2012年10月15日月曜日

築山桂『左近浪華の事件帳 闇の射手』


 昨日は夕方から時間ができたし、外は寒かったので、夜はのんびりと築山桂『左近浪華の事件帳 闇の射手』(2012年 双葉文庫)を気楽に読んでいた。築山桂の作品は以前に『寺子屋若草物語』のシリーズを読んで、その柔らかな文体と細やかさ、情にあふれた作品に接していたが、本作は作風がガラリと変わって、「事件帳」である。これはこのシリーズの2作目だそうだが、1作目を知らなくても面白く読める。もちろん、作品の主題が『寺子屋若草物語』とは全く異なっているが、細やかさや人の信頼というものを描き出す作者の真髄はよく貫かれている。

 これは、誰に仕えるというのでもなく大阪の町を守る「在天別流」という闇の組織に身を置く「左近」という女性を主人公にしたものである。「左近」は通り名で、元の名は「佐枝」という。彼女が身を置く「在天別流」というのは、表は、かつて宮廷などで楽曲や舞、演芸を行っていた楽人が組織する「在天楽所」で、帝から直々密命を与えられて武芸、医術、武具の制作などの技術を磨き、帝が政を行わなくなった後も、大阪の町の守護者として残って、町人のために活動を行っている組織である。

 「佐枝」は、絶対的な信頼を与えられている「在天別流」の長である弓月王の異母妹で、頼るものがなくなって異母兄を慕って大阪の町にやってきた娘であった。兄の弓月の表の名は東儀下総であり、彼女は東儀家の姫として迎え入れられただけでなく、「在天別流」の中で「左近」と呼ばれて男装して男勝りに活躍していくのである。異母兄の弓月が最も頼りにしている側近で、左近を守る役を果たしているのが「若狭」という人物で、物語は、主に「左近」と「若狭」、「弓月」によって織り成されていく。

 本書は、ある商家の娘が拐かしにあい、その娘を助けるために動いた左近が、やがてその事件の背後に水野忠邦家中のお家騒動を起こそうとする一派の企みがあることを知っていくという展開になっている。水野忠邦は、幕府中枢で働くために、長崎警護で幕閣に入ることができない唐津藩主から浜松藩主へと転封を望み、各方面に働きかけて浜松へ転封されたが、その時に、大阪蔵屋敷を中心にして行われていた不正もあって大阪蔵屋敷を廃した。その時に大阪蔵屋敷で収賄を起こしていた責任を取らせて家老一派を改易した。そのことを恨みに思う改易された旧水野家家臣が、商家の娘たちを拐かして身代金をせしめ、お家騒動を起こす資金に当てようとしたのである。もちろん、拐かされた娘はひどい目にあい、ひとりは、助け出されても自害したりする。

 かつて「在天別流」の右腕である「若狭」も、その水野家の大阪蔵屋敷廃止の出来事と関わった事があり、そこに「若狭」の恋もあったりするが、探索する左近を助け、守り、やがて私腹のためにお家騒動を起こそうとした浪人たちを始末していくのである。

 全体的にこうした設定や展開は、いくぶん、たとえば京都を舞台にして物語を展開する澤田ふじ子の『足引き寺閻魔帳』などの作品を彷彿させるものがあるが、築山桂の作品には、描かれる人物たちやその雰囲気にどことない気品のようなものがあり、根っからの悪人は少なく、またかつて罪を犯したものが悔いている姿などが描かれて、人間の取り扱いが優しい気がする。作者の細やかさは人間としての品のある細やかさで、この作品の随所でそれが見受けられる。文章もきれいである。しかし、ただ一点、作者は何のためにこの作品を描いたのだろうかと、ふと思ったりした。それは、このシリーズが完結するまでわからないかもしれないが、単なる娯楽作品では作者の資質がもったいない気がする。

 昨日は雨模様で寒かったのだが、今日はよく晴れている。このところ、ずっと書類書きに追われて日々を過ごしていた。神無月という月は、そういう月かもしれないとも思う。

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