2012年7月9日月曜日

諸田玲子『恋かたみ 狸穴あいあい坂』


 久しぶりに碧空が見える。梅雨が明けたわけではないが、日傘をさした人たちが行き交い、夏の風物を醸しだし、窓辺に吊るした貝殻の風鈴も涼やかな音を立てている。少々疲れた脳細胞を駆使して今日もあれやこれやの仕事を始めているが、こんな日はただぼんやりと流れに身を任せるようにして過ごすのも悪くないだろう。

 昨日は、爽やかに物語られた諸田玲子『恋かたみ 狸穴あいあい坂』(2011年 集英社)を読んだ。これは、前作『狸穴あいあい坂』(2007年 集英社)の続編で、麻生の狸穴に元火盗改めの老武士のところに住む好奇心旺盛でしっかり者である孫娘の「結寿(ゆず)」の活躍と恋心を描いた作品である。

 口やかましい息子の後妻とあまりうまくいかずに狸穴の口入屋(就職斡旋業)である「ゆすら庵」の裏屋を借りて住む元火盗改めの頑固老武士のところに、これまた継母が武家の妻女の矜持を押しつけるのをきらった孫娘の「結寿」が祖父の世話をするという理由で移り住み、そこで、ふとしたことで出会った町方の隠密廻り同心である妻木道三郎と数々の事件を通して互いに恋心を抱くようになっていくのである。

 しかし、「結寿」の祖父も実家も御手先組与力の火盗改めで、火盗改めと町方同心とでは家格も異なった上に犬猿の仲であり、しかも、妻木道三郎は前妻を亡くした子持ちで、二人は互いに想いを寄せ合っているがどうにもならない境遇に置かれていたのである。「結寿」は、自分の恋心を止めることができないし、口入屋の子どもたちも道三郎の子どもも、二人を応援しようとするが、武家の婚姻は家を優先させるために、「結寿」は自分の恋心を明かすこともできずに悶々とした日々を過ごしていくのである。

 そういう中で、近所の旗本家の小火騒ぎが起こり、それが旗本の妻女の悋気によることが分かったり、夫を亡くして早くから隠棲していた武家の女性が悪党と知りつつも関係を持っていた男の素性が発覚していったりするのである。彼女は悪党と知りつつも男と関係を持ち、しかもその男が彼女を利用して彼女の家を強盗団の隠れ家として使うような盗賊の首領であったのである。「結寿」は、こういう事件に関わり、その関わりの中で、女としての生き方を考えさせられていくのであるが、実家の継母がもってきた縁談話が着々と進行していく。

 「結寿」は、道三郎と結ばれるためには、もはや「駆け落ち」しかないとまで思いつめていく。しかしそのとき、男と駆け落ちした母親をもつ武士が、母親の相手の男を「仇」として仇討に来て、名前が似ていたことから間違って「結寿」の祖父と争うという出来事が起こり、「結寿」や祖父たちも彼の仇討を手助けすることになり、相手の男を探し出していくのである。

 「仇」として探し出した相手の男は、もはや、武士を捨て、小さな履物屋を営み、母親も既に病でなくなっていた。そして、母親が捨ててきた子どものことを長年の間気にかけていたことを知り、彼は仇討を断念していくのである。「結寿」は、この事件を通して、「駆け落ち」が周囲、とくに子どもを不幸にし、決して幸いなことではないことを実感していく。だが、その間にも「結寿」の婚姻話は進められ、婚姻の日取りまで決まってしまう。

 結局、「結寿」と道三郎は、互の思いを知りつつも最後の別れをする。そして、「結寿」は道三郎への想いを残したまま、家が決めた婚家に嫁いでいく。「結寿」の夫となった男も心優しく温厚な男で、婚家でも「結寿」を温かく迎えてくれる。だが、「結寿」の心の中には道三郎の面影が強く残っているままであった。

 しかし、同じように男への心を残したままに嫁いでいた御手先組頭の妻女が、相手の男が甲府勤番になったために最後の別れをしたいということで、アリバイ作りを依頼された「結寿」は、それを引受ける。ところが、妻女と男が船宿で逢瀬をしている間に、妻女の夫が倒れるということが起こり、妻女が夫のところに駆けつけ、平然と貞淑な妻を演じている姿を見て、「結寿」は考えさせられていくのである。「結寿」の夫は、おっとりしているようでありながらも、御手先組頭の妻女が何をしていたのかを明察する鋭さを見せたりする。

 妻木道三郎も姉や親戚の強い意思でほかの女性と結婚する。「結寿」と道三郎は、互いに想いを寄せながらも、それぞれの家の事情で異なった夫をもち、妻をもっていくのである。二人が会うことはなかった。

 だが、「結寿」の婚家の離に住む老婆が可愛がっていた猫がいなくなったことや婚家の弟の不行状などから、やがてそれが強盗団の事件につながっていき、強盗団を探索していた妻木道三郎と狸穴の坂で出会ってしまう。二人は、互いにそれぞれを心に留めることで、それぞれ別の道を歩むことを確かめ、再び分かれていく。そして、「結寿」は、次第に婚家に馴染んでいくようになっていくのである。

 こうして見ると、道ならぬ恋の中にいる主人公が、どろどろとした想念の中にいるようであるが、「結寿」も妻木道三郎も爽やかで真っ直ぐな人間であり、主な登場人物たちも思いやりや愛情が深い鷹揚な人々で、「結寿」が自分の恋心や生き方を一つ一つ自分で納得させながら爽やかに生きていく姿が描かれているのである。女性としての生き方を模索していく姿が物語を通して描き出されていくのであり、物語の展開は春先から次のとし年の春先までの一年の季節が「山桜桃(ゆすらうめ)」の姿と合わせて織り成されている。

 ここには、前作で語られた老いた者の生き様や、あるいはしっかり生きようとする子どもたちの姿はあまり出てこない。道三郎の子どもの健気に生きる姿と「結寿」との関係も、もう少し描かれていたらと思うが、叶わぬ愛ながらも、それを抱いて生きようとする女性の姿が丹念に描き出され、それも嫌味がないので、読後感も爽やかである。

 作者は、人間の深部をよく知る作家だと思っているが、他方で、こういうあっさりと爽やかな文体で描かれる物語も味があると思ったりしている。気楽に読める一冊である。

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