2011年5月9日月曜日

風野真知雄『耳袋秘帖 妖談かみそり尼』

 昨日は、それまでとは打って変わったような汗ばむほどの陽射しがあり、今日も、時折雲がかかるが、気温が上がっている。今週はいくつかの予定があり、遠方にも出かけることになっているが、何となく蓄積している疲れを覚えている。それでも、朝から洗濯や掃除といった家事をし、少し仕事を片づけていた。

 昨夜は、風野真知雄『耳袋秘帖 妖談かみそり尼』(2010年 文春文庫)を読んだ。これは、先に作詞家のT氏からいただいた書物の一冊で、前にこのシリーズの一作目である『妖談うしろ猫』(2010年 文春文庫)を読んで、『耳袋(耳嚢)』で著名な南町奉行所の名奉行であった根岸肥前守鎮衛を主人公にして、その『耳袋』に残されている江戸時代の巷の妖談・奇談を題材にしながら作者の想像力を駆使して物語が展開されているので、読んで見たいと思っていたシリーズのひとつだから、くださったT氏に感謝しながら読んだ。

 このシリーズの中では、妖談や奇談などに関心を深めた好奇心旺盛な根岸肥前守が極めて合理的な思考の持ち主であり、「あやしげな話」には必ず裏があることを察知して、持ち前の明晰な分析力と頭脳で真相の究明に当たっていく姿が描かれている。ここでは、根岸肥前守が江戸幕府の重職である南町奉行とは思えないくらいの気さくな、「酸いも甘いも噛み分けた」人物として描かれているし、彼の手足となって働く謹慎中の同心である椀田豪蔵や二枚目で手裏剣の名手だが醜女が好きな家来である宮尾玄四郎の姿もそれぞれに特徴があって面白い人物になっている。彼らの名前からして、犬と猫の鳴き声である「ワン」と「ミャオ」から作られたネーミングのようで、そういう駄洒落的なユーモアが意図的に盛り込まれている。

 シリーズの二作目である『妖談かみそり尼』は、高田馬場の竹林に住む若くて美貌の尼僧の庵の近くで次々と剃刀で切られたような男の死体が発見され、その事件の解明が全体に流れる中で、『耳袋』で記されている小さな甕(瓶)から這い出してくる奇妙な油小坊主の話や、煙のように突然消えた男が数十年ぶりに出現した話、祟りをもたらすと恐れられたお化け欅の話、子守唄を歌うと凶事が起こるという長屋の話、薬ということで何でも黒焼きにする黒焼屋の話で、マムシに噛まれたままの指の黒焼きが売りに出された話、死んだ火消しの幽霊が火事場に出るという話などが盛り込まれていく。

 作品全体を貫いている話は、江戸の流行を作り出そうとする小間物問屋や歌舞伎役者、商人が、流行に異様なまでに関心をもっていた美貌の尼僧を利用し、意図的に流行を作り出して金儲けをするために妖怪奇談を作って、巧妙な企みしていたのを根岸肥前守が暴き出していくというものである。そこに、それぞれに盛り込まれた話を関連させながら、その中で情けをかけるべき者には情けをかける人情裁きを見せたりして、流行というものの愚かさや怪しげな話の裏を明白にする展開になっている。

 それぞれの奇談には、そこに隠されている人間模様があり、それが描き出されるし、主人公の根岸肥前守の大らかさや椀田豪蔵の気の強い姉の宮尾玄四郎に対する恋心といったような登場人物の設定なども特徴があって、全体的に面白く読むことができる。ただ、難点をいえば、盛り込まれている話が多く、それぞれが散逸的に描かれる嫌いがあって、全体を流れている話の集中力が取りにくく、その分、話の盛り上がりということが少し足りない気がしないでもない。

 とはいえ、根岸肥前守の『耳袋』そのものが興味深いものであり、それを自在にこなしながら物語を展開するこのシリーズは、その発想だけでもなかなか大したものだと思っている。いい作品であることに変わりはない。

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