立冬になり、暦の上では初冬の季節を迎えるようになった。朝晩はめっきり冷え込むようになり、冬仕度である。わたしのささやかな日毎の営みもいろいろと変化していくが、必要としているものは僅かしかないことを自覚して、この営みを続けていきたいと思ったりしている。
それはともかく、吉川英治『鳴門秘帖』について、これほど何回にも渡って記すつもりはなかったのだが、いつの間にか長くなってしまった。物語の天王山となる阿波に向かう四国屋の船には、法月弦之丞と「見返りお綱」が乗り、竹屋三位卿有村、森啓之助、お十夜孫兵衛、天堂一角も乗り込んで二人の命を狙うことになるし、「お米」と彼女の目付け役の中間もその船に乗ることになる。その攻防が緊迫感を持って描き出されていくが、あわやというところで隠れた葛篭の中で法月弦之丞、「見返りお綱」と「お米」と中間が入れ替わり、竹屋三位卿やお十夜孫兵衛によって「お米」と中間は弦之丞、お綱の身代わりとなって殺されてしまい、法月弦之丞はお綱を抱いて嵐の海に飛び込み、追っ手の手を逃れて阿波へ着くのである。
阿波では徳川幕府との戦いが着々と準備されていた。法月弦之丞とお綱は、潜んでいたところが発覚する直前に斬り抜けて、いよいよ甲賀世阿弥が捕らわれている剣山に向かい、竹屋三位卿らも先に甲賀世阿弥を殺してしまおうと剣山に向かう。そこで決戦が開始されていく。だが、甲賀世阿弥は法月弦之丞とお綱が助け出そうとする直前に、山牢の中でお十夜孫兵衛に見つかり殺されてしまい、息を引き取る直前にお綱がかけつけて彼が自分の血で書いた血書を渡すが、それも天堂一角によって奪われてしまう。この時、甲賀世阿弥の言葉によって、お十夜孫兵衛の「お十夜頭巾」の秘密が明かされようとするが、それも謎のままに残されていく。この戦いで天堂一角は命を失い、世阿弥の血書は天堂一角からお十夜孫兵衛の手に渡ってしまうのである。
法月弦之丞とお綱は、阿波の原士の長に助けられて剣山を降り、怪我が治って駆けつけた目明し万吉の助けなどもあって、舞台は上方へと移っていく。世阿弥の血書(秘帖)は、旅川周馬が巧妙な手を使ってお十夜孫兵衛から奪い取っていた。旅川周馬は、はじめからうまく立ち回って、手柄を自分のものにして出世を目論んでいたのである。そして、松平輝高に保護されていた千絵は、輝高の京都所司代への任命とともに京都に移っていたが、彼女もまた旅川周馬に騙されて捕らえられてしまうのである。
旅川周馬は世阿弥の血書をもって江戸へ向かおうとする。そのことを知った法月弦之丞とお綱は後を追い、また竹屋三位卿、お十夜孫兵衛も追いついてくる。そして、江戸に向かう途上で、最後の決戦が行われ、その時に、江戸で山県大弐が謀反の罪で門弟の藤井右門と共に処刑された「明和事件(明和4年 1767年)」が告げられ、事ここに敗れたことを知った竹屋三位卿は自刀し、お十夜孫兵衛も斬られ、旅川周馬も最後を迎え、こうして阿波徳島藩の陰謀は露と消えるのである。
お十夜孫兵衛の死後に、その頭巾が外され、彼がイスパニア女性の流れを汲む子孫で、阿波の原士が歴代キリシタンの家系であり、彼の額には十字が記されていたことも明らかにされる。
すべてが終わった後、阿波徳島藩は法月弦之丞の配慮もあって改易をまぬがれ、藩主の蜂須賀重喜の隠居処分となり、法月弦之丞は武士を捨てて千絵とともに農業を営むものとなり、お綱はスリの罪が許されて、自分の恋心を殺して、角兵衛獅子をしていた妹弟を連れて何処ともなく立ち去ったという事後談が短く記されて本書が終わる。
緊迫感を持った物語が次から次へと展開され、人間模様が入り乱れ、物語の展開の妙となり、ちょうど次々と押し寄せては返していくような波に似た展開の中で、宝暦事件と明和事件という二つの反幕運動の狭間という歴史の巧さが重なって、「読ませる」物語となっている。
ただ、執筆された時代のこともあるのか、尊皇思想というものが肯定的に受け取られて、主人公の法月弦之丞が武士を捨てたり、阿波の原士の長の反徳川幕府の思想が展開されたりする影には、勤王という考え方の柱がある。それを抜きにしても、物語としての面白さは、様々な要素が取り込まれて十分に楽しめるし、作者の周到な構成には舌を巻くものがある。
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