2012年2月24日金曜日

宮部みゆき『おそろし 三島屋変調百物語事始』

ようやく寒さがゆるみ始め、近所の花屋さんの店先では花を咲かせたチューリップが売られていた。また寒さがぶり返したりして、今の季節はどことなく中途半端なところがあるが、それでも早春を感じられるのは嬉しいことである。梅がほころび始めるだろう。

 宮部みゆき『おそろし 三島屋変調百物語事始』(2008年 角川書店)を読んでいたので記しておくことにする。

 「百物語」というのは、もともと、江戸時代に一種のブームともなった怪談話をする集まりでなされた話で、集まった人たちがそれぞれに不思議な体験や因縁話をし、百話が話し終えられると本物の「ものの怪」が現れるとされ、肝試しのようなものとしても行われていたもので、それを集めたものを「百物語」と称したりしていた。

 本書は、こうした怪談会の趣向とは異なって、身辺に起こったある事件のために傷心を受け、叔父である江戸神田の袋物屋「三島屋」に引き取られた「おちか」という娘が、叔父の計らいで他の人の因縁話を聞くことで、自分が関わった事件の姿や自分自身を、それぞれの因縁話の解決と共に解き放ち、自分の姿を取り戻していくというものである。

 個人的な所感を最初に言えば、こうした設定の仕方に、いささか無理があるし、「ものの怪」によって事柄が解決していくという出来事は、わたしのような人間にとってはいささか読むのに忍耐がいる。しかし、「現代の語り部」としての宮部みゆきの本領はよく発揮され、人間の回復というものが結局は自分自身で納得することによって行われていくものであることを改めて感じたりした。

 「おちか」のもとを訪れた最初の人間は、兄を見捨てたことに悩む弟である。兄弟思いで親代わりとなって育ててくれた兄が、喧嘩でかっとなって人を殺めてしまい、遠島となる。そして、赦免されて帰ってくる。しかし、幼い頃から兄に育てられ、兄を慕っていたはずの弟は、世間体を考えて帰ってきた兄とも会おうともしない。むしろ身内の犯罪者として疎ましく思い始めるのである。そして、そのことを知った兄が自ら首をくくって自死してしまうのである。その自責の念にかられた人物が自分の心情を「おちか」に露吐する(第一話「曼珠沙華」)。

 次に「おちか」を訪れた人間は、家族が不思議な家に魅了され、それに取り込まれてしまい、自分の魂もそこに閉じ込められてしまった女性である。貧しいながらも助け合って暮らしていた錠前直しの一家が、あるとき不思議な家の蔵の錠前直しを依頼されたところ、その家に住めば百両の金を出すといわれ、なにかの因縁があると思いつつもその家に住むようになり、ついにはその家に取り込まれてしまうのである。「おちか」のもとを訪れた女性は、錠前直しの父親の師匠からかろうじて助け出されるが、魂はその家に置きっぱなしであった。この不思議な家は、人間の魂を喰う家で、やがて物語の関係者がすべてこの家に集められることとなる。(こういう展開に、わたしはちょっと無理を感じるが。)

 第三話「邪恋」は、主人公である「おちか」自身に起こった出来事で、「おちか」は他の人の不幸話を聞く中で、自分の身に起こった事件を徐々に整理していくのだが、「おちか」をめぐって男同士の殺人事件が起こったことが記されている。

 「おちか」は川崎の老舗の宿の娘であった。彼女がまだ幼い頃、雪混じりの雨が降る寒いよるにひとりの男の子が街道沿いの斜面に捨てられて死にかけているのを父親が助け、父親は彼を引き取り、一緒に育てあげていた。家族同様と言いながらも奉公人として使っており、都合のよいときには家族として、都合の悪いときには捨て子の奉公人として扱っていたのである。彼は次第に「おちか」に思慕を抱くようになっていたし、「おちか」の心にも彼があった。だが、自分が捨て子であることで、彼はひたすら「おちか」の幸せを願っていた。やがて「おちか」に縁談が持ち込まれ、その縁談相手に「おちか」を頼むと言い、「おちか」の縁談相手は「おまえのような人間に言われたくない」と争い、ついに彼は「おちか」の縁談相手を鉈で殺してしまい、自らも死んでしまうのである。

 「おちか」もまた、その争いの瞬間に、彼を余所者として見捨ててしまい、以後、自責の念に駆られて閉じこもりの生活をしていたのである。「おちか」は自分のために二人の人間が死んでしまったという自責に縛りつけられて、叔父の家に引き取られていたのである。そういう「おちか」自身の事情がここで語られるのである。

 こうした「おちか」自身の話の後で、次に「おちか」のもとを訪れたのは、病身のために離れて育っていた姉が健康を取り戻して帰り、美男の兄と美女の姉が、相思相愛の仲となってしまって、互いに自死した妹である(第四話「魔鏡」)。

 そして、百の物語ではないが、「おちか」自身のことを含めて四つの出来事が、一つになって大演壇を結んでいくのが「最終話 家鳴り」で、第二話で語られた不思議な家が、これまでの登場人物たちの魂をすべて集め、なお「おちか」自身を欲するようになり、「おちか」は、多くの人たちの力を借りながらその家と対決し、すべての集められた魂を解放し、それによって自分自身も解放していくというものである。

 これまでも宮部みゆきは「ものの怪」を扱った作品を書いているが、本書は少し違った毛色の作品で、なにかの事件が解決されることよりも、過去に縛りつけられ身動きの取れなくなった女性が、他者の不幸と因縁の話を聞き、自分自身の問題を直面し、それと真正面から対峙していくことで自らを回復させていくことに重点が置かれている気がする。

 しかし、私見ではあるが、彼女の時代小説の最高峰は『孤宿の人』で、本書は、これといった特色には少し欠けているような気がしないでもない。だが、物語作家としての本領はあって、面白く読めた一冊ではあった。

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