2012年2月3日金曜日

葉室麟『蜩ノ記』(4)

昨日はとてつもなく寒い日だったが、いまの寒波もピークを越えたとのこと。しかし、今日も寒い。「春はまだ遠い」思いがある。

 葉室麟『蜩ノ記』について、長くなっているが続きを記しておく。

 残された時間が後一年半を切ったとき、戸田秋谷の娘薫は、父親の切腹の原因ともなった「松吟尼(お由の方)」を檀野庄三郎とともに訪ね、「松吟尼」が父親のことをどう思っているのかを聞く。

 「松吟尼」は、「秋谷殿のことを、わたくしもさほど存じ上げておるわけではございません。ただ江戸にて殺められかけたわたくしを助けてくださいましたおりに、ひととしての縁を感じたしだいです」と語る。そして、その「縁(えにし)」について「縁で結ばれるとは、生きていくうえの支えになるということかと思います」と言うのである(179-180ページ)。「松吟尼」にとって秋谷は「生きていくうえでの支え」となったと言う。「ただ、それは秋谷殿のあずかり知らぬことです」とも語り、景色に目を転じて「あのように美しい景色を目にいたしますと、自らと縁のあるひともこの景色を眺めているのではないか、と思うだけで心がなごむものです。生きていく支えとは、そのようなものだと思うております」(180ページ)と言うのである。

 「薫殿、ひととは哀しいものです。たとえ想いが果たされずとも、生きてまいらねばなりません。されど、自らの想いを偽ってはならぬと思うております。そのこと、お許しください」(181ページ)と正直に「松吟尼」は薫に語る。

 ここにも、現実には藩主の側室にならなねばならないとしても、自分の心に正直に生きる女性のすがたがある。だから、「松吟尼」の心は美しい。自分の心に正直で、秋谷を想うことを隠すことも恥じることもない。それだけに、「松吟尼」がもつ愛情には深いものがあり、その心が薫に伝わるのである。

 そして、「松吟尼」は、自分を殺そうと画策した赤座与兵衛から彼の死の前に預かったという書状を檀野庄三郎に見せる。それによって秋谷を何とか救い出せないかと願ったからである。そこには、現藩主三浦義之の生母である「お美代の方」の出生に関する秘事が記されていた。

 戸田秋谷と檀野庄三郎は、そこに記されていた「お美代の方」の出生について調べを進めていく。檀野庄三郎は、それが秋谷を救う手だてになることを考えているが、秋谷は純粋に家譜を正確に記すためであった。調べてみると、「お美代の方」は、藩主三浦家とも繋がりがある別家の娘とある。だが、祭りの夜に何者かに殺された播磨屋の番頭とも繋がりがあるようで、家老の中根兵右衛門は、その番頭の姓を名乗る武家の娘を妾にしていた。中根兵右衛門は、播磨屋とも「お美代の方」とも繋がることになる。謎は残ったままである。

 その間に、檀野庄三郎と薫とのそこはかとない愛情の交流が挿入され、父親の切腹を防ぐために懸命になる庄三郎の姿に惹かれていた薫に、庄三郎は、思わず、「それがしがお守りしたいのは、戸田様だけではござらん。奥方様も郁太郎殿も、そして薫殿もです」と告げ、「それがしは、薫殿を生涯、お守りしたい、と思っております」と言ってしまう。その薫の返答は、朝餉のおりに一つの卵を庄三郎の膳に乗せることで現された。(こういう演出は、まことに心憎い演出で、その巧みさにうなってしまった。)

 そして、かつて城中で足を斬った友人の水上信吾が訪ねてくる。水上信吾の江戸での学問の師が藩校で講義をすることになったので国許に帰ってきたのである。水上信吾は、江戸で学問に精進する中で、己の生き方を変え、檀野庄三郎も戸田秋谷と接する中で己の生き方を変え、二人は和解し、庄三郎は福岡で「お美代の方」の出生に関わることを調べてくれるように依頼する。

 水上信吾は戸田家におもむき、秋谷と会い、その家族と会って、自分が福岡で調べることが叔父の中根兵右衛門に関わることであるにもかかわらず、秋谷の真摯な姿にうたれて調べることを承諾する。「わたしは江戸に出て吉永先生のもとで学問の道を進み、庄三郎は戸田様と会ってひととしての道を進んでいる。そう考えると、われらの間で起きた刃傷沙汰は無駄ではなかったということかもしれぬな」(208ページ)と言う。庄三郎と信吾は、共に前向きでさっぱりした人間になっていたのである。

 だが、そこでひとつの事件が起こる。郁太郎の友人で愛情深く懸命に生きていた源吉が郡方の役人である矢野啓四郎にひどく鞭打たれたのである。見廻りに来た矢野啓四郎が馬から下りたときに馬糞を踏みつけたのを見て、源吉の妹のお春が笑い、それをかばって源吉が声を上げて笑ったために激怒して鞭打ったという。矢野啓四郎は、元は勘定奉行所の役人だったが、商人から賄賂をもらっていたことが問題となり郡方に配属された狷介で傲慢な役人であり、村人たちは嫌っていた。

 源吉は「中身もねえのに威張る奴は、先々ろくなことあねえ。腹立てるまでもねえよ」と郁太郎に話す(211ページ)。そして、「おれは世の中には覚えていなくっちゃなんねえことは、そんなに多くはねえような気がするんよ」と言って、覚えていなくちゃならないのは、「おとうやおかあ、お春のことは当たり前じゃけんど、他には郁太郎のことかなあ」と言って、「友達のことは覚えちょかんといけん。忘れんから、友達ちゃ」(211ページ)とさっぱりと話すのである。

 そこに矢野啓四郎が馬で通りかかる。お春は脅えるが、源吉はお春を庇う。矢野啓四郎は再び鞭を振り上げて源吉を折檻しようとする。郁太郎は源吉を庇って前に進み出て「なにゆえの折檻でございますか」と堂々と渡り合う。そして、折檻ならば先ほどで済んだこと。再度の折檻は合点がいかない。それに郡方が村人に手をかけることは禁じられているはずだ、と理路整然と言うのである。わずか十歳ぐらいの子どもに過ぎないが、戸田秋谷にまっすぐに育てられた郁太郎はひるむことがない。

 矢野啓四郎は、郁太郎が戸田秋谷の子と知って「戸田秋谷は来年には切腹のはずだ。そろそろ夜逃げの支度でもしたほうがよいのではないか」とうそぶいて嘲笑して去ろうとする。郁太郎は我慢ならずに石礫を投げようとするが、源吉がそれを止めて、郁太郎の袖に止まっていたカナブンを指ではじき飛ばし、そのカナブンが矢野啓四郎の馬の耳に入り、矢野啓四郎は馬から振り落とされる。郁太郎と源吉、そして源吉の背に負われたお春は、そそくさとそこを去り、しばらくして笑いながら家に帰っていくのである。

 こういう挿話があるが、この矢野啓四郎が後に大きな問題となっていく。その年の秋、天候が急に不順となり稲の収穫を前にして嵐が来る予感があった。秋谷は、取れ高が少なくなるが、稲刈りを早めることを提案する。村の庄屋もそのことを同意する。しかし、郡方の役人である矢野啓四郎がゆるさない。年貢が少なくなったらどうするかと郡奉行にさえ横車を押しているという。矢野啓四郎は家老の中根兵右衛門のお声掛かりで、播磨屋とも関係し、播磨屋の番頭が殺された事件の探索を中根兵右衛門から命じられているのではないかという。

 凶作になり、年貢が納められなくと百姓たちは金を借りなければならなくなり、金を貸す播磨屋が村の田畑を買い漁りやすくなる。そういう策略があるというのである。

 その話を聞いて、戸田秋谷は、矢野啓四郎が庄屋に稲刈りを早めることを禁じる達しをするために出てくる場所に出て行くことにする。幽閉の身であることから咎めが案じられるが、戸田秋谷は平然と出かけていくのである。檀野庄三郎も郁太郎もともに行くと言い、三人は矢野啓四郎が達しをする庄屋屋敷に出かけていく。

 秋谷は、その場の険悪な雰囲気の中で庄屋に世間話をする形で、かつて今年と同じような天候の時に、取れ高が少なくなることを恐れた郡方の役人が、稲刈りを早めることに反対し、実際に大風、大雨となって凶作になったときにその責任をとる形で自害したという話をするのである。そして、矢野啓四郎に「ひょっとするとお手前にやりたいようにやらせたうえで、腹を切らせようと目論んだ者がおるのかもしれませんぞ」と言う。矢野啓四郎は、それを聞いて稲刈りを早めることを不承不承に承諾する。だが、腹立ちまぎれに、そこにいた源吉を見つけて「先日、わしが落馬したおりに笑いおったな」と言って、いきなり源吉をなぐりつけたのである。

 その時、源吉の父親の万治が息子を庇うが、万治が殺された播磨屋の番頭から金をもらって手先として働いていたことを暴露するのである。万治はそのために村人の信用を失い、村八分となる。村の中のことに口を出すことが出来ない戸田秋谷と郁太郎は、万治と源吉を残して帰らざるを得なかった。郁太郎は源吉のことが気がかりで、予測されたとおり大嵐が来て瓦岳が土砂崩れを起こし、源吉の家も壊れたときに、その修復の手伝いに出かける。父親の万治は相変わらず飲んだくれているし、村人のだれも源吉の家の修理には手伝わなかったからである。

 手伝いに来た郁太郎に源吉は言う。「えらいことやけど、どこの家も同じじゃから、文句は言えん」と言い、郁太郎が万吉のことを言うと、「この間、庄屋さんのところでお役人になぐられた時、おとうはおれのことをかばってくれた。あの時は嬉しゅうて、やっはりおとうじゃからあげんしちくれたち思うちょうるんよ。あれからおとうは村の衆から相手にされねえが、おれにとっては大事なおとうだ」(227ページ)と言って手伝いを断るのである。

 郁太郎の話を聞いて、村人から除け者にされている源吉の家の修理に、檀野庄三郎が行くと言い出す。源吉は手伝いを何度も断るが、檀野庄三郎は「武士がいったん言い出したことを、そなたは拒むのか」と言って押し切り、屋根の修理を仕上げる。そして、源吉だけでなく母親もお春も涙を流さんばかりに喜び、源吉が「郁太郎におれがすまんかったと言うてたと伝えてください。この前おれは、せっかく手伝いにきてくれた郁太郎につめたいことを言うてしもうた」と言うと、庄三郎は「さようなことは自分で申せ。友とはいつでも心を打ち明けて話せる相手だぞ」と言う(229ページ)。

 檀野庄三郎も、いつの間にか、思いやりの深いまっすぐな人間になっている。だが、そうした嬉しい出来事があった後、郡方の矢野啓四郎が何者かに鎖分銅に巻きつけられて殺されるという事件が起こり、事態が急速に展開していく。取り調べが行われたが犯人はなかなか見つからない。村では、播磨屋の手先であることを暴かれた万治がやったのではないかとの噂がでる。やがて冬がきた。

 この後の展開は圧巻で、涙なしには読み進むことができなかった。次回にその展開を記したい。

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