秋の天気は変わりやすいというが、このところ日毎に天候が変わって、昨日は雲が広がり、今日は秋晴れになっている。もう随分と朝晩の気温は下がり、夜の外出が上着なしには済まなくなっている。秋が深い。
先日、あざみ野の山内図書館に行った際に、ふと目について、吉川英治『鳴門秘帖』(1989年 吉川英治歴史・時代文庫2~4 講談社)の文庫本3冊を借りてきた。吉川英治は1892年(明治25年)に横浜で生まれ、随分と苦労して、やがて戦前・戦中・戦後を通して「国民作家」とも呼ばれるようになり、いわゆる大衆文学と呼ばれるものの高度な作品を生み出した人で、1962年(昭和37年)に死去している。今日、吉川英治文学賞というのが設けられているが、彼が生み出した作品は、講談的な流れの中で物語性が高くて、物語の展開に巧みな工夫が行われている。構成力が抜群で、どんな長編でも読む者を飽きさせない力をもっている。歴史や事象を扱うというよりも、「人間」を扱った作品であると言える気がする。
あまりの巨匠で、これまであまり読むことはなかったのだが、改めて一世を風靡したと言われる『鳴門秘帖』を読み始めて、文章のぶっきらぼうさに驚きつつも物語の中に引き込まれていく魅力を感じている。大勢の人を魅了したのは、登場人物たちが危機、また危機に見舞われていく物語性と展開の上手さの妙だろうと思う。
『鳴門秘帖』は、1926年(大正15年)8月から1927年(昭和2年)10月まで大阪毎日新聞に連載された新聞小説で、連載中から映画化されるなどの好評を博した作品である。物語の背景となっているのは、江戸時代中期の明和の頃で、作中の年号は明和2~3年となっており、神道を学んで尊王思想を説いた竹内式部(敬持)を中心にした若い公家たちによる尊皇の動きを江戸幕府が押さえつけた「宝暦事件(宝暦8~9年 1758-1759年)」が起こり、続いて、江戸幕府を批判した儒学者の山県大弐が謀反の罪で門弟の藤井右門と共に処刑された「明和事件(明和4年 1767年)」が起こるが、物語の背景はその幕府転覆を図る動きである。(ただし、明和事件は物語の年の2年後)。ちなみに、「宝暦事件」の竹内式部は「明和事件」とも関係があったという罪で八丈島に流されている。
物語は、その「宝暦の事件」の時に、事件の裏に阿波徳島藩の蜂須賀家第10代藩主の蜂須賀重喜(1738-1801年)がいたのではないかという設定で、公儀隠密の甲賀世阿弥が阿波徳島藩に送り込まれ、10年の歳月が流れたが、音信不通のままになっており、江戸に残された一人娘の千絵の行く末が案じられるという状況から始まっていく。そこで、千絵の乳母の兄の唐草瓦の窯元の唐草銀五郎が子分の多市を連れ、千絵の手紙を預かって阿波に潜入しようと大阪にやってくるのである(このあたりを作者は、隠密御用は10年帰府なきを死亡とみなして、後継のない甲賀家は取り潰しの危機に瀕しているとしている。もちろん、これは作者の設定であり、史実ではないが、物語を始めるにあたり必然性を持っているように読ませるのである)。ところが、その千絵の手紙が財布ごと「見返りお綱」と呼ばれる美貌の女に摺り取られてしまうのである。
「見返りお綱」は、摺りとった財布の中の手紙を見つけて、手紙だけを二人に返そうとするが、それが行き違いになって、手紙は目明しの万吉の手に渡る。万吉は、8年前の「宝暦事件」の背後に徳島藩蜂須賀家の陰謀があるのではないかと察していた元奉行所与力の常木鴻山と元同心の俵一八郎と共に阿波の蜂須賀家の様子を探っていた目明しだった。常木鴻山と俵一八郎は「宝暦事件」の背後に徳島藩の藩主蜂須賀重喜がいることを上司に訴え出るが、取り上げられないばかりか役目不心得となって牢人していた。だが、二人はなおも蜂須賀家の様子を探っていたのである。偶然が偶然を呼ぶという展開の仕方が取られていくのである。その展開は、吉川英治の物語作家としての巧さそのものといえる。
さて、千絵の手紙を失った唐草銀五郎は、も一度江戸にもどって千絵に手紙を書いてもらうために多市を江戸へ向かわせるが、そのことを知った目明し万吉が後を追いかける途中、多市は辻斬りを働いていた「お十夜孫兵衛」に襲われ斬られてしまうし、万吉は彼を助けようとして捕まってしまう。「お十夜孫兵衛」は、元阿波徳島藩の原士(郷士)で、丹石流の剣技に非凡な技をもっていたが浪々の生活をし、辻斬りを働いていたのである。捉えられた目明し万吉は彼の手下の家に監禁されるが、そこに「見返りお綱」がやってくる。「見返りお綱」と「お十夜孫兵衛」は江戸での知り合いで、「見返りお綱」は江戸から大阪に来ていたところであったのである。
蜂須賀家の内情を探るために妹を女中として忍び込ませて、伝書鳩を使って連絡を取っていた元奉行所同心の俵一八郎は、万吉の妻から万吉が帰ってこないということを聞いて、鳩を使って万吉の居場所を探し出し、万吉があわや「お十夜孫兵衛」によって殺されようとするところに駆けつけて万吉を救い出す。そして、万吉がもっていた千絵の手紙を読んで、江戸の千絵に会えば蜂須賀重喜についてや幕府の意向がわかるのではないかと思い、常木鴻山、万吉と共に江戸に向かって出発していくのである。
他方、「お十夜孫兵衛」に斬られて川に落ちた多市は、助けられて川魚料理の店で手当を受けていた。付近は「いろは茶屋」が立ち並ぶ歓楽街である(「いろは茶屋」という名前から、作者は多分、道頓堀にあったといわれるものを想定しているのだと思われる)。その川魚料理の店に、「お米」という美貌の出戻り娘がいて、その娘をなんとか自分のものにしたいと思っている徳島藩の御船手が通ってきていた。九鬼弥助、森啓之助、そして原士(郷士)で剣客の天堂一角である。
そこに多市の話を聞いた「お糸」の計らいで唐草銀五郎が駆けつけ、これまでの経緯が語られるが、それを川魚料理屋に居合わせた森啓之助が盗み聞きし、彼らが徳島藩を探ろうとしていることを知って、九鬼弥助や天堂一角とともに二人を捕らえようとするのである。その時、偶然にも尺八を吹いて歓楽街を流していた虚無僧姿の法月弦之丞(のりつきげんのじょう)が通りかかり、あわや銀五郎が斬られるかと思われた時に彼を助け出すのである。この時、銀五郎は自分を助けてくれた虚無僧姿の法月弦之丞が江戸の甲賀家での旧知で、千絵が弦之丞を慕い、頼りにしていることを弦之丞に告げ、千絵を助けてくれるように懇願するのである。千絵には悪賢く粘着質の旅川周馬という侍が言い寄って、甲賀家も狙っているという。
法月弦之丞は、大身七千石の幕府大番組頭の子息で、故あって江戸を捨て、虚無僧姿で諸国を歩いている美貌の青年侍である。彼は甲賀家の娘千絵と恋仲だったのだが、江戸を離れたのである。彼の美貌は周囲の女性を虜にするところがあり、この時に、「見返りお綱」も「お米」も、ひと目で弦之丞の虜になってしまう(こういうところがエンターティメント性を生んで、一時、虚無僧姿の法月弦之丞は世の女性たちの大きなあこがれを生んだといわれる。映画では美男の典型と言われた市川右太衛門や長谷川一夫が主演している)。そして、この法月弦之丞こそが、本作品の主人公なのである。
「見返りお綱」も「お米」も、その恋は本物で、身を焦がすようにして弦之丞を慕い、「お米」は、法月弦之丞に千絵という女性があって、一時自害を覚悟したほどであった。娘の切ない恋心が描き出されていく。「お米」は人も羨む美貌であるが労咳(結核)を患って叶わぬ恋をし続けていくのである。「見返りお綱」も偶然にもその川魚料理の店に客としていたのである。
その後、阿波徳島藩の追っ手から逃れるために、傷ついた唐草銀五郎と多市、そして法月弦之丞は、「お米」の計らいで大津に身を隠し、「見返りお綱」は江戸に向かう。だが、「見返りお綱」の色香を追ってきた「お十夜孫兵衛」も一緒になり、彼女は操の危機を迎えるが、眠り薬で彼を眠らせて逃れ、腹を立てて追ってきた「お十夜孫兵衛」に捕まりそうになった時に、江戸に向かっていた目明しの万吉がいあわせて彼女を助けるのである。そして、俵一八郎と万吉は旅の途中で、偶然にも唐草銀五郎と多市、法月弦之丞が身を隠していたお堂に立ち寄り、そこで、これまで阿波徳島藩蜂須賀家の陰謀を探っていた二組が出会い、協力しあうことにする。
しかし、法月弦之丞に恋焦がれて隠れ家まで来てしまった「お米」の後をつけて隠れ家を発見した徳島藩士たちは、その隠れ家を急襲し、ついに多市を殺し、銀五郎と俵一八郎をとらえる。法月弦之丞は、その夜、千絵とのことや自分の不甲斐なさを嘆き、悩みながら他出していたし、万吉はかろうじて彼らの手を逃れる。やがて、知らせを聞いて法月弦之丞が駆けつけ、捕縛されて拐かされた二人の後を追い、徳島藩士たちと斬り合って、銀五郎だけは助けるが、俵一八郎を助け出すことはできなかった。
だが、助け出された銀五郎も深手を負っており、そこで、法月弦之丞から千絵を助けるという決意を聞きながら息を引き取ってしまうのである。弦之丞は、俵一八郎も大阪の蜂須賀家下屋敷に連れて行かれたと推測し、また、藩主の蜂須賀重喜の国許帰国が迫っていることもあって、下屋敷を見張る。しかし、警戒が厳重で下屋敷にはなかなか近づくことができなかった。
そうしているうちに、川魚料理屋の娘「お米」に横恋慕していた阿波徳島藩の御船手である森啓之助が、いよいよ帰国を前にして、ついに「お米」をさらって、抜け道をとおて阿波徳島藩下屋敷に監禁する事態となり、法月弦之丞は、森啓之助の後をつけて抜け道を発見し、下屋敷に潜伏するのである。
阿波徳島藩大阪下屋敷では、藩主の蜂須賀重喜が、「宝暦事件」に関与して幕府の手から逃れていた竹屋三位卿有村(公家の竹屋家の系図には有村という人物が見当たらないので、おそらく作者の創作だろう)を匿い、公家を招いて、徳川幕府転覆の気炎をあげていた。蜂須賀家は、三代将軍徳川家光の頃の三代目藩主蜂須賀至鎮(よししげ)を徳川家から嫁に来た奥方が毒を用いて殺したために、徳川家に対する長年の恨みを持っていると言う(これは作者の創作だろう。名君といわれた蜂須賀至鎮は、実に多くの人々に慕われる人物だったが、病弱のために1620年に享年35でなくなっている。彼の妻(氏姫 敬台院)は、小笠原秀政の娘で家康の養女となって蜂須賀家に嫁いだが、至鎮の死後46年間も生存し、日蓮宗を保護している。本書が告げるような、至鎮に毒をもり、自らもその毒をあおいで死んだということはなかったのである)。止まれ。阿波徳島藩下屋敷に潜んだ法月弦之丞は、この事実を知っていく。
第一冊目の半分ほどでこれだけの展開がなされ、登場人物たちの危機が連続して起こり、そのあいだに主人公に恋い慕う女性たちも登場し、息をつかせぬ展開がなされているのだから、一気に読ませる作品になっているのは当然で、しかも、物語の起伏が実に細かく配置されている。都合よく偶然が折り重なって物語が展開されていくが、考えてみれば、人間の関係とはそういうものかもしれない。一回では書ききることがもちろんできないので、この続きはまた次回に記すことにする。
第一冊目の半分ほどでこれだけの展開がなされ、登場人物たちの危機が連続して起こり、そのあいだに主人公に恋い慕う女性たちも登場し、息をつかせぬ展開がなされているのだから、一気に読ませる作品になっているのは当然で、しかも、物語の起伏が実に細かく配置されている。都合よく偶然が折り重なって物語が展開されていくが、考えてみれば、人間の関係とはそういうものかもしれない。一回では書ききることがもちろんできないので、この続きはまた次回に記すことにする。