2009年11月6日金曜日

諸田玲子『月を吐く』

 空気が晩秋の爽やかさに満たされている。しかし、さわやかな空気とは別に、相変わらず、往来する車の音はやかましい。車と言えば、先日、とうとうわたしの車が動かなくなり、バッテリーの交換をしたりして、ようやく走るには走るようにはなった。もう19年以上も前の古い車で、エコカー減税というのもあるし、走行距離も20万キロメートルを越えているので、そろそろ変え時ではあるが、せめてあと1年くらいはもってほしい。

 昨日から引き続いて諸田玲子『月を吐く』(2001年 集英社 2003年 集英社文庫)を読んでいるが、なかなか進まない。この作品は、先の『お鳥見女房』とは全く傾向を異にした歴史上の人物を取り上げた比較的シリアスな作品であり、歴史小説の体を取りつつ、ひとりの女性の生涯を描いたものである。

 なかなか読み進まない理由の一つは、もちろん、これが大きいのだが、こちらの体調が思わしくなく、集中力も想像力も欠いているからであるが、もう一つには、ここで取り上げられている人物に対して、元々あまり関心がわかなかったということにもよる。

 作中の人物は、「築山殿」と呼ばれた徳川家康の正室「瀬名」で、彼女の幼少期から死に至るまでが描かれている。「瀬名」は、今川義元の姪で、その重臣関口刑部少輔親永(ちかなが)の娘であり、歴史的には、今川家の人質となっていた松平元康(徳川家康)と政略結婚させられ、嫡男竹千代(後の信康)と亀姫を産むが、徳川家内部の勢力争いもあって、信康は、武田家と内通した疑いをかけられ、織田信長の命によって、家康は信康と瀬名を殺害したのである。

 諸田玲子は、この瀬名を描くにあたって、彼女が幼少のころから恋い慕っていた高橋広親(ひろちか)なる人物を登場させ、時代と状況に翻弄されながらも自らの恋心を胸の奥に秘めて生き、そして、最後に、家康によって殺されたのではなく、替え玉を立てられて生き伸び、広親の生まれ育った吐月峰の比久尼屋敷で生涯を終えたという筋立てにしている。そして、家康の母「於大(おだい)」と元康の嫁で、織田信長の娘であった「五徳姫」との嫁姑関係が、それぞれの勢力争いと軋轢を展開する中で、なんとか自分の居場所を確保しようと悪戦苦闘する女性として描いている。

 男であれ女であれ、あるいは小さな家の中であれ組織や国家の中であれ、勢力争いをする者には、同じように勢力争いをする者たちが集まってくる。徳川家康自身がその最たる者である以上、彼のまわりには常に醜い勢力争いがつきまとう。諸田玲子は、「瀬名」は言うまでもなく、家康にしてもその母「於大」にしても、比較的好意的に描いているが、その実態には権謀術策が限りなく展開される。人間の歴史がこうして織りなされてきたことは事実である。

 ただ、今川義元、織田信長、徳川家康といった戦国時代後半の群雄割拠した時代の中で、それぞれの場で権謀術策が、小さくはお家騒動から大きくは国取りに至るまで展開される状況下で、自分の愛を胸に秘めながらも生きた一人の女性として「瀬名」を描き出し、歴史的通説とは異なったロマンの成就を描き出そうとしているのが、この作品であるだろうと思う。

 前にも書いたと思うが、諸田玲子は、人間が、欲望と絶望をもち、願いと諦めをもち、どうすることもできない状況に生きなければならない姿を赤裸々にするし、この作品も、「築山殿」と呼ばれた徳川家康の正室「瀬名」の姿を通して、彼女の周囲にいた人々を含めて、そうした姿を赤裸々に描いたものである。

 作品は歴史的考証も変わらずしっかりしているし、広親をめぐる人間関係も物語の綾をなすものとして興味深い。今川家が崩壊していく過程も、それなりの重みがある。ただ、個人的な好みからいえば、たとえそれがどんなに小さなものであれ、勢力争いし、保身を図る人間は心底嫌いである。歴史と人生が状況に翻弄されるものであれ、いわゆる「政治」からは縁遠いところにいたいと思っていたし、思い続けるわたしにとって、こうした人間は、理解しても理解したくない。歴史小説は、そうした個人の好みに依存しているところが大きいので、題材の選択が難しいのだろうと思う。

 諸田玲子には、家康の周辺の人物を取り扱った作品がいくつかあるが、たぶん、彼女が静岡県の出身であることも、その理由にあるのかもしれないと思ったりもする。

 今日は、仕事もたまっていることだし、それを少しかたづけて、今夜は北原亞以子の作品を読もう。

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