2011年10月17日月曜日

今井絵美子『鷺の墓』

 昨日は夏日を思わせる暑さで、今日も秋の蒼い空が広がっている。若干風邪気味で身体に怠さを感じるのだが、このところ毎年2~3回は手ひどい風邪に悩まされるようになっているので、まあ、日常のことだろう。「栄養不足じゃない?」とT大の友人は酷評するが、熊本のSさんから「腹をくくると楽」という言葉が届いて、「腹をくくって過ごそう」と思ったりしている。

 昨夕から夜にかけて、今井絵美子『鷺の墓』(2005年 角川春樹事務所 ハルキ文庫)を、書き下ろし作品にも拘わらず,ずいぶんとしっかり構成などが考え抜かれた作品だなあ、と想いながら読んでいた。

 文庫本の裏表紙に「瀬戸内の一藩を舞台に繰り広げられる人間模様を描き上げる連作時代小説」とあり、まさにその言葉の通り、瀬戸内のある藩の藩士たち、とくに下級武士たちの哀しくて切ない人間模様を、「鷺の墓」、「空豆」、「無花果、朝露に濡れて」、「秋の食客」、「逃げ水」の5編で描き出し、それぞれの人物たちの直接の関係はないが、どこかで繋がっていて、全体的に藩政の権力争いに巻き込まれる形で物語が仕上がっているという凝った構成が取られているのである。

 作者は、1945年生まれで、各地の文芸賞などを受賞されているようだが、画廊を経営されているともある。描き方が丁寧で、ちょうど下絵から順に仕上げに向かっていくように物語が展開され、最後まで読み進めてはじめて全体像が見えてくるような仕上がりになっている。

 第一作「鷺の墓」は、なにかの理由(この理由は後に明らかになる)で切腹して自死した父親のために減封されて祖母と暮らす保坂市之進が、幼少から励んできた剣の腕をかわれて藩主の病弱な腹違いの弟の警護を命じられるところから始まる。

 その背景には、まだ子がなかった若い藩主がにわかに病を得たために、後継ぎ問題が起こり、腹違いの弟を擁立しようとする一派と藩主の生母に繋がる次席家老を中心とする一派の権力争いの確執があったのである。

 その警護の中で、保坂市之進は、自分を警護役につけた人物が、実は、先の藩主に彼の母を差し出して出世の階段を上ってきた人物であることを知り、また、「上意」といわれてそれを忍んできた父が恥辱の故に自ら腹を切って自死したことをしるのである。そして、自分が警護する藩主の腹違いの弟が自分の義弟であることを知る。だが、そのことをもはや公にすることはできなし、忍従の日々を過ごすことになるのである。

 そうしているうちに、藩主に子ができ、もはや後継ぎ問題が解消されて、警護役は終わるが、病弱は藩主の義弟であり、また市之進の義弟でもあった松之助が病の故に到頭死んでしまい、母もその後で亡くなってしまうのである。市之進は、すべてが終わったことで、これからも祖母と二人で生きていこうと思うのである。

 第二話「空豆」は、風采があがらずに顔が長いことから「空豆」と渾名されて馬鹿にされていた栗栖又造が、妻が亡くなった後に自分の世話をしてくれていた姪のやりきれない恋の結末に対する義憤を晴らしていく話である。

 栗栖又造の姪の「芙岐」は、若い頃は又造と剣技を競ったが、彼とは異なり出世の階段を上って家老の右腕といわれるまでの藩の重職となった副島琢磨の息子から弄ばれて妊娠し、自害した。副島琢磨の息子は藩の家老とも繋がる郡奉行の娘との婚儀が整っていた。真相を知って、ただ謝罪を求める来栖又造に対して、副島琢磨と息子は軽くあしらうだけである。

 だが、又造は意を決して、自らを副島琢磨に斬らせることで、姪の恨みを果たすことを決心していくのである。そして、第二話の中では記されていないが、この事件を機に、副島琢磨の息子の婚儀は取りやめとなり、副島も藩内で信用をなくしていくことになる。

 第三話「無花果、朝露に濡れて」は、六十石取りの古文図書方であった牛尾爽太郎の後妻に入った紀和は、先妻の子と幼い子を抱え、針仕事の内職をしながら家計を助けていたが、夫の爽太郎の藩史編纂の仕事上の手違いから減封され、ますます生活に瀕していくようになる。

 そういう中で、先妻の子は学業が優秀であったが藩の役職の登竜門である学塾に進むには金がいるといわれるし、藩内での役替えの噂があって、何とか夫を元の役職に就けるためには、多額の賄がいるといわれる。針仕事も、手違いがあって注文が減ってしまう。

 そして、ついに金策に困り果て、甘言に乗って金貸しのところへ行ってしまう。武家に金を貸していた男は、武家に対する恨みから、武家の妻女を食い物にしていた男だった。だが、危ういところを、第一話で登場した保坂市之進の叔父で、部屋住の身であった保坂彦四郎に助けられる。

 保坂彦四郎と紀和とは因縁があり、若い頃、紀和の友人の画策で、二人きりで嵐の離れ島に残されるということがあり、それが藩内の風評となって紀和は婚期を逃していたのである。彦四郎は自分の責任を感じて紀和の行く末を案じていたのであった。

 こうして、危ういところを助けられてみれば、金がいると思っていた先妻の子は自力で学塾に進むつもりだと言い切り、夫は、藩史編纂の手違いが自分の責任でないことが明らかになったが、家族に無理をさせてまで元の職にもどろうとは思っていないと言い切る。紀和は「自分の足許を見よ」と彦四郎に言われた言葉をしみじみ思い返し、家庭を守っていくようになるのである。

 第四話「秋の食客」は、副島琢磨に殺された「空豆」の家に家換えとなった祖江田藤吾のところに、亡くなった父親を頼って仕官の道を探しているという不思議な食客が現れ、やむを得ず逗留させることにしたが、その食客が、実は、藩政の権力を握ろうとしていた一派から反対派の重鎮であった副島琢磨の暗殺を依頼された刺客であったという話である。

 祖江田藤吾の食客となった男は、不思議な魅力を持って藤吾の家族と打ち解けていったが、副島琢磨が何者かに暗殺される前に、その姿を消すのである。

 第五話「逃げ水」は第一話で登場した保坂市之進の恋の話で、他藩に嫁いでいた野枝が子どもを連れて実家に返され、市之進が通う剣術道場に子どもが入門して苛められたことから、なにかと世話を焼くようになり、野枝が自分の母親と同じように、出世の道具として藩主に差し出されようとするのを彼女の夫が察知して、彼女を離縁して実家に返したことがわかっていくのである。市之進は次第に野枝に心惹かれるようになる。

 そして、叔父の彦四郎が、自分の世話をしてくれていた娘と結婚するために武士を捨てて百姓になるという決心を聞き、彼もまた野枝に結婚を申し込もうとするが、野枝は他藩の藩士の所に嫁に行くのである。だが、祖母が気にかけてもってきた縁談の相手が、実は、友人の従姉妹で、ずっと市之進を慕っていたことを聞き、友人の熱意もあって、彼女との結婚を考えていくのである。

 これらの話は、一つの藩の中のそれぞれの人間模様なのだが、権力争いで揺れ動く藩政の中で、それと微妙に絡みながら生きている下級の武家たちの姿が、淡い糸で繋がれ、紡ぎ出されていくのである。語り口というか切り口というか、それが淡々としているだけに、「忍従」ということの辛さと切なさが伝わるし、策をもって効を為す者は、策によって滅びるということも言外で語られているのがよくわかる。全体が、やはり、薄ぼんやりとしていたものがやがてはっきりわかっていくような構図で、どちらかと言えば、一つの優れた文学作品のような気がする作品である。ただ、それでけに、直截的でなく、明瞭さを好む読者には想像力が必要となる作品かも知れない。

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