2010年6月25日金曜日

多岐川恭『紅屋お乱捕物秘帖』

 今日も梅雨空が重い。予報では梅雨の晴れ間の日となっていたが、灰色の世界が広がっている。参議院選挙が始まって、各党の政策も発表され、政治は暮らしに直結しているだけに、今の各党の政策には愕然とさせられるものが多い。政治はこれでまた全く、ますます「信用」というものを失うだろう。テレビは今、サッカー、テニス、ゴルフ、野球とスポーツ番組が花盛りで、どのスポーツもなじみがあるので観るのは面白いが、人の暮らしと社会現象が大きく乖離し始めているのを感じたりする。ローマ帝国が滅んでいく過程で、人々がスポーツや演劇に熱狂した現象を思い起こしたりもする。世の中は本当に騒がしい。そして、騒がしい人々はいつも愚かである。

 それはそれとして、昨日、多岐川恭『紅屋お乱捕物秘帖 心中くずし』(1999年 徳間文庫)をおもしろおかしく読んだ。娯楽時代小説として、多岐川恭の時代小説の作品はなかなかのものだとつくづく思う。どの時代小説も、登場人物の設定がある意味で独特の、こういう人間がいたら面白く生きていけるだろうという設定になっている。

 多岐川恭は直木賞作家で、ことさら歴史考察や江戸の地理や風俗についての考察をひけらかすことはないし、現実性を強調することはないが、物語の背景としてのそれらはしっかりと踏まえられている。

 『紅屋お乱捕物秘帖 心中くずし』は、1991年に双葉社から出された『紅屋お乱捕物秘帖』の続編で、おそらくシリーズ化される予定であったのかも知れないが、多岐川恭は1994年に亡くなっているので、この題名の書物はこの二冊だけになっている。

 人物の設定がしっかりしていて、ある意味で理想的な人間の設定になっているから、それを記すと、この物語の中心人物は、紅おしろいなどを取り扱う「紅屋」という店をやっている「お乱」である。「お乱」は、誰もがほれぼれするような美貌の持ち主で、ひとり者であるが、さばけた鷹揚な人柄をもち、捕り物好きで、英知に富み、名推察を働かせ、鎖分銅などの遣い手である。捕物名人の「お乱姐さん」として名をはせている。

 この「お乱」の店を手伝う妹分の「お勝」は、華奢な体つきであるが柔術の名手で、「お乱」を助けていく。

 「お乱」がいつも訪れる破れ寺には、破戒僧の「空源」と虚無僧をしている真岡繁次郎が住み、いずれも元は侍で、めっぽう腕が立つが、荒れ寺に住み着いて、それぞれ僧と虚無僧を自称している。「空源」は情熱的で、繁次郎は冷静である。荒れ寺には「空源」の昔の恋人の娘の「お時」も同居し、二人の世話をしているが、「お時」は悪い男たちにさんざんもてあそばれ、悪事の手伝いをしていたいきさつがあって(おそらく前作で記されているだろう)、「お乱」たちに助けられ、そのまま荒れ寺に居着いているのである。

 そして、その荒れ寺に、少し間の抜けた岡っ引きの「鎌吉」というのが出入りして、様々な難事件を持ち込んできては、「お乱」たち一行の助けによって解決していくのであり、「お乱」をライバルとして、また弟子としてみているが、いつも「お乱」にはかなわない。

 こうした人物たちが、それぞれの個性を発揮しながら男と女の色と欲に絡んだ事件を暴いていくのだから、物語が面白くないわけはない。事件そのものも、巧妙に心中を装った商家の乗っ取りであったり、昔の裏切られた恨みを晴らす事件であったり、飼い犬を使った強盗殺人事件やSMの猟奇的事件であったりして、人間の色と欲そのものであり、それが真に理を得て描かれ、それに対する「お乱」たちのさわやかさが光るのがとてもいい。

 何よりも彼らの暮らしぶりが面白く、「極貧ながら浮世離れした明け暮れがばかに気に入った」(文庫版8ページ)暮らしであり、「毎日毎日、のんべんだらりとしていやがって、お天道様にはずかしくねえか?」(文庫版126ページ)と言われる暮らしであり、「お乱」たちはそのような暮らしぶりを嬉々として営んでいるのである。

 個人的に、こういう暮らしぶりとその表現がいたく気に入って、こういう人たちが実際に身近にいたら、生きることは本当に面白いだろうと思ったりするような人物と暮らしである。作者には、同じように世間の風をどこ吹く風と受け止めて生きるような人物を主人公にした『ゆっくり雨太郎捕物控』という傑作のシリーズがあり、こちらも今ぜひ読んでみたいと思っている。

 「極貧ながら浮世離れした明け暮れを嬉々として送る」というのは、今のわたしにとっては理想的ですらある。

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