2009年11月4日水曜日

藤原緋沙子『遠花火 見届け人秋月伊織事件帖』(2)、『春疾風 見届け人秋月伊織事件帖』

 昨夜、少々疲れを覚えていたが、藤原緋沙子『遠花火』を読み終え、同じシリーズの『春疾風 見届け人秋月伊織事件帖』(2006年 講談社 講談社文庫)を読み終えた。

 『遠花火』の第二話「麦笛」は、八州回りの役人野島金之助の私腹を肥やす奸計によって売り飛ばされた深川芸者の美濃吉と彼女に惚れていた呉服商「中村屋」の次男甚之助が殺され、その事件を、秋月伊織を中心にした「見届け人」たちが解決していく物語である。

 その事件の探索の過程で、殺された美濃吉を雇っていた深川の料理茶屋尾花屋の女将に、秋月伊織が次のように言って、美濃吉の背後関係を聞き出す場面がある。

 「女将、ここで働く女子たちは、皆女将のその心一つを頼りにして働いているのではないか」(136ページ)

 料理茶屋の女将は、この言葉で、美濃吉の背後にいた野島金之助について話すのである。「心ひとつを頼りにして働く」あるいは「生きる」というこの関係は、時代小説の中では主従関係であれ何であれ、深い信頼に基づいた関係として取り上げられるテーマである。ドイツ語のゲマイン・シャフト(Gemeinschaft)という言葉を、ふと、思い起こす。言うまでもなく、悪事を企む野島金之助とその仲間たちはゲゼル・シャフト(Gesellschaft)で生きる人間たちであり、見届け人たちはゲマイン・シャフトで生きる人間たちである。このシリーズは、そうした「心で生きる人々」の物語でもある。だから、面白い。

 第三話「草を摘む人」は、出世と金にしか目がなく、領地の百姓を絞れるだけ絞り取っていた北信濃の代官桑山修理の奥方美世が、そのあまりの非道ぶりから逃げだし、秀蓮尼と名を変え密かに暮していたが、夫の修理の出世の目論見と保身から命を狙われるようになった事件に「見届け人」たちが関わる話である。

 第四話「夕顔」は、周防国(山口県)岩城藩の勘定組頭矢島貞蔵の計略によって、不義密通者とされ江戸へ逃げてきて朗々の生活を送り、病んで死の床にある小野木啓之助と、その小野木を助けるために遊里の中でも場末の裾継(すそつぎ)に「あやめ」という名で身を売っていた松乃を女敵打ちであるはずの元夫の本田永四郎が身請けをするという話から、勘定組頭矢島貞蔵が賄賂を強要していた紙問屋の「和泉屋」徳兵衛を殺すという事件に絡んで、見届け人たちが矢島貞蔵の悪事を暴いていくという話である。

 松乃は、不義密通者とされ江戸へ逃げてきたが、わびしい江戸の長屋住まいの中で、元夫への心を待ち続け、思い出の夕顔を育てている。元夫の本田永四郎も、松乃が好きだったという夕顔の花を育てている。そういう姿が描かれているが、「夕顔」というのが、わびしく、悲しく、つつましやかでよい。

 いずれの話も、物語の構成がしっかりしているし、意識的にひとつひとつの関連が配置されているので、見届け人の一人である土屋弦之助の浮気話やその妻多加の悋気、長吉夫婦の姿、秋月伊織に密かに思いを寄せるお藤などのエピソードも盛られていて面白く読んだ。

 『春疾風 見届け人秋月伊織事件帖』は、このシリーズの3作目ではないかと思うが、先の『遠花火』よりもさらに文章が練られていて、すっきりしている。これも四話構成で、第一話「寒紅」は、両国の団子屋で売り子をしている「お波」と、播磨国(兵庫県)小原藩での内紛で浪人し、筆作りをしている原田淳一郎、原田淳一郎の元上司で、これもうらぶれた浪々の生活を強いられ、余命いくばくもない病んだ妻の薬代に窮し、ついには強盗の手先として雇われた栗原平助などの、どうすることもできない状況の中で苦闘しなければならない人間の姿を描き出し、江戸で起こった残虐な強盗殺人事件を「見届け人」たちが解決していく話である。

 「お波」は、かつて、「寒紅」という高価な紅を万引きし、それを原田淳一郎に助けられ、それから彼を慕い、彼のために生きようとしている女性であるが、強盗のひとりであった弥太郎の仲間と間違えられて金で雇われた栗原平助に斬り殺される。栗原平助は、妻のために原田淳一郎から十両の金を借り、その返済のために強盗の手先として雇われる。原田淳一郎は、新しく作ることを依頼された筆の材料費のためにその十両をもらっていたのだが、かつての上役の窮状を見かねてその金を差し出す。しかし、筆作りの話が取りやめになり、その十両を返却しなければならない。

 「悲しみの因果」というものがあるとしたら、この三人は、その金のために「悲しみの因果」の中にある。だから、作者の目は、登場人物に対して限りなく優しい。

 第二話「薄氷」は、あくどい商売をする酒屋「伊勢屋」のために店を潰された「越後屋」の嘉助が汗と泥にまみれた浮浪の生活の後、寺の墓地で凍死するという悲惨な出来事に出くわした秋月伊織が、伊勢屋で起こっていた放火事件を調べることになり、伊勢屋につぶされた越後屋に育てられ、実子のように可愛がられた捨子の与之助が放火犯であることを知る。秋月伊織たち見届け人は、なんとか与之助を助けようとするが、与之助は、ついに、放火犯として捕えられてしまう、という話である。

 与之助が自分を可愛がって育ててくれた嘉助の恨みを晴らそうと嘉平が眠る墓地で最後の決意をする場面で、次のような描写がある。

 「与之助は、つとめて平然としていつものように水汲み場に向かった。
 水汲み場には二尺四方ほどの石船が据えてあり、水はこの石船から桶に取り分けて墓地まで運ぶ。
 -おや・・・。
 石船に柄杓を差し入れようとして、与之助は微かな抵抗にあってその手を止めた。
 覗き込むと、うっすらと膜が張っている。
 薄氷だった。
 与之助は手をひっこめた。
 長い時間をかけてようやく張り付いた透明なその膜は、自分が越後屋で積み上げてきた商人としての何か、目に見えない希望というものを形にすれば、この薄氷のようなものではなかったかと、ふと思ったのである。
 与之助が築き上げてきたものは、越後屋が潰れるまでは、鋼のように固くて確かなものだと思っていた。
 ところがそれは、一瞬にして粉々になるような、頼りない代物だったのである。
 失意のうちにも一度は心を奮い立たせて、その残片を拾い集めてみたこともあった。だがそれは、もうけっしてもとの形に戻すことはできないのだという現実を、与之助は放浪の暮らしを通じて思い知らされたのである。
 いかに自分が、主の嘉助から温情を注いでもらっていたのかという事も、改めて知ったのであった。
 そんな自分の人生と重なる薄氷を、壊してしまうことが恐ろしくて与之助はふと、柄杓をひっこめたのである。
 だが、それも一瞬のこと、与之助は柄杓の頭でこつんと氷をつっついた。
 そこだけ穴をあければいい。遠慮がちに角を当てたが、氷はしゃりしゃりと音を立てて辺り一面割れてしまった。」(137-138ページ)

 この描写は、まことに見事であろう。物語全体が、ここに凝縮されている。そして、与之助の人生全体も。

 第三話「悲恋桜」は、かつて好き放題の乱暴を働いていた旗本真野鉄太郎を中心とする取り巻き連中が、無銭飲食で酔った勢いで、通りがかりの御小姓組の長田兵吉とその妻女、母に狼藉を働き、その事件によって江戸上追放になったのだが、いつの間にか江戸にもどり、再び、女をかどわかしては監禁して客を取らせるという悪事を働いていたのを「見届け人」たちが暴いていくという話である。

 母親と妻女に乱暴を働かれた長田兵吉も、妻女を守れぬ武士にあるまじき腰抜けとして改易(解雇)されていた。妻女の「かね」は、乱暴された者として世間からも実家からも冷たくあしらわれ、兵吉との間にできていた子菊之助を生んで、かつての長田家の中間だった友七のもとに身を寄せ、兵吉への思いを胸に暮らしている。兵吉は、何とか仇を討ち、汚名を返上したいと思って浪々の暮らしをしている。

 そういう事柄に、秋月伊織らが関わり、伊織は、及び腰ながらも極悪非道な真野鉄太郎に向かっていく兵吉に武士としての汚名を返上させる手助けをし、兵吉は、見事にそれを果たすが、自らも斬られて死ぬ。武家の力の倫理が規定する社会の中で、力のない者がどうすることもできないような苦境に追い込まれ、世間から冷たくされている者たちの姿がそこに織り込まれている。桜は、「かね」が夫への思いを重ねるために植えた木であり、死地に赴く夫の兵吉が妻と子へ残す思いである。その桜が、降るように散っていく。

 表題作ともなっている第四話「春疾風」は、貧しさゆえに場末の最下層の遊女屋である裾継に身を売らなければならなかった上野国(群馬県)の百姓の娘「おちよ」を探している幼馴染で元許嫁の畳職人伍助と出会った秋月伊織が、重税のために貧苦にあえいで、ついに岩花代官の勝本治兵衛を越訴(直接幕府に訴える)のために江戸へ来た「おちよ」の兄で伍助の親友でもあった与助らを助け、これを阻止しようと企む代官一味と戦い、その願いを手助けするという話である。

 この物語にも、裾継という場末の遊女屋で生きていかなければならないつらさと悲しみを背負っているが、そこを生き抜こうとする遊女の「おふく」という女性が登場するし、飢饉や干ばつに加えて重税であえぐ百姓たちの姿も描かれる。「見届け人」たちは、それらの心情にさりげなく触れていく。

 主人公の秋月伊織は幕府御目付役をしている秋月忠朗の実弟であり、越訴の手助けをすることは、その兄もただでは済まないことになる。しかし、伊織は、目の前で困窮している与助や伍助を見捨てることができず、兄に勘当を申し入れ、絶縁してから、彼らを助ける。伊織にとって、それは自分の生活を失うことである。しかし、伊織は、さらりとそれをやってのける。そこが、時代小説の面白いところ。伊織はこの出来事をきっかけに裏店の長屋住まいをすることになるが、伊織に思いを寄せているお藤は張り切る。

 『春疾風』は、『遠花火』以上に、作者の温かい目を感じる作品である。どうにもならない悲しみの中に追い込まれる人間の姿も、深く織り込まれている。『春疾風』を読んで、このシリーズの他のものも読みたくなった。

 今日は、資源ゴミの回収日になっているので、少し早起きをして、たまっている新聞紙や段ボールを整理して出したり、洗濯をしていた。気温はまだ低く、寒さを感じるがよく晴れている。気ぜわしい一日になりそうだが、仕事は仕事。

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