2011年10月21日金曜日

笠岡治次『からくり糸車』

 今日も曇って、夜から明日にかけては雨の予報が出ている。昨日、リビアのカダフィー大佐の死亡が報じられたが、その最後の血まみれの姿が報じられ、無惨を感じていた。カダフィー大佐が行ったことは決して肯定されるべきではないだろうが、人の死を喜ぶ心はわたしにはない。以前、中近東や北アフリカの人たちと少し話をしたり、食事をする機会があったとき、その直情的な姿勢に驚きを禁じ得なかったが、テレビの報道を前にしてそのことを思い出したりした。

 閑話休題。笠岡治次『からくり糸車 百姓侍人情剣』(2009年 廣済堂文庫)を面白く読んでいたので、記しておこう。

 この作者の作品にはじめて接するのだが、物語の展開も面白いものがあるが、何よりも登場人物たちの設定が奇抜で、文章も読みやすい。文庫本のカバーの裏によれば、歴史関連の編集者をしながら、時代漫画や映像作品のシナリオなどを手がけ、ミステリーなども書かれてきたようで、それだけに、物語のそれぞれの場面が視覚的に描かれている。

 本書は、このシリーズの7作品目で、これまでの作品はまだ読んでいないのだが、『百所侍人情剣』のシリーズは、主人公の神岡茂平が、元は上州(現:群馬)で百姓をしていた茂平が、百姓の生活が嫌になって江戸へ出てきて、金に困って、ついには小盗っ人などもするようになったが、香具師の親方に見込まれ、香具師見習いとなり、剣術道場にも通うようになって、そこで抜群の剣の腕を身につけるようになり、やがて、北町奉行所定町廻り同心に気に入られて養子となり、奉行所同心として活躍するようになるという、真に面白い設定になっている。彼の周辺にいる人物たちも独特なキャラクターをもって描かれている。

 近在の百姓が食べることが出来なくなって江戸に流れ込み、町人となって日々の暮らしに汲々としながら過ご過ごすことは普通であったが、人別の厳しい時代の中で士分にまでなることはほとんどなかったであろう。それだけに、茂平の素朴で飾らない正直な姿が、江戸の顔役でもあった香具師の親分や同心に気に入られて用いられていくという設定は、茂平の純朴さを語るものとしては十分な設定とも言える。そうした経過は、前6作までで詳細に述べられているのだろうが、本書では、既に養父の役職を継いで北町奉行所の定町廻り同心となり、持ち場である板橋宿で小間物屋の女房が殺された事件などに関わっていく話である。

 本書では、主として三つの事件の顛末が「第一章 捕り物のあと」、「第二章 騒乱大怪盗」、「第四章妻殺し」で記されるのだが、その間に、互いに反目しあっている奉行所同心の葛岡銀次郎との顛末を描いた「第三章 銀次郎の悪巧み」が挟まれている。

 「第一章 捕り物のあと」は、人を信じることが出来ない女性と彼女にたぶらかされて大金を盗み出す手伝いをさせられた商家の底抜けに人のいい真面目な手代との話である。

 密告によって一網打尽にしたと思っていた強盗団事件の裏に、店の手代をたぶらかして捕り物騒ぎを利用して強盗団が押し入った店の金蔵から大金を盗み出した強盗団の首領の娘がいて、たぶらかした手代と共に逃走を図るのである。

 強盗の娘として育った女は、人を騙して生きることが普通であり、狙いをつけた商家に女中として入り込み、そこで人のいい真面目な手代を騙して大金略奪の計略を練る。彼女は父親までも騙して、父親を捕縛させる騒ぎで大金を持ち逃げしようとするのである。彼女にたぶらかされた手代は、百姓の子として生まれ、12歳で日本橋の大店に見習い奉公に出て、以後30年あまりも真面目に働き、40歳に手が届きそうになってようやく暖簾分けをされるまでになっていた。これまで女性には全く縁がなく、ただひたすら真面目に働いてきたのだが、店の女中として入ってきた強盗の娘に騙され、彼女のためにこれまでのすべてを捨てて大金強奪の片棒を担がされることになるのである。

 その逃避行の中でも、女性にたぶらかされた手代は純朴に女性のことを思い、身を捨てて彼女を逃がそうとする。そして、人を騙すことが当たり前だと思っていた女性のとげとげしい凍った心は、次第に溶かされていくのである。

 奉行所の同心たちは彼女の計略に翻弄されていくが、神岡茂平の機転によって、ついにその行き先を探り出して二人を追う。板橋の国境で人混みにまぎれて逃れようとする二人の捕り物が始まるが、必死になって女性を逃がそうとする手代の心に触れて、女性は取ってきた金を捨てて手代の手を取り逃げ出していくのである。茂平たちはそういう二人の姿にあっけにとられていくのである。

 「第二章 騒乱大怪盗」は、つまらないものを盗んでは「この世に善なし悪もなし、人の欲のみるばかり」と書かれた短冊を残していく怪盗が現れ、江戸市中で評判となっていたが、茂平がその犯人を捕まえてみれば、それが親なしで宿無しの十歳の子どもであったというもので、世をすねて人が困るのをおもしろがるという子どもの哀れな心情がそれとなく描き出されている。

 「第三章 銀次郎の悪巧み」は、北町奉行所の同僚で、人を人とも思わぬ粗野な葛岡銀次郎が、日頃反目しあっていてどうしても人柄や剣の腕が適わない神岡茂平の弱点を探ろうとして奔走する話で、弱点を探ろうとすればするほど茂平の純朴さや素直さ、人柄の良さや剣の腕のすごさを知っていくというものである。だが、茂平に惚れた女性が二人いて、ひとりは百姓娘の「トキ」で、もうひとりは「トキ」とは反対に上品な商家の娘「ナミ」で、二人は茂平を挟んで互いに恋敵として反目し、その間で茂平はうろうろと狼狽する。その様子を見た銀次郎が溜飲を下げるというものである。

 「第四章 妻殺し」は、正真正銘の殺人事件の探索の話である。茂平の持ち場である板橋宿の小間物屋の女房が殺され、近所では評判がいいが、夫は悪妻だったという。茂平は夫が悪妻だという殺された女性の問題を探ろうとするが、女性の男関係を探っても何も出てこない。だが、実は、彼女は男には興味がなく、彼女と関係していた長唄の師匠が、彼女が若い女性に気を移したことに嫉妬して殺したことがわかっていくというものである。

  こうした事件の顛末が、茂平と彼を取り囲む個性的なキャラクターをもった人々との関わりの中で軽妙に展開され、事件そのものよりも、むしろその人間模様の展開がおもしろく描かれている。ここではその詳細には触れないが、シリーズ物としての面白さが十分にあって、それぞれの人物の個性が特徴的に描かれているので、味のある作品になっている。このシリーズは、機会があれば他の作品もぜひ読んでみたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿