2012年2月10日金曜日

隆慶一郎『隆慶一郎全集1 吉原御免状』

よく晴れ渡っているが、気温が低い。だが、この寒さもあと少しだろう。全体的に低迷した状況の中で、なかなか馬力がかからないままで毎日を過ごしているが、昨日、久しぶりにあざみ野の山内図書館まで行ってきた。図書館はあざみ野駅から坂道を登ったところにあるが、この坂がなんともきつい。短い坂なのだが、のぼりつめて息が切れてしまった。日頃の運動不足を痛切に感じる。

さて、葉室麟『蜩ノ記』をかなり長く書いてきたが、先日、隆慶一郎『隆慶一郎全集1 吉原御免状』(2009年 新潮社)を面白く読んでいたので、記しておくことにする。

隆慶一郎(1923-1989年)は、本名、池田一郎で、長い間多くの映画やテレビドラマの脚本を手がけ、いまでも彼の脚本に基づく作品がたくさん放送されたりする人で、1957年(37歳)の時から始めた脚本家としての活動は、日本のテレビ界を支えたとまで言われている。彼が作家として活動を開始したのは還暦を過ぎてからで、その理由として、師であった小林秀雄が在命中は怖くて小説など書けなかったと、自ら語っている。戦後に東大に復学した後、小林秀雄が参画していた出版社である創元社に入社している。

隆慶一郎が作家として活動をはじめて僅か5年足らずで死去したために未完のものや構想だけのものも多いが、1984年に発表した処女作『吉原御免状』を初め、『影武者徳川家康』、『一夢庵漂流記』など完成度の高い優れた作品を残している。ちなみに、『一夢庵漂流記』は、1990―1993年にかけて原哲夫が『花の慶次 雲のかなたに』というタイトルで漫画化している。

この人の作品をこれまで読む機会がなかったのだが、『水戸黄門』や『鬼平犯科帳』、『ご存知遠山の金さん』などの脚本家として知っていたし、彼の師であった小林秀雄は、文学的にも思想的にも極めて優れた評論家で、彼のドストエフスキー論などはわたしも大きな影響を受けた。それで、改めて全集本を読み始めることにした次第である。

『吉原御免状』は、発表されてすぐに直木賞候補となった作品で、肥後(熊本)で晩年を過ごした宮本武蔵に育てられて二天一流を学んだ松永誠一郎が、武蔵の遺言に従って江戸の遊郭である吉原を訪ね、そこで自分が後水尾天皇(1596-1680年)の落胤であることを知ると同時に、遊郭である吉原が、徳川家康から御免状を得ることによって、幕府や町奉行所の介入から自由の民である傀儡子(くぐつ・・傀儡)を守るための城塞でもあることを知り、御免状を奪って吉原の自由を認めようとしない老中の酒井忠清やその手先である裏柳生(柳生列堂儀仙)と死闘を繰り返し、吉原を守っていくというものである。

作品そのものの発想は奇抜で、たとえば、なぜ吉原だけが御免状をもらうことができたのかということについては、関ヶ原の戦い以後の家康は影武者で、吉原を作った庄司甚右衛門(甚内)が傀儡子の出であり、家康の影武者も傀儡子の出で、ともに自由の民を守るためであるとされていたり、あるいはまた、柳生宗冬の弟の列堂儀仙が公儀隠密刺客を行う裏柳生を統率する者であるという設定になっていたりする。晩年の徳川家康が影武者であったという発想は、後に書かれた『影武者徳川家康』の基ともなっている。これらの発想が歴史的事実の中できちんとはめ込まれて、エンターテイメントの無理のない大きな要素となっている。また、主人公が後水尾天皇の落胤というのも、後水尾天皇は子だくさんで性的にも奔放な人物であったので、考えられないこともない設定である。そして、もちろんそこには、家康―秀忠―家光の時代の幕府と朝廷との確執もきちんと描かれている。二代将軍徳川秀忠の人物像も、なかなか面白い。

そして、何よりも、傀儡子を自由の民として位置づけ、それを守り抜こうとする姿勢が、吉原という特殊な遊郭を守ることで徹底されていくという視点が極めて優れているように思われる。江戸幕府が身分制度を定めて差別を徹底させようとしたことと自由の民の砦である吉原を守ることとで、対峙するものとして描かれていくのである。

傀儡子(くぐつ)は、元々は「山の民(山窩―さんか)」と呼ばれる狩猟を中心にした非定住の民で、人別(戸籍登録)などもなく、山間を移動して生活をしていたと言われ、平安時代ごろから諸国を旅して芸能などによって生計を維持していた人々のことを指す。

多くは寺社などで、人形劇や奇術、剣舞、相撲、滑稽芸などを行い、呪術の要素も持ち、女性は詩を唄ったり、お祓いをしたり、あるいは、客と閨をともにしたとも言われる。やがて、寺社に抱えられたことによって、一部は公家や武家に庇護され、それが猿楽や人形浄瑠璃、あるいは能楽(能や狂言)や歌舞伎となっていった。寺社に抱えられなかった多くも、旅芸人や渡り芸人となったりしていた。また、それらを客寄せとして用いる香具師とも深い繋がりをもっていた。

人別が作られ、住民登録が厳しくされる中で、これらの人々は抑圧され、弾圧され、差別されていったが、隆慶一郎は、これらを「優れた自由の民」として、吉原という遊里を自由と被差別の砦とすることによって、本書の中で甦らせたのである。

本書に収録されている縄田一男氏の「解題」に、「吉原には、至福の美と共に、壮大な謎がある。何故、徳川家康は、庄司甚内だけ、吉原の設立を許したか、・・・何故、吉原だけが、夥しい大火の歴史をもっているか、何故、家光、綱吉、吉宗の三人は、吉原に弾圧を加えたか、・・・その謎に挑もうとしている」という作者自身による「作者の言葉」を紹介し、また単行本の作者自身の「後記」が引用されている。その中で、隆慶一郎は、

「徳川幕府の制度から見ればまことに驚くべきことだが、吉原の内部には完全な自治が認められていた。・・・江戸の中で、これほどの自由が許されているのは寺院しかない。そして寺院と吉原に共通していることはただ一つ、無縁ということだ。無縁とは俗世間や、そこにいる一切の身内、親族、友人と完全に縁を絶つことを云う。・・・これほどの自由が許される場所を示す言葉は一つしかない。中世の公界(くかい)である。公界とは、酒井や桑名に代表される、権力不入の地、今風にいえば自由都市のことだ。・・・徳川幕府が、この中世の公界を抹殺するためにどれほどのことをしたかは歴史に明らかである。・・・僕は、この僕にとっては初めての小説の中で、敢えてこの巨大な謎に挑んでみた」(本書425-426ページ)

と述べて、社会差別の問題に真っ向から、それもエンターテイメントの形で、向き合っているのである。

武家による支配の強化と税収のために、徳川幕府は身分制度を強化し、人間を差別化する政策をとった。「芸人」も「川原こじき」と呼ばれもした。だが、被差別部落民への差別政策は明治政府の方が激しかったかもしれない。現代でも、住民登録や国民総背番号制の導入は、「自由の民、遊民」を許さない枠組みであり、基本的には支配の強化と税収の増加が目的であろう。だから、自由であろうとする者は息苦しくなる。作者が『吉原御免状』で描く吉原は、そうした自由のための闘いでもある。

縄田一男氏の「解題」で個人的に面白いと思ったのは、作者自身によるこの作品のシノプシス(構想)が紹介されていることで、それによれば、作者は「一話一話は、吉原の行事、遊女の種々相としての生活、遊女をとりまく人々(やりて婆からお針まで)の哀歓、吉原で生計をたてる種々の商人の実態と生活等に題材をとり、なるべく一話完結(エピソードの完結)の形をとるつもり」と構想をねっていたらしい。おそらく、その構想に従って資料も集められたのだろう。作品の最初の題名は『吉原犯科帖』で、当初は捕物帳的要素の加味が意図されていたかもしれないという。

本書は、この最初の構想からはずいぶん違った展開になっているが、完成した作品は、その奇想天外な発想も含めて、大きな意味をもつ作品になっていると思う。手にしているのは全集なので、これから少しずつ読んで見たいと思っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿