2010年1月4日月曜日

松井今朝子『そろそろ旅に』(2)

 朝はまだら模様の灰色の雲に覆われて、まさに冬の重い空を感じさせたが、午後からは晴れてきた。年末に使った布団を干したり、カバーを洗濯したり、掃除をしたりしていると午後3時になってしまった。

 昨夜はK氏宅にお招きを受けて、本当に楽しい時を過ごすことができた。K氏はロシア文学を専攻された後、ある電機会社に勤めておられて、高橋和巳や埴谷雄高、ドストエフスキーなどを愛読されて、わたしと読書傾向が似ているので、話をしていてとても楽しいし、ジャズマンでもある。奥様のUさんは英語を教えられるかたわらヴァイオリニストでもあるし、双子の姉弟のSちゃんとSTくんも、いまどき珍しい好少年少女で、Sちゃんはヴァイオリンが堪能で、中学校でオーケストラをやっており、STくんは囲碁と合気道を学んでいる。昨夜はジャズで演奏されたバッハなども聴かせてもらった。

 わたしも囲碁が好きなので、昨夜はさっそく哲志くんと一局囲んだりした。御家族と話をしていると、時間の経つのも忘れるくらい楽しくて、気がつくと10時を廻ってしまっていた。遅くまでご迷惑だったかもしれないが、心底楽しかった。

 帰宅して松井今朝子『そろそろ旅に』を読んだが、少し酔っていたのと眠いのとで、あまり進まなかった。ただ、非常に面白いと思ったのは、十返舎一九が次第に浄瑠璃の世界に関心を持ち始めて、武家奉公を止めようとするくだりで、その描き方に作者の文学への思いも反映されているように思えたことである。

 「田沼から白河候の治世に移り、岩瀬(武家奉公の同僚で遊び好き)が江戸に去って、小田切家(十返舎一九が務める大阪町奉行)の勤めがだんだん窮屈となるにつれて、与七郎(十返舎一九)はともすれば異国(浄瑠璃の世界)への誘いに心を強く揺さぶられてしまうのである」(146ページ)と、その心情が述べられている。そして、「世の中の手本となるような立派な武士は願い下げだ。商いに手を染めたら、きっと儲けるより損がいくだろう。何がしたいといえば、そこら中をうろうろと歩きまわって、時にぼんやり景色を眺める。行き交う人とののんびり馬鹿話をして、時に気が向けば筆を取る。毎日あくせくと働かずに暮らせて、美しい女房が側にいてくれたらもうそれで何も申し分ない」(148-149ページ)と語られる。

 こうした十返舎一九の心情は、彼が格式ばった武家を嫌い、自由人でありたいと願った姿として描き出されるものであろう。作品の中では、彼を家臣にしていた大坂町奉行の小田切直年はこうした十返舎一九の心情をよく理解して、彼のもとを去ることを快くゆるしていく人物として描かれている。

 実際のところ、小田切直年は、江戸北町奉行所の名奉行のひとりに数えられ、彼が大坂町奉行だったのは1783-1792年で、一説では十返舎一九の実の父親ではないかとの説もあるが、確証はなく、本作品でもその説は取り入れられていないが、十返舎一九の夢見るような気ままな性格をよく理解する人物であったとは言えるかもしれない。

 十返舎一九は、その小田切家のゆるしを得て、やがて大阪の材木商の入婿となるが、かといって材木商としての働きにも熱が入らずに、人形浄瑠璃の作者として『木下陰狭間合戦』の一部を執筆するようになるのである。作者が描く十返舎一九像は、どこまでも才能豊かであるが物事にこだわらずに、洒落て生きていく人間である。

 彼が、入婿となった材木商から離縁されていくくだりは、これから読むところである。少し薬局に行ったり買い物をしたりしなければならないので、今日のところはここまでにしておこう。明日から三日間は都内で会議である。

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