2011年12月23日金曜日

高橋義夫『亡者の鐘 御隠居忍法』

寒波の襲来した冬らしい寒い曇り空が広がっている。昨日は冬至で、これから徐々に日中の時間が長くなっていくのだが、「地球は何もかも乗せて巡るなあ」と思ったりする。静かに時が流れていくのをぼんやり眺めていた。北朝鮮での指導者の死も、行き交う人たちも自分の「実存」にはかすかな意味しかもたらさないので、目くじらを立てて騒動することもなく、再び、ひたすら日常の自己満足に向かっていくのも悪くないと思っている。結局は、自分が満足できるかどうか、それが自己の関心事であってもよい。

 そんなことを考えながら夜を過ごし、高橋義夫『亡者の鐘 御隠居忍法』(2006年 中央公論社)を気楽に読んだ。これは、このシリーズの五作品目の作品だが、一話完結の形で記されているので、前作を知らなくても気楽に読めるが、四作目の『御隠居忍法 唐船番』(2002年 実業之日本社)を以前に読んでいた。出版社が変わっているので表題の表記の仕方が変えてあるのだろう。

 主人公は、鹿間狸斎という元公儀御庭番の伊賀者で、四十歳の声を聞くとさっさと家督を息子に譲り、隠居して、嫁いだ娘が住む奥州笹野藩(現:山形県米沢市)の五合枡村というところで暮らすようになった人物である。隠居といってもまだ四十歳代で、知力も気力もあり、伊賀者として身につけた探索力と手腕もある。彼が隠居すると同時に、彼の妻は彼の元を去ったが、五合枡村で「おすえ」という手伝いの女性との間に子どももできている。ある意味で羨ましい境遇ではある。

 このシリーズは、その鹿間狸斎が関係する人々の事件や元の上司で御庭番を束ねる人物からの依頼などで、隠居の身とはいえ探索する事件に関わっていく話が展開されているのだが、本書では、彼が住む五合枡村の近くの天領であった小板橋郷の奥寺で住持学頭(寺の総責任者)が鐘つき堂の釣り鐘の下敷きになって死に、それ以来、その奥寺の時の鐘が「亡者の鐘」と呼ばれるようになったことから、その噂の真相と住持学頭の死の真相を探っていく話である。

奥寺の住持学頭の死についての探索のために幕府から靑山俊蔵という侍が遣わされることになり、鹿間狸斎に、狸斎の上司であった御庭番頭からの添書をつけての助力の依頼があったことから、狸斎が靑山俊蔵に同行して小板橋郷まで出かけていく所から始まるのである。

 死んだ住持学頭の奥寺は、江戸の東叡山が直轄する寺で、東叡山寛永寺が徳川家の菩提寺であり、奥寺での事件は幕府にとっても大きな事件だったのである。派遣されてきた靑山俊蔵は、自分は算学侍だというが、どうも御庭番のひとりらしい。

 その靑山俊蔵とともに狸斎は、医者で冬虫夏草を探しているという触れ込みで奥寺まで出かけ、奥寺の住持学頭が鐘の下敷きで死んだのではなく、殺されたことを見抜いていくが、奥寺の村民全部が彼らの探索の邪魔をし、命さえ狙おうとするのである。奥寺の住民全部が外からの介入を阻止しようとしているのである。

 そんな中で探索に出た靑山俊蔵も崖から落とされて怪我をしたり、矢を射かけられたりするし、同行した岡っ引きの手下も怪我をしてしまう。だが、鹿間狸斎は探索を続け、この村が昔の「隠れ忍びの里」で、殺された住持学頭が江戸から奥寺の財政改革のためにやってきて、末寺の寺領を取り上げる策に出たために、末寺と村民たちが刺客を放って住持学頭を殺したことを突きとめていくのである。

 全体を通してみれば、主人公の鹿間狸斎は、隠居とはいえまだ40代の若さであり、しかも公儀御庭番として鍛え抜かれた技量と知識があり、彼が関わる事件が、人の欲が絡んだ財政問題、あるいはお家騒動であったりするという展開は、まあ、いってみれば気慰めの娯楽小説としての面白さがある。

 地方色の豊かさや村の閉鎖性などがよく表されている。村が閉鎖されているだけに人間関係が複雑にならざるを得ず、わたしのようなボヘミアン的志向の強い人間には、その人間関係に縛られている姿が不思議に思えたりする。嫌ならさっさと出て行き、そうして野垂れ死にしても良いと、今のわたしは思っている。物語の本筋とは無関係だが、本書の犯人のひとりが即身仏なる場面が描かれているが、若いころに野ざらしの中で餓死することを考えていたことを、ふと思い出したりした。

 村を守る、あるいは国を守る、家を守るという意識の強烈さはよく知っているが、守るべきものはあまりないと思っているから、そういう意識が下敷きになっている人々に会うと、わたしも閉口してしまう。思想的なことをいえば、この物語は閉鎖性と開放性の戦いの物語のようなものだろう。

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