師走に入ると、やはり寒さが一段と厳しくなったような気がする。昨日から雨模様の寒い日となり、平地でも雪が降るかも知れないとの予報が出ている。こんな寒い日々は愛する人と暖かく過ごすのが一番だろうが、わたしの現実では不可能事であるから、節電が叫ばれてはいるが、せいぜい暖房を強くして湯豆腐でも作ろうかと思ったりする。
さて、『花や散るらん』の続きであるが、桂昌院への従一位叙任は公家方と大奥の画策にも関わらず決定され、事柄が別の進展となっていく。桂昌院への従一位の叙位決定で咲弥の大奥での役割は終わったように見受けられたが、浅野内匠頭の刃傷沙汰の折りに見事に大奥を取り鎮めた彼女は、そのまま大奥に留められて出ることができず、ついに徳川綱吉から夜伽の声がかかってしまう。大奥では、30歳を過ぎて綱吉から声がかかった場合、いったん家老の柳沢保明に下げ渡され、綱吉が柳沢の屋敷に赴いた際にそこで綱吉との同衾を強要されるのであった。柳沢保明の側女であった「お染」がそれの例であり、「お染」が生んだ子は徳川綱吉の子ではないかといわれている。
監禁同様に柳沢家に押し込められた咲弥の身が危うくなる。彼女は、夫の蔵人が自分を助けに来てくれると固く信じていたが、それが間に合わずにいよいよとなったら舌を噛み切って死ぬことを決意する。帰りが遅い咲弥の身を案じ、彼女を取り戻す決意をして京都から江戸に出てきていた雨宮蔵人はそのことを知る術もなかったが、咲弥から届けられた和歌を知り、蔵人は咲弥を救い出すため柳沢家に乗り込んでいくのである。そして、柳沢家が火事になった隙を突いて奮闘しながら彼女を助け出すのである。
他方、赤穂の牢人たちは大石内蔵助を中心にまとまりはじめる。この辺りの経過は、よく調べられて描かれており、大石内蔵助の人となりも見事に描かれ、雨宮蔵人が大石内蔵助に自分と似たようなところがあることを認めていったりするという姿で、大石内蔵助の器の大きな姿と雨宮蔵人の姿が重ねられていく。
そして、討ち入り間近の日、咲弥を助けて飛脚屋に潜んでいた蔵人が堀部安兵衛に会いにいった隙を突いて娘の「香也」が何者かに誘拐されてしまう。
雨宮蔵人と咲弥の娘「香也」は、実は、吉良上野介が京都で知り合った女に生ませた子で、吉良上野介が愛した女性もその子の「香也」の母親も、吉良上野介の正室である富子が放った神尾与右衛門に斬り殺されていたのである。吉良上野介の正室であった富子は、米沢藩主上杉定勝の四女で、武門の誉れ高い上杉家は、当時30万石の米沢藩の大名であり、高家とはいえ4千石程度の旗本である吉良家とは格が違っていた。富子は吉良家に嫁いでも上杉家での暮らし方を変えることなく、気位が高く、夫が外で女を作り、しかも子までなしたことが後々跡目相続の禍根を残すことになることを危ぶんで、神尾与右衛門に殺させたのである。従って、「香也」は吉良上野介の孫であった。そして、たまたま「香也」の両親が殺される場に行き会わせた咲弥と蔵人が「香也」だけを助けることができて、自分たちの子として育てていたのである。
隠居した吉良上野介は棲息生活の中で孫娘に会いたいと願い神尾与右衛門に掠わせ、吉良家に留め置いたのである。そして、雨宮蔵人がそれを知ったのは赤穂浪士の討ち入りの日であった。雨宮蔵人は赤穂浪士の討ち入りを知っていたが、蔵人は「香也」を助け出しに行き、討ち入りの最中に「香也」を見つけて助け出すのである。
この辺りのことで、いくつか記しておきたいことがある。一つは、物語の初めから吉良上野介の手先として働いてきていた神尾与右衛門のことで、神尾与右衛門は、大柄で恐ろしげな顔つきをしていたために人々から恐れられるだけで慕われることがなかったが、「香也」の実父だけが彼と親交をもってくれていた。神尾与右衛門は、もともと富子が吉良家に嫁ぐときに上杉家からきた人物で、富子の命に服従を強要されていた。そのために、自分の友人夫妻で「香也」の両親を殺さなければならなかったのである。復命は家臣として絶対であった。吉良上野介と富子の間は冷え切っており、神尾与右衛門は、一方では吉良上野の命を受けると共に、他方では富子の命に服従を強いられていた。つまり、二人の主人に仕えなければならずに、板挟みの状態に置かれていたのである。
この神尾与右衛門に蔵人は、「その主のためなら死んでもよいと思える相手こそがわが主じゃ」と言い、「いまのわしにとっては、咲弥と香也が主だということになるのう」と語る(242ページ)。この蔵人の言葉と姿に神尾与右衛門は打たれて、富子が去った後も吉良家に留まり、赤穂浪士の討ち入りの際に堀部安兵衛から斬られて死ぬのである。彼は、蔵人の言葉によって死地を求め、その場が与えられたといってもよいだろう。自分の主とは誰か、蔵人は躊躇することなく、それは愛する者だと言う。そういう生き方に徹することこそが最も大切なのだとわたしも思う。
二つ目は、蔵人が娘の「香也」を助けるために討ち入りが行われることを知って吉良家に赴くときに、もし討ち入りと重なると赤穂の浪士たちが間違えて蔵人を襲うことがあるかも知れないと言われ、「なんの、おのれの心が直であれば、間違いは起きますまい」というくだりである(274ページ)。この「心が直くあること」、「心を直くすること」、それが雨宮蔵人の神髄であり、この物語は『いのちなりけり』からそういう姿を主題としてもっていたことが改めてわかる。人々は雨宮蔵人のこの心の直さに深い感銘を与えられていくのである。
三つ目は、いよいよ討ち入りの最後、赤穂浪士たちが吉良上野介を捜し出そうとしているときに、その敷地内で雨宮蔵人はようやく「香也」を見つけるが、「香也」が「自分の大好きな人を失いたくない」と言われ、吉良上野介が自分のお爺様だと聞かされ、お爺様を守りたいといくことを承知して、赤穂浪士たちが武士の義によって討ち入りしたことはわかっているが娘との約束は果たさなければならないと決め、47人の赤穂浪士に単身立ち向かうところである。
物語は、そこでその様子を物陰から見ていた吉良上野介が自ら名乗り出て討たれ、蔵人と香也は無事に吉良家を出て行くことになている。もちろん、それは作者の創作だが、何が義かということに対して蔵人が娘との約束を果たすことを躊躇なく選択する姿は、心に迫るものがある。
雪が降りしきる中で「香也」を抱いて門から出たときに、背後で赤穂浪士たちの勝鬨の声が上がる。
「蔵人の腕に抱かれた香也が空を見上げた。
『お父上、雪が-』
薄紫の雲から白い花のように雪が降ってくる。蔵人はつぶやいた。
『いのちの花が散っているのだ』」(287ページ)
と結末が描写される。一篇の短い詩のような言葉でこの物語が終わる時、わたしは本を閉じて深い感銘の中に置かれた。
その他にも、本書には後に国学者の荷田春満(かだのあずまろ)となった羽倉斎(はぐらいつき)と柳沢保明の愛妾にされた公家の娘である正親町町子(おおぎまち まちこ)との実らない恋が、蔵人と咲弥の深い愛情の姿と重ねられて描かれたりする。咲弥が蔵人による救出を信じ切り、そして、実際にその通りに蔵人が柳沢保明の手から咲弥を救い出したとき、町子は咲弥にたいして、「ほんまに幸せなおなごがいた」と思うのである。
朝廷方と幕府、大奥内での勢力争い、徳川綱吉や柳沢保明、吉良上野介、浅野内匠頭、そして大奥やそれぞれの女性たち、そういうすべてがどろどろとした人間たちがうごめく中で、雨宮蔵人と咲弥は「心が直」で、ただひたすら愛する者を信じ、そのために生きる。そういう描き方がされて、まことに見事な作品だと思っている。
人は、自分が愛する者のために生きており、またそのように生きている自分を愛する者がわかってくれていると思えること以上に命の充実はない。人の幸せの究極の姿がこの雨宮蔵人と咲弥にあり、作者が描きたいと思っていた姿が見事な、多くの歴史上の人物や出来事の中での構成と展開の中で示されている。改めて、葉室麟という優れた作家の作品を読めたことを心底思うような感銘深い作品だった。
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