昨夜、どうにもつらいと思って熱を測ったら37度5分あった。空気清浄機と加湿器をつけて休んだので、今朝は、少しは気分がいい。年々、風邪を引くとその「しんどさ」がこたえるようになっている。もっとも、年中風邪気味で、風邪薬を手放したことはないのだから、発熱は別にして、通常といえば通常であろう。手足の筋肉は、相変わらず落ち続けている。だが、季節は「ヴィヨロンのため息」と謳われた哀しい秋の本番であり、体調が悪くても気分が悪いわけではない。「秋は夕暮れ」ではなく、午後の弱々しく、しかし柔らかい日差しの中にいることが「いとあわれ」である。
大江健三郎の『宙返り』を読み続ける。
師匠(パトロン)と案内人(ガイド)が「宙返り」(棄教・転向)に至るこれまでの過程が、「第三章 宙返り」の項で、ニューヨーク・タイムズの特派員の記事として語られている。これが物語の展開を抜粋的に知る上で有効なものとなっている。それによれば、
「教団は二人の中年男によって創立された。ひとりは神秘体験を通じて根本の教義を作って来た。それを、繰り返し確かめなおしもしている。第二の男は、第一の男の神秘体験を言葉にする手助けをする。教団の現実的な世話も、かれがやっていた。特派員は一年ほども取材を続けた。そこで親しくなった指導者ふたりを、Patron, Guideと名付けるようになったらしい。救い主、預言者そのままでは、アメリカの読者の反発をかうということで、そう書いたのかもしれない。・・・
特派員は教団の取材の終わりがたに「宙返り」の出来事に出会った。外部から見てどういう行動だったかというと、指導者のふたりが警察、公安と取引して、教団内の急進派の反社会的な行動計画を通報した、ということだね。
オウム真理教にくらべれば小規模なものだが、伊豆にあった研究所が活動の拠点で、原発を占拠する計画が中心だった。研究所には原子物理学のドクターもいた。原発の爆破をひけらかして、指導者の教義を民衆に押しつける、少なくとも世界の終りに向けて、悔い改めよ、と説教するつもりだった。あるいは二、三箇所の原発を実際に爆破して世界の終りの接近を実感させようとしていた。その上での、悔い改めをという計画だった。まずこの国の状況を危機的に流動化させる、というのならば、政治的な過激派もそれをもくろむんじゃないか?しかしこちらのターゲットは原発だからね。もともと黙示録的な教義でもあるわけだ。
教団の指導者にしてみれば、内部の急進派を抑えきれなくなって、警察、公安に泣きついた、ということだろう。それがありうると見てとってというか、急進派は全国に散開する作戦に出ていた。それらの行動隊が、いつ、どこで原発占拠に出るかわからない。そこで指導者たちはマスコミに記者会見を申し込んだ。とくにテレヴィには、どういうことをやるかをあらかじめ示して、集中的な取材をもとめた。もちろん当局の援助があっただろう。
そして全国に実況中継するテレヴィカメラの前で、第一の指導者が、今の言い方でなら師匠(パトロン)が、声明したわけだ。いま全国に散っている教団の急進派に告げる、原発占拠の作戦を放棄せよ。自分らは人類の救い主でもなければ預言者でもない。これまで説いてきた教義は、まるっきり冗談だった。自分らは教団を放棄する。これまでいったりしてきたことは、単なる悪ふざけであった。それをわれわれが告白したのである以上、いまただちに信じ続けることを止めよ。
とくに急進派の諸君は、われわれの教団が、冗談の上に築かれた砂の城であることに気付いてもらいたい。自分らは人類の救い主を演じ、世界の終わりへの預言者を演じることを楽しんで、壮大な言葉やら厳粛な振る舞いやらを撒きちらした。おかげで存分楽しめたし、二年前には宗教法人となって、冗談の空騒ぎには潤沢な資金が与えられた。しかし、もうこのあたりでおしまいにする。あれらはすべて冗談だったのだ。テレヴィに映る私を見よ。いったいどうして、この私が人類の救い主たりうるか?どうしてここにいる憂い顔のパートナーが、世界の終わりへの預言者でありうるだろう?
テレヴィが全国中継したこのパフォーマンスで、特派員が使った言葉だとSomersault、つまり「宙返り」が宣伝された。」(97-99ページ)
こうした事情が明らかにされることによって、この書物が「宙返り」後の救い主(師匠-パトロン-)と預言者(案内人-ガイド-)の物語であることが明瞭に示されていくという構成になっているわけだ。
それについて、それ以前の「第二章 再開」で、「序章」で語られた少年(育雄)と、最初は出来事の観察者として、やがて自らの癌の末期症状が現れる時に第二の案内人(ガイド)となるアメリカの大学で美術を教える美術家の木津が、アスレティッククラブで偶然再会する場面が述べられているが、そこで二人の間での最初の会話が、旧約聖書の『ヨナ書』をめぐってのものだったことが記されている。
『ヨナ書』は、その成立年代を特定することにはある種の困難を伴うが、だいたい、紀元前4-5世紀ごろには知られていた4章からなる短い書物で、預言者ヨナの活動を描いたものであるが、旧約聖書の中でも独特の思想をもっている。取り扱われているニネベの町そのものが、紀元前8-7世紀ごろにチグリス川流域に商業都市として栄えた町で、人口12万人以上の大都市である。ニネベは、紀元前724年に北イスラエルを滅ぼしたアッシリアの中心都市で、アッシリア軍はその残虐性を恐れられるイスラエルの強敵だった。
したがって、ニネベは、単に異邦人の町というだけでなく、イスラエルにとってはゆるしがたい敵の町にほかならない。預言者ヨナが、最初にニネベに行けという神の言葉を拒絶したのは、そういう理由があるのである。
しかし、そのニネベは、歴史的には紀元前612年に滅ぼされているので、物語そのものは、その頃のことを語ったものであるだろう。『ナホム書』2章2節―3章19節では、ニネベは滅亡しているが、『ヨナ書』では、ニネベは悔い改めて救われている。
しかし、『ヨナ書』は、歴史的出来事を語ったものではなく、神の救いの意志を語ったものであり、預言者ヨナが神の救いの意志(悔い改め)を伝えることを否んで魚に飲まれる最初の出来事は、その思想の象徴にほかならない。
この書が旧約聖書の中で独特の思想を展開することのひとつは、ヨナが「悔い改め」を語った町がニネベという異邦人の町であり、敵であり、神に選ばれた神の民としてのユダヤ人以外の者に神の恵みが与えられることが信じられなかった時代に、ニネベの町の人々がヨナの言葉を受け入れ、悔い改め、救われていったことが語られているからである。ゆるしがたい敵であるニネベが救われるということ自体、イスラエルの人々には考えられないことであっただろう。
もうひとつは、「ニネベを滅ぼす」という最初の神の意志が、ニネベの人々の悔い改めによって変えられるということである。神の御心が変わるということ自体、旧約思想の大変な変革を意味している。
さて、『宙返り』の第二章でこのヨナのことが語られているが(大江健三郎は、J.M.マイヤースの注解を参照し、この点でも、大江健三郎は、厳密に聖書を読んでいる。J.M.マイヤースは、わたしの記憶では、イギリス国教会の神学者で、確か彼の聖書講解説の訳書として日本基督教団出版局の『聖書講解全書』第14巻があったように思う。大江健三郎は、原書でか、あるいはこの訳書でか、これを読んでいる)、悔い改めたニネベの町を見渡して、「とうごま(ひょうたん)の木の下」にひとり座し、自分が語ったニネベの滅亡が実現せずに、ニネベの人々が救われたことについてのヨナの心情について、「ヨナは、自分が失敗し、人々の笑いものになったと考えた」というJ.M.マイヤースの言葉が引用され、「育雄」は、このヨナ書にはまだ続きがあったのではないか、自分はそれを読みたい、と木津に語る。続きは、もちろん存在しないが、もしあったとしたら、それは、人々の笑いものになったヨナのその後の物語となるだろう。それは、「宙返り」によって人々の笑いものになった師匠(パトロン)と案内人(ガイド)の、その後の物語が、本書に当たることを示唆するものである。
こういう大江健三郎の集中力には、まことに敬服するものがある。彼は、やはり、よく練って書くのである。一つ一つの挿話が、全体の中できちんと位置づけられていくのは、彼が並々ならぬ作家であることを示している。
「第4章 R.S.トーマス講読」は、師匠(パトロン)が、案内人(ガイド)の回復につれて、知りあった木津によってR.S.トーマスの詩の講読をすることで物語が展開していくが、師匠(パトロン)がR.S.トーマスの詩の言葉に従って自分の思想を再構築していく過程は、少し師匠(パトロン)を陳腐なものにしているように思われ、いただけない。
R.S.トーマス(Thomas)(1913-2000年)は、20世紀を代表する詩人であり、イギリス国教会の牧師でもある。彼は、常に、自分の信仰を問い、現代社会の中で神を探し続けた。ノーベル文学賞の候補にもなったので、大江健三郎が、いかにトーマスの詩が感動的に深遠な神を捜すものであり、テーマに沿ったものであったとしても、彼を引用することに少しのいやらしさを感じるのである。
しかし、ここでもR.S.トーマスの詩の理解は、厳密にされている。大江健三郎の作品が優れたものになっていくのも、その誠実さにあるだろう。ただ、この詩の引用によって、案内人(ガイド)のゆっくりとした回復に向けて、師匠(パトロン)自身がゆっくりと回復していく姿を示す点では優れている。大江健三郎の主要なテーマは、この「回復」にほかならないから、この部分は重要な部分でもある。
その回復の過程が、師匠(パトロン)による新しい活動の開始となっていく。「第5章 モースブルッガー委員会」は、その活動が再開される過程を描いたものである。
さて、今日のところはこれまでとしよう。山積みし始めた仕事を少し片付けなければならない。さしあたって、新設された墓地のこととと日曜日の準備である。墓地について思う。墓が天国の入り口であると告げられる人は、なんと幸いなことか。それは、生きている者が知ることはない無の有への転換を意味するだろう。「すべては風に吹き去るもみ殻のようだ」なのだから。
個人的な体調も、変わらず良いとは言えない。肩の張りは、やがて痛みになるだろう。腸も弱くなっているので下痢も続く。痛みの中で目覚めなければならないことは、やはりつらいこと。
しかし、風は思いのままに吹くし、雲はただ流れ、木々は梢を揺らす。秋の花は、やさしく咲く。今日も、一日がゆっくりと回転していく。まあ、こうして人生が終わっていけばよいと思ったりもする。少し秋の陽の中を散歩しよう。
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