「目に青葉」と歌われた皐月を迎えた。五月晴れとはいかず、どこか肌寒い日になっている。今年は暖かい日がなかなか少ないが、それでも新緑の美しさには心が和む。こういう中で、わたしは不思議に、何かをすることよりもしないことを選択していたいと、つくづく思ったりする。
閑話休題。上田秀人『継承 奥祐筆秘帳』(2009年 講談社文庫)を面白く読む。これは、このシリーズの4作品目の作品で、ここに記しているだけでも、これまで3作目の『浸食』(2008年 講談社文庫)、7作品目の『隠密』(2010年 講談社文庫)、8作品目の『刃傷』(2011年 講談社文庫)を読んできていた。
前作の『浸食』では、第11代将軍徳川家斉の暗殺未遂事件が展開され、将軍である我が子を暗殺してまで将軍位を自分のものにしようとする一橋治済と先の老中松平定信の暗闘、そして家斉自身の葛藤などに巻き込まれていく主人公の奥祐筆立花併右衛門と彼を護衛する剣士の柊衛悟の姿が描かれていた。
本作では、尾張徳川家に養子に出した四男の敬之助が急死した(わずか2歳で急死)ために後継者を失った尾張徳川家の思惑と、尾張藩の付家老で譜代大名へと返り咲きを狙う成瀬正典の画策、それに将軍継承問題で画策して老中内で実権を握ろうとする太田資愛(すけよし)の暗躍が展開され、それに相変わらず将軍位を狙っている一橋治済の策略が加わり、それぞれの意を受けた刺客たちと柊衛悟の闘いが描かれていく。
「オットセイ将軍」と言われたほど多くの側室をもった徳川家斉は、側室「お万の方」との間に生まれた長男竹千代をわずか1歳にならない前に失い(1793年)、この年に「お楽の方」との間に生まれた次男の敏次郎(第12代将軍家重 1793-1853年)を継嗣としていた。次の年に「お梅の方」との間に生まれた三男は夭逝し、「お歌の方」との間に生まれた四男の敬之助を尾張徳川家の養子としていたのである。この敬之助が急死し、この時点で(1797年)で残っている男子は、継嗣である次男の敏次郎と、正室として迎えた薩摩藩主島津重豪の娘の「茂姫(広大院)との間に生まれた五男の敦之助(1796-1799年)の二人だけであった。
いくらなんでも正室との間に生まれた敦之助を養子に出すわけにも行かず、継嗣の敏次郎を廃嫡として、これを尾張徳川家の養子として出し、敦之助を継嗣とするという思惑が蠢き、その中での権力闘争が繰り広げられていくのである。一橋治済は、生まれてくる男子を皆殺しにして、御三卿の筆頭である一橋家の当主として自分が将軍位につくことを狙っている。
そんな中で、駿府で家康の書付が発見された。その書付は、尾張徳川家が誕生した際に家康が尾張徳川家に付家老として付けた成瀬義直の役目が終われば譜代に戻すという約定を記したものだった。そして、奥祐筆組頭として立花併右衛門がその書付の真贋の判定のために駿府にやられることになる。この機に全てを知って目の上の瘤となっている立花併右衛門を殺そうとする太田資愛は刺客を放ち、また、自分の地位保全と譜代への返り咲きを狙う成瀬正典も書付を奪おうと刺客を放つ。朝廷側の復権を画策する覚蝉も一橋治済も、将軍家斉のお庭番もそれを探り出そうと暗躍する。
立花併右衛門は、娘の瑞紀を守るために、柊衛悟を残してひとり駿府に向かうが、娘の瑞紀は衛悟に父を守ってくれるように頼み、柊衛悟も瑞紀の依頼を受けて、立花併右衛門を守るために駿府へ向かう。その帰路、併右衛門は、やはり襲われ、危機を迎えるが、駆けつけた柊衛悟によって助けられる。
他方、老中は、いまさら尾張の付家老を譜代に戻すことなど考えられないとして、その書付を闇に葬ることを決めていくのである。
こういう物語が本書で展開されて、緊張感あふれるストリーが展開されるのだが、本書を読みながら、登場人物たち、特に権力を持つ者たちがあまりに権力に固執し、強欲であるように描かれすぎているような気がしないでもなかった。もちろん、それぞれの立場でそれぞれの論理をもって彼らの権力欲が描かれているのだから、それは作品に緊張感を生み出して面白くなるのだが、歴史や人間の評価というものは様々で多様であるから、その点が少し考慮されれば、さらに奥行きのある作品になっているのではないかと思ったりする。しかしながら、面白いという点では実に面白い。シリーズものとしてまだ継続されているので、このあとの展開がどうなるか、期待されるところである。
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