2009年11月27日金曜日

佐藤雅美『お白州無情』

 昨日は、気温が上がって温かさを感じる日になった。温かいと、やはり嬉しい。朝六時に起き出して、ずっと仕事をして、黄昏時から夜にかけてクリーニング屋に行くついでに散歩に出かけたが、ほとんど寒さを感じることもなかった。こういう日ばかりではもちろんないが、やはり、今の季節の中での温かさは貴重だ。

 一昨夜から続けて佐藤雅美の本で、『お白州無情』(2003年 講談社『吾、器に過ぎたるか』を改題、2006年 講談社文庫)を読んでいる。書物の内容からすれば、なぜ文庫化で改題したのかわからない。改題しない方が良かったのではないかと思う。

 これは、江戸末期に、儒教の『中庸』の一節、「天の命、之を性と謂ふ、これを道と謂ふ」からとった「性学」と名づけた実践道徳を説き、農民指導をし、農村改革を行った大原幽学(1797-1858年)の伝記小説で、大原幽学は、かつては日本の小学校のどこにでも建立されていた二宮金次郎像で有名な同時代の二宮尊徳(1787-1856年)と並んで、日本の農村改革の先駆けとなった人であり、「先祖株組合」と名づけた農業協同組合を世界で最初に創った人でもある。

 しかし、彼が行った農村を越えての農民の交流が当時の勘定奉行に怪しまれ、1857年に「押込百日(閉門幽閉)」と農村改革の拠点であった「改心楼」の棄却、「先祖株組合」の解散を言い渡され、五年に及ぶ訴訟の疲労と農村の荒廃を嘆き、1858年に切腹して自害したのである。

 この作品は、大原幽学の活動が、勘定奉行や関八州(関東周辺を回る役人)から怪しまれるところからの過程を、文献を丹念にたどりながら述べ、その中に幽学の思想と彼が行ったことを盛り込んでいくことで、当時の状況と幽学という人の姿を明らかにしていくところから始まっている。

 このような評伝の手法の最たるものは司馬遼太郎の作品であるが、佐藤雅美も、先に読んだ『『江戸繁盛記 寺門静軒無聊伝』(2002年 実業之日本社 2007年 講談社文庫)の手法と同様のものをここで取っており、作者の文献研究の確かさを伺わせるものとなっている。

 作者は1941年生まれで、当然、1960年の安保闘争や70年代の「思想の季節」の時代に青年期を過ごしているのだから、作者が寺門静軒や大原幽学へ深い関心を寄せているのは、時代小説、あるいは歴小説作家としての作者の姿勢が真摯なものであることを感じさせる。

 ただ、残念ながら、図書館の貸し出し期限があって、この作品を読了することはできなかった。今日中に返さなければならないし、仕事も次々とあって、また、いつか再読したいと思っている。しかし、Someday never comes.であるかもしれない。

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