2013年5月20日月曜日

浅田次郎『憑神』


 雨になった。昨夕から降り続いているが、しばらくぼんやりと雨の景色を眺めていた。今日は所属している研究会で『現代社会の分析』という少々やっかいで大きすぎるテーマについて話をすることになっており、現代の社会学者がよく用いている「ロジスティック曲線」について考えていた。社会現象を微分関数で表すことで、歴史と社会をうまく説明できるのだが、歴史を鳥瞰しようとするヘーゲル的史観の延長かもしれないと思ったりもする。

 それはともかく、浅田次郎の時代小説で2007年には降旗康男によって映画化もされている『憑神』(2005年 新潮社 2007年 新潮文庫)を、軽いタッチで重い主題を描いた作品だと思いながら読んだ。重い主題といっても近代精神の具現化のようなものであり、内容が重いわけではない。

 主人公の別所彦四郎は、下級御家人の次男で、文武ともに優れているのだが、どうにも運が開けずに悶々としている状態に置かれていた。昌平坂学問所で彼と同輩の榎本釜次郎(榎本武揚)は、彼よりも劣っていたにもかかわらず、とんとん拍子に出世しているにもかかわらず、彦四郎は養子先に離縁されて兄の家に居候として出戻っているような状態だった。

 彼は、実家よりも上級の役職を持つ家に婿養子で入り、過不足なく、真面目に勤めていたが、後継となる子が出来るや否や、養家の父親の奸計で、離縁させられ、家を追い出されていたのである。養家としては、「種馬」の役割を果たしたのだから、早々に彦四郎の追い出しを計ったのである。

 そんな中、ある夏の夜、眠られずに出かけた蕎麦屋の主から榎本釜次郎の出世の原因が向島の「三囲(みめぐり)稲荷」の神通力のおかげだというような話を聞き、その帰り道に酔って転げ落ちた土手の下に、寂れた稲荷の祠があり、「三巡(みめぐり)稲荷」とあるところから、その祠に手を合わせて出世を神頼みするのである。

 ところが、彼が神頼みした「三巡稲荷」の神は、貧乏神、疫病神、死神の災いの神が次々と巡ってくるというもので、まず、最初に貧乏神が現れる。貧乏神が彦四郎に憑くやいなや、たちまち彼が居遇する兄の家の家計が立ち行かなくなり、長年の借金の返済を急に迫られて、あげくは御家人株を売って武士を止めるところまで話が進んでいく。

 脳天気な彦四郎の兄は、御家人株が500両で売れるという話を聞いて、苦労するよりもそのほうがいいと考えたりするが、実際は食い扶持をなくすだけで、困窮は目に見えているし、別所家は軽禄の徒歩とはいえ、家康以来の影鎧の管理という役務と共に、いざとなったら将軍の影武者になるという先祖伝来の役務を負ってきていた家柄だった。真面目で実直な彦四郎は、武士としてその役務を放棄することはできないと考えて、苦慮する。

 そして、それらすべてのことは貧乏神がもたらしたことであるので、なんとか貧乏神と交渉する。取り憑いた貧乏神は、彦四郎の実直な人柄に負けて、禍をほかの誰かに振るという「役替え」があることを教え、彦四郎は自分を追い出した婿養子先にその禍を振る。するとたちまち、彼を追い出した旗本の家が火事となる。だが、彦四郎を追い出したとは言え、そこには彼の妻と一人息子がおり、彼らが路頭に迷うことになったのを彦四郎は後悔する。彼は、どこまでも「人がいい」のである。

 だが、こうして貧乏神の役割が済んだと思ったら、今度は相撲取りの姿をした疫病神に取り憑かれるのである。疫病神は徳川家茂に取り憑き、孝明天皇に取り憑いて政局を大きく変えたという。事実、この二人の死によって、時局は大きく変化し、時代は大政奉還から明治維新へと急展開していくのである。諸物価は高騰し、江戸市民は混乱する。その疫病神が、彦四郎の兄を重い病にし、別所家の「お役」が果たせなくするのである。彦四郎が禍の役替えを兄に振ったからである。

 こうして、彦四郎は兄の代わりに別所家の役務を果たすことになるが、禍を他人に転嫁する自分に対して許せない思いももっていたし、彼の息子は自分の家が火事となり、祖父がお役御免になったことに対する恨みをもって、それが彦四郎の仕業だと思って、その恨みを晴らそうとしたりした。

 そうしているうちに、邪神の中でも最も強力な死神が、今度は小さな女の子の姿で取り憑く。彦四郎は、今度ばかりは命に関わることだからと、その禍を自分で引き受ける決心をしていく。

 彦四郎は、武士としてどこまでも家役を守り、徳川家に忠節を尽くそうとするが、将軍となった徳川慶喜は、鳥羽伏見の戦いの後に大阪城から江戸に逃げ帰っており、愕然とすることが多かった。そして、やがて上野の彰義隊の戦いになっていく。

 彦四郎は、勝海舟や官軍から新政府入りを勧められるが、これを断り、徳川家の終わりを認識しつつも新しい時代の礎となるために、自分の死を恐れず、旧来の武士が武士の本文を全うしたことを示すため、徳川慶喜は上野から既に水戸へと移っていたが、自ら徳川将軍の影鎧を着込み、慶喜となって上野に向かうのである。

 この作品には、社会の激変の中でも自らの矜持を全うしていくことが大筋としてあり、その中で、人間の命には限りがあるが、それゆえにこそ尊い生き方があるということ、そういう魂の問題が盛り込まれているのである。

 幕末から明治にかけての日本近代史を見るたびに、もう少しあの時に深く考えられたり、特に明治政府にもう少し優れた人物がいたりしたら、少しは日本はよかったのではないかと思うことがしばしばあるが、社会の激変という現象の中で、変わらない人間の生き方というのもあり、この作品の主人公を通してそういうことに想いを寄せることができる作品だった。読んでいるうちに、仕事もできないし頼りにもならず、楽なことを求めたがる彦四郎の兄さんというのもなかなかの人物ではないかと思ったりする。浅田次郎は、「うまい」作家だとつくづく思う。

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