2009年11月5日木曜日

諸田玲子『お鳥見女房』

 予報では、今日あたりからまた気温が少し戻るということだったが、晴れたり曇ったりの肌寒い日になった。思えば、もう霜月なのだから当然かもしれない。

 昨日の夕方、仕事上の郵便物を出すついでに「あざみ野」まで出かけ、コーヒー豆や薬局で日用品を買ってきた。日用品を買うのは、わたしのような人間とっては、どれがいいかわからずに一苦労である。

 一昨日、大根を葉ごといただいたので、今日は、その大根の葉の炒めものでも作ろうかと思う。このところ少し仕事が立て込んでいるので、肉体が養生を強要しているが、昨夜、諸田玲子『お鳥見女房』(2001年 新潮社 2005年 新潮文庫)を読んだ。この作品はシリーズになっていて、先にこのシリーズの『蛍の行方』、『鷹姫さま』、『狐狸の恋』などを読んでいたので、このシリーズの第1作目である本作品を読んだときは、フィルムが巻き戻されるようなフィードバックの思いがした。このシリーズの作品は、とにかく、面白く、そして、温かい。諸田玲子の他のシリアスな著作とは異なって、文体自体もふっくらしている。

 物語は、天保の改革(天保12-14 1841-1843年)を行った水野忠邦(1794-1851年)が老中となっていることから、おそらく、天保年間のこととして設定され、将軍家の鷹狩に際して、その鷹の餌となる鳥の棲息状況を調べる役職である「お鳥見」を代々務める矢島家の人々の姿を中心に描かれるが、「お鳥見」としての夫の仕事や子どもたちの成長、そして矢島家にかかわった人々を温かく見守る主婦「珠世」の姿が生き生きと描かれる。

 珠世は、「格子縞の小袖に柿色の昼夜帯をしめ、髪を地味な島田髷に結っている。小柄で華奢なのにふくよかな印象があるのは、丸みを帯びた体つきのせいだ。丸顔に明るい目許、ふっくらとした唇。珠世はよく笑う。笑うと両頬にくっきりとえくぼが刻まれる。そのせいで歳より若く見えるが、二十三を頭に四人の子持ちである」(文庫版10-11ページ)と描かれる。

 この矢島家には、婿養子として入った夫の伴之助、見習い役として出仕している嫡男の久太郎、剣の修行に励む次男の久之助、次女の君江、隠居している父の久右衛門の六人が暮らし、雑司ケ谷にある七十坪ほどの役宅には、時折、すでに旗本に嫁いでいる長女の幸江が子どもの新太郎をつれて遊びに来る。

 矢島家は八十俵五人扶持で、十八両の伝馬金(役職手当)が出、嫡男久太郎にも十人扶持、十八両の伝馬金が出ているので、日々の暮らしには困らないだろうが、決して豊かではない。しかし、「お鳥見」は、表の仕事とは別に、幕府の密偵としての裏の仕事もあり、やがて、夫の伴之助がその裏の仕事で沼津へ行き、行くえ不明になるという出来事を抱えることになる。

 この矢島家に、ほんのわずかなかかわりから、浪々の身に身を落としている石塚源太夫と五人の子供たち(源太郎、源次郎、里、秋、雪)が居候することになり、また、源太夫を父の敵とする女剣士沢井多津も同居することになり、都合十三名が暮らすことになる。家計は逼迫していく。しかし、それを受け入れる珠世の姿が次のように記される。

 「珠世は苦笑した。今さら迷惑もないものである。すでに五カ月余り、源太夫父子は矢島家に居座り、米、味噌、醤油、ことごとく空にした上に、家のなかを我がもの顔に飛びまわっている。
 もっとも、それを迷惑と厭う気持ちはなかった。米や味噌なら、なくなれば買い足せばいい。だが、人と人とのつながりは途切れればそれで終わり。その儚さを思えばこそ、せっかく結ばれた縁は大切に育まねばと思う」(文庫版 117ページ)

 珠世自身が、石塚家の五人の子供たちのくったくのなさや素直さ、信頼を寄せる心に救われていく。そして、石塚源太夫と彼を敵とする沢井多津の心も、矢島家で珠世と暮らすうちに和み、ついに二人は夫婦となる。

 「どしゃぶりでも、お内儀のそばにおれば雨がかからぬ。冬も火桶がいらぬ。年中笑いが絶えぬそうな。ほれほれ、ことにそのえくぼは絶品。まこと天女のごときお方じゃと…」(文庫版 231ページ)と源太夫は仕官口をもってきた松前藩の工藤伊三衛門に語ったとある。

 果し合いで父を殺した源太夫と真剣勝負だけを考えていた多津は、心が騒ぎ、怯えつつ矢島家に帰ってきた時に、「多津ねえちゃーん」、「お帰りーっ」と源太夫の子どもたちに迎えられた時、「門前で遊んでいた里と秋が手を振りながら駆けて来た。自分を待っていてくれる人がいるというのは、なんと心温まるものか」と実感していく。そして、次第に、大らかで屈託がなく、心やさしい源太夫にひかれていく。石塚源太夫は神道無念流の達人であるが、多津に斬られる覚悟をしている。

 こういう何でもない、しかし大切な温もりが、珠世を中心にした矢島家に満ちているのである。珠世は多津の背中をさすりながら、
 「己の心を偽ると、後々まで悔むことになりますよ」(258ページ)と言う。

 しかし、密命を帯びて沼津へ行った夫伴之助の行くえ不明が次第に深刻な影を矢島家に落としていくことになる。ついに、次男の久之助が、その父を探しに沼津へと出奔する。そして、多津との結婚を決め、ようやくにして松前藩に仕官が決まっていた石塚源太夫も、その仕官の口を辞退し、久之助の後を追って、伴之助の救出に向かうことになる。出立に際し、源太夫は珠世に言う。
 「お内儀。これまでの御厚情、生涯忘れぬ」

 「これまでの御厚情、生涯忘れぬ」という、この短い言葉には、石塚源太夫の万感の思いが込められた重みがあります。そういう経過が綴られているのである。「生涯忘れぬ」と言われても、現実的にはいつの間にか忘れられることがたくさんあり、現代の饒舌が言葉を羽毛のように軽く、塵や埃のように舞い落ちては散っていくものにしてしまっている感があるが、ここで語られている言葉は、人生のすべてをかけたような重い意味ある言葉となっている。『お鳥見女房』の言葉は、さらりと書いてあるようでも、そうした重みのある深い言葉が成り立つ人間関係が描かれている。

 こうした人間模様が、実に無理なく、描かれていく。この作品のおしまいのところで、諸田玲子は珠世の心情を次のように書いている。

 「楽しいことがあれば、辛いこともある。荷車の両輪のようにどちらも切り離せぬものなら、笑いながら引っ張ってゆくだけの気概を持ちたい」(文庫版 347ページ)

 そういう人間の姿を諸田玲子はこの作品で描き出そうとしているのだろうと思う。「おもしろうて、やがてせつなき」である。

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