クリスマス前の一週間となり、年も押し詰まって慌ただしくなっているのだが、だいたい毎年、今頃は気分も呆けたようになっている。年明け早々に締めきりのある原稿にも手をつけずに、いっさいを横に置いてぼんやりと日々を過ごしている。これではいけないと朝から掃除をはじめ、カーテンを洗濯し、寝具を変えたりしていた。
ようやく一段落つき、宮部みゆき『おまえさん 上・下』(2011年 講談社文庫)を楽しみながら読んでいたので記しておくことにする。これは『ぼんくら』(2000年 講談社)、『日暮らし』(2005年 講談社)に続く作品で、どちらかといえばミステリーやSF物よりも時代小説の方がいい作品だと思っている宮部みゆきの久々のまとまった時代小説だから、発売されるとすぐに購入していた。作者の時代小説の最高作品は『孤宿の人』だと思うが、『ぼんくら』、『日暮らし』、『おまえさん』のシリーズの発行年がほぼ5年ごとで、まず、作者の思考力の持続性に脱帽する。しかも、本質的に物語作家であり長編作家である作者の書き下ろす分量は、本書でもかなり厚い上下二巻本で、執筆するエネルギー量にも驚嘆する。長編になる理由は作者の人間観をよく表していると思う。
宮部みゆきの文章や感性も非常に優れているが、この連続した三作品は、何と言っても登場人物がユニークである。
中心となっているのは奉行所臨時廻りの同心である井筒平四郎で、物覚えも悪く、細かなことは考えたくもなく、できるだけ働きたくないと思っているほどの茫洋とした人物だが、内実は、人を罪に定めることが嫌いで、鷹揚で懐が深く、情け深い人物なのである。実際は、繊細な感性と明察力をもっているが、それを決して表に出さないだけである。だから、かなりいいかげんな人間に映る。容貌も風采が上がらず、細い目に頬がこけて顎が長く、無精ひげがぼそぼそと生え、ひょろりとした体格をしている。剣の腕もからっきし駄目で、すぐに腰が引け、ぎっくり腰の持病もあって体力もない。こういう人物が作中の中心人物なのだから、展開が面白くないわけがない。
彼は仕事をしたくないので、ふとした事件で知り合った煮売り屋の「お徳」が営む「おとく屋」に入り浸っている。「お徳」との出会は『ぼんくら』で詳しく述べられている。その「お徳」もまた人情家で、気っぷのいい女性だが、しっかり者であり、井筒平四郎の本当の良さをよく知っている人物である。彼女は平四郎が自分の店でごろごろするのを喜んでいるのである。
彼の細君は、彼とは反対に絶世の美貌の持ち主で、明るく機知に富んでおり、手習い所の師匠をするほどの女性である。二人には子どもがない。その細君の姉が藍玉屋に嫁いでもうけた12歳になる四男の弓之助を養子にしたいと思っている。本書では、その細君の機知ぶりが光り、平四郎が恐れ入る場面も描かれている。
平四郎が可愛がり、養子にしたいと思っている藍玉屋の四男である少年弓之助は、誰もが虜になるほどの完璧な美貌の持ち主で、その美貌故に女難に遭うのではないかと思われるほどの少年であるが、それ以上に天才的な頭脳の持ち主である。天が二物も三物もを与えた少年である。自らも学問に精進し、家でもよく働くしっかり者であるが、好奇心旺盛で、物の道理を見極めたいと思っている。そのため少し風変わりな言動もとったりするが、人々の信任も厚い。ただ、おねしょ癖が治らない少年でもある。そして、叔父である平四郎を助け、難解な事件も筋道を立てて解決することができる才能の持ち主である。平四郎と並んで物語の主人公でもあり、その成長ぶりが巧みな筆致で描き出されていく。
平四郎の人物を見抜き、彼の人柄に惚れて、彼のために働く岡っ引きの政五郎は町の人からも信頼の厚い人情家で、機転が利き、「お紺」という妻があり、その「お紺」も人情家で蕎麦屋を営んでいる。そして、その政五郎とお紺の夫婦が引き取って育て、可愛がっているのが「おでこ」と呼ばれる三太郎で、「おでこ」は、すべての事柄を正しく記憶することができる特異な才能の持ち主なのである。「おでこ」と弓之助は深い友人となって、名コンビを作っている。
「おでこ」の父親は人を殺して牢屋で死に、「おでこ」は「鈍くて他の兄弟の足を引っ張る」という理由で母親からも捨てられたのである。その「おでこ」を周囲の人々は温かく信頼をもって育てている。母親が「おでこ」を捨てたのは事情があったことが本書で明らかにされていくが、どう考えても、「おでこ」の母親の「おきえ」は身勝手な哀れな女性でもある。
その他の周辺人物たちも、平四郎の家に仕える小物である小平次やおかまの髪結いである浅次郎、「お徳」の店で働く二人の少女、政五郎の手下たち、あるいはいくつかの事件に関わり合いのあった人物たちも、それぞれ個性豊かに描き出されて、物語の人間模様が描かれている。
本書では、それらの人物に加えて、新しく同心になった間島信之輔や、彼が大叔父と呼ぶ風変わりな本宮源右衛門という老人が登場し、物語はこの間島信之輔を巡っても展開される。
間島信之輔は若い同心で、十手術をはじめとする腕も立ち、人柄もよく、見所のある立派な青年であり、平四郎に学ぶことが多いと尊敬しているが、醜男で、平四郎はそれをしきりに残念がったりする。そして、この間島信之輔が抱く恋心が思わぬ方向に発展していったりするのである。
本宮源右衛門という老人は、冷飯食いの境遇で親戚中を盥回しにされ、間島家でやっかいになっているのだが、見聞が広く、学問もある老人で、事件の核心を見抜く力もあり、やがては天才少年である弓之助や「おでこ」が師と仰いでいくようになってくのである。
また、本書ではじめて弓之助の兄弟が登場し、長兄の結婚話や三男である淳三郎という気のいいお気楽な青年も登場し、この淳三郎の活躍が記されたりしている。
こういう多彩な人物たちの中で、本書で中心となっている事件は、「お徳」の家の近くの橋の上で一人の風采の上がらない男が斬り殺され、ついで同じ手口で「瓶屋」という薬屋の主人が殺され、また、夜鷹が殺されるという事件である。これらの手口が同じだと見抜いたのは間島信之輔の大叔父の本宮源右衛門で、井筒平四郎、間島信之輔、そして岡っ引きの政五郎が、それらの事件の探索を開始するのである。
最初の二つの事件の関連がなく、橋の上で殺された男の身元がなかなかわからなかったし、次に殺された「瓶屋」の主人との関連もない。「瓶屋」の主人が殺された理由もわからない。だが、殺された人の姿がいつまでも橋の上に残っていたことから、なにかの薬を飲んでいて血が固まってしまったことを本宮源右衛門と弓之助が気づき、それが、かつて「ざく」と呼ばれる調剤師だったことがわかっていくのである。そして、次に殺された「瓶屋」という薬屋の主人との関係が次第に明らかになるのである。それは、20年前に、大黒屋という生薬屋で、橋の上で殺された男と「瓶屋」の主人が、同じように「ざく(調剤師)」として働いていたことであった。
この二人が殺された理由が20年前に遡って調べられていく。20年前、今の大黒屋の主人である藤右衛門と瓶屋の新兵衛、そして橋の上で殺された久助は、共に大黒屋の奉公人で、その店にいた傲慢な「ざく(調剤師)」に怒り、また彼が新しい薬を作り出したことを知り、彼を湯屋で殺してしまっていたのである。「瓶屋」新兵衛は、その薬を使って独立したいと思っていた。そして、殺された「ざく」が新しく作ったかゆみ止めの薬が「瓶屋」で売り出されて評判を取っていた。今度の事件はその意趣返しではないかと思われたのである。
そこで、湯屋で殺された「ざく」の係累が探し出されていくが、そこに同じ手口で夜鷹が殺され、また、殺された「ざく」が女房にしたいと思っていた女とその腹に宿っていた子どもも死んでいることがわかり、事件は再び謎に包まれていくのである。
だが、この袋小路に陥ってしまった事件の謎を弓之助が見事に解き明かす。そして、物語は新たな展開へと進んで行く。この辺りのことからは、今日は、少し、しなければならないことが残っているから、また次に書くことにしたい。
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