2013年5月29日水曜日

柴田錬三郎『人間勝負 柴田錬三郎選集5』

 日本列島の西が梅雨入りしたと発表され、ここでも雨の気配を感じさせる重い雲が広がっている。今年の梅雨は雨量が少し多いそうだ。雨は嫌いではないが、じめじめと湿度が高いのは疲労感を増幅させる気がしないでもない。

 ところで、日本の現代史の中で1960年から70年にかけては、その後の社会構造とものの考え方が徐々に変化していく転換点になった時代だと思っているが、この時代に、時代小説で多くの人に読まれた作家の一人は柴田錬三郎だろう。

 柴田錬三郎の作品は、どれもエンターテイメント性が高くて、その文学性や思想性が論じられることが少ないし、彼の代表作の一つである『眠り狂四郎無頼控』の主人公眠狂四郎の虚無性やニヒル性の印象が強いために、もっぱらその方向で取り上げられることが多いが、改めて読んでみると、その作品の文学性や思想性、あるいはまた作品の質という点ではるかに高いものがあることに気がつく。

 そんなことを思いながら、『人間勝負 柴田錬三郎選集第5巻』(1989年 集英社)を面白く読んだ。

 これは、大阪冬の陣で死んだと言われている真田幸村が、実は死んだのは彼の影武者で、大阪城落城を目にしながら逃れて、やがて船団を率いる海賊となり、莫大な財を獲得して琉球(沖縄)のある島に秘匿し、それを琉球から江戸に持ち帰るために、それぞれ個性豊かで優れた技をもつ10人の男女を選んで琉球に向けて旅立たせたという設定で物語が展開されていくものである。

 この作品には、大阪城で死んだはずの豊臣秀頼が、実は生き延びて薩摩で子をなして余生を送ったとか、島原の乱で死んだと言われる天草四郎時貞も生き延びで、その天草四郎時貞が、実は豊臣秀頼が薩摩でもうけた子のひとりで、女性であったとか、上杉家の直江兼続に並び称されたキリシタン武将の明石掃部助全登(かもんのすけたけのり)の娘が登場したり、大阪城で討ち死にした四国の長宗我部盛親の娘が登場したりして、豊臣家が滅びた大坂の陣から島原の乱に至るまでに歴史を彩どった人々のその後の俗説や奇想天外の発想が多彩に盛り込まれている。

 しかも、これらの事柄がきちんと歴史的に踏まえられているので、そうした非歴史的発想も物語性として違和感なく溶け込んでいる。こういうきちんとした歴史認識の上でなされる荒唐無稽の物語の展開は、作者の意識と思想の具現化されたものであり、そこに作家の深みのようなものを感じることができる。その意味でも柴田錬三郎の作品には深みがあるのである。

 さて、選ばれた10人の男女は、琉球に着くまでに夫婦とならなければならなかった。そこに男女の綾もあるし、それぞれの出生や身分の問題も絡んでいるし、10人が無作為に選ばれているようであっても、幸村の財宝を狙う幕閣の間の争いによって密命を帯びている者や島原の残党、あるいは長宗我部家の残党などが宿命を与えている者もあり、琉球行きを巡っての暗闘が繰り返されていくのである。

 10人のうちのひとりの女性であった吉原の遊女は、キリシタンで、自分は神に身を捧げているので誰とも夫婦にはならないと、真田幸村の企てを否んで死を迎え、残りの9人が江戸から南下していく旅をしていくが、その途中で、欲のために、あるいは自分が背負っている宿命のために次々と殺されていく。暗闘には、権力欲にかられた忍者や公儀隠密、柳生宗矩らが関わっていく。

 物語は、これらの暗闘の中を生きていくそれぞれの姿が展開されるが、そこで人間の悲しみや生きることの難しさなどが丁寧に織り成されるし、読むものを飽かせない構成になっている。

 最後に生き残って、琉球へ渡り、そこから江戸に帰っていくのではなく、新しい天地としてヨーロッパに向かうことになるのは、何の欲ももたない素浪人だが抜群の剣の冴えをもつ佐久間八郎と、豊臣秀頼の落胤で天草四郎時貞の妹である白江の若い男女で、彼らが本質的に素直で素朴なものを持っている人間であるのもなかなかであり、希望で終わるというのが、なるほど時代の産物のような気もしていい。

 本書の表題が『人間勝負』というものになっているのは、空知庵を名乗る真田幸村が、この計画を起こすにあたって次のように語っているところにあるだろうと思う。

 「わしはな、人間一個の力が、どれだけ、発揮されるか・・・それを見とどけたいのじゃ。・・・思ってもみい、この世の中のことは、人間がつくりあげた。広大な原野を拓いて、田畠をつくり、信仰によって巨大な大仏をつくり、武威をかがやかせるために城をつくって居る。唐土には、万里の長城というやつがあるぞ。人間の力というやつは、恐ろしいまでに、強い。・・・わしは、自分自身の目で、その強さを、その強さを見とどけてやろうと、思うまでよ」(本書 85ページ)。

 柴田錬三郎は、近代を特色づけるものが人間中心主義であることを感じていただろう。それがこの表題となったのだろうと思う。彼は中国文学を専攻しただけに、独特の漢文調の文体を記すし、言葉の力を込めるために、句点を多く使用した。こういう文体もわたしは好きである。ともあれ、面白い。わたしはそう思っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿