2013年5月8日水曜日

風野真知雄『両国大相撲殺人事件 耳袋秘帖』


 昨夜から朝にかけて少し冷え込んだのだが、徐々に気温が上がって初夏らしい天気になった。昨日、吉祥寺まで出かけて、井の頭線の沿線に広がる武蔵野の面影をぼんやり眺めながら、風は強く吹いていたが、今の季節はほんとうにいいと思っていた。小さな池の中で蓮の花が開き始めていた。

 電車の中で座ることができたので、風野真知雄の「耳袋秘帖」シリーズの一冊である『両国大相撲殺人事件 耳袋秘帖』(2012年 文春文庫)を一気に読んだ。今、この作者の『妻は、くノ一』がNHKでテレビドラマ化されて放映されているのを時折見ている。

 『両国大相撲殺人事件』(2012年 文春文庫)は、2007年に「だいわ文庫」として出されてもののリニューアル版として出されたもので、このシリーズの6作品目の作品だが、他の作品同様、江戸中期の名奉行と言われた根岸肥前守鎮衛の「耳袋(耳嚢)」から題材が取られたものである。本作では、相撲史上最強の力士と言われた雷電為右衛門が絡んだ事件が取り扱われ、彼のあまりの強さと人気を妬んで、彼に殺人犯の濡れ衣を着せて彼の評判を落とそうと企んだ事件が描かれていく。

 江戸時代の相撲力士の多くは、たいていがどこかの大名がお抱えとしていたが、雷電為右衛門(17671825年)は信濃国小県郡大石村(現:長野県東御市)出身で、松江藩松平家のお抱え力士であった。彼は無類の強さを誇ったし、当時の力士としては珍しく読み書きそろばんもできたと言われている。

 諸大名が力士を抱えたのは、自分の藩の強さを誇る「見栄」のためで、参勤交代の時など強い力士を歩かせることによって武勇を誇ろうとしたのであるが、諸大名は互いに「雄」を競うようなところがあって、本書では松江藩松平家と雄を競った肥後熊本藩の細川家が登場する。

 この頃になるとどこの藩でも財政逼迫が大きな問題となり、本書は、肥後熊本藩細川家でも、財政改革のために人員整理が行われたという設定で、その人員整理によって三名の下級武士が解雇され、彼らが元の藩に復することを悲願としているところから始まっていく。その悲願を利用されて、彼らは細川家江戸屋敷の用人に操られて、藩主が雄を競っている松江藩松平家と対抗するために、そのお抱え力士である雷電為右衛門を殺人犯に仕立て上げて評判を落とそうとするのである。いわば、藩主のご機嫌をとって、それによって復職しようとするのである。利用する者も姑息であれば、利用される者も姑息である。物事の企みには、そういう姑息さがつきまとうのは世の常で、そうした人間を登場させることができるところに娯楽時代小説の面白さがあるのかもしれないとも思ったりする。

 彼らは、雷電為右衛門が得意技としている技を巧妙にまねて、また雷電為右衛門の衣装に似た衣装を使ったり、彼の下駄を現場に残したりして、一人の有望な若い力士を殺し、雷電為右衛門が殺人をしたという噂を流すのである。人は噂によって動きやすいから、濡れ衣を着せられた雷電為右衛門は窮地に立つことになる。

 本書は、この事件に、雷電為右衛門を密かに贔屓にして応援などもしていた根岸肥前守が乗り出して、事件の真相を暴いていくという筋立てになっているが、再仕官(復職)を願う武士の悲哀などが描かれたりしている。姑息であるということは哀しいことでもある。作者はその哀しさを描こうとする。彼らは藩主のご機嫌取りのために使い捨てカイロにように使われる。それは、企業の業績が悪化している中で人員整理が盛んに行われている現代の状況を反映したものでもあるだろう。こういうところが、この作者のいいところだと思っている。

 物語そのものは、根岸肥前守の日常や人柄、また、本書では雷電為右衛門の人柄などが織りなされて全体的に温かい雰囲気の中で綴られていくし、取り扱われている事件も複雑なものではなく、娯楽時代小説として面白く読めるものになっている。

 また、巻末に本書のオリジナル書下ろしとして「余話 ろくろくろっ首」という作品が掲載され、まだ街の無頼漢であった若い頃の根岸肥前守と友人の五郎蔵が「ろくろ首」の見世物小屋を開いてひと稼ぎ企む話が展開されている。

 暑い夏の日に、身体を酷使して銭を稼ぐよりも楽して儲けようと銕蔵(根岸肥前守)と五郎蔵は、知り合いの可愛らしい町娘を使って「ろくろ首」の見世物小屋を作り、これが成功してうまくいくが、両国の香具師の親分の巧妙な企みによって、その商売そのものが乗っ取られてしまうという憂き目を見ることになったという話である。

 彼らは両国の香具師の親分に、いわば負けてしまうのである。この時に銕蔵(根岸肥前守)が言うセリフに味がある。彼は、乗っ取られて悔しがる五郎蔵に、「おれたちはいっぱい負けようぜ」と言うのである。「負けることなんかなんにも恥ずかしくねえ。おれたちはいっぱい負けて、いっぱい学ぼうぜ」と言う(本書299ページ)。こういうところが本書の「味」で、おそらくそれは作者の人生哲学でもあるだろう。

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