2012年10月22日月曜日

安部龍太郎『葉隠物語』(1)


 先日、青葉区役所に諸用で出かけた折に、駐車場一面に金木犀の甘い香りが漂っているのに気づいた。金木犀の香りは、どことなくふわりふわりとした優しさを感じさせる。小さな茜色の花が満開だった。「秋、深し」である。

 この数年、なぜか思考の琴線に触れていることの一つに、佐賀鍋島藩の山本常朝が口述して田代陣基(つらもと)が記した「葉隠」の壮烈な生き様がある。以前、隆慶一郎『死ぬことと見つけたり』(隆慶一郎全集1314巻 2010年 新潮社)を読んで、その「葉隠」思想を体現させた主人公たちの姿があまりに強烈だったこともあるし、若い頃に読んだ時の理解を一変させるものだったこともあり、また改めて自分の「覚悟」というものを考える上で大きな意味を持っていることに気づかされたからである。若い頃にはわからなかったことが、年月を経て実感的にわかってくるということがあるもので、わたしにとっての「葉隠」はそういうものの一つである。

 そして、先日、あざみ野の山内図書館で安倍龍太郎の作品に『葉隠物語』(2011年 株式会社エイチアンドアイ)という作品があるのに気づき、早速、借りてきて読んでみた。本書の「あとがき」の中でも、作者も隆慶一郎の作品に触れて、「山本常朝の実践哲学がおぼろげながら見えてきた」(414ページ)と語り、「原書を貫く精神を、数々のエピソードを小説化することでとらえ直す」のがこの作品であると語っているが、読んで見て、「葉隠」が生まれてきた史的背景が見事に描かれ、優れた「葉隠」の体現が行われていると思った。もちろん、隆慶一郎が強調した「常に死を覚悟して生きる」ということが本書でも強調されている。「葉隠」の真髄は「義を貫いて生きる」ということでもあり、描かれる儒教的な主従関係の事柄は別にして、「気概」として考えておきたいことだと思っている。

 本書は、「序章 出会い」で、まず、「葉隠」を記述してまとめた若い佐賀藩士である田代陣基が、佐賀の北にある黒土原(現:佐賀市金立町、弘学館高校がある)に庵を結んでいた山本常朝(常朝は出家後の名前で、それ以前は山本神右衛門)を訪ねるくだりが記されている。山本常朝は、佐賀鍋島藩の二代目城主鍋島光茂に御祐筆(書記官)として仕え、御書物役や書写奉行などを勤め、藩随一の学者とも言われて、光茂が和歌の最高権威である「古今伝授」を授かるのに功のあった人で、佐賀の「曲者(ひとくせもふたくせもある人物、良い意味での頑固者)」と評されていた。藩主の光茂が亡くなった時、追腹を切る(藩主と共に死ぬ)ことが禁止されていたために、出家剃髪して逼塞していたのである。

 本書の「序章」は、田代陣基が山本常朝を訪ねることになった由来を記す。田代陣基の同僚が酒場での口論・喧嘩で人を切ってしまい、相手が藩の重職の子息であったことから裁定が厳しくなり、同僚に切腹が命じられたが、家中からその裁定に不満が起こり、助命嘆願書を作成することになって、能筆家として知られていた田代陣基にその依頼がくるのである。田代陣基はその依頼を受けて嘆願書を作成するが、つい、感情が高ぶって書いてしまったために、その、書きぶりが僭越すぎるということで牢人を命じられてしまうのである。彼に嘆願書の作成を依頼した人たちも、彼に責任を押しつけて、彼は孤立し、これからは米も買えない貧しい暮らしになるとともに親類縁者にも顔向けできず、裁定にも承服し難く、武士の意地を貫いて切腹しようと覚悟を決めるのである。田代陣基、三十二歳の時である。

 だが、死ぬ前に、前々から常朝に会って教えを受けたいと思っていたので、その常朝にあってから腹を切ろうと会いに出かけるのである。山本常朝は彼を迎え入れ、自分で手揉みして作った茶をふるまい、事情を聞く。そして、「なるほど、それでここに死にに来たわけか」と言う(14ページ)。田代陣基は「それしか武士の一分を立てる道はないものと存じます」と答える。だが、常朝は「まず、切腹を命じられた友の介錯をせよ。その位牌を抱いて、仇と目する重役の屋敷に斬り込むが良い。そうして斬り死にしてこそ、こたびの処分の非を鳴らすことができるではないか」と語るのである。そして、牢人を命じられたら命がけで牢人せよ。平伏するときは、いつ命を取られても構わないという覚悟で首を差し伸べよ、と言う(1416ページ)。

 この山本常朝が語った姿は壮烈な生き様である。そして、切腹を覚悟していた田代陣基は、「己の未熟に気付いたからには、うかうかと死んではおれませぬ」と常朝に弟子入りを志願するのである。こうして「葉隠」を生む師弟関係が始まった、と本書は記す。

 ここで描かれたことの史実性は別にしても、記されている山本常朝の言葉は、「葉隠」の真髄を示すものと言えるだろう。「死に狂い」とは「死を当たり前のように覚悟して生きる」ことにほかならない。それはまた、簡単には死なないということでもある。

 こうして、本書が始まるが、それぞれの章ごとに「葉隠」の一節が原文として記され、それが生まれてきた背景として、佐賀鍋島藩の藩祖であった鍋島直茂(15381618年)の出来事から順に歴史をたどる形で、「武士(もののふ)の曲者(くせもの)」として生きた人々の姿を記していくのである。

 以前、隆慶一郎『死にことと見つけたり』について読書記録を記した時には詳細に記していなかったので、「葉隠」の思想を探る意味でも、ここでは少し詳しく内容を記したいので、その内容については次回に記すことにする。

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