昨夜から雨が降り続けて、今朝も白く煙った世界が広がっている。ただ、気温が少し高くなっているのでそれほどの寒さは感じない。昨日はいくつかの仕事をしながら「大江健三郎論」を書いていた。少し詳しくなりすぎたし、文体も固いものになっていたので、いくつかのことを削り、文体も柔らかいものにしていた。論文になると、どうしてもわたしの文体は思考をそのまま反映して練られたものにならないきらいがある。弁証法が多すぎるのかもしれない。
諸田玲子『氷葬』(2000年 文藝春秋社 2004年 文春文庫)を読んでいるがなかなか進まない。この作品は、江戸時代の中期である明和3年(1766年)に起こった「明和事件」をベースにしたサスペンス仕立ての小説であり、少し探究心の強い理知的な主人公ではあるが、言ってみれば普通の主婦が織りなす冒険活劇でもあり、物語の起伏や展開も面白く描かれているのだから、本当は一気に読めるのだが、夜、疲れてしまって、手に持って枕元に広げたままいつの間にか眠ってしまう日々が続いているために、なかなか読み終わらない状態になっている。
「明和事件」というのは、明和の前の宝暦年間に尊王思想を基にした幕府批判によって起こった「宝暦事件」(宝暦8年 1758年)に続いて起こった事件で、江戸で儒学や兵法を教えていた山県大弐(1725-1767年)と宝暦事件に関連していた藤井右門(1720-1767年)が上野小幡藩の内紛にからんで幕府批判の不敬罪で処刑された事件である。山県大弐の門弟には上野小幡藩家老吉田玄蕃をはじめとする小幡藩の家臣が多くあり、危惧を感じた小幡藩家老の吉田玄蕃が彼を幕府に謀反の疑いがあるとして訴えたことによって、事件が公となり、山県大弐らは死刑となったのである。一説では、山県大弐と藤井右門は、甲府城や江戸城を攻撃する軍略を練っていたともいわれる。
諸田玲子の『氷葬』は、この事件に巻き込まれた小幡藩に隣接した岩槻藩の下級藩士の妻の芙佐の姿を描いたもので、夫の江戸における知己と名乗って訪ねてきた男に暴行され、辱めを受けた芙佐が、その男を殺して沼に捨て、氷の下に閉じ込めようとしたところから事件に巻き込まれていくのである。彼女を凌辱した男が、いわば、明和事件の山県大弐が記したと思われる軍略書や幕府転覆の誓約書と思われる書状をもっていたからである。凌辱と殺人を隠そうとする彼女の元に、その軍略書と誓約書を探しに、小幡藩の隠密や幕府の密偵が襲いかかり、彼女のまわりの人間たちが殺されていくにつれ、彼女は、夫もその事件に関連しているのではないかと感じたりして、決然と、その謎を解くべく立ち上がり、彼女にふりかかった事件を自ら解決していくのである。
ここには、拭いさっても拭いきれない過去を背負った女性の姿が描かれているし、夫も子もありながらも、自分を助けてくれる公儀隠密と思われる武士に対する揺れる思いも描かれている。しかし、彼女は、沼の氷の下に閉じ込めたように、すべてを自分の胸に閉じ込めて生きていく。
人は、すべてを胸にしまって決して表には出さないものを閉じ込めながらも、その日常を送らなければならないのかもしれないと思う。人の日常には、そうした影が常につきまとう。特に女性は、いつも現実的で、過去を忘れやすいと言われたりするが、過去を忘れるのではなく深い沼に凍結させるのかもしれない。女性は男性以上にその影を自らの肉体に刻みつけることが多いのだから。諸田玲子は、そうした影を抱いて、しかも、たくましく生きていく人間の姿を描きたかったのではないかと思う。わたしの場合、過去はいつもぐずぐずと、あるいはうじうじと渦巻いている。
しかし、最近、わたしはよく昔出会った人々を妙にリアリティのある場面の夢で見ることが多くなった。何の脈略もないのだが、様々な光景を夢の中で思い起こすのである。昨日は、ある人と冷えたトマトを輪切りにして食べているところの夢を見た。トマトの赤が鮮烈に記憶に残っている。おかしなものである
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