2009年10月14日水曜日

諸田玲子『あくじゃれ瓢六』(2)

 ここから約1000キロメートルも南に離れた所にある小笠原諸島の側を台風が通過する影響を受けて、重い雲が広がっている。自然はこうして相互に影響しながら巡り、やがて、次第に寒さを覚えていくのだろう。北海道の大雪山系では雪渓の中で紅葉が進んでいるニュースが伝えられた。

 昨夜、諸田玲子の『あくじゃれ瓢六』を読み終えた。時代小説として、これはなかなか情緒のある筋立てをもつ作品だと思う。人間の一つの究極を描く事件があり、恋があり、切なさがある。いくつか気に入った表現があった。

「虫の声」という話の中での一節。(185ページ)

「労咳の病人はひっきりなしに咳き込む。そのたびにやせ細った背をさすり、あふれた涙を拭いてやる。雷蔵(瓢六が入れられている大牢の牢名主で、元相撲取り。常に悠然と座して瞑想しており、瓢六を認め、客分として扱う)に抱かれたおちか(雷蔵の幼馴染で、「あの人を悪の道に引き込んだのは、あたいなんですよ。あの人は、ちょっとは名の知れた力士だったんです。けどあたいを悪所から請けだすために人さまの銭に手を出した。そんなあの人をあたいは踏みつけにしました。騙し、裏切り、弄んだ。あげく、別の男と逃げちまった」と瓢六に語る。労咳を病み、死にかけている)は童女のように見えた。
「ほんに、あのとき死なんでようござんした」
 それが、最後の言葉になった。
九月下旬、いつにも増して虫の声が切々と胸に迫る夜、おちかはひっそりと息をひきとった。」

「紅絹の蹴出し」の一節(223ページ)

 「瓢六は目を上げられなかった。友が牢番に小突かれながら去ってゆく姿など見たくない。両手をつき、首を垂れて、黒光りする床を眺める。
 眼前にあるのは、囚人どもが毎朝せっせと磨き込んだ床だった。汗や涙、血の匂いがしみ込んだ床だ。新たな涙が床をぬらし、またひとつ、悲しみというしみが加わる。」

紅絹の蹴出し」の一節(241ページ)

 「…瓢六とは話し合わなければならないことが山ほどある。だが―――。
 今は止めておこうと、弥左衛門は思った。
 なぜかわからないが、今はこうして、ただ肩を並べて歩いていたい。」

 いずれも、時代小説らしい情景が情感をもって描かれている。この描き方は藤沢周平の作品を感じさせる。しかし、独特の鋭い感性で人間を見なければ、こうした情景は描けないだろう。諸田玲子は1954年生まれだそうだが、こうした言葉では表現されない情景が奥にあるのを、リアリティをもって感じさせる作家である。

 昨夜、あまりよく寝なかったせいで、体が少し重い。肉体は次第に老醜の域へと向かいつつあるのを感じる。夜は、同じ諸田玲子の『犬吉』を読むつもり。

 政権を取った民主党の政策が細かに報道され始めた。肩肘を張った姿がそこにはあるように思われる。無理をすると人は折れる。折れなければよいが、と思ったりする。

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