2013年5月22日水曜日

志水辰夫『みのたけの春』(1)

 初夏の陽射しが、時折強く射して、いくぶん汗ばむほどの陽気になってきた。西の空に灰色の雲がかかっているので、これから少し陰ってくるだろうとは思うが、寝具を夏用に取り替え、扇風機を押入れから出してきたりしていた。こうした日常生活を保つ作業もなかなか大変なことではある。しかし、何も考えないでいることができるのもいいものだと思ったりもする。

 先日、図書館で志水辰夫の2作目の時代小説である『みのたけの春』(2008年 集英社)という作品を見つけて、叙情的で静謐な美しい描写の中で人間の生き方を描き出した優れた作品だと思いながら読んでいた。志水辰夫は、ハードボイルド風の作品だったり冒険譚だったりする作品が多くて、あまり触手が伸びない作家だったのだが、2007年から時代小説に転じて、時代小説だと人間が素朴に描かれうることもあって、これは感動を呼び起こさせられるいい作品だった。作品の中で、何度も感動する場面が描かれて、非常に丁寧に書かれたものであるというのが最初の読後感だった。

 物語の舞台は、京都から因幡へと向かう山陰道沿いの天領であった貞岡とされている。実際は、北但馬(兵庫県北部)の豊岡・出石(いずし)盆地であろう。本作では、生野銀山(現:兵庫県朝来市)の産出量が衰退して、かろうじて養蚕に活路を見出して生活が守られているよう寒村地帯とされている。山間に点在する村々の中での生活は、ぎりぎりの生活で、百姓の暮らしは養蚕にかかっているような状態だった。

 この地方一帯に、鉱山の開発などに携わり、山中鹿之助と毛利家の戦いの際には(1578年 天正6年)山中鹿之助の側について滅びの運命をたどった「入山衆」と呼ばれる有力者たちがいて、相互寄り合いとして互助組織を作って、共同自治統治のような形態を保っていたが、その「入山衆」が設置した武道を学ぶ尚古館と、江戸から京都を経てやってきた儒学者の柳澤宋元が学問を学ぶ塾として開いている三省庵に学ぶ青年たちを中心にした物語が展開されていくのである。もちろん、「入山衆」も尚古館も三省庵も作者の創作であろうが、実在したのではないかと思える程のリアリティがある。

 物語は、この尚古館と三省庵で学ぶ郷士の榊原清吉が友人の諸井民三郎と共に、病んでいる学友の武井庄八を見舞いに行くところから始まる。郷士は、戦時下のみ兵となるが普段は百姓として暮らしているもので、苗字帯刀は許されているが実質は百姓である。人別帳でも百姓になっている。その郷士である榊原清吉の家は、一時は「つぶれ」と言われるまで没落し、貞岡のはずれにある西山村というところの荒家で暮らし、かろうじて、養蚕によって借財を返済しながら、郷士の対面を保ちながら、老いて病んでいる母と暮らしているような家であり、諸井民三郎は、祖父と両親、兄という一家の大黒柱を「ころり(ペスト)」で失い、残された幼い四人の兄弟姉妹を抱えてかろうじて生活しているような状態だったのである。彼らが見舞う学友の武井庄八は、学問にも優れた青年だったが労咳を病んでいた。

 時代は幕末の1863年(文久3年)前後で、三省庵の師である柳澤宋元が、その4年前の1859年(安政6年)にこの山地に来て学塾を開いたとされており、安政6年の「安政の大獄」との関わりが暗示されているし、1863年(文久3年)8月の「天誅組の変」と、この地方の豊岡藩と出石藩、天領地の農民を組織して挙兵しようとした「生野の変」が描き出されていく。

 幕末の尊王攘夷運動というのは、実態があやふやなままで、いわば時代の空気のような流れのままに局地的な蜂起が行われたりしていったのだが、その「空気のようなもの」を作者は貧農者の側から描いているのである。京都に近い但馬は、昔から尊皇の気風があり、尚古館と三省庵の青年たちも、その尊王攘夷の空気に巻き込まれていくのである。挙兵のための農兵を集める運動が展開されていく。

 さて、榊原清吉と諸井民三郎は、武井荘八の見舞いに行く途中で運悪く生野代官の代行格であった新村格之進と出くわしてしまう。新村格之進は公儀の役人あることを笠に着て、二人に頭の下げ方が悪いと激怒し、雨の中を這いつくばらせ、身分の違いを嫌というほど思い知らせるのである。新村格之進は、郷士に対して陰湿で不遜な態度をとるし、それがやがて、堪忍袋の緒を切らした諸井民三郎の怒りとなり、民三郎が新村格之進を斬るという大事件に発展し、民三郎とその兄弟姉妹の運命を変えていくことになる。

 物語の展開は、後に記すことにして、少し感じ入った描写があるので、それを、まず記しておこう。それは、榊原清吉が労咳を病む武井庄八を見舞っている場面である。

 「部屋の隅に、文机と書箱が片づけてあった。重箱状の書箱が三つもある。蓋がしてあるところを見ると、いまでは本を開くこともかなわなくなっているのかもしれない。
 部屋は二方に開け、西方も障子になっていた。西日が当たっている。
 『清さん。すまないけど、そこの障子を開けてくれませんか』
 光が軒の上へ消えかけているのを見て、荘八がいった。
 『開けてもいいんか』
 『うん。夕日を見たいんだ』
 それで二枚の障子を開け放してやった。
 風が吹き込んできたみたいに澄んだ気配がはいってきた。
 向かいが庭の西隅に当たるようだ。前方は土塀で取り囲まれているが、堀の上に氷ノ山をはじめとする山並みが横たわっていた。
 日が落ちかけている。いまの時期は氷ノ山より西側へ落ちる。
 『ああ。きれいやなあ』
 庄八が目を細め、うっとりとした顔で言った。
 『大雨が降ったからねえ。靄がとれて、こんなにきれいな夕日は久しぶりだよ』
 正八のところからだと、首をねじ曲げなければ夕日は見えなかった。清吉は布団を引っぱり、楽に見られるよう方向を変えてやった。ついでに二尺くらい前へ出してやった。これで夕日が山に落ちるところまでながめられるようになった。
 ありがとう、と庄八が言った。」(2931ページ)

 これはなんでもない情景のように見えるが、主人公の榊原清吉の人柄をよく表すと同時に、何を大事に生きているのかを端的に示す。そして、それと同時に、沈みゆく夕日を二人で「きれいやなあ」といって眺める美しい光景は、庄八が抱える人生のはかなさと重なって、しみじみと胸に響く。

 そして、こうした光景の描写が随所にあって、その度に味わい深く読まされる。優れた作品というのは、こういう描写の作品だろうと思う。もちろん、そこに人間と人生への深い理解がにじんでいるからである。続きは、また次回に記すことにしよう。

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