2010年6月5日土曜日

鳥羽亮『まろほし銀次捕物帳』

 時折晴れるが少し湿度を感じる日になった。そろそろ梅雨の気配が漂っているのだろう。左肩から腕にかけての痛みはまだあるが、ずいぶんと楽になってきた。宮沢賢治が何かに書いていたような気がするが、「手や足が自由に動かせるということは、それができない人間にとっては奇跡に近い」というようなことを思い起こす。あと2~3週間もすれば、その奇跡に近い状態に戻ってくれるのではないかと希望している。

 今日の午後、少し身体を休める意味で、鳥羽亮『まろほし銀次捕物帳』(2002年 徳間文庫)を読んだ。先日読んだ宇江佐真理の主人公も「銀次」であったが、こちらの「銀次」は、剣豪作家といわれる鳥羽亮の作品らしく、「まろほし」という聞き慣れない小武器を使って犯人を捕縛していく生粋の捕物帳であり,以前、鳥羽亮の作品は娯楽時代小説としては面白く読んだので、読み始めた次第である。

 野村胡堂の名作である『銭形平次捕物控』の平次が投げ銭の名手であったように、鳥羽亮の本作の主人公「銀次」は「まろほし」という武器の使い手である。「まろほし」というのは、作者によれば「折り畳み式の特殊な武器で、一角流十手術で遣われる全長七寸余ほどの捕具と護身を兼ねたもので、握り柄の先に短い槍穂がつき、金具を開き目釘でとめると十字形の刀受けになる」武器だそうで、銀次は岡っ引きをしていた父親からこれを習い、父亡き後に後を継いで岡っ引きとなった容姿端麗の小料理屋の息子である。

 「岡っ引き」という仕事は、雇い主である奉行所の同心からわずかなお金しか出ていなかったので、まともな岡っ引きは、別の糊口をもっていたのであり、銀次も母親が小料理屋をするという設定がされているのである。

 物語は、黒船騒ぎの話が出てくるので江戸末期で、十七~十八歳になる評判の器量よしの娘たちが次々と行くへ不明となり,そのうちの何人かが死体となって発見され、その身体には無数の赤い痣が残され、暴行を受けていた。行くへ不明になっていた娘の捜索を依頼されていた銀次は、それらが一連の連続した事件であることに気づき、捜索に当たるが、共に事件を追っていた岡っ引きが殺され、糸口を見いだしたかと思うと,そのものたちも次々と殺されていく。

 か細い糸をたぐりながら、銀次は捜索を進めていくが、その謎解きの過程が次々と展開され、小さな糸口からようやく黒幕を暴き出していくのである。謎解きは上質のミステリー仕立てになっている。

 この銀次の手助けをする捕り物好きの貧乏道場主で、ひょうきんではあるが、神道無念流の達人である向井籐三郎と、黒幕の刺客で恐るべき一刀流の使い手であり殺人に快感を覚える磯部左馬之助が事件のクライマックスで対峙する場面が次のように描かれている。

 「向井は磯部の八相の構えから、容易ならぬ相手であることを感知した。
 どっしりした大きな構えだった。八相は木の構えともいわれ、大樹が天にそびえるように堂々と構えて敵を威圧することが大事とされている。敵の動きに従って攻撃に転ずる後の先の構えとも言える。
 まさに、磯部の八相は大樹のような構えだった.しかも、前進に気勢がみなぎり、巌で押してくるような威圧があった。」(258-259ページ)

 こういう表現は,剣道三段である作者ならではの表現であるだろう。

 銀次は、色と欲に絡んだ黒幕たちと老人たちの醜悪さを暴き出し、誘拐・監禁されていた娘たちを助け出す。そして、その娘たちも、次第に元気になっていく姿が結末で描き出されるのもいい。銀次は容姿端麗で女性にもてるが、「女なんぞ、わずらわしいばっかりだい」とうそぶくところもいい。なるほど娯楽時代小説とは、と思わせる作品である。

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