15-16日と箱根で研修会があり芦ノ湖まで出かけていた。ついでに箱根の関所跡にも寄って、江戸時代に箱根を越えることの難しさを改めて感じたりしてきた。
閑話休題。西條奈加『朱龍哭く 弁天観音よろず始末記』(2012年 講談社)を、作者の興が乗ってきたような作品だと思いながら、とても面白く読んだ。作者が描く人物像が柔らかく、しかも展開される事件が「身分の差をなくす世直し」というような深刻な問題であるというのがいい。
作中の主要な人物は二人の女性で、一人は、深川で芸者をしていた母親がなくなったあと、柏手長屋という裏店で長唄の師匠をしながら生活している「お蝶」というしゃきしゃきの江戸っ子娘で、もうひとりは方向感覚がまるでなくて外見はおっとりしている義姉の「沙十(さと)」である。「お蝶」は弁天、「沙十」は観音といわれるほど二人は美貌の持ち主だが、二人とも爽やかさが衣を着ているような女性である。
「お蝶」の父親は南町奉行所の与力をしていた榊安右衛門だが、彼の妻が長男の安之を産んで早くになくなり、その後、深川で芸者をしていた「おさき」との間に「お蝶」ができたのである。「おさき」はしゃきしゃきの辰巳芸者で、「妾をやらせてもらうほど、こちとらひ弱にできちゃいねえのよ」といって安右衛門の世話にはならず、安右衛門がなんども一緒に住むことを願ったが、ついには一緒に住まずに、芸者をしながらせっせと安右衛門の家に通っていたのである。榊安右衛門は長男の安之に家督を譲ってひとり暮らしをしていた。その「おさき」が病気でなくなり、そのあとすぐに後を追うようにして安右衛門もなくなってしまい、「お蝶」は柏手長屋で長唄の師匠をしながら暮らしているのである。
「沙十」は「お蝶」の異母兄の安之の妻で、安之は「お蝶」に屋敷で暮らすように頼むが、「お蝶」が断り続けているために「お蝶」の長屋を訪ねてくるのだが、方向感覚がまるでなく、つい反対方向に道を曲がっていってしまうというおっとりしたところのある女性で、安之も「お蝶」を可愛がっているなら「沙十」も「お蝶」を可愛がり、二人はまるで姉妹のような間柄である。「沙十」は、一見、茫洋としたところがあるように見えるが、実は頭脳明晰で、薙刀の腕は師範代を務めるほどで、豪胆な胆力をもった女性である。
この二人の個性ある女性が大きな事件に関わっていくという筋書きだから、物語は優れて面白くなっていく。物語のはじめは、与力の家である榊安之のところに持ち込まれる相談事を「沙十」が解決しようとするところから始まる。「お蝶」のところに長唄を習いに来ている瀬戸物問屋の娘に悪い虫がついたようだからなんとかしてくれと頼まれるのである。瀬戸物問屋の娘には縁談が持ち上がっていた。
「お蝶」と「沙十」は、さっそくその「悪い虫」と言われた男に会いに行き、手を引くように頼むが、うまくいかずに、瀬戸物屋の娘にも直接会って話を聞いても、娘は男の真実を信じていて別れないと言い出す。そうしているうちに瀬戸物問屋の娘が拐かされてしまう。拐かし犯が要求したのは身代金ではなく、瀬戸物問屋が得ようとしていたある大藩の御用達商人になるという話を白紙に戻せということであった。この拐かしには裏があった。瀬戸物問屋の娘も、彼女が惚れている男も、共に武家屋敷に監禁されていたのである。「お蝶」も二人が監禁されている武家屋敷に連れ込まれてしまう。だが、そこに「沙十」が、「お蝶」の長屋の住人であり、「お蝶」を守ろうとする雉坊と呼ばれる勧進坊主と幼馴染の千吉を伴って乗り込んでくる。そして、薙刀の立ち回りの腕を見せて瀬戸物問屋の娘とその男、そして「お蝶」を助け出すのである。
この事件の背後には、その大藩の次席家老と用人との争いがあり、拐かされた娘の瀬戸物問屋が御用達商人になるために賄賂を次席家老に贈り、元々商人を牛耳っていた用人がそれを阻止しようとしたのである。次席家老は、これまでの用人のやり方を覆そうとして互いに敵対していたのである。「沙十」がそのことを見抜き、事件の解決を一挙に行ったのである。
この事件をきっかけに、与力である榊安之の家に持ち込まれる相談事の解決に「沙十」があたり、その手伝いをするために「お蝶」も異母兄の家に住むことになって、異母兄の安之も一安心していくということになるのだが、実は、「お蝶」と安之の父であった榊安右衛門の死が病死ではなく、何者かに斬殺されたことがわかっていくにつれ、事柄は「世直し」という大事へと向かっていくのである。
事柄の発端は第二話「水伯の井戸」から述べられていく。「お蝶」は八丁堀の兄の組屋敷に移るが、柏手長屋での長唄の稽古は続け、その護衛に溺愛している異母兄の安之から戸山陣内という若い侍をつけられる。「お蝶」が何者かに襲われたことがあったからでもある。戸山源内は貧乏御家人の次男であるが、武士としての矜持をもち、剣の腕で身を立てたいと願っている侍で、八丁堀の与力の家に仕えることができて、若い娘である「お蝶」を自分の主(あるじ)として、「主のために生命を賭すのが武家の習い」と命がけで「お蝶」を守っていく青年である。
初め、町方育ちで伝法な口を聞く「お蝶」と武家の格式を貫く陣内とは、うまくそりが合わなかったり、「お蝶」の幼馴染で長屋に住んで「お蝶」に惚れている千吉に嫉妬されたりするが、やがて彼が本当に自分の命をかけて「お蝶」を守っていく姿がわかっていき、「お蝶」も頼りにするようになっていく。
そうしているうちに、牛込の書物屋(子どもが手習いに使う書物などを扱っている店)から、店や近所にひどい嫌がらせが起こっているので、これを何とかして欲しいという相談が持ち込まれる。「沙十」と「お蝶」が、さっそくその調査に乗り出したところ、嫌がらせをしているのは女の幽霊だという話が出てくる。「お蝶」は長屋の雉坊と千吉に頼んで一帯を見張ってもらい、嫌がらせをする犯人を捕らえる。犯人は近くの武家屋敷に出入りしていたが、どの武家がこの事件に絡んでいるのかはわからなかった。その武家を探している途中で、「お蝶」は何者かに襲われる。賊は、父親の安右衛門から預かっている品を渡せと迫ってくるが、「お蝶」には覚えがない。賊たちは「沙十」の薙刀と陣内の剣によってかろうじて難を逃れることができたが、それによって「お蝶」は、今まで卒中で死んだと聞かされていた父親の死に秘密があることを知っていくのである。
嫌がらせ事件そのものは、「沙十」の見事な推理で、書物屋の通りの裏店にある「水伯の井戸」と呼ばれる枯井戸から再び甘露な水がわくようになり、自分の家の井戸が枯れてしまった茶道の師匠としても高名な旗本が、その井戸を自分のものにしようと企んだことであることが分かっていく。「お蝶」は、その旗本に長屋の井戸から水を分けてもらうようにしたらどうかと提案し、事件は解決する。
それからしばらくして、品川の廻船問屋の風変わりで傾いている若旦那が「お蝶」に長唄を習いたいと言ってきたりしているうちに、今度は神田の筆墨硯問屋から、娘の許嫁が九歳の女の子にいたずらをしたという咎でお縄になったが、許嫁はそんなことをする男ではないから何とかしてくれないかという相談が持ち込まれる。この事件そのものも、「沙十」の推理と「お蝶」の人柄で、実は九歳の女の子が嘘をついていたことが分かっていくのだが、「お蝶」に長唄を習いたいと言ってきた廻船問屋の若旦那が「お蝶」の父親であった榊安右衛門殺しに大きく関わっていくのである。
このように伏線いくつも張られて、物語が佳境に入っていくように巧みに構成されている。その事件の真相を探っている時に、「お蝶」は再び何者かに襲われ、通りがかった廻船問屋の若旦那の機転で助けられるということが起こる。それをきっかけに廻船問屋の若旦那は「お蝶」の長屋に出入りするようになるのである。頭脳明晰で人を見抜く力もある「沙十」は、「お蝶」を巡る一連の出来事を見極めようとしていく。
そこに、かつて父親の榊安衛門と碁仲間で、気安く出入りし、安右衛門の人柄をしたっていたという相模の干鰯問屋の紀津屋という男が訪ねてくる。実はこの紀津屋と品川の廻船問屋の若旦那とは繋がりがあり、何らかの意図をもって「お蝶」に近づいたのである。紀津屋の思い出語りの中で、安右衛門が新陰流の的場道場という剣術道場に通っていたこと息子の安之の上司である南町奉行の岩淵是久も同門であること、長屋の千吉も安右衛門の勧めで的場道場に通っていることなどが語られていく。安之だけは別の道場に通っていたが、あまりの見込みのなさに道場を追い出されたという話も盛り込まれていく。
「お蝶」は、異母兄の安之と「沙十」の出会いが、物取り目当ての浪人に安之が取り囲まれた時に、通りかかった「沙十」の薙刀によって助けられたのが二人の馴れ初めだと言う。安之も「沙十」と同様に、どこかおっとりと望洋としたところのある人間だった。だが、実は安之は剛剣の使い手で、道場では誰も相手になるものがいなかったほどの腕前であったことが、ずっと後で記され、二人の望洋とした夫婦が、実は薙刀と剛剣の使い手で、人は見かけによらないことを作者が仕組んだ人物なのである。
こうした展開をしながら、「お蝶」は「父親の遺品」ということが気になって、安右衛門が住んでいた下谷の家を訪ねてみることにする。行ってみると、下谷の家はそのまま空き家になっており、何者かが家探ししたことがあるという。そして、妙な女が家の周りをうろついているとも聞かされる。「お蝶」はその女に会ってみることにする。女は夜鷹で、生前の安右衛門に温情をかけられ、安右衛門の死体を最初に発見した女だった。その女から「お蝶」は、安右衛門が斬殺されてことと、その犯人と思しき人物に会ったことを聞かされるのである。安右衛門は死の時に「お蝶」が作ってあげていた紙の姉様人形を握りしめていたと言う。女は犯人と思われる侍にまた出会ってしまい、それを届けるべきかどうか迷っていたと告げる。その話を聞いて、父親が死ぬときに握りしめていた姉様人形の柄が「一斤染(いっこんぞめ)」という独特の柄で、安右衛門はそれを握り締めることで、犯人を告げようとしていたのではないかと推測する。南町奉行の岩淵是久が「いっこん」という俳号をもっていた。父親殺しに南町奉行が関与しているかもしれない、そういう推測をするのである。
南町奉行は安之の上司であり、しかも剣の腕も免許皆伝と聞く。父親殺しに南町奉行が関与していたことを知れば安之はひとたまりもないだろうから、「お蝶」は自分が気づいたことを異母兄に話すかどうか悩む。
それはそれとして、市ヶ谷の金物問屋の女将が主人の様子がおかしいと言って相談に来る。金物問屋の女将は、かつて「沙十」の実家で行儀見習いをしていたこともあり、金物問屋は尾張徳川家のご用達でもある老舗だった。だが、その金物問屋が尾張徳川家の家臣に誘われて剣術道場に通うようになり、その道場では、身分の差などが取り払われて、武家も商人も職人も居酒屋で互いに酒を酌み交わしたりしており、金物問屋はそれが気に入って熱心になり、ついには幕府を転覆する「世直し」を口にするようになったというのである。そして、彼が扱う尾張徳川家に収める硝石が何者かに奪われる事件があったが、その彼の着物に硝石から作られる火薬が付着していたのに気づいたというのである。金物問屋の女将は、なんとか主人を止めたいと密かに相談に来たのである。金物問屋の主人が通っている剣術道場は新陰流の的場道場であった。
「お蝶」は、長屋の千吉が通っている道場も的場道場だから、千吉に話を聞こうとするが、千吉は行方がわからなくなっており、雉坊も姿を消していた。雉坊は、相模の王龍寺という寺の僧だという。金物問屋の主は「江戸の空に王龍が舞う」とも口走っていたという。的場道場と王龍寺と「世直し」、この三つが繋がっていくのである。「お蝶」と「沙十」が的場道場に様子を見に行った時に、「お蝶」の護衛役であった戸山陣内までもが、的場道場に入っていき、姿を消していた。
「お蝶」が廻船問屋の若旦那と話をしている時に、かつて若旦那も的場道場でひどいめにあったことがあり、彼をひどいめに合わせたのは、「お蝶」の父親安右衛門を殺したと思われる人物だった。こうしてすべてが的場道場へと繋がっていく。廻船問屋の若旦那は、「お蝶」の兄の安之がたとえ与力の株を手放さなければならないことがあったとしても「お蝶」を大切にする人物であることを確かめてから、相模の干鰯問屋の紀津屋を連れてくる。この紀津屋が、実は生前の榊安右衛門から重要な品を預かっており、賊たちはそれを狙っていたのであった。父親の遺品は「連判状」で、そこには南町奉行の岩淵是久の名前も、的場道場主の名前も記されていた。
相模の王龍寺の住職だった導慧(どうけい)は、徳の高い人物で、信望者が多く、人には身分の隔てなどないという教えを語っていた。身分差別で苦しむ者たちの多くがその教えを喜び、やがて、身分差別のない世の中を作るという「世直し」を掲げた「王龍党」ができ、南町奉行も的場道場主もその「王龍党」の一員で、「連判状」はそれを記したものだった。だが、導慧が亡くなったあと、江戸城に火を点け火薬で爆破して、武力によって「世直し」を図ろうとする急進派の的場道場主と、人の心を変えていくことで平等な世の中を作ろうとする南町奉行との間が別れ、南町奉行は急進派を抑えようとしていたのである。そして、「お蝶」の住む長屋の住人であった「雉坊」こそが導慧の後継者としての責任を負い、彼もまた的場道場主の暴走を止めようとしていたのである。千吉も雉坊とともにその働きに加わっていたのである。
「お蝶」の長唄の二人の弟子が拐かされ、人質に取られて「お蝶」が呼び出され、「王龍党」が隠れ家としていた船宿の穴蔵に入れられる。そこには、同じように監禁されていた戸山陣内がいた。戸山陣内は的場道場を探ろうとして、気づかれてしまったのである。その穴倉には、南町奉行の岩淵是久の娘も監禁されていた。「王龍党」の急進派が岩淵是久を抑えるために娘を人質にとったのである。彼らの決起は明日に迫っていた。だが、そこに彼らの仲間を装っていた千吉が助けに来て、彼らは無事にその船宿の穴蔵を出ることができ、ことの真祖がわかり、安之に告げて、「お蝶」、源内、そして「沙十」は急進派の決起を阻止するために的場道場に乗り込むのである。的場道場では雉坊が急進派の決起を阻止しようとし、ついに乱闘となる。そこに安之と岩淵是久が廻船問屋の船人足を大勢連れて駆けつける。死闘が繰り返され、戸山源内は的場道場の中でも凄腕と言われた男と対決する。男は、「お蝶」の父親の安右衛門を殺した人物で、しかも戸山源内とは竹馬の友であった。彼は、かつて身分や家格の違いから追放されて「身分のない世の中を作る」という教えを的場道場主から受けて、幕府の転覆を画策していたのであった。
だが、そのために人殺しや拐かしなどの手段を選ばないやり方をし、大勢の人間を殺すということに賛同できない雉坊や岩淵是久と敵対していたのである。陣内、「沙十」、廻船問屋の若旦那らの破竹の活躍が続く中で、安之も剛剣を奮っていく。こうして、「王龍党」の急進派の企みは灰燼に帰し、安右衛門の仇もとれ、奉行所与力ではあるが、安之はすべてを胸に収めて、また、みんなが元の暮らしに戻っていくのである。
最後に、雉坊は「沙十」にこう尋ねる。
「奥方にとって、良い世の中とはいかようなものか」
「沙十」はしばらくして、「お蝶」のところに長唄の稽古に来る娘たちが賑やかにしゃべりだすのを眺めてから、
「雉坊さま、娘たちがあのように笑っていられる世の中が、私には何よりに思えます」
と答えるのである。雉坊は「肝に銘じておこう」と答える。
まことにそのとおりだと思う。本書は伏線の上に伏線が張られて、やがてそれがだんだん膨らんでいって一つの大きな物語に流れ着くようになっており、構成も、またそれぞれの人物たちも、その展開もよくて、作者の真骨頂がよく出ている作品だと改めて思った。なんでもないと思えるような日常があって、それが物語につながり、その日常の中で織り成されることこそ意味がある。作者はそういうことをよく知っていると思う。人物もそれぞれに個性があってとても面白く読めた作品だった。
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