜き書きしてみる。
「あらほんと、ふしぎねえ、どうしたんでしょう」
「ふしぎなのはこっちだよ、また出稽古先の近所に常磐津の師匠でもいるんじゃないのか」
そう云われると思い出すらしい。
「あらいやだ、お師匠さん知ってらっしゃるんですか」
「知りゃあしないさ、いつもの伝だからそんなこったろうと思ったんだ、とにかくまあ近くにほかの稽古所のある処は除けるんだね」
「そうねえ、孟母三遷ってこれだわねえ」
「なんだって・・・・孟母・・・」
「あら違ったかしら、君子のほうかしら」
にこにこ笑って舌を出すのである。当人としてはちょっと気の利いた合槌のつもりであるが、このへんで勘斎翁(師匠)はたいてい絶句するのであった」(「妹の縁談」102ページ)。
「おしず」という女性は、万事、こんなふうなのである。お弟子さんをとるときでも、自分であまりうまいほうではないと言うことをよく承知していて、はにかみながら、「ほんとに覚えたいのならよそのお師匠さんのところへいらっしゃい、あたしのはほんのまにあわせなんですから」と言うのが常であったが、「おしず」の底抜けのすなおさや明るさ、小さな子どもでもつい笑い出すようなことを平気で言ったりする話がひどく面白くて、桁外れな「頓狂」なことを言うが、本人はいたって真面目で、そこがまた面白くて、弟子たちよりもその家族に好かれるといった具合なのである(108ページ)。
この「おしず」が、妹の「おたか」の幸せを願って、その縁談に奔走するのが「妹の縁談」で、姉をおいて自分だけ嫁に行けないという「おたか」のために、縁談先に行き、正直にすべてを話して、「でも、あのこは本当にお宅へ来たがっているんです、そしてあたしもぜひ貰って頂きたいんです」と、その思いを素朴に伝えるのである。
「おしず」は、子どもの頃から、人から騙されても、自分が騙されたとは思わない娘だった。お使いを頼まれて出かけた途中で、猿回しに見とれていたときに、ひとりの男の子が「おいらが使いに行ってやるから、おめえは此処で見て待ってな」と言って「おしず」から小銭を受け取ってどこかにいってしまっても、「おしず」は日暮れまでずっと待ち続け、何日も何日もそこに行って男の子を待ち続け、ついに男の子が根負けして金を返すということがあったりした(「湯治」139-140ページ)。
その「おしず」が、妹の婚礼を控えて、「世の中のため」といって大儀を振りかざしては金をせびる次兄の「栄二」と真正面から対峙して、「貧しくって困っている自分たちから金を巻き上げて、何が世の中のためだ」と言い切りながらも、栄二が出ていくと、大切にしていた衣類を掴みだして、「栄二兄さーん」と追いかけていくのである。
そして、この「おしず」が、長い間思いを胸に秘めていた男との結婚とその夫婦の姿を描いたのが「おたふく」である。
「おしず」が長唄の出稽古に行って親しく行き来するようになっていた著名な彫金家の弟子に「貞次郎」という職人がいて、彼は、師を凌ほどの腕をもっていたが、性格が狷介なのと酒好きとで、三十四五歳になっても独身だった。その彫金家に出入りするうちに、「おしず」は密かにその「貞二郎」を想うようになっていたのである。しかし、相手は江戸中に名を知られた職人だし、「おしず」の家の事情もあり、彼女の歳のこともあり、その恋がかなうとはとうてい思えなかったのである。
だが、「おしず」の想いは強く、せめてその人が彫ったものだけでも身につけたいと思って、金を貯めては「貞二郎」が作る細工物をひとつひとつ人に頼んで密かに買い集めたりしていた。彼女は、もう三十六歳になるが、彼女の想いはずっと一途だった。
他方、「貞二郎」は武家育ちだが非凡で、仕事にかかると飯も忘れるほど没頭する性格だったが、酒好きとなり、仕事はできても酒に溺れるほどで、師匠夫婦も先行きを案じて、縁談話を持ち出すが、決してそれを受けつけなかった。そして、先行きを案じていた矢先に、ふとしたことで「貞二郎」の嫁として「おしず」の名前があがるのである。いままで縁談には見向きもしなかった「貞二郎」は、その話を聞くと、即座に「宜しくお願いします」といって、自分から進んで住む家を探し始めたりする。「貞二郎」も「おしず」に対する密かな想いがあったのである。
こうして、「貞二郎」と「おしず」は、晴れて夫婦となり、相愛の二人は、人もうらやむほど仲がいい。「おしず」は「貞二郎」のために細々と世話をし、職人気質の「貞二郎」もそれを喜ぶようになっていく。それは、こういう女性と暮らすと、本当に楽しいだろうな、と思われるような暮らしぶりである。
だが、あるとき、ふとしたことで「貞二郎」は、「おしず」の持ち物の中に、かつて自分が彫って大店の贔屓筋に収めたことがある細工物があることを知る。それも、ひとつやふたつではない。そして、かなりな男物の衣類が箪笥に入れられていることを知る。そのことで「貞二郎」は、「おしず」が大店の贔屓筋の囲い者だったのではないかと疑い、悋気に身を焼くようになっていく。酒浸りが始まる。「おしず」に対する態度も変わり、「おしず」もとまどうようになる。
ある夜、妹の「おたか」と行き違いになって、「おしず」が留守のときに「おたか」が訪ねてくる。「貞二郎」は、ついに「おしず」が持っていた自分の細工物や男物の着物を出してきて、「おしず」のことを聞く。そして、「おたか」から「おしず」がいかに「貞二郎」のことを想っていたか、「貞二郎」が作ったものをせめて身につけたいと大店の主に頼んで買い集めたか、「貞二郎」のことを想って着る当てもない着物を縫い続けたかを聞かされるのである。
「貞二郎」は、「あいつがいなければ、おれはもうあがきもつきゃあしない」と言い、自分が馬鹿げた勘ぐりをして悋気を起こしていた、どうかゆるしてくれ、と「おたか」に語り、「おたか」は「姉さん、聞いて、貞さんのいま云ったこと、聞いたわね、・・・苦労のしがいがあったわね、姉さん、本望だわね」といって涙を流す(98ページ)。
そして、そこに「おしず」が帰ってきて、相変わらずの頓狂さに笑い転げ、「おしず」は「貞二郎」が元に戻ってくれたことを喜ぶのである。「おしず」の温かさがすべてを氷解させていく光景で「おたふく」は終わる。
こういう底抜けに素直で素朴で、いまの言葉で言えば「だいぶ天然」で、正直で、物事を決して悪くとらないような女性、しかも、地に足がついているようにして生きていく女性、それは作者の理想像のひとつだったかもしれないが、それが物語の中で生き生きと描き出されて、作品としても優れたものになっている。人が生き生きと生きている姿をこの作品群は見事に描き出すと同時に、借り物の「大儀」を振りかざしたり、世評に振り回されたりして生きることがいかに意味のないことかも静かに語っている。「おしず」という愛すべき女性の姿を通して、苦労の多い中でも喜んで生きることができる人間の姿が描き出されているのである。
いずれにしろ、小学館から出されているこの『山本周五郎中短編秀作選集』は、全五巻を買いそろえて蔵書のひとつにしたいと思っている。時代小説の神髄のようなものがここにあるような気がするからである。
さて、山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集2 惑う』(2005年 小学館)に収められている「おたふく」、「妹の縁談」、「湯治」についてだが、主人公の「おしず」が素晴らしく素敵な女性なので、ここで改めて記しておきたいと思ったのだが、作品が発表された順番が、主人公の「おしず」の歩みを遡る形で書かれているので、ここではこの三作を合わせた形で、まず「妹の縁談」と「湯治」について触れ、それから「おたふく」へと進んで行くことにする。
「おしず」は、指物職人をしていた凝り性の父と、その父に黙ってついていくような母との間に生まれた長女で、上に兄が二人と妹の「おたか」がいる。長兄は縫箔職人となり、既に所帯を持って家を出ている。だが、次兄の「栄二」は、版下彫りの弟子に入ったが、書物好きが災いしたのか、幕政を批判して改革を目論む浪人たちの仲間となり、禁制になっている山県大弐の『柳子新論』という書物をもっていたところを幕史に捕らえられ、三年間入牢させられ、五年間の江戸所払いとなっていた。
この次兄の「栄二」は、「この悪い世の中をひっくり返して、みんなが仕合わせになれるようにしようとしているんだ」と言って、母や妹たちから金をせびり、それでは足りないと怒り、着物などを質入れさせて、その大儀のために家族からむりやり金をせびっていく暮らしをしていた(「妹の縁談」、本書115ページ)。ときおり帰ってきては、「世の中のためだ、みんなのためだ」と言って、母親や妹たちを見下したようにして金をせびっては、またどこかへ行ってしまうという具合だった。
そんなことで、近所へも肩身が狭くなり、だんだん居辛くなって、「おしず」が二十一の年に、日本橋の長谷川町へ転居せざるを得なくなり、「おしず」が端唄や長唄を教え、「おたか」が仕立屋に勤めながら両親を養って、近所とは義理を欠かない程度に暮らしている。「おしず」も「おたか」も、近所での評判の器量よしだが、次兄の「栄二」のことや両親を養わなければないこともあって、婚期をはるかに逃した年齢になっているし、端唄や長唄を教えていることから、「おしず」には誰か金持ちの旦那がいるのではないかと噂されたりもしている。
しかし、そんな中で「おしず」は、天性の底抜けの素直さと明るさがあり、あっけんからんとしていて、姉妹二人の口から人の悪口や非難、恨みや嘆きなどが語られることは決してなく、「おしず」を知る者は、「みんながおしずさんのような人だったら、世の中はもっと住みよくなるわねえ」(118ページ)と言われたりする。
たとえば、端唄や長唄を教えながらも師匠の所に手直しに行った時など、手直しに行くたびに変な癖がついていて、師匠から注意されると「あらそうかしら」と言って、もう一度師匠にやってもらうと、子どものようにあけっ放しに感心しながら、「あらほんと、ふしぎねえ、どうしたんでしょう」と言ったりする。
そのあたりの師匠との会話で「おしず」らしさがよく表されているので、少し抜き書きしてみる。
「あらほんと、ふしぎねえ、どうしたんでしょう」
「ふしぎなのはこっちだよ、また出稽古先の近所に常磐津の師匠でもいるんじゃないのか」
そう云われると思い出すらしい。
「あらいやだ、お師匠さん知ってらっしゃるんですか」
「知りゃあしないさ、いつもの伝だからそんなこったろうと思ったんだ、とにかくまあ近くにほかの稽古所のある処は除けるんだね」
「そうねえ、孟母三遷ってこれだわねえ」
「なんだって・・・・孟母・・・」
「あら違ったかしら、君子のほうかしら」
にこにこ笑って舌を出すのである。当人としてはちょっと気の利いた合槌のつもりであるが、このへんで勘斎翁(師匠)はたいてい絶句するのであった」(「妹の縁談」102ページ)。
「おしず」という女性は、万事、こんなふうなのである。お弟子さんをとるときでも、自分であまりうまいほうではないと言うことをよく承知していて、はにかみながら、「ほんとに覚えたいのならよそのお師匠さんのところへいらっしゃい、あたしのはほんのまにあわせなんですから」と言うのが常であったが、「おしず」の底抜けのすなおさや明るさ、小さな子どもでもつい笑い出すようなことを平気で言ったりする話がひどく面白くて、桁外れな「頓狂」なことを言うが、本人はいたって真面目で、そこがまた面白くて、弟子たちよりもその家族に好かれるといった具合なのである(108ページ)。
この「おしず」が、妹の「おたか」の幸せを願って、その縁談に奔走するのが「妹の縁談」で、姉をおいて自分だけ嫁に行けないという「おたか」のために、縁談先に行き、正直にすべてを話して、「でも、あのこは本当にお宅へ来たがっているんです、そしてあたしもぜひ貰って頂きたいんです」と、その思いを素朴に伝えるのである。
「おしず」は、子どもの頃から、人から騙されても、自分が騙されたとは思わない娘だった。お使いを頼まれて出かけた途中で、猿回しに見とれていたときに、ひとりの男の子が「おいらが使いに行ってやるから、おめえは此処で見て待ってな」と言って「おしず」から小銭を受け取ってどこかにいってしまっても、「おしず」は日暮れまでずっと待ち続け、何日も何日もそこに行って男の子を待ち続け、ついに男の子が根負けして金を返すということがあったりした(「湯治」139-140ページ)。
その「おしず」が、妹の婚礼を控えて、「世の中のため」といって大儀を振りかざしては金をせびる次兄の「栄二」と真正面から対峙して、「貧しくって困っている自分たちから金を巻き上げて、何が世の中のためだ」と言い切りながらも、栄二が出ていくと、大切にしていた衣類を掴みだして、「栄二兄さーん」と追いかけていくのである。
そして、この「おしず」が、長い間思いを胸に秘めていた男との結婚とその夫婦の姿を描いたのが「おたふく」である。
「おしず」が長唄の出稽古に行って親しく行き来するようになっていた著名な彫金家の弟子に「貞次郎」という職人がいて、彼は、師を凌ほどの腕をもっていたが、性格が狷介なのと酒好きとで、三十四五歳になっても独身だった。その彫金家に出入りするうちに、「おしず」は密かにその「貞二郎」を想うようになっていたのである。しかし、相手は江戸中に名を知られた職人だし、「おしず」の家の事情もあり、彼女の歳のこともあり、その恋がかなうとはとうてい思えなかったのである。
だが、「おしず」の想いは強く、せめてその人が彫ったものだけでも身につけたいと思って、金を貯めては「貞二郎」が作る細工物をひとつひとつ人に頼んで密かに買い集めたりしていた。彼女は、もう三十六歳になるが、彼女の想いはずっと一途だった。
他方、「貞二郎」は武家育ちだが非凡で、仕事にかかると飯も忘れるほど没頭する性格だったが、酒好きとなり、仕事はできても酒に溺れるほどで、師匠夫婦も先行きを案じて、縁談話を持ち出すが、決してそれを受けつけなかった。そして、先行きを案じていた矢先に、ふとしたことで「貞二郎」の嫁として「おしず」の名前があがるのである。いままで縁談には見向きもしなかった「貞二郎」は、その話を聞くと、即座に「宜しくお願いします」といって、自分から進んで住む家を探し始めたりする。「貞二郎」も「おしず」に対する密かな想いがあったのである。
こうして、「貞二郎」と「おしず」は、晴れて夫婦となり、相愛の二人は、人もうらやむほど仲がいい。「おしず」は「貞二郎」のために細々と世話をし、職人気質の「貞二郎」もそれを喜ぶようになっていく。それは、こういう女性と暮らすと、本当に楽しいだろうな、と思われるような暮らしぶりである。
だが、あるとき、ふとしたことで「貞二郎」は、「おしず」の持ち物の中に、かつて自分が彫って大店の贔屓筋に収めたことがある細工物があることを知る。それも、ひとつやふたつではない。そして、かなりな男物の衣類が箪笥に入れられていることを知る。そのことで「貞二郎」は、「おしず」が大店の贔屓筋の囲い者だったのではないかと疑い、悋気に身を焼くようになっていく。酒浸りが始まる。「おしず」に対する態度も変わり、「おしず」もとまどうようになる。
ある夜、妹の「おたか」と行き違いになって、「おしず」が留守のときに「おたか」が訪ねてくる。「貞二郎」は、ついに「おしず」が持っていた自分の細工物や男物の着物を出してきて、「おしず」のことを聞く。そして、「おたか」から「おしず」がいかに「貞二郎」のことを想っていたか、「貞二郎」が作ったものをせめて身につけたいと大店の主に頼んで買い集めたか、「貞二郎」のことを想って着る当てもない着物を縫い続けたかを聞かされるのである。
「貞二郎」は、「あいつがいなければ、おれはもうあがきもつきゃあしない」と言い、自分が馬鹿げた勘ぐりをして悋気を起こしていた、どうかゆるしてくれ、と「おたか」に語り、「おたか」は「姉さん、聞いて、貞さんのいま云ったこと、聞いたわね、・・・苦労のしがいがあったわね、姉さん、本望だわね」といって涙を流す(98ページ)。
そして、そこに「おしず」が帰ってきて、相変わらずの頓狂さに笑い転げ、「おしず」は「貞二郎」が元に戻ってくれたことを喜ぶのである。「おしず」の温かさがすべてを氷解させていく光景で「おたふく」は終わる。
こういう底抜けに素直で素朴で、いまの言葉で言えば「だいぶ天然」で、正直で、物事を決して悪くとらないような女性、しかも、地に足がついているようにして生きていく女性、それは作者の理想像のひとつだったかもしれないが、それが物語の中で生き生きと描き出されて、作品としても優れたものになっている。人が生き生きと生きている姿をこの作品群は見事に描き出すと同時に、借り物の「大儀」を振りかざしたり、世評に振り回されたりして生きることがいかに意味のないことかも静かに語っている。「おしず」という愛すべき女性の姿を通して、苦労の多い中でも喜んで生きることができる人間の姿が描き出されているのである。
いずれにしろ、小学館から出されているこの『山本周五郎中短編秀作選集』は、全五巻を買いそろえて蔵書のひとつにしたいと思っている。時代小説の神髄のようなものがここにあるような気がするからである。
2011年5月20日金曜日
山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集2 惑う』(1)
よく晴れ渡って、少し暑いくらいの日差しが注いでいる。帽子や日傘をさした人の姿が目立ってきて、「初夏」を感じる。
このところ江戸末期から明治にかけて苦労しながら文学を営んできた女性たちの姿を描いた小説を手に取ってみたのだが、どこかの同人雑誌に掲載されている作品を読んでいるような気がして、一言で言えば、「膨らみのない青臭さ」を感じて、珍しく途中で止めて、山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集2 惑う』(2005年 小学館)を耽読していた。
これまでにも山本周五郎の作品はいくつか読んでいたが、先日、あざみ野の山内図書館に行った折りに、書架にこの中短編集があることに気がつき、さっそく借りてきて読み始めたが、ここに収められている中短編は、やはり表題の通り秀作ぞろいだった。巻末の「解題」によれば、ここに収められているのは終戦直後の1945年から1959年までに発表されたもので、「晩秋」、「金五十両」、「泥棒と若殿」、「おたふく」、「妹の縁談」、「湯治」、「しじみ河岸」、「釣忍」、「なんの花か薫る」、「あんちゃん」、「深川安楽亭」、「落葉の隣り」の12編である。
この内、「おたふく」、「妹の縁談」、「湯治」は、天真爛漫で底抜けに明るく、愛すべき魅力的な「おしず」という女性が主人公の連作で、ようやく三十半ばを過ぎて結婚し、「おしず」の一途な姿とその夫婦の姿を描いた「おたふく」が先に書かれ(1949年)、その物語の前史とでもいうような「おしず」の兄妹思いの姿を描いた「妹の結婚」(1950年)と「湯治」(1951年)が書かれており、初出誌での名前の相違などが、この選集で統一されて、三部の連作として読むことができるようになっている。
収められている12の短編は、いずれも山本周五郎らしい人の心のひだに染み込むような作品で、特に上述の3つの作品は、そこに描かれる「おしず」の姿が、わたしが思い描く素敵な女性の姿と重なって、感慨深く読んだ作品だった。
「晩秋」は、岡崎藩主の用人として長い間藩政の実権を握り、冷酷で、専横独断といわれてきた男が、政変によって私曲があった(権力を用いて自分の利益を図ること)という罪で、江戸から国元に送られてくることになり、朽ち果てたような藩の別邸で監禁されることになった。その世話を命じられた「都留」の父親は、かつて、その男の重税政策を見かねて、これを正そうとして失敗し、切腹を命じられて死んだ。「都留」は、父親の無念を晴らそうと懐剣を忍ばせて、その男の世話を始める。
ところが、実際にその男の世話を始めて見ると、長い間独居生活を質素にしながら、ひたすら藩の立て直しを図り、自らすべての藩の窮状を担い、新しい事態のために罪責を一人で静かに背負おうとする老人の姿がそこにあり、やむを得ず「都留」の父親のような有為の人を窮地に追いやったということを知る。そして、彼が、父親が死んだ後に残された母親と自分のために生きる道を整えてくれたことも知るのである。
世に奸計と言われ、冷酷といわれてきた男の真実の姿を知って、「都留」の心は溶けていく。すべての罪責を負って死を覚悟した男と晩秋の景色を眺めながら、彼は「花を咲かせた草も、実を結んだ樹々も枯れて、一年の営みを終えた幹や枝は裸になり、ひっそりとながい冬の眠りにはいろうとしている。自然の移り変わりのなかでも、晩秋という季節のしずかな美しさはかくべつだな」と言う(21ぺーじ)。
ひたすら藩のために人生を費やして終わろうとする男の心情を見事に表した一文だろう。そして、「都留はそれを聞きながら-この方の生涯には花も咲かず実も結ばなかった、そして静閑を楽しむべき余生さえ無い。ということを思った、-いま晩秋を讃えるその言葉の裏に、どのような想いが去来しているのであろうか、と」で終わる。
選りすぐられた言葉で人のすべてが語られて、深く余韻が残るという短編の妙味が見事だと感じられ、これが終戦直後の1945年の作品であることを改めて深く考えさせられるような作品だった。
「金五十両」は、両親を早くになくした後、叔父夫婦の世話になって奉公に出て、懸命に働いて貯めた四十五両という大金を叔母に持ち逃げされ、夫婦約束をしていた娘からも裏切られ、信頼していた仕事仲間からも騙され、すべてが嫌になってふらふらと旅に出てしまった男が、どうにでもなれと思って無銭飲食で立ち寄った宿の女中に助けられ、また、旅の途中で見ず知らずの死に瀕した若い侍から金五十両をある家に届けて欲しいと頼まれ、その五十両をもって逃げようかと逡巡しながらも、自分を助けてくれた女中の言葉に従って、実際に届けてみると、若い侍の話は本当で、見ず知らずの自分を信じて五十両もの金を自分に託してくれたことを知り、その若い侍が藩のために決闘して相打ちとなり死んでしまったことを父親から知らされるのである。
彼が預かった金の影には、主家のために死んだ息子と、爽やかにその責任を負って追放される親の姿があったことを知って、そういう人の生き方の深さに触れ、「人間はこう生きなくっちゃあいけないんだ」と思い返して、人生をやり直そうとしていくのである。
「泥棒と若殿」は、家督争いに巻き込まれることになった旗本の次男が荒れ屋敷に幽閉され、ついには見放されて飲まず食わずになって過ごしていた所に、ある夜、人の良い間抜けな泥棒が入り、その泥棒が見るに見かねて彼に食事をとらせたり、彼の世話を始めたりして奇妙な共同生活を始めるというもので、幽閉されていた次男も泥棒も、初めて人間らしい温かな交流を覚えていくのである。
だが、旗本家の内情が変わり、彼は当主としてその荒れ屋敷を出て行かなければならなくなる。その別離を歌い上げながら、人の幸いがどこにあるかを描いた作品である。
「おたふく」、「妹の縁談」、「湯治」の三つの連作作品については、深く心にしみるものがあったので、後述することにして、次の「しじみ河岸」は、病のために寝たっきりになっている父親と怪我で知恵遅れとなっている弟のために、自ら殺人の罪を犯したと名乗り出た娘を救うために、娘の供述に不審を感じた若い奉行所の吟味与力が真相を探り出していく話で、娘は、大地主で質両替商をしている金持ちの息子が犯した殺人を、父親と弟の面倒を見るということで身代わりになっていたのである。
わずかな金で動かされてしまう貧乏長屋の人々や、散々苦労し、寝たっきりの親を抱え、知恵遅れの弟を抱え、牢屋に入れられて初めてほっと一息つけたという娘の姿を語る中で、「貧乏ということは悲しいもんだ」(183ページ)という言葉が語られ、それが、しみじみと伝わる作品である。
次の「釣忍」もなかなか味わい深い作品で、何よりも愛する者と生きることを選択した男の話である。
「釣忍」というのは、シダ科の「シノブ」に水苔などを巻きつけ、釣り下げることができるようにして、そこに風鈴などをつけて涼を楽しむことができるようにしたものだが、物語の中で、「おはん」という女房が「定次郎」という魚のぼて振り(天秤棒を担いで売り歩くこと)をしている男と所帯を持ったときに買った釣忍を大切にし、枯れたように見える釣忍にも新しい芽が生えてくると言うのである。
やがて定次郎の兄というのが訪ねて来て、定次郎が実は大店の跡取り息子であり、自分が他に店を出すことと母親が帰ってくることを願っていることを知らされ、「おはん」は自分が元芸者で大店の嫁になどなれるわけがなく、母親も嫌っているだろうと身を引く決意をする。
定次郎は「おはん」の決意を知り、店に帰るが、彼が帰ってきた祝いの席で醜態を演じて見せて、自分が勘当されるように仕向け、店の表で心配のあまり様子をうかがっていた「おはん」のもとに帰っていくのである。
「『おはん』と定次郎は呼びとめた、-釣忍に芽が出ていたな、と云おうとしたのだが、首を垂れて手を振った」(208ページ)と記され、「おはん」と定次郎の会話が切ない。
「なんの花か薫る」は、酔って喧嘩をし、追われていた若い侍が岡場所の見世に飛び込んできて、「お新」という女性が機転を利かせてこれを助け、二人は将来を約束する中になる。若い侍は犯した喧嘩のために勘当の身となるが、「お新」は、その恋の成就にすべてをかけるようになっていく。だが、やがて勘当が解ける日になり、若い侍は、勘当が解けて嫁をもらうことになったと告げに来る。裏切りが残酷な形で残っていく。
だが、こうした恋の裏切りの残酷さは、男よりも女の方がもっているような気がするが、偏見だろうか。作品としては、これも別の意味で切ない。
「深川安楽亭」は、ここに収められている作品の中では少し異質で、「安楽亭」と呼ばれる抜け荷で暮らす男たちのたまり場に、生活のために妻子を残して金を稼いでいる間に、その妻子が苦労の末に死んでしまったことを知り、すべてに空しさを感じている男や、愛する女性が岡場所に売られることになり、それを助けようと店の金に手をつけたところを見つかってしまった男がやってくる。
「安楽亭」にいるのは、人を人とも思わず、同心でさえ平気で殺してしまうような悪を悪とも思わない「けもの」のような男たちだったが、彼らなりの筋を通して、娘が岡場所に売られることになった男を助け、娘を助け出して、そこから二人を旅立たせるというものである。
「落葉の隣り」は、同じ長屋で生まれ育った繁次、参吉、おひさという三人の間の出来事を綴ったもので、繁次は参吉の人間の出来が違うということを感じ、おひさを恋い慕っていたが、参吉とおひさが相愛であると身を引いていた。繁次は自分に自信をなくしていく。しかし、参吉はやがて蒔絵職人となり、店の娘と結婚するために贋作を作って売ろうとすることを知り、おひさに自分の気持ちを告白する。だが、おひさは、自分も繁次が好きだったが、繁次が身を引いていたために、参吉と恋仲となって、いまではもう、引くに引けなくなってしまったのだと言う。繁次は、「・・・これからどっちへいったらいいんだ」と思うところで終わる。恋の残酷さと微妙なところですれ違ってしまう男女の綾、それが悲しく響く作品である。
山本周五郎の作品は、改めて、完成度の高い優れた作品だとつくづく思う。登場する人物たちの会話が生きて、情景が織りなされ、人のしみじみした心情や切なさ、生きることの哀しさや喜びが切々と伝わる。「おたふく」、「妹の縁談」、「湯治」にそれがよく現れていると思えるので、これについて、明日のでも記しておこうと思っている。
このところ江戸末期から明治にかけて苦労しながら文学を営んできた女性たちの姿を描いた小説を手に取ってみたのだが、どこかの同人雑誌に掲載されている作品を読んでいるような気がして、一言で言えば、「膨らみのない青臭さ」を感じて、珍しく途中で止めて、山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集2 惑う』(2005年 小学館)を耽読していた。
これまでにも山本周五郎の作品はいくつか読んでいたが、先日、あざみ野の山内図書館に行った折りに、書架にこの中短編集があることに気がつき、さっそく借りてきて読み始めたが、ここに収められている中短編は、やはり表題の通り秀作ぞろいだった。巻末の「解題」によれば、ここに収められているのは終戦直後の1945年から1959年までに発表されたもので、「晩秋」、「金五十両」、「泥棒と若殿」、「おたふく」、「妹の縁談」、「湯治」、「しじみ河岸」、「釣忍」、「なんの花か薫る」、「あんちゃん」、「深川安楽亭」、「落葉の隣り」の12編である。
この内、「おたふく」、「妹の縁談」、「湯治」は、天真爛漫で底抜けに明るく、愛すべき魅力的な「おしず」という女性が主人公の連作で、ようやく三十半ばを過ぎて結婚し、「おしず」の一途な姿とその夫婦の姿を描いた「おたふく」が先に書かれ(1949年)、その物語の前史とでもいうような「おしず」の兄妹思いの姿を描いた「妹の結婚」(1950年)と「湯治」(1951年)が書かれており、初出誌での名前の相違などが、この選集で統一されて、三部の連作として読むことができるようになっている。
収められている12の短編は、いずれも山本周五郎らしい人の心のひだに染み込むような作品で、特に上述の3つの作品は、そこに描かれる「おしず」の姿が、わたしが思い描く素敵な女性の姿と重なって、感慨深く読んだ作品だった。
「晩秋」は、岡崎藩主の用人として長い間藩政の実権を握り、冷酷で、専横独断といわれてきた男が、政変によって私曲があった(権力を用いて自分の利益を図ること)という罪で、江戸から国元に送られてくることになり、朽ち果てたような藩の別邸で監禁されることになった。その世話を命じられた「都留」の父親は、かつて、その男の重税政策を見かねて、これを正そうとして失敗し、切腹を命じられて死んだ。「都留」は、父親の無念を晴らそうと懐剣を忍ばせて、その男の世話を始める。
ところが、実際にその男の世話を始めて見ると、長い間独居生活を質素にしながら、ひたすら藩の立て直しを図り、自らすべての藩の窮状を担い、新しい事態のために罪責を一人で静かに背負おうとする老人の姿がそこにあり、やむを得ず「都留」の父親のような有為の人を窮地に追いやったということを知る。そして、彼が、父親が死んだ後に残された母親と自分のために生きる道を整えてくれたことも知るのである。
世に奸計と言われ、冷酷といわれてきた男の真実の姿を知って、「都留」の心は溶けていく。すべての罪責を負って死を覚悟した男と晩秋の景色を眺めながら、彼は「花を咲かせた草も、実を結んだ樹々も枯れて、一年の営みを終えた幹や枝は裸になり、ひっそりとながい冬の眠りにはいろうとしている。自然の移り変わりのなかでも、晩秋という季節のしずかな美しさはかくべつだな」と言う(21ぺーじ)。
ひたすら藩のために人生を費やして終わろうとする男の心情を見事に表した一文だろう。そして、「都留はそれを聞きながら-この方の生涯には花も咲かず実も結ばなかった、そして静閑を楽しむべき余生さえ無い。ということを思った、-いま晩秋を讃えるその言葉の裏に、どのような想いが去来しているのであろうか、と」で終わる。
選りすぐられた言葉で人のすべてが語られて、深く余韻が残るという短編の妙味が見事だと感じられ、これが終戦直後の1945年の作品であることを改めて深く考えさせられるような作品だった。
「金五十両」は、両親を早くになくした後、叔父夫婦の世話になって奉公に出て、懸命に働いて貯めた四十五両という大金を叔母に持ち逃げされ、夫婦約束をしていた娘からも裏切られ、信頼していた仕事仲間からも騙され、すべてが嫌になってふらふらと旅に出てしまった男が、どうにでもなれと思って無銭飲食で立ち寄った宿の女中に助けられ、また、旅の途中で見ず知らずの死に瀕した若い侍から金五十両をある家に届けて欲しいと頼まれ、その五十両をもって逃げようかと逡巡しながらも、自分を助けてくれた女中の言葉に従って、実際に届けてみると、若い侍の話は本当で、見ず知らずの自分を信じて五十両もの金を自分に託してくれたことを知り、その若い侍が藩のために決闘して相打ちとなり死んでしまったことを父親から知らされるのである。
彼が預かった金の影には、主家のために死んだ息子と、爽やかにその責任を負って追放される親の姿があったことを知って、そういう人の生き方の深さに触れ、「人間はこう生きなくっちゃあいけないんだ」と思い返して、人生をやり直そうとしていくのである。
「泥棒と若殿」は、家督争いに巻き込まれることになった旗本の次男が荒れ屋敷に幽閉され、ついには見放されて飲まず食わずになって過ごしていた所に、ある夜、人の良い間抜けな泥棒が入り、その泥棒が見るに見かねて彼に食事をとらせたり、彼の世話を始めたりして奇妙な共同生活を始めるというもので、幽閉されていた次男も泥棒も、初めて人間らしい温かな交流を覚えていくのである。
だが、旗本家の内情が変わり、彼は当主としてその荒れ屋敷を出て行かなければならなくなる。その別離を歌い上げながら、人の幸いがどこにあるかを描いた作品である。
「おたふく」、「妹の縁談」、「湯治」の三つの連作作品については、深く心にしみるものがあったので、後述することにして、次の「しじみ河岸」は、病のために寝たっきりになっている父親と怪我で知恵遅れとなっている弟のために、自ら殺人の罪を犯したと名乗り出た娘を救うために、娘の供述に不審を感じた若い奉行所の吟味与力が真相を探り出していく話で、娘は、大地主で質両替商をしている金持ちの息子が犯した殺人を、父親と弟の面倒を見るということで身代わりになっていたのである。
わずかな金で動かされてしまう貧乏長屋の人々や、散々苦労し、寝たっきりの親を抱え、知恵遅れの弟を抱え、牢屋に入れられて初めてほっと一息つけたという娘の姿を語る中で、「貧乏ということは悲しいもんだ」(183ページ)という言葉が語られ、それが、しみじみと伝わる作品である。
次の「釣忍」もなかなか味わい深い作品で、何よりも愛する者と生きることを選択した男の話である。
「釣忍」というのは、シダ科の「シノブ」に水苔などを巻きつけ、釣り下げることができるようにして、そこに風鈴などをつけて涼を楽しむことができるようにしたものだが、物語の中で、「おはん」という女房が「定次郎」という魚のぼて振り(天秤棒を担いで売り歩くこと)をしている男と所帯を持ったときに買った釣忍を大切にし、枯れたように見える釣忍にも新しい芽が生えてくると言うのである。
やがて定次郎の兄というのが訪ねて来て、定次郎が実は大店の跡取り息子であり、自分が他に店を出すことと母親が帰ってくることを願っていることを知らされ、「おはん」は自分が元芸者で大店の嫁になどなれるわけがなく、母親も嫌っているだろうと身を引く決意をする。
定次郎は「おはん」の決意を知り、店に帰るが、彼が帰ってきた祝いの席で醜態を演じて見せて、自分が勘当されるように仕向け、店の表で心配のあまり様子をうかがっていた「おはん」のもとに帰っていくのである。
「『おはん』と定次郎は呼びとめた、-釣忍に芽が出ていたな、と云おうとしたのだが、首を垂れて手を振った」(208ページ)と記され、「おはん」と定次郎の会話が切ない。
「なんの花か薫る」は、酔って喧嘩をし、追われていた若い侍が岡場所の見世に飛び込んできて、「お新」という女性が機転を利かせてこれを助け、二人は将来を約束する中になる。若い侍は犯した喧嘩のために勘当の身となるが、「お新」は、その恋の成就にすべてをかけるようになっていく。だが、やがて勘当が解ける日になり、若い侍は、勘当が解けて嫁をもらうことになったと告げに来る。裏切りが残酷な形で残っていく。
だが、こうした恋の裏切りの残酷さは、男よりも女の方がもっているような気がするが、偏見だろうか。作品としては、これも別の意味で切ない。
「深川安楽亭」は、ここに収められている作品の中では少し異質で、「安楽亭」と呼ばれる抜け荷で暮らす男たちのたまり場に、生活のために妻子を残して金を稼いでいる間に、その妻子が苦労の末に死んでしまったことを知り、すべてに空しさを感じている男や、愛する女性が岡場所に売られることになり、それを助けようと店の金に手をつけたところを見つかってしまった男がやってくる。
「安楽亭」にいるのは、人を人とも思わず、同心でさえ平気で殺してしまうような悪を悪とも思わない「けもの」のような男たちだったが、彼らなりの筋を通して、娘が岡場所に売られることになった男を助け、娘を助け出して、そこから二人を旅立たせるというものである。
「落葉の隣り」は、同じ長屋で生まれ育った繁次、参吉、おひさという三人の間の出来事を綴ったもので、繁次は参吉の人間の出来が違うということを感じ、おひさを恋い慕っていたが、参吉とおひさが相愛であると身を引いていた。繁次は自分に自信をなくしていく。しかし、参吉はやがて蒔絵職人となり、店の娘と結婚するために贋作を作って売ろうとすることを知り、おひさに自分の気持ちを告白する。だが、おひさは、自分も繁次が好きだったが、繁次が身を引いていたために、参吉と恋仲となって、いまではもう、引くに引けなくなってしまったのだと言う。繁次は、「・・・これからどっちへいったらいいんだ」と思うところで終わる。恋の残酷さと微妙なところですれ違ってしまう男女の綾、それが悲しく響く作品である。
山本周五郎の作品は、改めて、完成度の高い優れた作品だとつくづく思う。登場する人物たちの会話が生きて、情景が織りなされ、人のしみじみした心情や切なさ、生きることの哀しさや喜びが切々と伝わる。「おたふく」、「妹の縁談」、「湯治」にそれがよく現れていると思えるので、これについて、明日のでも記しておこうと思っている。
2011年5月18日水曜日
宮部みゆき『R.P.G.』
朝方は雲に覆われていたが、お昼近くから晴れて、爽やかな陽射しが差してくるようになった。ただ、なんとなくいろんなことが面倒に思えるようになって、しなければならないことを横目で見ながらぼんやりしていた。日々の暮らしを一人でこなすことは、これでなかなか「しんどいこと」である。しかし、陽気もいい。寺山修司ではないが、「書を捨てて、街にでよう」か。
昨夕、少し激しい雨が降ったが、夜は靜かで、宮部みゆき『R.P.G.』(2001年 集英社文庫)を手にした。ひとつのドラマの光景のような宮部みゆきの文庫書き下ろし作品である本書を読んでみたのである。どこか感性が豊かでのびのびした表現を求めているのに気がついたからからで、「読んで見た」という言葉で表現できるような思いで手に取ったわけだが、読み終わった時に、最後のどんでん返しがあり、まさに表題そのものにふさわしい味のある作品だった。
「R.P.G.」とは「ロール・プレーイング・ゲーム」のことで、ある役になりきって物事を習得していく学習法で、英会話の習得などでよく使われたりするが、場面を設定して、その場面の中で役割を演じていくものである。本書では、ある殺人事件の解決のために、殺された人間に関係する人々になりきって一幕の劇を構成することと、殺された人間がインターネット上で作っていた「疑似家族」で、それぞれの人が家族のそれぞれの役割をネット上で演じていたという二重の意味で使われており、なかなか凝った構成になっている。
それと同時に、インターネット上の「疑似家族」ということで、現代人が抱える「孤独」と、「家族」という問題にも真正面から取り組んだ主題となっている。「さびしさ」は人間の本質的感情のひとつでもあるだろうが、いつの間にか忍び寄って、人を狂わすことがある。だが、人とはさびしい生き物なのだ。
物語は、ある中年の男が建築中の住宅で殺されたことから始まる。彼は食品会社に勤め、夫に従順な家庭人である妻の春恵と、成績優秀で容姿も端麗である高校生の一美(かずみ)という娘があるが、浮気性で、特に若い女性には親切心や同情心を発揮させていた男であった。優しいが優柔不断で、状況に流される男の典型でもある。そして、彼が招いた状況によって死を迎える。
警察はその事件の捜査を始めるが、当初は、彼の浮気相手であった女性が犯人ではないかとの疑いを強くしていた。しかし、捜査畑ではなく事務処理を長年してきた刑事の直感で、殺された男がインターネット上で「疑似家族」を作っていたことが取り上げられ、その「疑似家族」を構成していた「お母さん」と呼ばれる女性と「カズミ」と呼ばれる若い娘、そして「ミノル」と呼ばれる青年が突きとめられ、かくして、それぞれの供述が述べられていくのである。
こうして、なぜインターネット上で「疑似家族」を作っていたのか、それぞれが抱える孤独と「絆」を求める気持ちが描き出されていく。そして、やがて自分の父親が「疑似家族」を作っていたことを知った実際の娘の心情へと物語が展開され、犯人が突きとめられていくのである。
だが、物語の展開はそこで終わらずに、最後に大きなどんでん返しが施されている。そこに至った時、思わず、「え?そうなのか」と思うほど、巧みな構成がされているのである。それがまさに「R.P.G.」でもあるのである。
物語の最後に、取り調べに当たった刑事の一人の口を通して、西條八十の『蝶』という詩の一節が語られるが、これは西條八十の『美しき喪失』という詩集に収められている詩で、元来は「やがて地獄へ下るとき、そこに待つ父母や 友人に私は何を持って行かう。たぶん私は懐から 蒼白(あおざ)め、破れた 蝶の死骸をとり出すだろう。さうして渡しながら言ふだろう。一生を 子供のように、さみしく、これを追ってゐました、と」というものである。
「青ざめ破れた蝶の死骸を差し出して、さみしくこれを追っていました」と言うのが「地獄」であることが、この詩のすごさで、宮部みゆきは、その「すごさ」を見事に人間の物語として本書で展開しているのである。
孤独とさびしさの行き着く果てにあるもの、それがインターネットという仮想世界を作りやすい現実に対応して見事に描かれ、ことに人の「絆」の根本である「家族」の姿に投影され、仮想が現実になったときに起こる祖語が人の心情として描かれる。
ただ、これが書き下ろしであるためか、物語の構成や展開に集中されているためか、宮部みゆきがもつ独特の柔らかくて豊かな感性があまり出ていないのが、ほんの少しだが残念に思う気がしないでもない。しかし、物語作家としての天性が発揮された作品の一つと言えるような気がする。
宮部みゆきといえば、昨夜、俳優の児玉清さんが死去されたとの訃報があり、彼が、わたしが最高傑作だと思っている『孤宿の人』の文庫版の解説を書いておられたのを思い出し、『孤宿の人』の一場面一場面を思い起こしたりした。「もう、どこにも行かなくていいですか。ずっと一緒に暮らせますか」という主人公「ほう」の心情は、涙なしにはおられない。
昨夕、少し激しい雨が降ったが、夜は靜かで、宮部みゆき『R.P.G.』(2001年 集英社文庫)を手にした。ひとつのドラマの光景のような宮部みゆきの文庫書き下ろし作品である本書を読んでみたのである。どこか感性が豊かでのびのびした表現を求めているのに気がついたからからで、「読んで見た」という言葉で表現できるような思いで手に取ったわけだが、読み終わった時に、最後のどんでん返しがあり、まさに表題そのものにふさわしい味のある作品だった。
「R.P.G.」とは「ロール・プレーイング・ゲーム」のことで、ある役になりきって物事を習得していく学習法で、英会話の習得などでよく使われたりするが、場面を設定して、その場面の中で役割を演じていくものである。本書では、ある殺人事件の解決のために、殺された人間に関係する人々になりきって一幕の劇を構成することと、殺された人間がインターネット上で作っていた「疑似家族」で、それぞれの人が家族のそれぞれの役割をネット上で演じていたという二重の意味で使われており、なかなか凝った構成になっている。
それと同時に、インターネット上の「疑似家族」ということで、現代人が抱える「孤独」と、「家族」という問題にも真正面から取り組んだ主題となっている。「さびしさ」は人間の本質的感情のひとつでもあるだろうが、いつの間にか忍び寄って、人を狂わすことがある。だが、人とはさびしい生き物なのだ。
物語は、ある中年の男が建築中の住宅で殺されたことから始まる。彼は食品会社に勤め、夫に従順な家庭人である妻の春恵と、成績優秀で容姿も端麗である高校生の一美(かずみ)という娘があるが、浮気性で、特に若い女性には親切心や同情心を発揮させていた男であった。優しいが優柔不断で、状況に流される男の典型でもある。そして、彼が招いた状況によって死を迎える。
警察はその事件の捜査を始めるが、当初は、彼の浮気相手であった女性が犯人ではないかとの疑いを強くしていた。しかし、捜査畑ではなく事務処理を長年してきた刑事の直感で、殺された男がインターネット上で「疑似家族」を作っていたことが取り上げられ、その「疑似家族」を構成していた「お母さん」と呼ばれる女性と「カズミ」と呼ばれる若い娘、そして「ミノル」と呼ばれる青年が突きとめられ、かくして、それぞれの供述が述べられていくのである。
こうして、なぜインターネット上で「疑似家族」を作っていたのか、それぞれが抱える孤独と「絆」を求める気持ちが描き出されていく。そして、やがて自分の父親が「疑似家族」を作っていたことを知った実際の娘の心情へと物語が展開され、犯人が突きとめられていくのである。
だが、物語の展開はそこで終わらずに、最後に大きなどんでん返しが施されている。そこに至った時、思わず、「え?そうなのか」と思うほど、巧みな構成がされているのである。それがまさに「R.P.G.」でもあるのである。
物語の最後に、取り調べに当たった刑事の一人の口を通して、西條八十の『蝶』という詩の一節が語られるが、これは西條八十の『美しき喪失』という詩集に収められている詩で、元来は「やがて地獄へ下るとき、そこに待つ父母や 友人に私は何を持って行かう。たぶん私は懐から 蒼白(あおざ)め、破れた 蝶の死骸をとり出すだろう。さうして渡しながら言ふだろう。一生を 子供のように、さみしく、これを追ってゐました、と」というものである。
「青ざめ破れた蝶の死骸を差し出して、さみしくこれを追っていました」と言うのが「地獄」であることが、この詩のすごさで、宮部みゆきは、その「すごさ」を見事に人間の物語として本書で展開しているのである。
孤独とさびしさの行き着く果てにあるもの、それがインターネットという仮想世界を作りやすい現実に対応して見事に描かれ、ことに人の「絆」の根本である「家族」の姿に投影され、仮想が現実になったときに起こる祖語が人の心情として描かれる。
ただ、これが書き下ろしであるためか、物語の構成や展開に集中されているためか、宮部みゆきがもつ独特の柔らかくて豊かな感性があまり出ていないのが、ほんの少しだが残念に思う気がしないでもない。しかし、物語作家としての天性が発揮された作品の一つと言えるような気がする。
宮部みゆきといえば、昨夜、俳優の児玉清さんが死去されたとの訃報があり、彼が、わたしが最高傑作だと思っている『孤宿の人』の文庫版の解説を書いておられたのを思い出し、『孤宿の人』の一場面一場面を思い起こしたりした。「もう、どこにも行かなくていいですか。ずっと一緒に暮らせますか」という主人公「ほう」の心情は、涙なしにはおられない。
2011年5月16日月曜日
井川香四郎『梟与力吟味帳 花詞(はなことば)』
予報では晴れだが、薄く雲が広がっている。いつものように、朝起き出して珈琲を入れ、新聞を読み、シャワーを浴びて、ゆっくりと動き出した。掃除や洗濯をしようかとも思ったが、少し寝不足気味で、「まあ、いいか」と思い直して、少し溜まった仕事を片づけることにした。風がはたはたと吹いて、こんな日の朝は、なんとなく孤独を感じたりしてしまう。
昨夕から夜にかけて、井川香四郎『梟与力吟味帳 花詞(はなことば)』(2008年 講談社文庫)を胡瓜の糠漬けを肴にしてビールを飲みながら読んだ。
この作者の作品は、前に一作だけ『船手奉行うたかた日記 風の舟唄』(2010年 幻冬舎時代小説文庫)を読んでいたが、『梟与力吟味帳』のシリーズは、天保の改革(1837-1843年)を断行した水野忠邦の意を受けて厳しい市中取締りを行った鳥居耀蔵(1796-1873年)が南町奉行、「遠山の金さん」で有名な遠山景元(1793-1855年)が南町奉行だった頃、自由と平等を謳う寺子屋で学んだ幼馴染みの三人組が、それぞれ協力して江戸の町で弱い者いじめをする権力者に立ち向かっていくという痛快時代小説とでも言うべきものである。
このシリーズを原作にして『オトコマエ!』と題されたテレビドラマが、NHK土曜時代劇で2008年に放映されているが、それは残念ながら見ていない。だが、2009年の秋に『オトコマエ!2』が放映され、それは、時折見ていたので、物語の大まかな設定は知っており、通説に従って、鳥居耀藏が悪で、遠山景元が善、という設定のあまりの通俗ぶりに「?」を感じながらも、主人公の藤堂逸馬が町人から奉行所与力になった青年であったり、幼馴染みで剣の腕も確かな武田信三郎(寺社奉行配下の吟味物調役支配取次という下級役人)が人のいい性格を持つ青年であったり、同じ幼馴染みで勘定吟味改役というかなりの重職についている毛利源之丞が、立派な名前を持ちながらも算盤が得意なところから「パチ助」と呼ばれ、しかも計算高いわりにどこか抜けていたりする青年であったりして、正義感と爽やかさだけで悪と立ち向かうという筋立てに面白さを感じていた。
ただし、「パチ助」こと毛利源之丞は、なぜかドラマの方には登場しない。もちろん、ドラマはドラマでそれでいい。
『花詞』は、このシリーズの四作目の作品で、第一話「花詞」、第二話「別れ霜」、第三話「東風吹かば」、第四話「やじろうべえ」の四話が収められており、いずれも南町奉行の鳥居耀蔵の暗躍や企みが影にあって、主人公の藤堂逸馬を中心にして、その企みをことごとく「人助け」の視点から粉砕していくというものである。
第一話「花詞」は、元金を保証して高利息を払うという名目で金集めをしていた札差に対して、預けた元金を返して欲しいという訴えが公事宿の「真琴」を通して出されるが、札差しは一年預かりという約定を盾にとって元金を返さないという事件の顛末を描いたものである。その札差しには、札差しを使って金儲けを企む鳥居耀蔵の手が働いていたし、主人公の藤堂逸馬の先輩であり鬼与力と恐れられていた正義感の強い元与力が、娘を殺されて与力を辞め、公事師(訴訟などを取り扱う者)として雇われていた。
だが、札差しの過去に不審を感じた藤堂逸馬は、その札差さしが、かつては貧乏長屋で蜆売りなどをしていた健気な子どもだったのが、いつの間にか札差しの養子となり、札差しの後継ぎや養父を殺してのし上がっていたことを知り、「誠実」というスミレの花言葉にかけて、真実を暴いていくのである。
第二話「別れ霜」は、工事現場で大怪我をした男を武田信三郎が名医と評判の医者に担ぎ込むが、医者はなぜか手当もしないまま他の医者の所へ行けといい、男は死んでしまう。死んだ男の女房はそのことに納得がいかずに、公事宿の「真琴」に頼んで医者を相手に訴訟を起こす。藤堂逸馬がその一件の裁きに当たることになる。
その過程で、津軽藩の追手番(藩内から逃亡した犯罪者を探す役)と知り合い、事故で死んだ男が、かつて仲間と共に津軽藩で強盗事件を起こしていたひとりであったことを知り、強盗仲間が逃げる途中で長崎帰りの医者を道中で襲ったが、強盗仲間の首領は立ち向かった医者に殺され、残った二人の子分たちがそのことで医者を脅していたことを知る。どんな事情があっても殺人は殺人として裁かれるために、医者は彼らから脅され、そのひとりが大怪我をして担ぎ込まれたのである。
そうした事情があったことを探り出し、医者を脅した強盗の子分を捕らえ、津軽藩追手番の侍に引き渡す。ところが、追手番の侍は津軽への犯人連行の途中で、強盗たちが奪った金を隠していることを知っており、その隠し場所を吐き出させて奪い取ろうとしていたのである。そのことを見抜いていた藤堂逸馬は、武田信三郎の手を借りて、強盗の子分を取り戻す。追手番の侍は、どうにもならないことを知って自死する。また、名医として慕われていた医者に対しては、以後三年の間牢医者として働くという裁きを下して、一件を落着させるのである。
第三話「東風吹かば」は、逸馬の幼馴染みである「パチ助」が、上役から頼まれて上役の妾をあずかる話で、老中水野忠邦は厳格な人物で、勘定吟味役の上役は自分が妾を囲っていることがばれると改易させられるかも知れないと恐れて、人の良い「パチ助」に偽装を依頼するのである。
だが、妾として囲われていた女性には、かつて相愛の菓子職人がおり、その菓子職人が鳥居耀蔵も一枚噛んでいた大店の商人たちの「阿片句会」の見張りに使われ、捕縛されて、ひとり罪を着せられて鳥居耀蔵によって遠島の刑を受けていたのである。だが無実の罪で嵌められたことを知って菓子職人が島抜けし、舞い戻ってきた。
鳥居耀蔵は「阿片句会」のことが発覚するのを恐れ、家臣を使って島抜けした菓子職人を殺そうとする。だが、藤堂逸馬によって菓子職人は捕らえられ、鳥居耀蔵の企みは失敗し、逸馬の進言で遠山景元は、評定所会議(各奉行が集まって裁きをする会議)で、菓子職人が嵌められて遠島になったのだから無罪であることを主張して、菓子職人を放免し、妾として囲われていた相愛の女性共々に江戸を離れるという結果になる。そして、妾を囲っているのではないかと疑われた「パチ助」のために、逸馬はその家族を屋形船にさそって、家族の仲を取り持つというところで終わる。
表題はもちろん、「東風吹かば 匂いをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」という「飛梅伝説」で有名な菅原道真の歌からとられたもので、望郷の歌であったこの歌を、この作品では男女の相聞歌として用いているものである。
第四話「やじろべえ」は、かつて寺子屋の「一風堂」で同席していた男が、儒学者として江戸に舞い戻り、江戸の町を混乱させることを企んで、鳥居耀蔵と水野忠邦によって非業の死を迎えなければならなかった武田信三郎の父親の恨みを晴らしたいと思っていた信三郎の母を巻き込んで騒動を起こそうとするのを、信三郎と逸馬が協力して阻止していくというものである。様々な政治的な力が働く中で、「ただただ人々を守る」という思いで働く逸馬の姿が貫かれていく。
江戸末期の混乱していく幕府体制の中で、どこまでも非政治的であろうとし、しかも弱者のための行動や正義、人への思いやりや情を大切にし、その姿勢を爽やかに貫こうとする主人公たちの姿は、ある意味で考えさせられるものであるが、人の爽快さというのは、そういうものかもしれないと思ったりする。
作品全体に少し雑なところもあるし、人物像も通説に従いすぎているのだが、作品の展開としては、こうした展開は面白く読めるだろう。欲を言えば、歴史的考察はきちんとされているのだが、鳥居耀蔵や遠山景元は、歴史上の人物であり、実際の人物像と通説には大きな隔たりがあるのだから、もう少し深く掘り下げた人物として描かれた方がよい気がした。鳥居耀蔵などはあまりに戯画化されすぎている気がする。
昨夕から夜にかけて、井川香四郎『梟与力吟味帳 花詞(はなことば)』(2008年 講談社文庫)を胡瓜の糠漬けを肴にしてビールを飲みながら読んだ。
この作者の作品は、前に一作だけ『船手奉行うたかた日記 風の舟唄』(2010年 幻冬舎時代小説文庫)を読んでいたが、『梟与力吟味帳』のシリーズは、天保の改革(1837-1843年)を断行した水野忠邦の意を受けて厳しい市中取締りを行った鳥居耀蔵(1796-1873年)が南町奉行、「遠山の金さん」で有名な遠山景元(1793-1855年)が南町奉行だった頃、自由と平等を謳う寺子屋で学んだ幼馴染みの三人組が、それぞれ協力して江戸の町で弱い者いじめをする権力者に立ち向かっていくという痛快時代小説とでも言うべきものである。
このシリーズを原作にして『オトコマエ!』と題されたテレビドラマが、NHK土曜時代劇で2008年に放映されているが、それは残念ながら見ていない。だが、2009年の秋に『オトコマエ!2』が放映され、それは、時折見ていたので、物語の大まかな設定は知っており、通説に従って、鳥居耀藏が悪で、遠山景元が善、という設定のあまりの通俗ぶりに「?」を感じながらも、主人公の藤堂逸馬が町人から奉行所与力になった青年であったり、幼馴染みで剣の腕も確かな武田信三郎(寺社奉行配下の吟味物調役支配取次という下級役人)が人のいい性格を持つ青年であったり、同じ幼馴染みで勘定吟味改役というかなりの重職についている毛利源之丞が、立派な名前を持ちながらも算盤が得意なところから「パチ助」と呼ばれ、しかも計算高いわりにどこか抜けていたりする青年であったりして、正義感と爽やかさだけで悪と立ち向かうという筋立てに面白さを感じていた。
ただし、「パチ助」こと毛利源之丞は、なぜかドラマの方には登場しない。もちろん、ドラマはドラマでそれでいい。
『花詞』は、このシリーズの四作目の作品で、第一話「花詞」、第二話「別れ霜」、第三話「東風吹かば」、第四話「やじろうべえ」の四話が収められており、いずれも南町奉行の鳥居耀蔵の暗躍や企みが影にあって、主人公の藤堂逸馬を中心にして、その企みをことごとく「人助け」の視点から粉砕していくというものである。
第一話「花詞」は、元金を保証して高利息を払うという名目で金集めをしていた札差に対して、預けた元金を返して欲しいという訴えが公事宿の「真琴」を通して出されるが、札差しは一年預かりという約定を盾にとって元金を返さないという事件の顛末を描いたものである。その札差しには、札差しを使って金儲けを企む鳥居耀蔵の手が働いていたし、主人公の藤堂逸馬の先輩であり鬼与力と恐れられていた正義感の強い元与力が、娘を殺されて与力を辞め、公事師(訴訟などを取り扱う者)として雇われていた。
だが、札差しの過去に不審を感じた藤堂逸馬は、その札差さしが、かつては貧乏長屋で蜆売りなどをしていた健気な子どもだったのが、いつの間にか札差しの養子となり、札差しの後継ぎや養父を殺してのし上がっていたことを知り、「誠実」というスミレの花言葉にかけて、真実を暴いていくのである。
第二話「別れ霜」は、工事現場で大怪我をした男を武田信三郎が名医と評判の医者に担ぎ込むが、医者はなぜか手当もしないまま他の医者の所へ行けといい、男は死んでしまう。死んだ男の女房はそのことに納得がいかずに、公事宿の「真琴」に頼んで医者を相手に訴訟を起こす。藤堂逸馬がその一件の裁きに当たることになる。
その過程で、津軽藩の追手番(藩内から逃亡した犯罪者を探す役)と知り合い、事故で死んだ男が、かつて仲間と共に津軽藩で強盗事件を起こしていたひとりであったことを知り、強盗仲間が逃げる途中で長崎帰りの医者を道中で襲ったが、強盗仲間の首領は立ち向かった医者に殺され、残った二人の子分たちがそのことで医者を脅していたことを知る。どんな事情があっても殺人は殺人として裁かれるために、医者は彼らから脅され、そのひとりが大怪我をして担ぎ込まれたのである。
そうした事情があったことを探り出し、医者を脅した強盗の子分を捕らえ、津軽藩追手番の侍に引き渡す。ところが、追手番の侍は津軽への犯人連行の途中で、強盗たちが奪った金を隠していることを知っており、その隠し場所を吐き出させて奪い取ろうとしていたのである。そのことを見抜いていた藤堂逸馬は、武田信三郎の手を借りて、強盗の子分を取り戻す。追手番の侍は、どうにもならないことを知って自死する。また、名医として慕われていた医者に対しては、以後三年の間牢医者として働くという裁きを下して、一件を落着させるのである。
第三話「東風吹かば」は、逸馬の幼馴染みである「パチ助」が、上役から頼まれて上役の妾をあずかる話で、老中水野忠邦は厳格な人物で、勘定吟味役の上役は自分が妾を囲っていることがばれると改易させられるかも知れないと恐れて、人の良い「パチ助」に偽装を依頼するのである。
だが、妾として囲われていた女性には、かつて相愛の菓子職人がおり、その菓子職人が鳥居耀蔵も一枚噛んでいた大店の商人たちの「阿片句会」の見張りに使われ、捕縛されて、ひとり罪を着せられて鳥居耀蔵によって遠島の刑を受けていたのである。だが無実の罪で嵌められたことを知って菓子職人が島抜けし、舞い戻ってきた。
鳥居耀蔵は「阿片句会」のことが発覚するのを恐れ、家臣を使って島抜けした菓子職人を殺そうとする。だが、藤堂逸馬によって菓子職人は捕らえられ、鳥居耀蔵の企みは失敗し、逸馬の進言で遠山景元は、評定所会議(各奉行が集まって裁きをする会議)で、菓子職人が嵌められて遠島になったのだから無罪であることを主張して、菓子職人を放免し、妾として囲われていた相愛の女性共々に江戸を離れるという結果になる。そして、妾を囲っているのではないかと疑われた「パチ助」のために、逸馬はその家族を屋形船にさそって、家族の仲を取り持つというところで終わる。
表題はもちろん、「東風吹かば 匂いをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」という「飛梅伝説」で有名な菅原道真の歌からとられたもので、望郷の歌であったこの歌を、この作品では男女の相聞歌として用いているものである。
第四話「やじろべえ」は、かつて寺子屋の「一風堂」で同席していた男が、儒学者として江戸に舞い戻り、江戸の町を混乱させることを企んで、鳥居耀蔵と水野忠邦によって非業の死を迎えなければならなかった武田信三郎の父親の恨みを晴らしたいと思っていた信三郎の母を巻き込んで騒動を起こそうとするのを、信三郎と逸馬が協力して阻止していくというものである。様々な政治的な力が働く中で、「ただただ人々を守る」という思いで働く逸馬の姿が貫かれていく。
江戸末期の混乱していく幕府体制の中で、どこまでも非政治的であろうとし、しかも弱者のための行動や正義、人への思いやりや情を大切にし、その姿勢を爽やかに貫こうとする主人公たちの姿は、ある意味で考えさせられるものであるが、人の爽快さというのは、そういうものかもしれないと思ったりする。
作品全体に少し雑なところもあるし、人物像も通説に従いすぎているのだが、作品の展開としては、こうした展開は面白く読めるだろう。欲を言えば、歴史的考察はきちんとされているのだが、鳥居耀蔵や遠山景元は、歴史上の人物であり、実際の人物像と通説には大きな隔たりがあるのだから、もう少し深く掘り下げた人物として描かれた方がよい気がした。鳥居耀蔵などはあまりに戯画化されすぎている気がする。
2011年5月14日土曜日
諸田玲子『天女湯おれん これがはじまり』
降り続いた雨が上がって、ようやく爽やかな新緑の五月を感じる日になった。福島の原子力発電所のメルトダウンが報じられ、この近郊でも放射能汚染の被害があることが伝えられたが、制御不能の事態はこれまでと変わりなく、風と雨と海流によって汚染の拡散が今後も広がっていくだろう。
ただ、事態の収拾に向けての可能な限りの懸命な努力が続けられていることは事実で、こういう事態の中で無責任な「誰かの責任を問う」といった愚かな風潮が広がっていることは危惧している。
そんな中で、江戸時代の大火で被災した主人公を描いた諸田玲子『天女湯おれん これがはじまり』(2010年 講談社)を、物語の面白さと合わせて、「災害の中で行く抜く人間」という別の視点でも読んだ。文学がもつ不思議な「預言的機能」ということも感じたわけである。
諸田玲子の作品は久しぶりな気がする。この『独り読む書の記』に記しているのを調べてみたら、2010年11月25日に、浅井三姉妹の「お江」を描いた『美女いくさ』以来で、その時も久しぶりに彼女の作品を読んでいた気がしたのだが、今回も、約半年ぶりに読んだことになる。
この作品は、以前に出されていた『天女湯おれん』(2005年 講談社)で描かれていた主人公の「おれん」が、なぜ、天女湯という湯屋の女将になったのかの理由を記す、文字通り「これがはじまり」の書で、続編ではなく遡った前史を記すというところに、作品としての面白さや作者自身の現在を感じた次第である。
諸田玲子という作家は、これまで読んだ限りでは、実に多才で、作品に応じた書き方をすることができる作家で、シリアスなものはシリアスに、ユーモアのあるものはユーモアに富んだ描き方ができて、たとえばこの『天女湯おれん』は、彼女の『あくじゃれ瓢六捕物帳』などの作品群に属する作品だといえるだろう。
前作の『天女湯おれん』は、もうずい分前に読んでいて、この『独り読む書の記』に記していないことからすれば、少なくとも2009年以前には読んでおり、「おれん」という美貌でしゃきしゃきの江戸っ子気質をもつ主人公の、そのしゃきしゃきぶりが見事に描かれる中で、男女の生々しい描写などがあり、それがまた光っていたのだが、この『天女湯おれん これがはじまり』では、その生臭さが消えて、その分、火事で焼け出された「おれん」が気丈に立ち直っていく姿が中心に描き出されている。そこに、災害で多くを失いながらも、その中を生き抜く姿を感じたりもしたわけである。
「おれん」は武家の娘であったが、母親が上役から手籠めにされて自害し、父親はそのことで自ら浪人となり裏店に住んでいたが、その父親が貧しい暮らしがたたって湯屋で倒れ、その湯屋の主から助けられたことが縁で、湯屋で居候をして働いていたが、父親が病死した後、その湯屋の主である利左衛門の養女となって育てられた女性である。
だが、文政十二年(1829年)に神田佐久間町河岸から出火した大火によって、すべてが焼け、義父の利左衛門も焼け死に、彼女が思慕を寄せていた町奉行所吟味方与力の嫡男である新村左近も失ってしまう。「おれん」と新村左近は相愛だったのだが、身分違いということで、「おれん」が泣く泣く身を引いた仲であった。そして、火事に見舞われた「おれん」を助けに火事場に飛んできてくれたのだが、燃えさかる梁が肩に落ちて命を失ってしまうのである。
焼け出された「おれん」は、お救い小屋(幕府の救済小屋)で生活を始める。そこには、元の湯屋の裏にあった裏店の住人たちもいる。やがて、それぞれのところで復興が始まっていくが、裏店の家主も焼死して、その後を継ぐはずだった娘が親族にだまされて権利証を奪われ、身を吉原に売られ、持ち主となった金満屋が裏店を再建せずに貧乏人を追い出して金持ちのための家を造るという。困り果てた住人たちが「おれん」に相談に来て、「おれん」は理不尽な金萬屋の振る舞いに腹を立てて、人肌脱ぐことにするのである。
愛する者を失い、すべてを失った「おれん」だが、湯屋の再建と裏店を取り戻すことの難題を抱える。だが、裏店を取り戻すために奔走する過程で、女たらしだが妙に息の合う二枚目の弥助と出会い、その知り合いの気っぷのいい元盗人夫婦と出会い、金満屋がもつ土地の権利証を盗み出すことに成功する。また、お救い小屋の泥棒騒ぎで知り合った前科者の権六を泥棒騒ぎから助け出し、これらの人たちを中心にして八丁堀で湯屋を再建していくことになるのである。
裏店の持ち主の娘を吉原に売り飛ばして、土地建物を自分のものにした金満屋は、その非道ぶりの悪事がばれて、裏店も再建されることになる。
こうして、「おれん」の再建は見事に成し遂げられていくが、彼女は、その過程で経験した貧しい女性が身を売らなければならない境遇でひどい目にあっていることを考慮して、湯屋に隠し部屋を設け、そこでそういう女性に安心できるような後腐れのない金持ちの男を紹介したり、女たらしで美貌の弥助をつかって金持ちの後家を慰めたりすることを思いついていくのである。
役人が住む八丁堀の真ん中で、その役人の鼻をあかすようなことを企て、湯屋である「天女湯」を経営する女将になっていくのである。それは、思いやりの深い爽快な女性の姿でもある。
大火から逃げのびていく過程やお救い小屋での生活など、丁寧に描かれ、そこでの人の心情が溢れる描き方があって、「おれん」の、ひたむきだが、清濁合わせ呑んで知恵も度胸もある爽快な姿が浮かび上がってくる。妙な正義感や倫理観を振り回さないところがなおさらいい。
作者は、こういう大らかだが思いやりのある女性や人物を本当に良く描いているとつくづく思う。作者のシリアスな昨品もいいが、こういう作品が本当にいいと思っている。今必要なのは、こうした「おおらかさ」であるに違いない。
ただ、事態の収拾に向けての可能な限りの懸命な努力が続けられていることは事実で、こういう事態の中で無責任な「誰かの責任を問う」といった愚かな風潮が広がっていることは危惧している。
そんな中で、江戸時代の大火で被災した主人公を描いた諸田玲子『天女湯おれん これがはじまり』(2010年 講談社)を、物語の面白さと合わせて、「災害の中で行く抜く人間」という別の視点でも読んだ。文学がもつ不思議な「預言的機能」ということも感じたわけである。
諸田玲子の作品は久しぶりな気がする。この『独り読む書の記』に記しているのを調べてみたら、2010年11月25日に、浅井三姉妹の「お江」を描いた『美女いくさ』以来で、その時も久しぶりに彼女の作品を読んでいた気がしたのだが、今回も、約半年ぶりに読んだことになる。
この作品は、以前に出されていた『天女湯おれん』(2005年 講談社)で描かれていた主人公の「おれん」が、なぜ、天女湯という湯屋の女将になったのかの理由を記す、文字通り「これがはじまり」の書で、続編ではなく遡った前史を記すというところに、作品としての面白さや作者自身の現在を感じた次第である。
諸田玲子という作家は、これまで読んだ限りでは、実に多才で、作品に応じた書き方をすることができる作家で、シリアスなものはシリアスに、ユーモアのあるものはユーモアに富んだ描き方ができて、たとえばこの『天女湯おれん』は、彼女の『あくじゃれ瓢六捕物帳』などの作品群に属する作品だといえるだろう。
前作の『天女湯おれん』は、もうずい分前に読んでいて、この『独り読む書の記』に記していないことからすれば、少なくとも2009年以前には読んでおり、「おれん」という美貌でしゃきしゃきの江戸っ子気質をもつ主人公の、そのしゃきしゃきぶりが見事に描かれる中で、男女の生々しい描写などがあり、それがまた光っていたのだが、この『天女湯おれん これがはじまり』では、その生臭さが消えて、その分、火事で焼け出された「おれん」が気丈に立ち直っていく姿が中心に描き出されている。そこに、災害で多くを失いながらも、その中を生き抜く姿を感じたりもしたわけである。
「おれん」は武家の娘であったが、母親が上役から手籠めにされて自害し、父親はそのことで自ら浪人となり裏店に住んでいたが、その父親が貧しい暮らしがたたって湯屋で倒れ、その湯屋の主から助けられたことが縁で、湯屋で居候をして働いていたが、父親が病死した後、その湯屋の主である利左衛門の養女となって育てられた女性である。
だが、文政十二年(1829年)に神田佐久間町河岸から出火した大火によって、すべてが焼け、義父の利左衛門も焼け死に、彼女が思慕を寄せていた町奉行所吟味方与力の嫡男である新村左近も失ってしまう。「おれん」と新村左近は相愛だったのだが、身分違いということで、「おれん」が泣く泣く身を引いた仲であった。そして、火事に見舞われた「おれん」を助けに火事場に飛んできてくれたのだが、燃えさかる梁が肩に落ちて命を失ってしまうのである。
焼け出された「おれん」は、お救い小屋(幕府の救済小屋)で生活を始める。そこには、元の湯屋の裏にあった裏店の住人たちもいる。やがて、それぞれのところで復興が始まっていくが、裏店の家主も焼死して、その後を継ぐはずだった娘が親族にだまされて権利証を奪われ、身を吉原に売られ、持ち主となった金満屋が裏店を再建せずに貧乏人を追い出して金持ちのための家を造るという。困り果てた住人たちが「おれん」に相談に来て、「おれん」は理不尽な金萬屋の振る舞いに腹を立てて、人肌脱ぐことにするのである。
愛する者を失い、すべてを失った「おれん」だが、湯屋の再建と裏店を取り戻すことの難題を抱える。だが、裏店を取り戻すために奔走する過程で、女たらしだが妙に息の合う二枚目の弥助と出会い、その知り合いの気っぷのいい元盗人夫婦と出会い、金満屋がもつ土地の権利証を盗み出すことに成功する。また、お救い小屋の泥棒騒ぎで知り合った前科者の権六を泥棒騒ぎから助け出し、これらの人たちを中心にして八丁堀で湯屋を再建していくことになるのである。
裏店の持ち主の娘を吉原に売り飛ばして、土地建物を自分のものにした金満屋は、その非道ぶりの悪事がばれて、裏店も再建されることになる。
こうして、「おれん」の再建は見事に成し遂げられていくが、彼女は、その過程で経験した貧しい女性が身を売らなければならない境遇でひどい目にあっていることを考慮して、湯屋に隠し部屋を設け、そこでそういう女性に安心できるような後腐れのない金持ちの男を紹介したり、女たらしで美貌の弥助をつかって金持ちの後家を慰めたりすることを思いついていくのである。
役人が住む八丁堀の真ん中で、その役人の鼻をあかすようなことを企て、湯屋である「天女湯」を経営する女将になっていくのである。それは、思いやりの深い爽快な女性の姿でもある。
大火から逃げのびていく過程やお救い小屋での生活など、丁寧に描かれ、そこでの人の心情が溢れる描き方があって、「おれん」の、ひたむきだが、清濁合わせ呑んで知恵も度胸もある爽快な姿が浮かび上がってくる。妙な正義感や倫理観を振り回さないところがなおさらいい。
作者は、こういう大らかだが思いやりのある女性や人物を本当に良く描いているとつくづく思う。作者のシリアスな昨品もいいが、こういう作品が本当にいいと思っている。今必要なのは、こうした「おおらかさ」であるに違いない。
2011年5月12日木曜日
風野真知雄『耳袋秘帖 妖談しにん橋』
所用で仙台まで出かけていた。震災の復興作業のためにどのホテルも満室でホテルの利用を諦めていたのだが、ようやく少し高めのホテルに一室だけ空きが見つかった。ただそこは禁煙室で、愛煙家のわたしには少し酷な状態で過ごさなければならず、夜中に戸外まで喫煙に出たりして、快眠とはいかない滞在となった。
津波の被害がなかった内陸部でも震災の爪痕は色濃く、翌日出かけた沿岸部では言語を絶する光景が広がっていた。自治体が大きくて比較的組織化されている仙台市でもそうだから、小さな自治体で壊滅的な被害を受けた地域では、復興はまだ遠い気がした。しかし、それでも人は生きているし、また生きていける力を持っている。東北の底力のようなものも感じられて、大きな励ましを覚えたりもした。
往復の新幹線はまだ速度を落とした状態で、普通よりも時間がかかったのだが、その分、もっていった風野真知雄『耳袋秘帖 妖談しにん橋』(2010年 文春文庫)を読了することができた。前回に続いてシリーズの三作目で、これまでのこのシリーズの出版年がすべて2010年だから、かなり没入して一気に書かれたものではないかと思い、何事もスローペースなわたしのような人間には驚異的に映る。
本書の扉に「足かけ十八年にも及んだ根岸肥前守鎮衛の南町奉行としての仕事の中で、ただ一つ、後々まで切歯扼腕し、悔いることになったのが、この『しにん橋』にまつわる一件だったという」という言葉が記され、これから語られることが、明晰で「酸いも甘いも噛み分けた」根岸肥前守が幾分かの後悔をもって一件の結末を迎えたことが示唆されている。
この一件がどういう事件で、根岸肥前守がどのように切磋扼腕し、幾分かの後悔を覚えたのかが、本書の全体を貫く展開である。
その一件というのは、深川の海沿いに架かっている小さな仮橋を月夜に四人で並んで渡ると、その影が三つしか見えなくなる時があり、その時に影が消えた人物が一両日中に死に至るという出来事である。そして、その噂どおり、影が消えた人物が次々と死んでいくという奇妙な事件が起こったのである。
その全体を貫く事件の中で、このシリーズの特徴ともなっている『耳袋(耳嚢)』から採られたいくつかの奇談にまつわる出来事の真相が解明されていくのであるが、たとえば第一章「黒を白に」は、人語を話す長寿猫について記された『耳袋』の奇談と共に、行くへ不明となっていた鍋料理屋の元女将が飼っていた黒猫が、白猫になって戻ってきた話で、そこには街並みの景観を暗い黒から明るい白に変えることに、街の重みと尊厳がなくなるような気がして反対していた元女将を説得するために町屋の人たちが黒猫とそっくりに白猫を飼い慣らして、元女将に「白も悪くない」と思わせようとする柔らかくてゆっくりした、それでいて粋な計らいがあったことを肥前守があきらかにしていく話である。
「黒を白に」の結末は、町の人たちの粋な計略を知った元女将が説得を受け入れ、しかも黒猫とその黒猫の身代わりを白猫の二匹の猫を飼うことにしたという、これもまた粋な結末となっている。
第二章「その筋の神さま」というのは、ある旗本屋敷の庭の崖がくずれて、そこから表れた石像を泥棒よけの神さまとして祀っていたが、それは元大泥棒の石像で、泥棒の石像が泥棒よけになるという江戸時代の巷の人々がもっていた「信心」の一コマを描きながら、肥前守の手先となって働く同心の椀田豪蔵が謹慎処分となった原因の旗本の次男、三男のごろつき武家集団のひとりが「しにん橋」で影がなくなり、殺されて見つかるという事件が描かれたり、手裏剣の名手で美男の宮尾玄四郎の醜女好きぶりが描かれたりする中で、「しにん橋」の近くの永代橋の橋番の爺さんが、若い頃の肥前守の知り合いであるということがわかったりするという「しんに橋」事件の複線が貼られている。
第三章「久米の職人」は、美女に見とれて空から落ちてしまった「久米の仙人」の故事のように、『耳袋』の中の、入浴中の美女を見ようとして二階から落ちてしまった医者の話である「婦人に執着して怪我をした話」を入れながら、碁盤や将棋盤を作る職人が湯屋の二階から落ちて死んだという事故の裏にある真相を突きとめていくという話である。そして、その話の中で「しにん橋」の事件に、この事件の何かが絡んでいるということが示唆されているのである。
第四章「夏の病」は、仕入れ金などの支払いに迫られた搗米屋(つきごめや)の主人が仮病を騙って親類縁者に金を出させたという『耳袋』の話を基に、元気にしていた薬種問屋の後継ぎが「夏枯れ」のような奇妙な症状で死んだことを知った肥前守が、その真相の究明に乗り出し、そこに高価な人参を大量に入手するために薬種問屋の後継ぎと結託していた医者が、こんな男は死んでもいいと思ってトリカブトの毒を飲ませていたことを明らかにしていくというものである。
そして、高価な人参の仕入れ先が抜け荷(密貿易)と絡んでおり、ここで「しにん橋」の事件との関連性が語られていくのである。ここで医者の正体を暴くために、宮尾玄四郎に恋心を抱いて恋の病に陥った椀田豪蔵の姉が一役買ったりするし、抜け荷の横取りを企んだ旗本の次男・三男の武家集団との対決も描かれる。
終章の第五章「だいぶ前から」は、いよいよ「しにん橋」事件の決着で、「しにん橋」の影が消えるのが抜け荷の合図のための光が当たるためであることや、抜け荷をしていた一味が、そのことに気づいた者たちを殺していたこと、そして、その一味の首領が、肥前守の若い頃の知り合いである永代橋の橋番の爺さんであったことなどが明らかにされていく。抜け荷一味には、隠れキリシタンなども絡んでいるが、捕り方の中で、肥前守のすごさを認めながら一味の首領であった爺さんが息を引き取るのである。
これで「しにん橋」の事件は落着を見るのだが、永代橋で怪しげな動きをしていた男がいて、橋番をしながら抜け荷の見張りをしていた一味の首領の爺さんは、その男のことを不審に思っていた。爺さんは肥前守の腕の中で息を引き取る時、その男のことを遺言のようにして語っていた。そこで、肥前守がよく調べてみると、彼が真の悪党であることを感じ、彼を捕縛する。そして、その男は牢で自死する。しかし、男が仕掛けた罠があって、それは永代橋に切り込みを入れるというものであった。肥前守はそのことに気づかなかった。
そして、それから六年もして、富岡八幡宮の祭礼の日に、大勢が押しかけた永代橋が崩れ落ち、多くの死者が出る。壊れた橋の跡を調べてみると、そこに六年前に男が仕掛けた切り込みがあり、肥前守が自分の不明さを悔やむのである。
実際、1807年に富岡八幡宮の祭礼で大勢が乗ったままで永代橋が壊れ、およそ千五百人もの人が死んだといわれるが、この出来事と事件を結び着けて話が展開されたものになっている。
例によって、いくつかの『耳袋』の話が盛り込まれて混在し、それが複線にはなっているのだが、その複線が多すぎて全体を貫くものが散逸されていくきらいがないではないが、それぞれの逸話が特徴的なので、作品としての面白さがある。
266ページに「もしかしたら、人、いやあらゆる生きものの命とか魂とかは、ずうっと遠くからやって来たのではないか。しっかりと根づいた人間は、もうそのことを思わない。だが、根づくことができない人間、いつまでもさまよったり、漂ったりする人間というのは、それを心のどこかで感じているのではないか」という一文があって、これが、作者自身が感じている漂白の人生の心情ではないかと思ったりもする。
津波の被害がなかった内陸部でも震災の爪痕は色濃く、翌日出かけた沿岸部では言語を絶する光景が広がっていた。自治体が大きくて比較的組織化されている仙台市でもそうだから、小さな自治体で壊滅的な被害を受けた地域では、復興はまだ遠い気がした。しかし、それでも人は生きているし、また生きていける力を持っている。東北の底力のようなものも感じられて、大きな励ましを覚えたりもした。
往復の新幹線はまだ速度を落とした状態で、普通よりも時間がかかったのだが、その分、もっていった風野真知雄『耳袋秘帖 妖談しにん橋』(2010年 文春文庫)を読了することができた。前回に続いてシリーズの三作目で、これまでのこのシリーズの出版年がすべて2010年だから、かなり没入して一気に書かれたものではないかと思い、何事もスローペースなわたしのような人間には驚異的に映る。
本書の扉に「足かけ十八年にも及んだ根岸肥前守鎮衛の南町奉行としての仕事の中で、ただ一つ、後々まで切歯扼腕し、悔いることになったのが、この『しにん橋』にまつわる一件だったという」という言葉が記され、これから語られることが、明晰で「酸いも甘いも噛み分けた」根岸肥前守が幾分かの後悔をもって一件の結末を迎えたことが示唆されている。
この一件がどういう事件で、根岸肥前守がどのように切磋扼腕し、幾分かの後悔を覚えたのかが、本書の全体を貫く展開である。
その一件というのは、深川の海沿いに架かっている小さな仮橋を月夜に四人で並んで渡ると、その影が三つしか見えなくなる時があり、その時に影が消えた人物が一両日中に死に至るという出来事である。そして、その噂どおり、影が消えた人物が次々と死んでいくという奇妙な事件が起こったのである。
その全体を貫く事件の中で、このシリーズの特徴ともなっている『耳袋(耳嚢)』から採られたいくつかの奇談にまつわる出来事の真相が解明されていくのであるが、たとえば第一章「黒を白に」は、人語を話す長寿猫について記された『耳袋』の奇談と共に、行くへ不明となっていた鍋料理屋の元女将が飼っていた黒猫が、白猫になって戻ってきた話で、そこには街並みの景観を暗い黒から明るい白に変えることに、街の重みと尊厳がなくなるような気がして反対していた元女将を説得するために町屋の人たちが黒猫とそっくりに白猫を飼い慣らして、元女将に「白も悪くない」と思わせようとする柔らかくてゆっくりした、それでいて粋な計らいがあったことを肥前守があきらかにしていく話である。
「黒を白に」の結末は、町の人たちの粋な計略を知った元女将が説得を受け入れ、しかも黒猫とその黒猫の身代わりを白猫の二匹の猫を飼うことにしたという、これもまた粋な結末となっている。
第二章「その筋の神さま」というのは、ある旗本屋敷の庭の崖がくずれて、そこから表れた石像を泥棒よけの神さまとして祀っていたが、それは元大泥棒の石像で、泥棒の石像が泥棒よけになるという江戸時代の巷の人々がもっていた「信心」の一コマを描きながら、肥前守の手先となって働く同心の椀田豪蔵が謹慎処分となった原因の旗本の次男、三男のごろつき武家集団のひとりが「しにん橋」で影がなくなり、殺されて見つかるという事件が描かれたり、手裏剣の名手で美男の宮尾玄四郎の醜女好きぶりが描かれたりする中で、「しにん橋」の近くの永代橋の橋番の爺さんが、若い頃の肥前守の知り合いであるということがわかったりするという「しんに橋」事件の複線が貼られている。
第三章「久米の職人」は、美女に見とれて空から落ちてしまった「久米の仙人」の故事のように、『耳袋』の中の、入浴中の美女を見ようとして二階から落ちてしまった医者の話である「婦人に執着して怪我をした話」を入れながら、碁盤や将棋盤を作る職人が湯屋の二階から落ちて死んだという事故の裏にある真相を突きとめていくという話である。そして、その話の中で「しにん橋」の事件に、この事件の何かが絡んでいるということが示唆されているのである。
第四章「夏の病」は、仕入れ金などの支払いに迫られた搗米屋(つきごめや)の主人が仮病を騙って親類縁者に金を出させたという『耳袋』の話を基に、元気にしていた薬種問屋の後継ぎが「夏枯れ」のような奇妙な症状で死んだことを知った肥前守が、その真相の究明に乗り出し、そこに高価な人参を大量に入手するために薬種問屋の後継ぎと結託していた医者が、こんな男は死んでもいいと思ってトリカブトの毒を飲ませていたことを明らかにしていくというものである。
そして、高価な人参の仕入れ先が抜け荷(密貿易)と絡んでおり、ここで「しにん橋」の事件との関連性が語られていくのである。ここで医者の正体を暴くために、宮尾玄四郎に恋心を抱いて恋の病に陥った椀田豪蔵の姉が一役買ったりするし、抜け荷の横取りを企んだ旗本の次男・三男の武家集団との対決も描かれる。
終章の第五章「だいぶ前から」は、いよいよ「しにん橋」事件の決着で、「しにん橋」の影が消えるのが抜け荷の合図のための光が当たるためであることや、抜け荷をしていた一味が、そのことに気づいた者たちを殺していたこと、そして、その一味の首領が、肥前守の若い頃の知り合いである永代橋の橋番の爺さんであったことなどが明らかにされていく。抜け荷一味には、隠れキリシタンなども絡んでいるが、捕り方の中で、肥前守のすごさを認めながら一味の首領であった爺さんが息を引き取るのである。
これで「しにん橋」の事件は落着を見るのだが、永代橋で怪しげな動きをしていた男がいて、橋番をしながら抜け荷の見張りをしていた一味の首領の爺さんは、その男のことを不審に思っていた。爺さんは肥前守の腕の中で息を引き取る時、その男のことを遺言のようにして語っていた。そこで、肥前守がよく調べてみると、彼が真の悪党であることを感じ、彼を捕縛する。そして、その男は牢で自死する。しかし、男が仕掛けた罠があって、それは永代橋に切り込みを入れるというものであった。肥前守はそのことに気づかなかった。
そして、それから六年もして、富岡八幡宮の祭礼の日に、大勢が押しかけた永代橋が崩れ落ち、多くの死者が出る。壊れた橋の跡を調べてみると、そこに六年前に男が仕掛けた切り込みがあり、肥前守が自分の不明さを悔やむのである。
実際、1807年に富岡八幡宮の祭礼で大勢が乗ったままで永代橋が壊れ、およそ千五百人もの人が死んだといわれるが、この出来事と事件を結び着けて話が展開されたものになっている。
例によって、いくつかの『耳袋』の話が盛り込まれて混在し、それが複線にはなっているのだが、その複線が多すぎて全体を貫くものが散逸されていくきらいがないではないが、それぞれの逸話が特徴的なので、作品としての面白さがある。
266ページに「もしかしたら、人、いやあらゆる生きものの命とか魂とかは、ずうっと遠くからやって来たのではないか。しっかりと根づいた人間は、もうそのことを思わない。だが、根づくことができない人間、いつまでもさまよったり、漂ったりする人間というのは、それを心のどこかで感じているのではないか」という一文があって、これが、作者自身が感じている漂白の人生の心情ではないかと思ったりもする。
2011年5月9日月曜日
風野真知雄『耳袋秘帖 妖談かみそり尼』
昨日は、それまでとは打って変わったような汗ばむほどの陽射しがあり、今日も、時折雲がかかるが、気温が上がっている。今週はいくつかの予定があり、遠方にも出かけることになっているが、何となく蓄積している疲れを覚えている。それでも、朝から洗濯や掃除といった家事をし、少し仕事を片づけていた。
昨夜は、風野真知雄『耳袋秘帖 妖談かみそり尼』(2010年 文春文庫)を読んだ。これは、先に作詞家のT氏からいただいた書物の一冊で、前にこのシリーズの一作目である『妖談うしろ猫』(2010年 文春文庫)を読んで、『耳袋(耳嚢)』で著名な南町奉行所の名奉行であった根岸肥前守鎮衛を主人公にして、その『耳袋』に残されている江戸時代の巷の妖談・奇談を題材にしながら作者の想像力を駆使して物語が展開されているので、読んで見たいと思っていたシリーズのひとつだから、くださったT氏に感謝しながら読んだ。
このシリーズの中では、妖談や奇談などに関心を深めた好奇心旺盛な根岸肥前守が極めて合理的な思考の持ち主であり、「あやしげな話」には必ず裏があることを察知して、持ち前の明晰な分析力と頭脳で真相の究明に当たっていく姿が描かれている。ここでは、根岸肥前守が江戸幕府の重職である南町奉行とは思えないくらいの気さくな、「酸いも甘いも噛み分けた」人物として描かれているし、彼の手足となって働く謹慎中の同心である椀田豪蔵や二枚目で手裏剣の名手だが醜女が好きな家来である宮尾玄四郎の姿もそれぞれに特徴があって面白い人物になっている。彼らの名前からして、犬と猫の鳴き声である「ワン」と「ミャオ」から作られたネーミングのようで、そういう駄洒落的なユーモアが意図的に盛り込まれている。
シリーズの二作目である『妖談かみそり尼』は、高田馬場の竹林に住む若くて美貌の尼僧の庵の近くで次々と剃刀で切られたような男の死体が発見され、その事件の解明が全体に流れる中で、『耳袋』で記されている小さな甕(瓶)から這い出してくる奇妙な油小坊主の話や、煙のように突然消えた男が数十年ぶりに出現した話、祟りをもたらすと恐れられたお化け欅の話、子守唄を歌うと凶事が起こるという長屋の話、薬ということで何でも黒焼きにする黒焼屋の話で、マムシに噛まれたままの指の黒焼きが売りに出された話、死んだ火消しの幽霊が火事場に出るという話などが盛り込まれていく。
作品全体を貫いている話は、江戸の流行を作り出そうとする小間物問屋や歌舞伎役者、商人が、流行に異様なまでに関心をもっていた美貌の尼僧を利用し、意図的に流行を作り出して金儲けをするために妖怪奇談を作って、巧妙な企みしていたのを根岸肥前守が暴き出していくというものである。そこに、それぞれに盛り込まれた話を関連させながら、その中で情けをかけるべき者には情けをかける人情裁きを見せたりして、流行というものの愚かさや怪しげな話の裏を明白にする展開になっている。
それぞれの奇談には、そこに隠されている人間模様があり、それが描き出されるし、主人公の根岸肥前守の大らかさや椀田豪蔵の気の強い姉の宮尾玄四郎に対する恋心といったような登場人物の設定なども特徴があって、全体的に面白く読むことができる。ただ、難点をいえば、盛り込まれている話が多く、それぞれが散逸的に描かれる嫌いがあって、全体を流れている話の集中力が取りにくく、その分、話の盛り上がりということが少し足りない気がしないでもない。
とはいえ、根岸肥前守の『耳袋』そのものが興味深いものであり、それを自在にこなしながら物語を展開するこのシリーズは、その発想だけでもなかなか大したものだと思っている。いい作品であることに変わりはない。
昨夜は、風野真知雄『耳袋秘帖 妖談かみそり尼』(2010年 文春文庫)を読んだ。これは、先に作詞家のT氏からいただいた書物の一冊で、前にこのシリーズの一作目である『妖談うしろ猫』(2010年 文春文庫)を読んで、『耳袋(耳嚢)』で著名な南町奉行所の名奉行であった根岸肥前守鎮衛を主人公にして、その『耳袋』に残されている江戸時代の巷の妖談・奇談を題材にしながら作者の想像力を駆使して物語が展開されているので、読んで見たいと思っていたシリーズのひとつだから、くださったT氏に感謝しながら読んだ。
このシリーズの中では、妖談や奇談などに関心を深めた好奇心旺盛な根岸肥前守が極めて合理的な思考の持ち主であり、「あやしげな話」には必ず裏があることを察知して、持ち前の明晰な分析力と頭脳で真相の究明に当たっていく姿が描かれている。ここでは、根岸肥前守が江戸幕府の重職である南町奉行とは思えないくらいの気さくな、「酸いも甘いも噛み分けた」人物として描かれているし、彼の手足となって働く謹慎中の同心である椀田豪蔵や二枚目で手裏剣の名手だが醜女が好きな家来である宮尾玄四郎の姿もそれぞれに特徴があって面白い人物になっている。彼らの名前からして、犬と猫の鳴き声である「ワン」と「ミャオ」から作られたネーミングのようで、そういう駄洒落的なユーモアが意図的に盛り込まれている。
シリーズの二作目である『妖談かみそり尼』は、高田馬場の竹林に住む若くて美貌の尼僧の庵の近くで次々と剃刀で切られたような男の死体が発見され、その事件の解明が全体に流れる中で、『耳袋』で記されている小さな甕(瓶)から這い出してくる奇妙な油小坊主の話や、煙のように突然消えた男が数十年ぶりに出現した話、祟りをもたらすと恐れられたお化け欅の話、子守唄を歌うと凶事が起こるという長屋の話、薬ということで何でも黒焼きにする黒焼屋の話で、マムシに噛まれたままの指の黒焼きが売りに出された話、死んだ火消しの幽霊が火事場に出るという話などが盛り込まれていく。
作品全体を貫いている話は、江戸の流行を作り出そうとする小間物問屋や歌舞伎役者、商人が、流行に異様なまでに関心をもっていた美貌の尼僧を利用し、意図的に流行を作り出して金儲けをするために妖怪奇談を作って、巧妙な企みしていたのを根岸肥前守が暴き出していくというものである。そこに、それぞれに盛り込まれた話を関連させながら、その中で情けをかけるべき者には情けをかける人情裁きを見せたりして、流行というものの愚かさや怪しげな話の裏を明白にする展開になっている。
それぞれの奇談には、そこに隠されている人間模様があり、それが描き出されるし、主人公の根岸肥前守の大らかさや椀田豪蔵の気の強い姉の宮尾玄四郎に対する恋心といったような登場人物の設定なども特徴があって、全体的に面白く読むことができる。ただ、難点をいえば、盛り込まれている話が多く、それぞれが散逸的に描かれる嫌いがあって、全体を流れている話の集中力が取りにくく、その分、話の盛り上がりということが少し足りない気がしないでもない。
とはいえ、根岸肥前守の『耳袋』そのものが興味深いものであり、それを自在にこなしながら物語を展開するこのシリーズは、その発想だけでもなかなか大したものだと思っている。いい作品であることに変わりはない。
2011年5月7日土曜日
鳥羽亮『はぐれ長屋の用心棒 長屋あやうし』
雨の土曜日になった。5日(木)の午後に同級生のT氏が美味しい珈琲と手製のコーヒーカップを手土産に訪ねてくれた。数十年ぶりで再会し、懐かしい話に花を咲かせた。卒業後、お互いに苦労は重ねたのだが、T氏は、演歌などの作詞も手がけておられて、そういう方面に無縁なわたしには、その話も興味深く伺うことができた。テレビドラマ用の「忠臣蔵」を多方面から捕らえた脚本を執筆中ということであった。
その夜、テレビドラマ向きと思われる少し軽いものをと思って、鳥羽亮『はぐれ長屋の用心棒 長屋あやうし』(2008年 双葉文庫)を読んだ。
気づいてみれば、けっこうこのシリーズの作品は読んでいて、第一作の『はぐれ長屋の用心棒』、二作目の『袖返し』、五作目の『深川しぐれ』、七作目の『黒衣の刺客』、九作目の『父子凧』、十作目の『孫六の宝』、十二作目の『瓜ふたつ』、15作目の『おっかあ』の八作品を読み、この『長屋あやうし』は第十三作目の作品である。
世の中の「はぐれ者」ばかりがすむ「はぐれ長屋」の住人である傘張り牢人の老剣客の華町源九郎を中心に、居合いの達人でありながら大道芸で生活を糊口している将棋好きの菅井紋太夫、還暦を過ぎて岡っ引きを引退し、娘夫婦の世話になっている孫六、親方と喧嘩をしてしがない包丁研ぎをしている茂次、砂絵を描いて見物料を取ることで暮らしを立てている三太郎の五人が、それぞれの特質を生かしながら市井の人間として諸悪と闘っていく姿を描いたこのシリーズは、第一作の初版が2003年だから精力的に書き続けられた息の長いシリーズになっている。
この『長屋あやうし』は、彼らが住んでいる通称「はぐれ長屋」と呼ばれる貧乏棟割り長屋である「伝兵衛長屋」が、深川の闇世界を牛耳る男に目をつけられて、地回り(やくざ)を使った乱暴狼藉によって立ち退きを迫られるという危機に直面した話である。闇世界を牛耳る男の正体は不明で、正体を巧妙に隠しながら、「伝兵衛長屋」の家主である材木問屋の息子を博打でつって誘拐し、家主の材木問屋を脅して巧妙に長屋に入り込み、乱暴狼藉を働いて住人たちの追い出しを図るのである。
住民たちが不安と恐怖を覚える中で、華町源九郎ら五人は、それぞれ手分けして、事柄の真相と陰で操る闇世界を牛耳る男の正体を暴き出し、住民追い出しに雇われていた乱暴者の破落戸や凄腕の牢人たちと対峙し、「はぐれ長屋」を救っていく。
このシリーズには、ひとつのパターンがあって、巧妙に仕組まれた悪と、その悪に雇われた凄腕の牢人といったものに「はぐれ長屋の用心棒」たちが対峙し、その悪を暴いて、孫六を初めとする茂次や三太郎が探索をし、剣客である華町源九郎や居合いの達人である菅井紋太夫が剣客として悪に雇われた凄腕の牢人と立ち会い、かろうじて勝利していくというもので、勧善懲悪の思想の問題もあって、通常はこういうパターンが繰り返されるとシリーズの途中で飽きがくるのだが、それぞれの人物描写や物語の展開があり、作者の手法もあって、「水戸黄門の印籠」のように、ある意味では安心して読めるものになっている。
そうした意味では娯楽時代小説としては気軽に読みやすく読める作品群と言える。また、長いシリーズになるとそれぞれの人物たちの背景や物語があって、人物がそれぞれに浮かび上がってくるので、それぞれの主人公たちの抱えている問題が描き出され、人はそれぞれに喜怒哀楽を抱えながら、それぞれに生きているということが示され、それが面白味を出すものになっている。勧善懲悪はリアリティーを欠くのだが、それを避けるために、主人公たちが斬られたり傷つけられたりしていくという工夫が施されているところも作者ならではではないかと思う。
最近の小説は、文学作品も含めてなのだが、映像ということが意識されているのか、人の思いや心情、思想というものを深く掘り下げるような作品が少ないが、娯楽物ということでは、それはそれでいいのかも知れないと思っている。そうなると、読ませる展開と作者の力量というものが作品の出来不出来に大いに関係してくるのだが、鳥羽亮にはその力量があると読みながら感心したりした。
その夜、テレビドラマ向きと思われる少し軽いものをと思って、鳥羽亮『はぐれ長屋の用心棒 長屋あやうし』(2008年 双葉文庫)を読んだ。
気づいてみれば、けっこうこのシリーズの作品は読んでいて、第一作の『はぐれ長屋の用心棒』、二作目の『袖返し』、五作目の『深川しぐれ』、七作目の『黒衣の刺客』、九作目の『父子凧』、十作目の『孫六の宝』、十二作目の『瓜ふたつ』、15作目の『おっかあ』の八作品を読み、この『長屋あやうし』は第十三作目の作品である。
世の中の「はぐれ者」ばかりがすむ「はぐれ長屋」の住人である傘張り牢人の老剣客の華町源九郎を中心に、居合いの達人でありながら大道芸で生活を糊口している将棋好きの菅井紋太夫、還暦を過ぎて岡っ引きを引退し、娘夫婦の世話になっている孫六、親方と喧嘩をしてしがない包丁研ぎをしている茂次、砂絵を描いて見物料を取ることで暮らしを立てている三太郎の五人が、それぞれの特質を生かしながら市井の人間として諸悪と闘っていく姿を描いたこのシリーズは、第一作の初版が2003年だから精力的に書き続けられた息の長いシリーズになっている。
この『長屋あやうし』は、彼らが住んでいる通称「はぐれ長屋」と呼ばれる貧乏棟割り長屋である「伝兵衛長屋」が、深川の闇世界を牛耳る男に目をつけられて、地回り(やくざ)を使った乱暴狼藉によって立ち退きを迫られるという危機に直面した話である。闇世界を牛耳る男の正体は不明で、正体を巧妙に隠しながら、「伝兵衛長屋」の家主である材木問屋の息子を博打でつって誘拐し、家主の材木問屋を脅して巧妙に長屋に入り込み、乱暴狼藉を働いて住人たちの追い出しを図るのである。
住民たちが不安と恐怖を覚える中で、華町源九郎ら五人は、それぞれ手分けして、事柄の真相と陰で操る闇世界を牛耳る男の正体を暴き出し、住民追い出しに雇われていた乱暴者の破落戸や凄腕の牢人たちと対峙し、「はぐれ長屋」を救っていく。
このシリーズには、ひとつのパターンがあって、巧妙に仕組まれた悪と、その悪に雇われた凄腕の牢人といったものに「はぐれ長屋の用心棒」たちが対峙し、その悪を暴いて、孫六を初めとする茂次や三太郎が探索をし、剣客である華町源九郎や居合いの達人である菅井紋太夫が剣客として悪に雇われた凄腕の牢人と立ち会い、かろうじて勝利していくというもので、勧善懲悪の思想の問題もあって、通常はこういうパターンが繰り返されるとシリーズの途中で飽きがくるのだが、それぞれの人物描写や物語の展開があり、作者の手法もあって、「水戸黄門の印籠」のように、ある意味では安心して読めるものになっている。
そうした意味では娯楽時代小説としては気軽に読みやすく読める作品群と言える。また、長いシリーズになるとそれぞれの人物たちの背景や物語があって、人物がそれぞれに浮かび上がってくるので、それぞれの主人公たちの抱えている問題が描き出され、人はそれぞれに喜怒哀楽を抱えながら、それぞれに生きているということが示され、それが面白味を出すものになっている。勧善懲悪はリアリティーを欠くのだが、それを避けるために、主人公たちが斬られたり傷つけられたりしていくという工夫が施されているところも作者ならではではないかと思う。
最近の小説は、文学作品も含めてなのだが、映像ということが意識されているのか、人の思いや心情、思想というものを深く掘り下げるような作品が少ないが、娯楽物ということでは、それはそれでいいのかも知れないと思っている。そうなると、読ませる展開と作者の力量というものが作品の出来不出来に大いに関係してくるのだが、鳥羽亮にはその力量があると読みながら感心したりした。
2011年5月5日木曜日
坂岡真『照れ降れ長屋風聞帖 子授け銀杏』
この連休は全体的にあまり天気が優れず、今日も曇り空が広がり、気温が低い。予想に反して各観光地では大勢の人出があり、高速も渋滞しているとの報道がされ、ここでも、東名高速の青葉インターの近くということもあって旧大山街道である246号線も渋滞している。各地に出かけた人たちのインタビューで、「少しでも消費をすることで、被災した人々の復興になれば」という声をたくさん聞いて、この国の人たちは本当に思いやりと優しさに満ちているという気さえした。もちろん、個人的にはいろいろだろうが、こういう気持ちが国を動かすものになってほしいとさえ思う。
彼の地では、国際的テロ組織の指導者が米軍によって殺害され、大統領が「正義がなされた」と宣言したことが報道された。国民の90%がそれを支持しているともいわれる。だが、いかなる正当な理由があるにしろ、殺人によって行われた行為を「正義」と呼ぶことはできない。報復や仇討ちが忍耐によって断ち切られるところにこそ人の豊かさは芽生える。
そんなことを感じながら、坂岡真『照れ降れ長屋風聞帖 子授け銀杏』(2006年 双葉文庫)を一気に読んだので、ここに記しておくことにする。この書き下ろしのシリーズは、前に五作目の『あやめ河岸』と十一作目の『盗賊かもめ』を読み、これは六作目の作品だから、飛び飛びにぽつりぽつりと読んでいることになるが、作品がそれぞれに独立した展開になるような工夫がされているので、それぞれに面白い。
また、書き下ろしとは思えないような文章の巧みさがあって、たとえば、本作の第一話「白鼠」で、琴三味線卸の大店の出戻り娘が殺され、内濠に死体となって浮かんでいるのが発見された情景で、「汀の舟寄せには荷を積んだ小舟がつぎつぎに漕ぎよせ、荷役夫たちが忙しなく働いている。川端には車力や出職や少女たちが行き交い、いつもと同じ朝のいとなみがはじまっていた」(54ページ)とあり、何ら変わらない平凡な日常の中で、胸に匕首(短刀)を突き立てられた娘の死骸が川面に浮かぶ残酷さが、生と死の対比として描き出され、そこにこの作者の人間の日常を鋭く見る目を感じたりする。
本作には「白鼠」、「月夜に釜」、「木更津女」、「子授け銀杏」の四話が収められ、第一話「白鼠」は、飢饉に襲われて年貢が払えなくなり、両親も死んでしまって佐渡から逃げてきた兄弟が、江戸で途方もなくしているところを三弦師(三味線作り)に助けられて育てられ、兄はその三弦師の親方の世話で琴三味線卸の大店で、くるくるとよく働くので「白鼠」と呼ばれるほどになり、その大店の出戻り娘と結婚して暖簾分け(店を構えること)の話が進むが、三弦師の娘と恋仲であり、その義理と恋の狭間で悩んでいた時に、琴三味線卸の大店の出戻り娘が殺されてしまうという事件を取り扱ったものである。
「白鼠」と呼ばれた兄に殺人の疑いがかかる。主人公の浅間三左衛門は、その兄と恋仲である三弦師の娘が町でからかわれているのを助けて知り合い、その殺人事件に出くわして、兄の疑いを晴らすために動き出し、その殺人に、その大店のどら息子を利用した強欲な金貸しが絡んでいることをつきとめて行き、事件の解決に臨んでいくのである。
逃散(田畑を捨てて逃げてしまうこと)しなければならなかった兄弟の姿や、義理と恋の中で恋を取る兄の決意、また事件の探索に向かう主人公の足取りなど、この作者ならではの丁寧な展開がされている。もっとも、悪が強欲な金貸して凄腕の用心棒を雇っているというのは、少しありきたりの気がしないでもないが、中年の痩せ牢人である主人公が、思わぬところで三味線をつま弾いたりするのは、作者が語り出す主人公の面白さであり、それがこのシリーズの柱ともなっていて、その人間味が面白い。
第二話「月夜に釜」は、主人公の狂歌仲間の友人である定町廻り同心の八尾半四郎の父親で元同心の八尾半兵衛を中心とする物語で、八尾半兵衛は隠居して、親子ほども年の違う宿場女郎だった娘に惚れて、彼女を身請けして一緒に静かに暮らしているが、ある夜に辻斬りに出会うのである。そして、その辻斬りが落としていった印籠から、元強盗が廻船問屋の商人となり、津軽藩江戸留守居役と結託して抜け荷(密貿易)を企んでいる事件と関わっていくのである。
ここにも辻斬りをしなければならなくなった南部藩の牢人の夫婦の悲哀などが盛り込まれて、物語の幅と深みを与えているし、老いた八尾半兵衛の活躍が光る仕掛けがされている。
第三話「木更津女」は、主人公の浅間三左衛門が惚れて一緒に暮らしている十分の一屋(仲人業)をしている「おまつ」の、人はよいがどうしようもない遊び人の弟「又七」の恋の顛末を描いたもので、彼が惚れた女のために十両を工面しようとして、知り合った奇妙でユニークな牢人と一緒に、強欲な金貸しから金を痛快にせしめていく展開になっている。
第四話「子授け銀杏」は、照れ降れ長屋に越してきたばかりの面白い牢人が、芸者に惚れ、その身請けの金の工面を牢人の人柄の良さもあって長屋中で手伝ったが、その牢人が切り刻まれて殺され、川に浮かんでしまう。彼が惚れた芸者も悲観して身を投げてしまう。牢人は、元久留米藩の勘定方(計理)で、藩の勘定奉行の不正を暴いたために、反対に藩を追われて牢人となっていたのである。義憤を感じた浅間三左衛門は、同じ長屋に住む牢人と事件の真相を探ろうとする。その事件の裏に、金満家で鳥屋をして金貸しもしている男と結託して、性悪な元勘定奉行の次男が絡み、不正告発の逆恨みがあることがわかり、小太刀の業を駆使して、殺された牢人と芸者の無念を晴らしていくのである。
この第四話で、主人公の浅間三左衛門と「おまつ」が雑司ヶ谷にある鬼子母神の「子授け銀杏」に参ったりしながら、ふたりの間に子どもができたことが語られ、中年になって子どもを持つことの嬉しさが語られたりする。
ここに収録されている作品は、取り扱われる事柄が昨今の時代小説によくあるものではあるのだが、登場人物がそれぞれユニークで、それぞれに妙味があって、それだけに読ませる作品になっている。構成も文章も書き下ろしとは思えない出来が保たれていると思う。
彼の地では、国際的テロ組織の指導者が米軍によって殺害され、大統領が「正義がなされた」と宣言したことが報道された。国民の90%がそれを支持しているともいわれる。だが、いかなる正当な理由があるにしろ、殺人によって行われた行為を「正義」と呼ぶことはできない。報復や仇討ちが忍耐によって断ち切られるところにこそ人の豊かさは芽生える。
そんなことを感じながら、坂岡真『照れ降れ長屋風聞帖 子授け銀杏』(2006年 双葉文庫)を一気に読んだので、ここに記しておくことにする。この書き下ろしのシリーズは、前に五作目の『あやめ河岸』と十一作目の『盗賊かもめ』を読み、これは六作目の作品だから、飛び飛びにぽつりぽつりと読んでいることになるが、作品がそれぞれに独立した展開になるような工夫がされているので、それぞれに面白い。
また、書き下ろしとは思えないような文章の巧みさがあって、たとえば、本作の第一話「白鼠」で、琴三味線卸の大店の出戻り娘が殺され、内濠に死体となって浮かんでいるのが発見された情景で、「汀の舟寄せには荷を積んだ小舟がつぎつぎに漕ぎよせ、荷役夫たちが忙しなく働いている。川端には車力や出職や少女たちが行き交い、いつもと同じ朝のいとなみがはじまっていた」(54ページ)とあり、何ら変わらない平凡な日常の中で、胸に匕首(短刀)を突き立てられた娘の死骸が川面に浮かぶ残酷さが、生と死の対比として描き出され、そこにこの作者の人間の日常を鋭く見る目を感じたりする。
本作には「白鼠」、「月夜に釜」、「木更津女」、「子授け銀杏」の四話が収められ、第一話「白鼠」は、飢饉に襲われて年貢が払えなくなり、両親も死んでしまって佐渡から逃げてきた兄弟が、江戸で途方もなくしているところを三弦師(三味線作り)に助けられて育てられ、兄はその三弦師の親方の世話で琴三味線卸の大店で、くるくるとよく働くので「白鼠」と呼ばれるほどになり、その大店の出戻り娘と結婚して暖簾分け(店を構えること)の話が進むが、三弦師の娘と恋仲であり、その義理と恋の狭間で悩んでいた時に、琴三味線卸の大店の出戻り娘が殺されてしまうという事件を取り扱ったものである。
「白鼠」と呼ばれた兄に殺人の疑いがかかる。主人公の浅間三左衛門は、その兄と恋仲である三弦師の娘が町でからかわれているのを助けて知り合い、その殺人事件に出くわして、兄の疑いを晴らすために動き出し、その殺人に、その大店のどら息子を利用した強欲な金貸しが絡んでいることをつきとめて行き、事件の解決に臨んでいくのである。
逃散(田畑を捨てて逃げてしまうこと)しなければならなかった兄弟の姿や、義理と恋の中で恋を取る兄の決意、また事件の探索に向かう主人公の足取りなど、この作者ならではの丁寧な展開がされている。もっとも、悪が強欲な金貸して凄腕の用心棒を雇っているというのは、少しありきたりの気がしないでもないが、中年の痩せ牢人である主人公が、思わぬところで三味線をつま弾いたりするのは、作者が語り出す主人公の面白さであり、それがこのシリーズの柱ともなっていて、その人間味が面白い。
第二話「月夜に釜」は、主人公の狂歌仲間の友人である定町廻り同心の八尾半四郎の父親で元同心の八尾半兵衛を中心とする物語で、八尾半兵衛は隠居して、親子ほども年の違う宿場女郎だった娘に惚れて、彼女を身請けして一緒に静かに暮らしているが、ある夜に辻斬りに出会うのである。そして、その辻斬りが落としていった印籠から、元強盗が廻船問屋の商人となり、津軽藩江戸留守居役と結託して抜け荷(密貿易)を企んでいる事件と関わっていくのである。
ここにも辻斬りをしなければならなくなった南部藩の牢人の夫婦の悲哀などが盛り込まれて、物語の幅と深みを与えているし、老いた八尾半兵衛の活躍が光る仕掛けがされている。
第三話「木更津女」は、主人公の浅間三左衛門が惚れて一緒に暮らしている十分の一屋(仲人業)をしている「おまつ」の、人はよいがどうしようもない遊び人の弟「又七」の恋の顛末を描いたもので、彼が惚れた女のために十両を工面しようとして、知り合った奇妙でユニークな牢人と一緒に、強欲な金貸しから金を痛快にせしめていく展開になっている。
第四話「子授け銀杏」は、照れ降れ長屋に越してきたばかりの面白い牢人が、芸者に惚れ、その身請けの金の工面を牢人の人柄の良さもあって長屋中で手伝ったが、その牢人が切り刻まれて殺され、川に浮かんでしまう。彼が惚れた芸者も悲観して身を投げてしまう。牢人は、元久留米藩の勘定方(計理)で、藩の勘定奉行の不正を暴いたために、反対に藩を追われて牢人となっていたのである。義憤を感じた浅間三左衛門は、同じ長屋に住む牢人と事件の真相を探ろうとする。その事件の裏に、金満家で鳥屋をして金貸しもしている男と結託して、性悪な元勘定奉行の次男が絡み、不正告発の逆恨みがあることがわかり、小太刀の業を駆使して、殺された牢人と芸者の無念を晴らしていくのである。
この第四話で、主人公の浅間三左衛門と「おまつ」が雑司ヶ谷にある鬼子母神の「子授け銀杏」に参ったりしながら、ふたりの間に子どもができたことが語られ、中年になって子どもを持つことの嬉しさが語られたりする。
ここに収録されている作品は、取り扱われる事柄が昨今の時代小説によくあるものではあるのだが、登場人物がそれぞれユニークで、それぞれに妙味があって、それだけに読ませる作品になっている。構成も文章も書き下ろしとは思えない出来が保たれていると思う。
2011年5月2日月曜日
羽太雄平『芋奉行 青木昆陽』
薄く雲が広がっているが、予報では雨は降らないと出ていたので、朝から寝具を洗濯したり干したり、寝室のカーテンを洗ったりして家事に没頭していた。それから、今年は数十年ぶりくらいにこの連休に特別な予定はないので、以前から手を着けてまだ終わらない原稿の整理などをしていた。近くのホームセンターに日用品の買い出しにも行こうかと思っている。
昨夜は少し疲れも覚えていたのだが、作った「肉じゃが」がいたく美味しくできて、「これはうまくいった」と思いながら、羽太雄平『芋奉行 青木昆陽』(1997年 光文社)を読んだ。
これは、江戸中期に幕府の飢餓対策の農作物となって関東地方に広まっていったサツマイモ栽培の試作を行い、後に「甘藷先生」とまで呼ばれた儒学者青木昆陽(1698-1769年)についての伝記小説ではなく、青木昆陽が大岡越前守忠相の命を受けて徳川領となっていた甲斐(甲府)の古文書調査を行ったことに基づいて、その昆陽が幕府の甲府埋蔵金探索に用いられたという設定をした、ある種の秘宝探索の冒険小説である。
江戸南町奉行を長年勤め、名奉行と人気を博した大岡越前守忠相は、その後、寺社奉行となり、大岡越前守に見出された青木昆陽はその配下として古文書調査を行っているが、この作品では、その際に公儀お庭番が同行することになり、お庭番は、困窮していた江戸経済を救うための一策としての武田家の埋蔵金探索を密かに大岡忠相から命じられ、昆陽の古文書調査の名目をかりて、昆陽をも巻き込んで探索を行っていくという筋書きになっている。
作中の人物がユニークで、青木昆陽はあまり風采のあがらない独身男であるが、儒学者らしく洞察力に優れたところがあり、古文書調査を命じ、お庭番まで同行させた大岡越前守の真意を察していく人物であとして描かれている。また、荷物持ちの中間として同行することになったお庭番は、忍びの者としての相当な力量をもっているが、ケチで金勘定にうるさく、また、昆陽の用心棒という形で同行して剣の修行をしようとする旗本の次男坊は、どこかのんびりしたところがあって、この三人が、埋蔵金探索を阻止しようとする旧領主の柳沢家との争いを展開していくのである(五代将軍綱重のお気に入りとなり権勢を誇った柳沢吉保は甲府領主となった)。
もちろん、実際に武田家の埋蔵金などは発見されていないのだから、昆陽らの調査によって埋蔵金が埋められているらしい場所は見つかるが、柳沢家によって爆破され、真偽がわからないというところで結末となるのだが、甲州街道を旅していく過程での姿や、昆陽の妻女となる大柄の女性との出会など、随所に作者の想像力が発揮されて面白く読める。
この作者の作品は初めて読むが、かなり綿密な歴史知識に基づいて、しかも縦横にそれが自然な形で織り込まれているので、物語として面白いものになっている。本のタイトルから青木昆陽について書かれた作品かと思わせられるので、タイトルで損をしている気がしないでもない。作者には1991年の作品で第2回時代小説大賞を受賞した徳川家康の秘宝を巡る争いを描いた『本多の狐』という作品があり、こうした展開はお手の物のような気もする。
青木昆陽という人は、学者としては極めて真面目だがあまり面白味のない人だと思っていた。しかし、こういう作品で描かれると親近感が湧くのは間違いない。昆陽を描いた小説に、わたしは初めて出会った。
昨夜は少し疲れも覚えていたのだが、作った「肉じゃが」がいたく美味しくできて、「これはうまくいった」と思いながら、羽太雄平『芋奉行 青木昆陽』(1997年 光文社)を読んだ。
これは、江戸中期に幕府の飢餓対策の農作物となって関東地方に広まっていったサツマイモ栽培の試作を行い、後に「甘藷先生」とまで呼ばれた儒学者青木昆陽(1698-1769年)についての伝記小説ではなく、青木昆陽が大岡越前守忠相の命を受けて徳川領となっていた甲斐(甲府)の古文書調査を行ったことに基づいて、その昆陽が幕府の甲府埋蔵金探索に用いられたという設定をした、ある種の秘宝探索の冒険小説である。
江戸南町奉行を長年勤め、名奉行と人気を博した大岡越前守忠相は、その後、寺社奉行となり、大岡越前守に見出された青木昆陽はその配下として古文書調査を行っているが、この作品では、その際に公儀お庭番が同行することになり、お庭番は、困窮していた江戸経済を救うための一策としての武田家の埋蔵金探索を密かに大岡忠相から命じられ、昆陽の古文書調査の名目をかりて、昆陽をも巻き込んで探索を行っていくという筋書きになっている。
作中の人物がユニークで、青木昆陽はあまり風采のあがらない独身男であるが、儒学者らしく洞察力に優れたところがあり、古文書調査を命じ、お庭番まで同行させた大岡越前守の真意を察していく人物であとして描かれている。また、荷物持ちの中間として同行することになったお庭番は、忍びの者としての相当な力量をもっているが、ケチで金勘定にうるさく、また、昆陽の用心棒という形で同行して剣の修行をしようとする旗本の次男坊は、どこかのんびりしたところがあって、この三人が、埋蔵金探索を阻止しようとする旧領主の柳沢家との争いを展開していくのである(五代将軍綱重のお気に入りとなり権勢を誇った柳沢吉保は甲府領主となった)。
もちろん、実際に武田家の埋蔵金などは発見されていないのだから、昆陽らの調査によって埋蔵金が埋められているらしい場所は見つかるが、柳沢家によって爆破され、真偽がわからないというところで結末となるのだが、甲州街道を旅していく過程での姿や、昆陽の妻女となる大柄の女性との出会など、随所に作者の想像力が発揮されて面白く読める。
この作者の作品は初めて読むが、かなり綿密な歴史知識に基づいて、しかも縦横にそれが自然な形で織り込まれているので、物語として面白いものになっている。本のタイトルから青木昆陽について書かれた作品かと思わせられるので、タイトルで損をしている気がしないでもない。作者には1991年の作品で第2回時代小説大賞を受賞した徳川家康の秘宝を巡る争いを描いた『本多の狐』という作品があり、こうした展開はお手の物のような気もする。
青木昆陽という人は、学者としては極めて真面目だがあまり面白味のない人だと思っていた。しかし、こういう作品で描かれると親近感が湧くのは間違いない。昆陽を描いた小説に、わたしは初めて出会った。
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