2009年10月29日木曜日

北原亞以子『恋忘れ草』(2)、諸田玲子『恋ほおずき』

 昨日は、関係している仙台の保育園で法人の理事会があり、仙台にまで出かけていた。仙台のけやき通りは、四季を通じて心を和ませるものがあり、春から夏にかけては青葉茂れる森の都の風情を楽しませてくれるし、秋と冬は紅葉や落葉が美しく、その下を歩くのが本当に気持ちがいい。

 ただ、このところ仙台の地下鉄工事で伐採されたものが多く、淋しくなっている。けやき通りは、もちろん人工的なものに違いないが、便利さを求めるがゆえに切り取られるのは、やはり、淋しい。「自然」というのは、けっしてありのままではなく、常に人工的に手を入れられたものではあり、それが常に文化的風情を創っていくものではあるのだから、仙台の「自然」も、また、こうして変わっていくのだろう。

 ただ、日本の風情というものは、可能な限りのありのままを切り取って、それを保持しようとするところから生まれてきたものが多く、枯山水に代表される庭園作りにしても、そうした意匠が凝らされており、できる限り人間に無理を生じないような配慮がなされてきた。そうした配慮が、新しい都市計画に生かされることを望むだけである。

 今日は、なんだか疲れ切ってしまい、一日中、掃除もせずにグダグダして過ごそうと思ったが、そうもいかず、なんだかんだと仕事をしてしまった。

 さて、北原亞以子『恋忘れ草』の続きであるが、第3話「後姿」の主人公「おえん」は、竹本七之助の名前で女浄瑠璃を語る女性であり、三歳の時に貧しさのために実の親から捨てられ、六歳で浄瑠璃の師匠に売られたのがもとで、この世界で生きるようになった。彼女は自分の経済的な後ろ盾として化粧水問屋の淡路屋長右衛門をもち、それは当然、長右衛門の愛妾であることを意味する。そして、「しんかたり(真打ち)になるためには、長右衛門の財力が必要であると思っている。もちろん、長右衛門の目を盗んで浮気もする。長右衛門も、前作で出てきた筆耕の香奈江に懸想している。そんな中で、彼女は、いわば、したたかに生きる女性である。

 その彼女の前に、風采のあがらない野暮な江戸僅番の田舎侍が登場する。「おえん」は鼻もひっかけないが、その田舎侍が彼女を訪ねてきて、深々と頭を下げ、礼を述べ、「わしは七百石の家に生まれたが、が番目の倅でね。三十俵の家に養子に出された。・・・三十俵の家は、どこまでいっても三十俵だ。わしの子も三十俵なら、孫も三十俵。今でさえ食えぬのに、これから先、物の値が上がったらどうせよというのか。誰も答えを出してくれず、わしらは、世の中の捨子も同然だと思っていた」と言う。そして、「江戸へ来てわかったよ。わしらだけが捨子ではない。・・みな同じだ。子々孫々、貧乏暮しをつづけねばならぬ。武士がおぬしにむらがるのは、寄席の木戸銭がやすいからではない。おぬしのように、自分の力を頼りに出世してゆきたいからだ」という(文庫版121-122ページ)。

 「おえん」は、そう言って去る田舎侍の後姿を見送りながら、初めて、人と向かい合って話をしたような心あたたまるものを感じていく。捨子で、生きるために斜めに構えて生きなければならなかった「おえん」と言う女性が、気丈に生きていても、まっすぐ向かい合って生きる者が必要だと感じるのである。

 第4話「恋知らず」は、小間物問屋の娘で、父と兄を亡くした後に店を切り盛りしながら、簪の意匠を考え、それが「お紺簪」として評判を取っている女性である。彼女もまた、ひとりで何とか自分の力で生き抜こうとしている女性である。その彼女が幼馴染で蝋燭問屋に婿入りした秀三郎と再会し、妻子あると知りつつ秀三郎に抱かれる。しかし、秀三郎が彼女を抱いたのは、幼い頃から優れていた「お紺」にたいして商売上の嫉妬からであることを、同じ幼馴染の平太から聞かされ、「お紺」は激しく泣いてしまう。そして、新しい簪の意匠で商売を盛りたてることを再び決意するのである。この作品で、前作の七之助(おえん)は、「お紺」の簪を贔屓にする客として登場する。

 第5話「恋忘れ草」は、歌川国芳を師匠にもつ女絵師で、歌川芳花という号をもつ「おいち」というのが主人公で、瓦職人だった父を亡くし、ひとり暮らしをしている。かつて彫り師の才次郎と恋仲だったが、才次郎は他の女と夫婦になった。才次郎がその女を身ごもらせたからである。「おいち」は才次郎に捨てられたのだが、どうしてもあきらめきれないで、ぐずぐずと関係をもっている。

 そういう中で、「おいち」は、地本問屋から百枚つづりの「江戸名所百景」の絵の制作を依頼される。「おいち」は、その彫りをぜひ腕のある才次郎に任せたいと思い、依頼する。才次郎もそれを引き受けるが、なかなか連絡がない。そこで、「おいち」は才次郎の家を訪ねる。しかし、そこで見たものは、恋した才次郎が妻と子と仲むつまじく暮らしている姿だった。「おいち」は悔しい思いをする。そして、江戸で二人といない絵師になる、と改めて思う。

 しかし、北原亞以子は、この物語を次の言葉で締めくくる。
 「強く締め過ぎたたすきが腕に痛い。
 が、ゆるめれば、寒念仏の鉦(かね)の音が軀にしみてくる。
 机の上の『三河町』がぼやけてきた。
 おいちは、涙で板下絵を汚さぬよう、机に背を向けた。」(文庫版 194ページ)

 この詩のような短い言葉に、ひとりで生きていかなければならない女性のすべての姿が凝縮されている。「ばかやろう!」と言って、自分を励まさざるを得ない人間の深い悲しみが「寒念仏の鉦の音」として軀にしみる。

 第6話の「萌えいずる時」は、料理屋「もえぎ」を営む女主人の「お梶」の話である。彼女は夫と別れた。夫は「山水亭」という大きな料亭の主だが、遊び人で、外に女を作り、その女と子どもを引き取り、さんざん散在した。「お梶」は、舅女の「おりく」もその女と遊び暮らしているのに嫌気がさして、山水亭を出て、自分で料理や「もえぎ」を立ち上げて暮らしてきた。そして十年が過ぎた。

 その頃になって、傾きかけた山水亭のために前夫の粂蔵が借金を申し出に来た。天保の飢饉で飢えて出てきた雇い人「おはつ」の親族の「おげん」の一家が転がり込んできて、人助けと思って雇った「おげん」が食べ物を盗んで行くようになり、前夫の粂蔵は「お梶」の名を使って借金をしてしまうという事態が起こってしまった。そして、借金取りに彼女の料理屋は見る影もなく壊されてしまう。料理屋をすることがもう嫌になる。

 しかし、すべてを失った後、思いを寄せいていた板前の新七が「その、何だ。枝を切り払われて、丸太ん棒のようになっちまった木からも、芽が出てきやす」(文庫版 246ページ)と言い、食べ物を盗んでいた「おげん」が、店を壊した人々に盗られていた銭箱を取り返してくる。「お梶」は、新七の言葉のとおり、「枝を切り払われて丸太のようになった木に、新しい芽が吹いたのかもしれない」(文庫版 247ページ)と思うのである。

 これらの6話に登場する6人の女性は、いずれも、恋に破れたり、叶わぬ恋を心に抱いていたりしながら一人で自立して生きようとする女性であり、そこには言い寄る者も、脅す者もあるし、また一人で生きなければならないがゆえに抱え込む淋しさも悲しみも辛さもある。そして、それらは単に女性だけではなく、ひとりで生きなければならない男も抱える辛さでもある。新しく生きようと決意することにも悲哀が伴う。北原亞以子は、そうした姿を描き出すのである。

 この作品は直木賞の受賞作だそうだが、そんな賞とは別にしても、短編でありながらも読みごたえのある作品である。取り扱われている時代は、文政から天保(1850年より少し前)で、第11代家斉の頃である。この頃から武家社会が揺らぎ始め、商人の力が大きくなり、物価が上昇し、下級武士は貧困を極め初め、農村では相次ぐ大飢饉に見舞われた。一揆や打ちこわしも頻発した。第6話「萌えいずる時」には、天保の大飢饉によって泥水を啜って生きて生きた農民の姿が描かれているが、その惨状にはすさまじいものがあった。しかし一方では、商人の財力が増して、江戸の文化は爛熟をみせはじめ、絵草子や錦絵、歌舞伎、浄瑠璃などが盛んになった。生活が苦しければ苦しいほど、人は享楽を求めたがる。「東海道四谷怪談」が上演され、柳亭種彦作、歌川国貞絵『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』が売れ、広重の『東海道五拾三次』が飛ぶように売れた。

 北原亞以子は、このような時代背景を駆使し、物語の中に織り込みながら、作中にもそうしたことを取り込んで、ひとりひとりの自立して生きなければならない女性の姿を描き出すのである。彼女は、1938(昭和13)年生まれだそうだから、戦後の混乱期とその後の成長、そして没落を経験してきた人であるし、その時代の女性の社会進出も見てきた人である。しかし、改めて思うまでもなく、いつの時代でも、ひとりで、しかも自分の力だけで生きなければならない人間が抱える悲哀と辛さは変わらない。時代小説は、そうしたことをさりげなく語ってくれるから、本当にいい。

 続いて、一気に読み終えたのは、諸田玲子『恋ほおずき』(2003年 中央公論社)である。

 諸田玲子は、他の作品でも非常に鋭い切り口をもち、重いテーマを扱ったり、女性とは思えぬ描写もしたりする優れた作家だと思う。本書もまた、堕胎がテーマとなっており、表題の「ほおずき」は、その根を乾燥させて煎じ、堕胎薬として用いられたものである。しかし、本書は、話の展開にもリズムがあり、描かれている人物も生き生きとして、いわゆる「おもしろく」て、一気に読める本である。

 本書の主人公江与(えよ)は、父の町医者六左衛門とともに中篠流(婦人科、堕胎専門)の看板を掲げる女医者である。彼女が中篠流の女医者となったのには理由があるが、その理由は、ほのめかされるだけで、ずっと後まで告げられない。また、彼女には真弓という年の離れた妹がいるが、その真弓には出生の秘密があり、これも後になって分かる仕組みになっている。

 父の六左衛門は土浦藩の藩医であったが、隠居し、浅草田原町に医者の看板を掲げるおおような人物で、娘たちを温かく見守っている。彼は、「凍鶴(いてづる)」と号して俳句を作り、その浅草田原町一丁目界隈を仕切る岡っ引きの梅蔵が俳句仲間として出入りしている。梅蔵の俳号は「孤鶴(こづる)で、この二人の俳句が、それぞれの章の扉に記されている。この家には、また、女中の「おとき」とその亭主で下働きをしている弥助もいるが、その夫婦の姿も温かく描かれている。そして、蛇骨長屋と呼ばれる貧乏長屋に住んで手癖が悪い悪たれの平吉も江与と知り合うことによって、やがて、医院の手伝いをして、梅蔵の手引きになる平吉という子どもも出入りしている。

 六左衛門の家は、だれもが、身分の区別なく、言いたいことを言い、それを温かく包む雰囲気で満ちている。

 また、江与は、ふとしたことで北町奉行所同心の津田清之助と知り合い、岡っ引きの梅蔵が、この津田清之助から手札をもらっていることも知る。津田清之助は妻子があるが、江与は彼に思いを寄せ、彼もまた江与に思いを寄せ、その恋の展開も面白く描かれている。

 江戸幕府は堕胎を禁じたが、産婦人科と小児科を建前としていた中篠流は黙認されてきた。しかし、時代は天保の改革の頃(1841-1843年)で、一切の贅沢が禁じられ、中篠流も禁じられる気配があった。奉行所同心の津田清之助も「命を殺すこと」に反対している。そういう中でも、江与は、やむをえず子どもを堕さなければならない現実の女性のために、中篠流の看板を掲げ続ける。

 彼女のもとを様々な女性が訪れる。それらの女性は、それぞれの事情の中で、子どもを産み育てることができずに彼女に堕胎を願うのである。

 老舗の蝋燭屋肥後蝋の女中「おきく」は、手代の新吉と恋仲になり、子どもを身ごもる。しかし、手代が妻子を持てるようになるまでには、まだ数十年かかる。新吉は、何年も辛い仕事に耐えて手代になった。今、子どもを産めば、その新吉の苦労も未来も水の泡となる。悩んだ「おきく」は江与のもとを訪れる。江与は、新吉ともう少し話をするように勧めるが、「おきく」はついに自害する。

 宿下がりの際に幼馴染のやくざ者に手込めにされ(強姦され)子を孕み、江与に堕胎薬をもらった武家の奥女中の勝代は、自分の上役の奥女中「蔦江」が役者にいれあげて子を孕んだと相談に来る。役者は女たらしのどうしようもない男である。江与はやむをえず堕胎薬を調合するが、役者のいいかげんさに腹を立てて、これを懲らしめる。

 吉原の遊女「喜蝶」は、妊娠しやすい体質なのか四度目の子を孕む。出産で休めば年季が長引くだけでなく、借金ともなり、生まれた子はすぐに余所にやられてしまう。江与は彼女にも堕胎薬を調合する。そして、「喜蝶」の同僚「綾瀬川」は、蛇骨長屋に住む飾り職人安次郎といい仲になり、彼の子を孕む。安次郎は妻子があり、幼い子どもたちがいて、女房はさらに子を孕み、貧しく、身受けもできない。しかし、「綾瀬川」は安次郎に会いたい一心で自分の妊娠を隠し、ついには安次郎と心中してしまう。

 子さらい(誘拐)事件が頻発する。平吉の機転で、それが、かつて子どもを堕ろし、その良心の呵責に耐えかねて気がふれた紙屑拾いの「おひさ」の仕業だとわかる。

 産んでも地獄、堕ろしても地獄の中を人は生きていく。それらの事件を津田清之助とともに関わりながら、二人の中が深まっていく。そして、清之助の友人井関彦十郎の妻志津が江与を訪ねてくる。志津は夫の出世を種に御小人目付の中沢兵庫という男から高位の者への取りなしとして不義を強要され、子を孕んでしまったのである。江与は何とかしようとするが、志津は兵庫に殺される。そして、その事実を清之助に話し、清之助は、思い悩む井関彦十郎に打ち明け、彦十郎は兵庫と果し合いをすることになる。その場に江与も立ち会う。

 彦十郎は兵庫に殺され、兵庫もまた高位の者が放った手で殺され、清之助も矢傷を負う。その清之助を看病する中で、ついに、江与は、清之助に妻子があることを十分承知しながら、彼に抱かれる。父親の六左衛門はそのことを知っていながらも黙って見守る。

 その間に、中篠流を使って武家と暴利をむさぼっていた事件が起こったりもする。

 江与の妹真弓は、自分が本当は六左衛門の子ではなく、飢饉で死に絶えた村の中で泣いていた赤ん坊を六左衛門が拾ってきた子どもであることを知り、悩む。しかし、六左衛門や江与や周囲の人々の温かさの中で自分を取り戻し、江与は、かつて駆け落ちまでしようとした男の中を引き裂かれて、無理やり、腹の中にいた子をさせられてしまった過去をきちんと整理していくようになる。そして、江与は中篠流の看板を下ろすことにする。

 江与は言う。「たとえ答えが出なくても、迷いが迷いのままに終わったとしても、真摯に心にとうてみなければなりません」と。

清 之助は言う。「尻餅をつこうが泥まみれになろうが、肝を据えれば怖るるに足らず」と。(284ページ)

 どうにもならない状態で生きなければならない人々を描きながらも、その基調は、それらを包む温かさである。「くさい」科白も、時代小説ならではのさわやかなゆるされるものである。状況の掛け合いが絶妙で、この作品は、重いテーマをさわやかに扱う絶品のひとつである。

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