2012年11月26日月曜日

翔田寛『神隠し 子預かり屋こはる事件帖』


 雨になった。この雨で落葉がだいぶ進み、冬木立を目にするようになってきた。昔、「けやき坂」と名づけていた大きな欅のある坂道で、ふと立ち止まって、坂を覆っている欅の枝が冬空にピンと枝を伸ばしている姿を見上げていたことを思い出す。その頃勤めていた大学の研究室に向かう途中の坂道の欅は、「単独者」であることに大きな励ましを与えてくれていたように思う。今は、近くの公園の人気のない冬木立の中を何も考えずに歩くのが好きになっている。「何も足さない。何も引かない」という開高健の言葉を思い出す。

 昨夜は翔田寛『神隠し 子預かり屋こはる事件帖』(2010年 PHP研究所)を一気に読んだ。この作者の作品は初めて読むが、奥付によると、1958年生まれで、小説推理新人賞や、2008年の江戸川乱歩賞を受賞されて、推理小説の分野で活躍されているらしい。本書も、「こはる」という煮売屋の娘で、「子預かり屋」を始めた女性を探偵役にした軽快なミステリー仕立てで、彼女の周りで起こる事件の謎解きが中心になっている。

 主人公の「こはる」は、神田白壁町の煮売屋の娘で、腕利きの大工と結婚して一人娘を授かったが、夫が仕事先の足場から落ちて亡くなり、実家に戻って煮売屋を手伝っている女性で、小太りで、丸い顔と丸い目、丸い鼻をしているが、頭の回転も行動も早いし、何よりも子どもが好きで、自分の子だけではなく、近所の子どもの世話も進んでするような女性である。そして、それが高じて、煮売屋の傍ら「子預かり屋」を開いた女性である。時代は天保8年となっており、天保8年には「大塩平八郎の乱」や「モリソン号事件」が起こっており、世相が騒がしくなっていったのだが、江戸の市井に生きる女性だからか、そうした時代の影はどこにも描かれない。「こはる」は、ただ子どもの扱いがうまく、子育てについてしっかりした考えをもって日々の煮売屋稼業に励むのである。

 その「こはる」が、本書で最初の推理力を発揮するのは、裏店の青物売りの庄太が女房の貯めたへそくりを使い込んで、女房に追い回されて逃げ込んだ別の長屋の床下で、その家の文七とおきんの夫婦の借金が、その家に居候していた姪で元芸者の「おえん」によって返済されていたという話を聞くことから始まる事件である。ところが、「おえん」は、その借金が返済されたという日には既に死んでいた。また、庄太の女房が溜め込んでいた金は二朱と少しで、一朱銀二枚が消えていたというが、庄太が盗っていったのは一朱銀一枚だった。幽霊が文七とおきん夫婦の借金を返すはずもないし、庄太の女房が溜め込んでいた一朱銀はどうなったのか、それが謎として残ったのである。

 庄太の息子の太一は奉公先も決まっていたが、幼い頃から文七とおきん夫婦の子である「おりん」と仲がよく、庄太も文七夫婦をよく知っており、「おりん」は少し目が不自由だった。文七夫婦の家に居候していた「おえん」は、小金を溜め込んでいたと言われる元芸者だったが、一昨日、文七夫婦が留守をしている間に死んでしまっていた。だが、「おえん」が亡くなったあとで、昨夜、文七夫婦の借金が返済され、しかも、庄太が三味線の音を聞いていた。死んだ人間が借金を返し、三味線を引くはずがないのである。返済された借金は、「おえん」が使って紅で唇の跡がくっきりと押された紙にくるまれていたという。

 町方同心の武藤誠之助が「おえん」の死に不審な点はないかと探り、借金返済の不思議の謎を解こうとし、「こはる」の観察眼と推理力に目を見張っていくのである。「こはる」の謎解きは母親の「おてい」になされる。「おてい」は娘の「こはる」の性分と才能を十分知っており、この母娘は互を思いやり心に満ちていて気持ちがいい。

 「こはる」が解いた事件の真相は、奉公先が決まった庄太の息子が、幼馴染で仲の良い「おりん」にしばしの別れを言いに行った時に、「おりん」の家で「おえん」が事切れていた。「おりん」の家の借金は一朱で、そのために目の治療もできずに苦労している「おりん」のことを知っていた庄太の息子は、すぐに自分の家に取って返し、母親が隠していたへそくりの中から一朱をとって、紙にくるんだのである。その紙に、あたかも「おえん」が借金を返したようにするために「おえん」の唇に紅を塗り、それを紙に押し付けて、返済したのである。そして、「おりん」も、「おえん」がまだ生きているのを装うために三味線を弾いたのである。庄太の息子の太一は将来「おりん」を自分の嫁にもらいたいと思うほど「おりん」のことを案じ、「おりん」もそういう太一の気持ちを分かっていたのである。こうして、「幽霊の借金返済」の事件は解決し、すべてを丸く収めていくのである。

 「こはる」の「子預かり屋」は、子どもを預ける親がいなくて、なかなかうまくいかないが、そんな中で、蒟蒻を食べに寄った同心の武藤誠之助から近くの裏店(長屋)の周蔵という男が殺されていたと聞く。「こはる」が関わる第二の事件である。周蔵は、おせんという女房とその連れ子の十四歳になる「お初」と暮らしていたが、博打の味を覚えて働かなくなり、酒に溺れる日々を過ごしていた。おせんは料理屋で働き、「お初」も蕎麦屋の下働きや家事の一切をし、特に「お初」は、くるくるとよく働き、近所の老婆などにも優しい気働きをする娘であった。そして、おせんが五つごろ(午後八時頃)に仕事から帰ってみると周蔵の背中に出刃が突き刺さって死んでいたというのである。周蔵は左足のつけ根にも刺し傷があった。その前に賭場の借金取りが踏み込んできた騒々しい音がして、洗いかけの茶碗が放ってあり、「お初」の姿も見えないことから、「お初」も拐かされたのではないかと言う。

 おせんの最初の亭主は細工師で、早くに両親を亡くしたおせんは結婚して「お初」をもうけ幸せそうであったが、その亭主が流行病でしんでしまい、飾り職人の周蔵と再婚したが、博打にのめり込むようになったのである。

 同じ長屋に住んで「こはる」に子どもを預けている重吉が子どもを預けに来た時に、「こはる」は、近所の連中が六つごろ(午後六時頃)に二人組の男が周蔵の家にやってきてひと悶着騒ぎがあったことを聞いていたと言う。ところが、重吉の女房は六つ半(午後七時頃)に二人組の男がやってきて、周蔵の家に入るやいなや慌てて出て行った姿を目撃したと言う。

 「こはる」は、この事件にいくつかの疑問点があることに気がついていき、同心の武藤誠之助も謎があるという。ひとつは、ご飯を食べずに酒ばかり飲んでいた周蔵の茶碗が井戸の洗い場に残され、しかもそれが欠けていたこと、六つと六つ半に二人組の男が目撃されていること、「お初」を借金のかたに連れて行くなら周蔵を殺す必要もないことなどである。

 こういう謎を「おはつ」はゆっくりと順番に解きながら、真相に迫っていく。それは、仕事から帰った継子の「お初」に酔った周蔵が乱暴をしようと襲いかかり、思わず持っていた包丁で「お初」が周蔵の左足のつけ根を刺してしまい、逃げた「お初」にあった隣家の夫婦が「お初」をかくまって、「お初」を助けるために二人組のやくざ者の話をでっち上げたのである。そして、六つ半に本物のやくざ者が「お初」を借金のかたにとろうとやってきて、血まみれの周蔵を見て慌てて逃げていたのである。その時はまだ周蔵は生きていたが、おせんが仕事から帰って、その周蔵を見て、積もりに積もった我慢の限界が切れて、周蔵の背中を出刃で刺したのである。

 「おはる」は事の真相を見抜くが、おせんと「お初」のためにすべて見て見ぬふりをして、周蔵はどこかのやくざ者に殺され、「お初」は拐かされていたが、怖くなったやくざ者が返したということにしていくのである。同心の武藤誠之助も、その「こはる」の思いを知って、それ以上の追求をしないで、事件は閉じられるのである。

 「こはる」が持ち前の観察眼と明晰な頭脳で謎を解くのは、すべて困っている人を助けるためである。その姿勢が一貫して、第三話「できすぎた娘」では、子どもの扱いがうまい「こはる」が大家の菊蔵から世話になった商家の子どもが泣いてばかりで食が細くなり困っているからなんとかしてもらえないかという依頼を受けたことから始まり、その原因が、その子が母親のように慕っていた女中が突然いなくなったことであることを見抜き、その女中の失踪の謎を解いて、行くへを探し出していく。

女中は働き者で心優しく、ほかの者からも慕われ、商家の後妻の話もあったが、突然姿を消したのである。女中の失踪には深い訳があった。その訳を「こはる」は突き止めていくのである。そこには、火事を利用した身代わりや殺人もあった。偶然が幸いしたり不幸をもたらしたりする出来事が重なる。「こはる」は真相を知っていくが、女中の幸せを願って、それ以上の探索はしないのである。

第四話「叱られっ子」は、母親に嫌われて叱られてばかりいる子どもが、本当は心優しく、ほかの人をかばうような心の持ち主であることを証して、「こはる」が気の強いばかりの母親にそれを示していき、母親が愛情を取り戻していくという話である。

 第五話「嘘吐き弥次郎」は、「こはる」自身の亡くなった亭主に絡んだことの真相が明らかになっていく話で、自分を悪く思わせることで人を助けようとした男の心情を「こはる」が解き明かし、「こはる」の亭主が足場から落ちた出来事ともその男が絡んでいたことから、なぜ、亭主が足場から落ちたのかが突き止められていくとうものである。

 本書には、以上の五話が収められているのだが、「こはる」という愛嬌のある女性を主人公にして、謎解きがどこまでも人助けのためであることが貫かれている。ここで取り扱われている事件の謎は、謎というほどのものではないし、時代を天保にとる必要もないことであるが、そういう姿勢が本書を時代ミステリー小説にしているのだろうと思う。江戸市井に暮らす人々の日常として展開されるのもいいし、「こはる」の真摯でひたむきな姿もいい。そういう女性は、時代小説を背景とした中でしか取り扱われないからである。ミステリーとしても時代小説としても、決して本格的ではないが、肩の凝らない気楽に読める作品である。

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