木の葉が色づき始め、秋が一段と深まっていく。人間の精神的バイオリズムから言えば、精神が今頃から低調を醸すとも言われているが、晩秋に向かう時の寂寞感が漂い始めている。人間は気分の動物である。伸びきった髪をそろそろ切りに行こうかと思ったるする。
昨夜は、上田秀人『侵蝕 奥祐筆秘帳』(2008年 講談社文庫)を一気に読んでいた。これは、徳川家斉の時代(将軍在位:1787-1837年)、ことに、それまで老中首座として寛政の改革を断行してきた松平定信を1793年(寛政5年)7月に罷免した後の時代を背景として、幕政の中枢的機能を果たしていた奥祐筆にあるものを主人公とし、幕政の裏側や陰謀、権力争いの確執を描いたもので、ある種の緊張感の中で物語が展開されるので、読むときには一息で読ませる作品である。これまでにもいくつかのこシリーズのものは読んでおり、本書は第3作で、将軍徳川家斉の父親である一橋治済による家斉毒殺未遂事件が展開されていく。
主人公の奥祐筆立花併右衛門は、大奥から上がってきた新規の大奥女中の召し抱えの書類に不審を抱く。家斉の正室は薩摩藩主島津重豪の娘(茂姫 広大院)で、3歳の頃から家斉と婚約させられていたのであるが、徳川幕府が最も恐れた外様大名の雄藩であった薩摩の血を入れることにひと悶着あり、結局16歳の時に婚儀が行われ、第2代将軍徳川秀忠の性質であった「お与江の方」以来の正室による男子誕生をなすが、生まれた敦之助がわずか3歳で死去し、その後も子どもには恵まれなかった。しかし、家斉が設けた多くの子どもたちをすべて「御台所御養」として茂姫の子どもにし、正室の権勢は揺るぐことがなかったと言われている。
この茂姫付きの奥女中として薩摩藩士の娘を登用したいというのである。しかし、そこには裏があった。奥祐筆の立花併右衛門は護衛役として雇っている隣家の次男である柊衛悟をつかってその背後にある薩摩藩の動きを調べ、それが、将軍位を我がものにしたいと思っている家斉の父親である一橋治済による画策であることを暴いていくのである。
一橋治済は、岡場所に堕ちた美貌の藤田栄という女性を使い、女好きの家斉の目に触れさせて、その乳房に毒を塗ることで家斉を毒殺し、将軍位を奪い取ろうと企てたのである。藤田栄の家族は口封じのために皆殺しにする。そして、家斉は乳房に塗られた毒で次第に弱っていく。この家斉の危機を公儀御庭番の女忍が救う。
このシリーズは、政争の影で、治済の意を受けて動く元甲賀の「冥府防人」、公儀お庭番、朝廷の意を受けて動いている上野寛永寺の「覚蝉」などが暗躍し、それらと柊衛悟が立ち向かっていくのであるが、今回は特に、海外貿易を密かにおこなっている(抜荷)薩摩藩の示現流の使い手たちとの対決が描き出されていく。このシリーズは、そうした歴史の影で暗躍した人物を登場させて、それによって為政者がいかに権力に固執し、そのためにいかに権謀術作を用いたかが描き出されて、その緊張の中で柊衛悟と立花併右衛門の娘「瑞紀」の恋も描かれ、エンターティメントの要素が満載されているので面白く読めるものになっている。
本書では柊衛悟の兄によって衛悟の養子の口が見つかり、互いに密かに思いを抱く衛悟と「瑞紀」は悩むが、奥祐筆の護衛の任を続けることを望む立花併右衛門が裏から手を回して養子の話を壊し、衛悟も「瑞紀」もホッとするということが記されている。
個人的に、徳川幕府はだいたい家斉の頃から目に見えて衰退していくと思っているが、「家が内部で争うと滅びる」というのは真実で、いつでも、どこでも、力や権力を求めたがる人はいるのだし、滅びの芽はどこにでもあるなあ、と思いながら読んでいた。策を行う者は策によって滅びる。これが歴史の修正力かもしれないとも思う。
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