2011年10月3日月曜日

風野真知雄『耳袋秘帖 妖談さかさ仏』

 昨日は雲に覆われて、いくぶん肌寒さも感じる日だったが、今日は、時折陰ったりはするが、秋晴れの爽やかな日になっている。ただ、次第に気温が低くなり、秋が深まっているのを感じる。今年は秋が長く感じられそうだし、秋の夜長を楽しむ術があって、静かな夜が嬉しい時間になっている。小説でも、作家が楽しんで書いていることがわかるような作品は、読んでいて嬉しくなり、哲学や思想書、専門書の場合でも、そこに難解な思想が展開されていたとしても、作者の意気込みが息吹のようにしてあれば、その難解な思想的表現が実は単純なことを語っていることがわかったりして、一気に読めたりする。

 昨夕から読んでいた風野真知雄『耳袋秘帖 妖談さかさ仏』(2011年 文春文庫)も、読んでいて、ああ、これは作者が楽しみながら書いているなあ、と思えるような作品だった。

 このシリーズは、第一作目の『妖談 うしろ猫』から順に読んでいて、本作はそのシリーズの第四作目で、江戸時代の中期から後期にかけての名奉行で知られる根岸肥前守鎮衛(ねぎし ひぜんのかみ やすもり-1737―1815年)が残した「耳嚢(耳袋)」を題材にしながら、根岸肥前守を中心にして、彼の意を受けて働く同心の椀田豪蔵(わんだごうぞう)と肥前守が新しく使用人として雇った宮尾玄四郎らを登場させて面白く物語を展開したもので、本作でも「さかさ仏」という仏像を逆さにしたものを拝んでいる人々と、それにまつわる仏像を専門に盗む盗賊、そして幕閣内での肥前守を追い落とそうとする陰謀を描き、その陰謀に根岸肥前守が知恵者として一本釘を刺そうとする姿を描いたものである。

 事件は、根岸肥前守の働きによって捕らえられ、処刑されるばかりになっていた仏像ばかりを狙って盗みを働いていた仏像庄右衛門が処刑場から忽然と姿を消して逃げ出すところから始まる。仏像庄右衛門は、彼を助ける盗賊仲間の手によって、空中につり上げられて逃げ出すのである。そして、根岸肥前守に何とか一泡吹かせたいと新しい仏像盗みを企てていくのである。

 根岸肥前守は、何とかして逃げた仏像庄右衛門を捕らえようとし、彼が次ぎにどの寺の仏像を狙っているかの探索の手を伸ばすが難航する。そのうちに深川の芸者のひとりの遺体がさかさに釣り下げられている事件が起こり、そこに「さかさ仏」を拝むということを説く怪僧やそれを信じる人々の存在が明らかになったりする。怪僧は、御仏の慈悲の光は下から差すと説き、「さかさ仏」が幼いままで命を失わなければならなかった子どもの供養を意味するところから、子を失った母親たちの救いの教説となったりしていたのである。そこに切支丹信仰が絡んだりする。

 根岸肥前守に想いを寄せている深川芸者の力丸の同僚である小力もそのひとりで、根岸肥前守が信頼して使っている椀田豪蔵が小力に惚れてしまう。小力は美貌で魅力的な女性だが、男を無意識に手玉に取るような魔性もあり、彼の恋愛のいく末は不安だらけである。

 こうした展開の中で、「耳袋」の中に記載されている不思議話なども挿入されていくのだが、大筋では「さかさ仏」を説く怪僧と仏像泥棒の仏像庄右衛門がつながり、実は、幕閣内の寺社奉行が根岸肥前守を追い落とすために、仏像庄右衛門を逃がし、彼を利用して肥前守の失脚を狙っていたことがわかっていく。

 肥前守は、そのことを察知して、寺社奉行の企みを事前に防ぐが、仏像庄右衛門は寺社奉行の手のものによって殺されてしまう。そして、寺社奉行の背後にはさらに大きな陰謀があることを感じつつも、寺社奉行に一本釘を刺して事件が終わる。

 鷹揚で懐の深い根岸肥前守の姿が随所に描き出されて、このシリーズの中では一番まとまりのある作品になっているような気がするし、天性的に魔性をもつ小力に振り回されていく椀田豪蔵の純情ぶりもなかなか味がある。

 こういう作品は、読んで面白ければそれでいい。だから、作者が楽しんで書いているなあ、と思えれば、それはまぎれもなく面白い作品であり、人物が生き生きしてくるので、楽しめるのである。まことに文章は気分を表す。

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