予報通り震えるほどの寒い日になった。湿気を含んだ空気が冷え込んでいくような寒さで、疲労感も溜まっていく。寒いと身体を縮めていくのか、痛めている頸椎も痛み出したりしてくる。思いっきり暖房を効かせた部屋でぬくぬくと過ごせたらいいだろうな、と思ったりする。ひとつひとつをもっとゆっくりと丁寧にしていきたいのだが、今の時期はそれがなかなか適わない。
それはともかく、さて、葉室麟『川あかり』の続きであるが、大阪商人と癒着して私腹を肥やし、藩政を牛耳っていた家老の甘利典膳の刺殺を命じられた臆病者の伊東七十郎が川止めで知り合った佐々豪右衛門に連れて行かれた粗末な木賃宿には、川向こうの崇厳寺村の庄屋をしていたが病んで寝ついている佐次右衛門という老人とその孫の「さと」という娘、「五郎」という六歳ぐらいの子が階下にいて、佐々豪右衛門は伊東七十郎に、まず、挨拶料をやれとか、薬代を出せとかぶしつけに言うのである。伊東七十郎は面食らってしまうし、彼が寝泊まりすることになった二階には、白木の位牌を前にぶつぶつとお経を唱えている怪しげな坊主の徳元、猿廻しをしている弥之助、三味線を弾いて門付けの鳥追いをしているらしい二十二、三歳くらいの「お若」、やくざ者らしい遊び人の千吉がいて、それぞれ川あけを待っていた。
また、宿で飯炊きをしている「お茂婆」がいて、その木賃宿はいろいろな事情を抱えた人間が転がり込む吹き溜まりのような宿だった。朴訥で素朴な伊東七十郎は、そういう連中からからかわれながらもその宿で刺殺相手の甘利典膳が来るのを待つことにしたのである。そのくだりは面白おかしく丁寧に描かれている。雨は降り続き、なかなか川止めは明けそうにない。
そういう中で、佐々豪右衛門は、病で寝ついている佐次右衛門と孫たちの事情を伊東七十郎に話す。それは、10年前にも一月ほど雨が降り続き、巨勢川があふれそうになり、下流の大地主がもつ土地を救うために崇厳寺村がある土手の堤防を役人が切ってしまい、崇厳寺村が水没してしまった出来事であった。
下流の土地をもつ大地主は商人でもあり、藩に多額の金を貸し,苗字帯刀も許されていたので、綾瀬藩と隣接していた上野藩では、その田畑を救うために崇厳寺村を犠牲にしたのである。崇厳寺村の庄屋であった佐次右衛門は私財をはたいて水没した村の再建にかけずり回ったが、一人の力では無理で、そのうちに「おさと」たちの両親が流行病で死んでしまい、佐次右衛門は二人を引き取って村に帰るところであるというのである。その話を聞いて、伊東七十郎は、なけなしの一両を薬代として「おさと」に渡したりする。
そして、佐々豪右衛門から伊東七十郎の剣の腕が全く駄目なのを見抜かれたりして、伊東七十郎は自分が刺客であることを話し出すのである。佐々豪右衛門は「誰かが貧乏くじを引かねばならぬような話は、やはりおかしい」と言い、「ひとりだけが犠牲にならなければならないことなど、この世の中にはひとつもない。この世の苦は、皆で分かち合うべきものだ」と語るが(88-89ページ)、伊東七十郎は、「自分は臆病者だが、卑怯者ではない」(91ページ)と思うのである。伊東七十郎は、優しさのあまり剣の腕はからっきし駄目だが、身を守るための秘儀を父親から授けられていた。
相変わらず川止めが続く中で、七十郎が寝泊まりする木賃宿で一つの事件が起こる。逃げた女房を追って馬方の松蔵という男が斧をもって押しかけてきたのである。松蔵は女房が薬の行商人と浮気したと思い込み、行商人を斧で殺して女房を追いかけてきたのである。酔って乱暴を働き、「おさと」が人質に取られてしまう。そして遂に飯炊き婆の「お茂婆」が匿っていた女房が見つかってしまう。だれも手出しができずに七十郎の脇差しも取り上げられていた。だが、七十郎は、松蔵の隙を突いて棒手裏剣の技を繰り出し、「おさと」を助け、松蔵を捕らえるのである。
その時、七十郎が松蔵に言う言葉が彼の誠実な人柄を表す言葉になっている。彼はこう言う、
「松蔵殿、あんたは馬鹿だ。大事に思っている人なら、だまされたっていいじゃあないですか。信じるというのは、そういうことです」(112ぺーじ)。
これは、わたし自身が本当にそう思ってきたことで、こういう形で物語の展開の中で生き生きと語られることにひどく嬉しくなった言葉でもあり、葉室麟の他の作品でも随所に見られる深い意味合いのある言葉だとつくづく思う。
それはともかく、こうして伊東七十郎が剣の腕は駄目だが手裏剣の名手であることが知られてしまうが、捕縛に来た役人から、この辺りを荒らし回る「流れ星」と名乗る強盗団がいることを聞かされる。「流れ星」なる強盗団は、大店と武家屋敷ばかり狙う強盗団で、だれも気づかないうちに盗みを働き、署名を残していくという。
そして、実は木賃宿の二階に寝泊まりしている五人の男女がその「流れ星」なる強盗団で、七十郎は、偶然、怪しげな坊主の徳元が厨子の中に金の観音像をもっていることに気づいてしまう。そうしているうちに、役人が宿改めに来て、造り酒屋の大店である「出雲屋」から金の仏像が「流れ星」によって盗まれたことを告げる。七十郎は、徳元がもっていた金の観音像がそれであると気づいたが、役人の目からそれを隠し、彼らが「流れ星」であることを知る。彼らが強盗団となり、金の仏像を盗んだのには事情があった。
また、彼に刺殺を命じた増田惣右衛門から刺殺を急ぐように書状が届き、藩内屈指の剣の遣い手であり、稲垣頼母を暗殺したと思われる佐野又四郎が伊東七十郎を討つために追手として出たことを知らされる。七十郎は、自分ではとても適わないと愕然とする。
そこで、一味の首領格とも思える佐々豪右衛門から、その金の仏像を預かってくれと依頼され、その代わりに伊東七十郎に戦い方を教え、手助けすると申し出る。七十郎は、その申し出を一応受けて、その日から佐々豪右衛門の指導で稽古を始める。だが、七十郎の腕は上達しない。そんな中で、七十郎の追手である佐野又四郎の行くへを探っていた「お若」が人質として捕らえられてしまう。
伊東七十郎は、とても適わないと思いながらも「お若」を助けるために佐野又四郎と対決することを決心する。
「馬鹿を言うな。お主には大事な役目があるのだ。どこかに身を隠せ。お若は、わしらが取り戻す」と佐々豪右衛門は言う。だが、「ひと殺しを捕まえた後、お若さんから自分が人質になっても助けてくれるかと訊かれて、わたしは助けると答えました。ですから、わたしはお若さんを助けなければなりません」と七十郎は泣きそうな顔で言うのである。「恐ろしくて、いますぐ逃げ出したいです。でも、男が一度、口にしたことです。約束を守らなければ、お若さんは裏切られたと思うでしょう。わたしはお若さんにそんな思いはさせたくありません」と答えるのである(176ページ)。
この緊迫したくだりは胸を打つ。伊東七十郎の、どこまでもまっすぐで、人を悲しませたり、裏切られたた思いをもたせたりしたくないという決意は、彼の率直な人間性の豊かさを見事に表している。『いのちなりけり』の雨宮蔵人の青年版とも言えるだろう。
捕らわれた「お若」を救うために、伊東七十郎は剣の遣い手である佐野又四郎と一人対峙する。そして、斬られる寸前に、父親から身を守るために習っていた針を又四郎の目に放ち、彼を倒してしまうのである。そして、木賃宿の二階に寝起きする五人がなぜ強盗団の「流れ星」になったかの事情を知る。
十年前、巨勢川が氾濫したとき、佐々豪右衛門は崇厳寺村の寺子屋の師匠をしていて、徳元も弥之助も百姓であり、お若と千吉は豪右衛門の寺子屋に通っていたという。だが、大店の「出雲屋」がもっていた下流の田畑を救うために上野藩の役人が土手を切り壊して大水が崇厳寺村に流れ込み、徳元の女房と子どもが埋もれて死に、弥之助も村を離れて猿回しになったのである。そして、お若と千吉は、親を失った後に人買いに拐かされて江戸に売られてしまうのである。
佐々豪右衛門は二人を助け出すため江戸に行き、途中で出会った徳元と弥之助と共に二人を助け出して来たのである。ここにはその様子が詳しく記されているが、二人が人買いに拐かされた裏には、上野藩の大店であった「出雲屋」が絡んでいたのである。他方、崇厳寺村の庄屋であった佐次右衛門は、私財をなげうって村の再建を図っていたが、破産寸前となり、仕方なしに「出雲屋」に借金を頼った。「出雲屋」は千両の金を貸すといって証文を取り、とりあえず百両だけ貸したのである。ところが、残りを貸さないままで証文を盾に千両の借金の取り立てに来て、佐次右衛門の書画骨董を運び出し、佐次右衛門が最後の頼みとしていた金の仏像までも盗み出していたのである。金の仏像に関して「出雲屋」は知らぬ存ぜぬを言うだけである。
佐々豪右衛門と徳元、弥之助は、上野藩の役人と「出雲屋」の手代たちが酒盛りをしている「出雲屋」の別邸に行き、役人たちの刀や金目の物を持ち出し、こうして彼らは強盗団となり、「出雲屋」と関係がある大店や役人の屋敷だけを狙い、盗んだ金は村に送り、「出雲屋」に盗み取られた金の仏像を探していたのである。そして、ようやくそのありかを捜し出して、それを佐次右衛門に返すために盗み出してきたのだというのである。
この話を聞いて、伊東七十郎は、川あけまで金の仏像を守ることを「お若」に約束する。だが、そこに彼に刺殺を命じた増田惣右衛門から使わされて美祢本人が木賃宿にやってきた。綾瀬藩内で寺に立て籠もった若者たちが自分たちを扇動した儒学者を殺そうとして誤って庄屋の娘を殺してしまい、もはや甘利典膳を殺すしか道がなくなり、藩の遣い手であった佐野又四郎が追手になったことで七十郎が臆病風に吹かれて逃げ出すのではないかと案じ、美祢を差し出して念を押すためであった。
そこへ「出雲屋」自身が乗り込んできて、金の仏像を返せと言い出す。だが、伊東七十郎は、金の仏像は自分がもっているが真の持ち主がわかるまでは返せないと言い、「出雲屋」自身が金策に困っていると指摘する。それによって、ついてきていた上野藩の役人に「出雲屋」の借用書が大阪商人の手に渡ると上野藩は大変なことになると言い、役人たちと「出雲屋」を追い払うのである。
そして、念押しの犠牲となろうとする美祢に「典膳を討つのは、増田様から命じられたからではないのです。まして、稲垣家の五百石のためでも、美祢様のためでもありません。わたしは不正によって苦しむ領民のために刺客になりたいのです」(255ページ)と言って美祢を返すのである。
美祢は、自分がこれまでに七十郎に対して思い違いをしていたことに気づき、七十郎の本当の姿を知っていくが、七十郎は美祢を拒んでそのまま返す。彼は自分が返り討ちにあうだろうと思っていた。七十郎は、その夕暮れ、河畔で「おさと」から「川明かり」の話を聞く。それが本書の神髄でもあるので、ちょっと抜き出しておこう。
「七十郎さん、川明かりって知っていますか」
「川明かり? 知りません」
「もうじき川明かりが見えます。日が暮れて、あたりが暗くなっても川は白く輝いているんです。ほら・・・・」
おさとの言葉通りだった。
空は菫色で雲はまだ薄紫に染まっているが、山裾から河岸にかけては薄闇に覆われていた。だが、墨を塗ったかのような景色の中に、蛇行する川だけがほのかに白く浮き出ている.小波が銀色に輝き、生きているようにゆったりと流れていた。
川その物が光を放っているかのようである。
(まるで、黄泉の国を流れる命の川だ)
七十郎はそんなことを思いながら、茫然として見つめた。なぜか、心が温まるような眺めだった。
「お祖父ちゃんがよく言うのです。日が落ちてあたりが暗くなっても、川面だけが白く輝いているのを見ると、元気になれる。なんにもいいことがなくっても、ひとの心には光が残っていると思えるからって」(260-261ページ)
粗末な木賃宿にいた五人の「流れ星」と名乗る強盗団は、崇厳寺村にとっては「川明かり」であり、そしてなによりも、伊東七十郎の素朴で正直でまっすぐな姿こそが「川明かり」そのものである。本書は、これが書きたくて書かれたのではないかと思うほどである。そんな七十郎に「お若」も言う。「女はね、一度でもいいから大切にしてもらうと、自分を大切に思って生きていくことができるんです。わたしは七十郎さんから一生、胸に抱いていける宝物をもらったんですよ」と)266ページ)。
伊東七十郎が刺殺を命じられた甘利典膳は、借金のために父親が自害したことから「棒引き侍」とか「藩の面汚し」とか軽蔑されながら文武両道に励みながら、容姿も優れていたことから小姓組(藩所やその家族の世話をする役)として認められ、藩主に気に入られ、粉骨砕身して働き出世してきた人物であった。軽格の出であることから風当たりも強く、特に家老であった稲垣頼母の父親からは「成り上がり者」と蔑まれ、幾たびも危機を迎え、それを何とかしのいできて家老にまでのし上がったのである。大阪商人と癒着して得た金を藩内にばらまき、自らも私腹を肥やし、さらに藩政を牛耳るために上士の若者たちを切腹に追いやって上士の家を取り潰し、意のままに動く軽格の者を登用することを考えていた。
だが、肥やしていた私腹財産のことが藩主に知れ、一刻もその証拠を隠す必要があったのである。刺客が放たれたことも知っていたが、藩内一の遣い手である佐野又四郎がなんとかするだろうと思っていた。蔑まれてきた私怨を晴らすことも彼の脳裏には色濃くあった。
こうして、いよいよ川止めが止み、渡航が可能になった。七十郎が最後の朝を迎える日でもある。七十郎は皆に別れを告げて、ひとり川岸に向かう。甘利典膳の乗った輦台(れんだい・・川を渡るときに人を乗せるもの)が近づき、六人もの屈強な護衛がいる。臆病者である七十郎は恐ろしくなるが、それでも、典膳に向かっていく。しかし、棒立ちになったまま震えて動けない。そんな七十郎を見て、典膳はさげすむようにするだけである。
そのとき、七十郎の様子を案じていた五人の者たちが七十郎を助けるために駆けつけてきて一芝居打つ。典膳の護衛の武士たちはそちらに引きつけられ、ようやくひとりになった典膳に七十郎は名乗りを上げることができた。だが、典膳は、藩内一の臆病者と聞き、ひ弱そうに見える七十郎を冷笑するだけであった。七十郎は典膳に軽くあしらわれてしまい、典膳から斬られそうになる。だがその時、猿廻しの弥之助が飼っていた猿が典膳に飛びかかり、典膳は弥之助を殺そうとする。それを見て、震えていた七十郎は奮起し、典膳に向かっていく。そして、背中を斬られそうになるところで、脇差しを逆手にとったままで背中から典膳にぶつかり、不遜に笑っていた典膳を刺すのである。だが、護衛をしていた六人の侍たちが帰ってきて七十郎を取り囲む。
七十郎の窮地を見て、佐々豪右衛門を初めとする五人の者たちが命がけで七十郎を助け出そうとする。五人で屈強の侍六人に勝てるわけがないが、彼らは自分たちの命をかける。その姿を見て、「大切な人を守ろうと思えば怖いものはありません」(316ページ)と言い、七十郎は自分が斬られると進みである。そして、まさに刀が振り上げられたとき、綾瀬藩江戸屋敷詰の側用人が駆けつけてきて、ことを収めるのである。
すべてが収まり、木賃宿で知り合った五人や佐次右衛門、「おさと」らと分かれるときが来た。それぞれが川を渡っていく。「お若」も渡り賃が払えないので腰巻きだけで泳いでいく。それを見ながら、自分は一応藩に帰って報告はするが美祢とは夫婦にならないし、これからも臆病者として静かに生きていくだろうと考えていた。「お若」の肌がまぶしく光る。それを見ながら、女人の肌を見ることは妻だけであると言ってしまっていたことを思い出し、「お若」の肌を見てしまったのだから、国元に帰ったら「お若」を迎えにいこうと思うところで、この物語が爽やかに終わる。
読み終わって、単純だけれど、やはり並々ならぬ物語の展開と人物像を描きあげ、その中で人として生きることの上で大切にすべきことを盛り込んでいく作者に深く感服した。時代小説の神髄のようなものが作者の作品の中にはあると思う。
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