晴れたり曇ったりの天気で、気温も10度以下だが、太陽が顔を見せればほんの少し温かみを感じる。先日、荷物を整理していたら黒澤明監督『七人の侍』のビデオが出てきて、再見して、これはやはり名作だと思った。ストーリーが大胆であると同時に、細部に渡って細やかな配慮がされ、人間を決して美化せずに、思想性が明確な作品で、面白いだけのエンターテイメントとは全く異なっていると思ったりした。そういえば、最近、映画館には行っていないなあ。
それはともかく、山本兼一『ええもんひとつ とびきり屋見立て帖』(2010年 文藝春秋社)を図書館から借りてきて読んだ。
これは、前に読んだ『千両花嫁 とびきり屋見立て帖』(2008年 文藝春秋社)の続編で、京都三条大橋で「とびきり屋」という古道具屋を営む真之介と妻「ゆず」を主人公にした物語で、幕末のころの混乱した京都を背景とし、新撰組の芹沢鴨、坂本龍馬などが登場したり、本書では桂小五郎も登場したりして、時代の波に巻き込まれながらも、「ほんもの」の目利きをすることを大事にしながら古道具の商売をし、夫婦の絆を深めていくというものである。
わたし自身には骨董の趣味もないし、道具へのこだわりもないが、人であれ物であれ、「ほんもの」を見分けていくには、たくさんの「ほんもの」に触れる経験と、その経験を自分のものにしていく精神が必要だと思うし、「ほんもの」が人生を豊かにしてくれるとも思っているので、「見分ける」ことを主眼にしたこういう作品は、比較的面白く読める。
本書には、「夜市の女」、「ええもんひとつ」、「さきのお礼」、「お金のにおい」、「花結び」の五話と「鶴と亀のゆくえ とびきり屋なれそめの噺」が収められ、最後の「鶴と亀のゆくえ とびきり屋なれそめの噺」で主人公の真之介と「ゆず」が夫婦になるときのことが記されているほかは、連作の形になっている。
第一話「夜市の女」は、古道具売買の形を借りて長州藩が新式銃であるミニエー銃を買いつける話で、幕末の頃に桂小五郎を助けていった芸者の「磯松」がその役割を任された人物として登場している。世の中が激しく流動する中で、「うっかりしていると、知らんあいだに、どこかの味方に組み込まれてしまう。よう考えて、自分らの生き方をはっきりさせんといかんわい」(42ページ)ということである。
表題作となっている第二話「ええもんひとつ」は、香道を教えていた老公家侍が手放す香道具の中でただ一つだけ「ええもん」があり、それを手に入れるために真之介があれこれ苦労するが、「ゆず」が老公家侍の家に行き、懐かしい食事のにおいをさせたり、老公家侍の心を豊かにさせたりすることで、老公家侍から「ええもん」を買い取ることができたという筋立ての中で、道具を買うときの極意が「ええもんをひとつだけ買うこと」であることが語られる。
「とびきり屋」となじみのある坂本龍馬がやってきて、「書画骨董ではないが、買わなければならないものがあるので、買うときの極意を教えてほしい」と尋ね、真之介と「ゆず」がそう教えるのである。
「ええもんを一つだけ買う」、これは暮らしを豊かにする極意でもあるし、人間の判断の極意でもあるだろう。だが、今は、見栄えばかりはよいが、「ええもん」が少なくなった。
第三話「さきのお礼」は、何かを神頼みしたり、人に頼んだりするときには、先にお礼を言ってからする、という「ゆず」が習性として行っていることに絡んだ話で、商売のために新しい物を仕入れしようと「ゆず」が苦心し、やがてふとしたことで、窯場で手伝いをしている女性が焼いた蛍焼きの茶碗に巡りあっていくというものである。京の老舗の保守的な体質の中で、大胆に行動していく「ゆず」とそれを支える真之介の姿が爽やかに描かれる。
第四話「お金のにおい」は、「とびきり屋」で働く手代から「目利きの奥義」を尋ねられた「ゆず」が「ほんまにええ道具というのんは、お金のにおいがする」と答える話である。「お金のにおい」というのは、真実に価値ある雰囲気がいい道具にはある、ということである。
その主題のもとで、農家から買いつけてきた中にあった李朝白磁の徳利は新撰組の芹沢鴨にとられてしまうが、欲深い芹沢鴨がお礼目当てで連れて行った壬生の郷士の家で高値を払って買いつけさせられた壺の中に宮廷で使うために作られた高価な官窯の壺があることに「ゆず」が気づき、真之介がそれを対馬藩に売ることを思いついて、損が数倍もの得になって帰ってきた話が展開されている。
第五話「花結び」は、幕吏や新撰組の手から逃げる桂小五郎の変装の場所として提供することになった「とびきり屋」だが、桂小五郎から書簡をあずかり、それを壺の中に隠し、上蓋に花結びをしていたところ、しつこく「ゆず」に言い寄ってくるお茶の若宗匠が買うと言いだし、そこに新撰組の芹沢鴨が現れ、万事休すとなりそうになるが、「ゆず」と若宗匠が花結びの争いをして、桂小五郎の書簡をまもるという話である。「ゆず」の度胸と駆け引きが描き出されている。桂小五郎があずけた書簡というのが「磯松」への恋文かもしれないというのがいい。
第六話「鶴と亀のゆくえ とびきり屋なれそめの噺」は、少し遡って、真之介と「ゆず」が夫婦になる経過が記されており、愛する者のために懸命に生きようとする真之介の姿が中心に描かれている。
とりわけてどうということはないが、「ほんもの」を見つけようとして懸命に生きる夫婦の知恵と姿が爽やかに展開されている。しかし、真之介が古田織部の血筋の者であることが前作で示されていたので、今後、そのことの展開があれば、話に重みが出るのではないかと思ったりもした。
ただ、「いいものをひとつ」という発想は、人でも物でも大事なことだと改めて考えさせられた。もちろん、身の廻りに高価な物は何もないが、自分が好きな物や好きな人、好きなことが「いいもの」だろうと思ったりする。
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