2009年11月13日金曜日

北原亞以子『江戸風狂伝』

 昨日は一昨日の雨は上がっていたのだが重い空が立ち込め、「木枯らし吹いておもては寒い」一日だった。今日も、灰色の雲に覆われて、寒い日になった。葉の落ちた木々の梢が震えている。冬の足音が聞こえそうだ。

 昨日、ホームセンターでホットカーペットの上敷きを買ってきた。これまで長く使ってきたホットカーペットの上敷きがコーヒーをこぼした跡などが点々とついていたので、これを処分し、新しい物と変ようとして、4時間ほどかけて家の全部の拭き掃除をした。こういう新しさは、ほんのわずかでも気持ちのいいものである。そして、新約聖書の『使徒言行録』をギリシャ語で読んでいると、いつの間にか日が暮れて、気づいたら、夜の八時になっていた。

 昨夜、少々疲れ気味ではあったが、北原亞以子『江戸風狂伝』(1997年 中央公論社)を読んだ。これは、「風狂」とか「粋人」とか呼ばれた人たちの「風狂ぶり」を描いた作品であるが、「伊達くらべ」をしかける金持ちや吉原で財産を散在してしまう人間や、少なくとも「愚人」であるわたしにとっては面白くもなんともない人間の姿が取り上げられて、文体のリズミカルな描写とは別に、読み進むのに息の上がらないものではあった。

 しかしながら、第四話の「爆発」で平賀源内(1728-1780年)が取り上げられて、平賀源内が捕縛される前(源内は勘違いによって二人の人を殺傷した罪で投獄される)の姿が、ただ周囲の人々の好意を五月蠅く思っていた「変人」として描かれたり、第六話の「臆病者」の歌川国芳(1798-1861年)が天保の改革(1841年)に反骨精神を発揮したことなどが、実は、気の弱さからのものであったとされていたりすることなどは、なかなか味のあるものである。雑誌に発表されたことの関係で枚数の制限があったのかもしれないが、たとえばこの二人は市井に生きた人であり、「遊び心」というのも豊かな人たちだったのだから、もう少し描き出された方が良いのではないかと思ったりはするが。

 第七話「いのちがけ」は、宝暦年間(1751-1763年)に講釈師として活躍した馬場文耕(1718-1758年)を取り上げたもので、馬場文耕は、元は伊予(愛媛県)の浪人中井文右衛門といい、1754年ごろから講釈師として活躍し、反骨精神旺盛で、宝暦8年(1758年)に、美濃郡(岐阜県)上八幡の金森家のお家騒動を「珍説森の雫」と題して講釈し、幕府を批判したかどで逮捕され、獄門に処せられた人である。

 作中では、この馬場文耕が「森の雫」を講釈する時の姿が描かれ、捕縛を怖れつつも、百姓の側に立って話をする文耕の姿が描き出されており、内偵に来た岡っ引きも、自分も水呑百姓の倅で、その水呑百姓のことを語る文耕をなんとか助けようとするのだと言ったりして、興味深い。

 いずれにしても、「風狂」とか「粋」とか「反骨」とかいうことが、小さくて弱い人間が、恐れ慄きつつもやむを得ぬ心情の中で精いっぱいの抵抗をすることであることが、これらの人々の姿を通して語られており、その視点は市井を懸命に生きようとする人々への作者の眼差しを反映したものとなっていて、少なくともわたしにとっては好感のもてる人物像となっている。ただ、いつの世でも、権力者たちはその力をふるってこのような人を抹殺してきたし、今の世では、「風狂」とか「粋」の精神もすたれてしまった。「粋」というのは、もはや死語に近い。

 しかし、力を振るう者には、「粋」で抵抗することが、また「粋」ではあるだろう。「粋」は、日常の生活スタイルなのである。それは、ファッションでも外見でもなく、精神の問題なのだ。

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