冬型の気圧配置が厳しく、北日本は大荒れで太平洋沿岸は晴れた寒い日々が続いている。今日から図書館が休館日になるというので、昨日、仕事を途中で止めてあざみ野の山内図書館に行ってきた。お正月を読書で過ごそうとする人が多いのか、いつもの陪以上の人が書架を眺めていた。本は売れないそうだが、この国の読書人口はまだまだ捨てたものではないと思ったりした。
先に東郷隆『大江戸打壊し 御用盗銀次郎』(2006年 徳間書店)を読んだが、この一冊だけでは何とも言えない気がしていたので、続いて東郷隆『御町見役うずら伝右衛門・町あるき』(2001年 講談社)を読むことにした。
これも『御町見役うずら伝右衛門』(1999年 講談社)という前作があるのだが、尾張徳川という江戸時代の中でも極めて特異な存在を取り扱っているし、特に八代将軍徳川吉宗と尾張の徳川宗春の確執は人間的にもなかなか興味を引くものがあるので、『御用盗銀次郎』よりも面白く読めた。徳川吉宗と尾張の徳川宗春の確執は様々な時代小説の背景としてよく出てくるが、多くは江戸幕府中興の祖ともいわれる八代将軍徳川吉宗の側から尾張徳川家の悪辣さを描き出すもので、尾張徳川家の立場にいる人物を取り上げた作品は意外に少ない。その意味でも着眼が面白いと思った。
この物語には、その徳川将軍家と尾張徳川家の間の確執が背景としてあり、特に尾張徳川家の七代藩主であった徳川宗春による江戸幕府に対する反骨精神の発揮が背景としてあるので、最初にそのことについて少し触れておこう。
尾張徳川家は、徳川将軍家に後継ぎがいないときに将軍位を継ぐ者を輩出するために設置された「御三家」の筆頭で、尾張藩62万石の藩主である。藩祖義直(徳川家康の九男)以来の勤王思想を受け継ぎ、朝廷とも深い関わりを持っており、明治維新の際には倒幕軍である官軍側についている。それは御三家のひとつでもあった水戸徳川家とよく似ており、御三家のうちの二つまでもが勤王思想であったことは興味深い。その点から見ても、尾張徳川家は徳川将軍家と代々思想的な確執があったと言えるかも知れない。
この確執が最も端的に表れたのが、七代将軍の徳川家継が僅か八歳で没したときの将軍位を巡る争いで、尾張藩主六代目の徳川継友と紀州藩藩主となった徳川吉宗が将軍位を巡って争い、結局、徳川吉宗が八代将軍となったのだが、御三家筆頭としての面目がつぶれ、吉宗との間の確執が続いたのである。将軍となった吉宗が御庭番を作り尾張徳川家を見張らせたことはよく知られた事実である。その徳川継友の死についても(三八歳で急死)、吉宗の陰謀説があったりもする。この徳川継友は、「性質短慮でケチ」と言われたが尾張藩の財政を立て直し、やがて「尾張の春」と呼ばれるような繁栄をもたらしている。この継友に子どもがなかったために弟の宗春(通春)が七代藩主となったのである。
八代将軍徳川吉宗と尾張七代藩主徳川宗春はそれまで昵懇の間柄だったのだが、享保の改革が実行され、質素倹約が徹底されて祭りや芝居などが縮小されたり廃止されたりする時、宗春は尾張城下で祭りを奨励し、芝居見物を許可し、自身も派手な衣装を身に纏って、芝居小屋や遊郭などの施設を許可し、江戸幕府の方針とは全く逆の規制緩和政策を採った。宗春は吉宗に対してよりも幕閣に対して否を唱えたっかったのだろうと思う。「行きすぎた倹約はかえって庶民を苦しめることになる」と考え、江戸幕府の倹約経済政策に真っ向から対立する自由経済政策を採ったのである。
そのことで名古屋の街は活気づき、大いに繁栄した。宗春は、斬新な政策をいくつも打ち出し、まれに見る自由思想の持ち主だったのである。たとえば、宗春の治世の間では尾張藩では一人の死刑も行われなかったし、犯罪を処分する政策ではなく、犯罪を起こさない町作りを目指し、藩士による巡回をさせている。心中も、当時は死罪に値するものであったが、心中未遂者に夫婦として生活する許可を与えている。また、市ヶ谷にあった尾張藩上屋敷を江戸庶民に開放したりした。現代の日本政府の増税策に対して名古屋が減税策を打ち出したのは、一つの面白い現象だろう。歴史は繰り返すのかもしれない。
だが、幕府と朝廷側の争いもあったりして、朝廷と密接に関係していた尾張徳川家の宗春のこうした姿勢が質素倹約による緊縮財政政策を採る幕府の威信を揺らがせているという幕閣の批判が強くなったこともあり、幕府と朝廷の争いの中で宗春と尾張藩は政略的に板挟みとなる。それが宗春失脚につながったりして、尾張藩内部でも混乱が生じたりした。
本書は、その宗春が戸山の尾張藩下屋敷の広大な藩邸内に町屋を建設し、居ながらにして江戸の町が楽しめるような工夫を凝らしたことから、その藩邸内の町屋の責任を担わされた「うずら伝右衛門」を主人公にした物語である。
「うずら伝右衛門」は、戸山下屋敷内で飼われていた鶉(ウズラ)の小屋番であったためにこの名を宗春からつけられたものだが、その下屋敷内の町屋が消失する事件が起こり(この辺りがたぶん前作の物語なのだろうと推測される)、その町屋の再建のために御町屋庭園の責任者として御町見役を仰せつかっているのである。身分としては比較的軽いものではあるが、実は、藩主宗春の同腹(母親が同じ)の弟であり、宗春の信任も厚く、密命を帯びて宗春のために働く者でもあるという設定になている。
この「うずら伝右衛門」にぞっこん惚れているのが宗春の別式女の「百合」で、「百合」は別式女の頭で、屋敷内では家老と同等の力を与えられていた。別式女というのは、礼儀作法や武術に優れ、藩主や藩主家族の警護にあたり、剣術指導もした。大名家の家族が住む奥は男子禁制であるため武芸に優れた女性が必要とされ、外出の際などは男装していたといわれる。「百合」は、いわゆる男装の麗人といわれる美貌の持ち主で、剣の腕も優れているのである。
だからそれだけに武骨でもあり、「うずら伝右衛門」に対する恋心も見え見えで、直線的でほほえましくさえある。本書ではあまり登場しないが、もう一人の恋敵である女八卦見の「お幸」との恋の鞘当てもある。物語は、この「うずら伝右衛門」と「百合」が協力して、屋敷内外で起こる出来事に当たっていくという筋であり、第一話「不典にて候」は、藩邸内に駆け込んできた武士を匿うという武家の作法を逆手にとって「百合」に懸想して尾張藩邸にやってきた青年の素朴な心情を「うずら伝右衛門」が見抜いていくという話である。
第二話「小便組の女」は、旗本家の中間で、実は将軍徳川吉宗の御庭番でもある助十となのる折助賭博(旗本家の中間は奉行所の監視が届かない屋敷内で博打場を開いたりしていた)の親方の甚内の博打場で知り合った医者が、女を旗本の妾などに斡旋する仕事をしていることを知り、「うずら伝右衛門」がその医者の下で使われている女を助けていく話である。妾奉公をさせられる女性は、行った先で寝小便をし、それが嫌がられて帰させられることを繰り返し、医者はその斡旋手数料を稼いでいたのである。こういう女性は、いわゆる「小便組」といわれた女性で、ところが行った先の旗本に惚れ、その心情を何とかしたいという姉から「うずら伝右衛門」が相談を受け、姉に彼女の妹を縛りつけている医者と対決する方法を授けるのである。
たわいもないと言えばたわいもない話なのだが、徳川吉宗の御庭番である甚内と尾張徳川宗春に仕える「うずら伝右衛門」は、本来、仇敵なのだが、「うずら伝右衛門」の飾らない鷹揚さに、甚内はいつのまにか「うずら伝右衛門」に助力していくようになるというのが、主人公の人柄を伝えるものになっている。
第三話「川獺」は、江戸では必要だった井戸さらえや堀さらえ、川さらえの仕事に絡む事件で、尾張藩中屋敷にあった池での「川獺うわさ話」に決着をつける話で、第四話「はやり神始末」は、ひとりの男が水練中に事故死したことから、尾張徳川家三代藩主綱誠(つななり)の側室で四代藩主吉通を生んだ「お福の方」と呼ばれた本寿院の秘事が明らかになりそうになるのを防いでいく話である。
「お福の方」と呼ばれた本寿院は、性的奔放さが目にあまった女性で、寺詣と称しては若い僧侶を弄んだり、屋敷内で町人や役者などを呼び込んで乱交を繰り返し、相撲を見てはその汗の匂いがたまらずに屋敷内で相撲取りを囲ったり、医者に自分の秘所を見られればその医者と交わったりして、淫乱極まりない女性だったと言われている。真相は別にして、実際、あまりのことに幕閣でも噂となり、尾張徳川家は彼女の蟄居を命じているが、尾張徳川家の弱点で、その本寿院の秘事の証拠が幕府に知られると幕閣内で弱みを握られることから、「うずら伝右衛門」が密かにその秘事の証拠を探し出していくというものである。
本寿院は自分の欲望の達成のために金を湯水のように使ったが、本寿院の秘事の証拠は本寿院の宝だと思う人間も出てくる。それを宝として守ってきていたのは、茶商の靑山林屋という諸大名家の御用商人で、そこには歴代「猿者」と呼ばれる陰の忍者集団も仕えていた。「うずら伝右衛門」と「百合」はその「猿者」と戦い、鎖鎌を使う男とも戦い、その家に隠されていた本寿院の宝(秘事の証拠)を探し出していくのである。その宝というのが「張り形(男性器を形取った物)」とうのが笑わせる。「張り形」ひとつに何人もの人間の血が流されるのだが、上に立つ物の無思慮は下の者を苦しめる典型でもあるだろう。
第五話「次郎太刀の行方」も、上に立つ物の気ままさが下にいる者を苦しめる話で、こちらは、武芸を奨励し刀剣好きの徳川吉宗が、ふとしたことから関ヶ原の合戦で使われた大太刀の「次郎太刀」のことを聞き、それを見たいと願って調べたところ、尾張徳川家が所蔵していることがわかり、その謁見を願い出るのである。
ところが、あるはずの「次郎太刀」がない。盗まれていたのである。尾張徳川家では大騒ぎとなり、「うずら伝右衛門」が探し出していくというもので、大山詣と絡んで話が展開されている。
本書が描く「うずら伝右衛門」という主人公は、自由闊達でこだわりがなく、だからといって矜持ははずさず、ある面では宗春の自由さや柔軟性を表したような人物として描かれ、敵とも親しくなり、上に媚びず下に厚い人間で、「ウズラ」小屋でウズラの世話をし、まあ、なかなか面白い主人公であるし、美貌の女剣士「百合」のぐいぐい直線的に迫る恋心もそれなりに受けながら過ごしていくというもので、娯楽時代小説の主人公としては面白い人物だと思う。
個人的に徳川宗春という人間には少し関心があって、後の田沼意次の自由経済政策にも影響を与えたが、厳格な規則づくめの江戸武家の中で卓越した人物だっただろうとは思っているので、内容は別にしても、その尾張徳川家を舞台とした本書も好感を持って読んだかも知れない。徳川宗春に関心があるのは、好みというのではなく、経済・社会思想の点でではあるが。
今年もあと数日になり、やり残したことが山ほどあって、たぶん、茫然と懐手して過ぎ行く年を長めそうな気がする。
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